内閣が衆議院を解散できる理由を考えたことありますか?

2017年1月13日

昨年来2017年は、衆議院選挙があるだろうとあちらこちらで語られています。

 

ちょっと待って!衆議院議員の任期は4年では?

 

そうなんです!!

 

ただ任期中に内閣により衆議院が解散されると任期満了、衆議院議員総選挙が行われるのです。 衆議院解散とは、要は衆議院議員の資格を失わせる行為、衆議院議員は内閣によりクビにさせられたことを意味します。それがなんで衆議院議長が解散詔書を読み上げたら議員さん、『バンザイ!』するんですかね。クビになって嬉しいなら、なんでまた選挙に出てくるのでしょう。

 

後に行われる衆議院選挙により大幅な議席増が見込まれる政党に属する議員は、解散権を行使した人に対して、『ありがとう!』の気持ちから、『バンザイ!』してるのでしょうか。

 

憲法には、天皇の国事行為として衆議院解散が規定されています。もとより国政に関する権能を有しない天皇が衆議院解散を決めるのではなく、解散権を持つとされる内閣が決めて、衆議院議長が宣言する解散詔書に天皇陛下が御名御璽されるものです。細かいことですが原本は内閣官房に保存され、副本が衆議院議長のもとに届けられます。 さて日本国憲法には、69条で内閣不信任案が可決された場合の内閣による衆議院解散が明記されていますが、仮にそのようなケースであっても、日本国憲法第7条による解散と扱われてきました。

 

この憲法7条に衆議院解散が規定されていることで、内閣は、憲法69条のときに限らず衆議院を解散できると言うのが政治の世界の見解であり、これは憲法学会でも多数説となっています。 それではいつでも内閣は、解散権を行使できるのでしょうか。なぜ衆議院解散が認められているかを考える必要があります。日本国憲法では、三権分立が確固として構築されています。そんな中で国会は、国権の最高機関と規定されています。これは単に政治的美称であるにしても、内閣は、国会に対して責任を持つと言う議院内閣制が採用されていることにも、留意されなければなりません。

 

すなわち、内閣総理大臣は国会が指名します。

 

つまり国会の多数派から内閣総理大臣が誕生し、内閣が組閣されます。内閣は、国会から託された行政を行うに当たっては、国会に対して説明を果たすなど、責任を負います。ただし、行政を執るにあたり、国会と対立して動きがとれない、つまり、行政の停滞が起きると国民生活に影響が出てきます。そんなときの調整が、衆議院の解散と考えるべきです。

 

よく『選挙の争点』と言われます。ここ数年の国政選挙、いつも経済、具体的には『アベノミクスを前進させる。さらにエンジンを蒸す』であります。アベノミクスは道半ば、さらに強い経済を、それともあのころに後戻りするのか!ってなかなかのもんです。道半ばっていつ終点なの?中学校でも3年で卒業だけどと言いたいですが、それが争点なんだそうです。 だけどこれおかしくないですか。道半ばでさらにギアを上げたいが、それを阻止されたとか、国政が議会と行政の対立で停滞し、にっちもさっちもいかなくなる現実があるのですか。衆参両議院で3分の2以上の議席を与党は持っています。内閣と国会の意見が異なることがあるとは思えません。実際内閣提出の法案等は、反対する少数者を無視して、『強行採決』しています。もっとも、与党の総裁は、未だかつて強行採決をしようと考えたことはないと述べられましたが。 よく『国民に信を問う』と言われることがあります。

 

ある問題について、内閣と国会、どっちが正しいの?ってことです。例えば、小泉純一郎首相が行なった『郵政解散』は、総裁の政党からも造反者がでたり、衆参両議院で異なる議決がなされるなどしたので、まさに内閣と国会が対立したと評価できるので、国民の信を問うと言う選択は、おかしなことではありません。 そうしてみると、絶対的安定多数の議席を与党が有しているのに、従って国会運営と内閣の行動がバラバラのはずがないのに 衆議院を解散する、国民に聞いてみるなんて理屈立たないと考えられるのです。

 

内閣の衆議院解散権、これは時として政権与党の政争の具に利用される危険があります。つまり、内閣が何らかの政策・出来事でポイントを挙げたとき、国民受けする出来事が起きたときには、ときの政権に国民は靡くからです。かつて沖縄返還を実現したときの佐藤内閣がそうでした。さらに与党は数を伸ばせると踏んで解散するのです。

 

だから与党議員、『バンザイ!』なんでしょうか。 そんな現実があるので、昨年来『プーチン解散』とか、『真珠湾解散』とか、その可能性が指摘されたのでした。ロシアのプーチン大統領を、安倍晋三内閣総理大臣、故郷と言われるご自身の選挙区山口県長門市に招きました。そして年末には、任期満了近いアメリカ合衆国オバマ大統領と一緒に、ハワイ真珠湾のアリゾナ記念館に献花しました。真珠湾を訪ねた直後、内閣支持率が60%を超えました。解散権を行使するチャンスですね。しかし、タテマエとは言え、解散する大義名分が必要です。国会と内閣が対立していると言えますか。国民に対して、何を聞くのでしょう。

 

2年前の衆議院議員総選挙、かつての3党合意により、消費増税を行う時期になり、『増税しなくて良いか』国民の信を問うとして解散権が行使されました。でもなぜ安倍政権は、増税できなくなったかの理由はともかく、あのとき消費増税に反対しない政党はありましたかね。国民みんな、増税されなくてよかったと思ったのではないでしょうか?信を問う理由見当たりません。念頭の自民党の挨拶で安倍晋三総裁、『今年中の解散は考えたことない』と言ったそうです。

 

それが後になって『今年と言うべきところを今月と言い間違えた』とお付きの方々が『訂正』したようです。わざわざ訂正する性質のものなんでしょうかね。

 

石破茂前地方創生相は、私の1学年上の先輩で、初めて法律を教えてくださった方です。最近放映されたテレビ番組で石破茂氏、こう言いました。『問うことが明確ではない選挙はやるべきではない』。

このところ絶対的安定多数の力で『強行採決』もどきをやっている国会、そんな国会と内閣は厳しい対立あるなんて誰も思いませよ。これ以上数増やして何するの?と半ば諦めにも似た声が聞こえてきそうです。

 

毎年新しい発見をする新春恒例の箱根駅伝でした。

2017年1月5日
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新春恒例の箱根駅伝が、今年も多くの人に感動を与えて終了しました。三年連続優勝を飾った青山学院大学の強さが目立った大会ではありましたが、箱根駅伝ファンは、勝ち負けだけを楽しみに見ているのではありません。今年も様々なドラマがあり、また、学んだ?こともありました。

まず青山学院大学、おめでとうございます。毎年選手が変わる大学生の団体競技で三連覇、素直にその実力は評価されます。トップを続けることのほうが、それを狙うことよりも難しいと言われます。特に青山学院大学原晋監督は、ある意味これまでの監督像とは異なる指導方針、そしてキャラを発揮され、それ故にか逆風を受けるところもあったでしょうが、選手スタッフ関係者見事なチーム力でした。各大学とも、その大半の学生が、高校時代までに相応の実力を持っていますから、それをどう開花させ、駅伝と言うチーム競技に活かすかは、監督の力によるところが大きいと思います。そして監督が好きなように?できる環境を作った大学、家族、選手スタッフとその関係者の信頼関係あっての結果だと思います。今日のテレビ解説者、原監督は、経営者だと評していました。


ここ数年2位になっている東洋大学も立派ですね。箱根駅伝で全国区となった知名度のある選手たちが卒業してもなお、この成績には底力を感じます。『その1秒を削り出せ!』の言葉、個人と団体の力が合わさって結果が出る駅伝には、納得できるスローガンです。そして今年総合3位に入った早稲田大学、こちらも見事でした。傑出した選手がいない中、特に往路では、青山学院大学にあと一歩まで迫った走りは、来年以降に繋がると感じました。そしてこのところ良い結果が出ていなかったかつての優勝校神奈川大、順天堂大、復活を感じさせるレースでした。
来年に期待したいと思います。

シード権を獲得するかどうかは、来年の箱根駅伝本大会のための1年間の計画にも影響する大切なことだと 言われます。毎年悲喜こもごもの大手町の風景があります。今年について言えば、往路では10位の日本大学は復路で振るわず、往路では、シード圏外となる11位以降の順位だった日本体育大学、法政大学、東海大学が、復路の頑張りでシード圏を獲得しました。

こんなルールあったの?と思われたシーンがありました。過去にもあったことですが、『幻の区間賞』が今年も出ました。関東学生連合、いわゆる学連選抜の最終10区のランナーを務めた東京国際大学4年の照井明人選手が、この区間を走った21人中最速のタイムで大手町にゴールしました。ただし、学連選抜は、オーブン参加のため、公式記録とされません。以前にも同じことがあり、最近では往路棄権したチームの復路8区の選手が、同区間のトップの成績を残したけれども『参考記録』とされだことがあります。ルールとは言え、学連選抜チーム、その選手は、様々な思いを抱いて走っていると思います。なんか釈然としないものがあります。

『幻の区間賞』と言われる事態そのものがあることは私も知っていました。でも今回初めて知ったことがあります。それは、全く同タイムのときの順位の決め方です。今年は、山梨学院大学と明治大学が、2日間の総合タイムが11時間29分17秒で、全く同着となりました。この場合、全区間を取り出して、区間順位の上位者数の多少によるのだそうです。もしこの両校に、区間1位の選手がいたら、そちらが上位者となるのですが、この両校区間6位までに入った選手はおりません。


7位に入ったのが、山梨学院大学の5区上田健太選手だったので、このルールにより山梨学院大学が上位と決められました。ちなみに、シード争いとなる10位で同着となった場合において、このルールに当てはめても全く決着がつかなかった場合には、同着の2校とも、シード権獲得となるのだそうです。滅多にないケースですが、ひとつ覚えました。

最近の箱根駅伝の人気は、この直ぐあとに行われる大学入試にも、影響しているとの意見があります。昔私立高校を有名にするには甲子園、花園、東大に行くことだと言った経営者がおりました。例えば『有名校?』早稲田大学にどうしても入学したい!との強い志を持った受験生は違うのかもしれませんが、どこでも良い、偏差値の同じような学校とお考えの方には、絶好のアピールの場となると言う裏話を聞いたことがあります。私は、それが悪いことだとは思いません。経営のあり方であり、また、学校一体となって、あらゆる面にレベルアップをもたらす可能性があるでしょう。

ただ、そんな思惑が、監督はじめ関係者にあるとは思いませんが、気になるのは、毎年のように見られる単にがんばれ!そして感動のもとに報道されるお涙頂戴主義です。今年は、途中棄権に見舞わらるような大きなアクシデントはなかったのではないかと思いますが、選手の健康管理そして将来を託されているのも監督はじめスタッフ関係者です。


そういう意味で、今年はとても良い箱根駅伝だったと思います。来年にも期待します。選手スタッフ関係者の皆さん、お疲れ様でした。ありがとう!

 

福岡市の屋台が、劇的に変わるようです。でも、素直に喜べないのはなぜでしょう。

2017年1月3日

私が好きな福岡、その夜の夜の彩りとなっている屋台が大きく変わるようです。私が福岡市で暮らしてした昭和58年には、福岡市内には、250とも300とも言われる屋台が出ていました。

 

今では中洲、天神周辺と長浜にほぼ集まっている屋台ですが、あのころは荒江とか平尾、そして博多駅の裏のほうにもにもあったと思います。今ではその数150件を切ったと言われます。

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屋台は通行の邪魔、不衛生で臭い、タダ同然で商売している、また、ぽったくりがあるとか、そもそも入りにくいとか批判があることも知っています。それで数年前には、屋台は1代限りとの条例?ができて、ますます屋台の数が消えました。一方で生活のため、また、常連さんや屋台の灯を消すな!の願いから、いわゆる『名義貸し』をして、営業が続けられている屋台もありました。

そのような中で、福岡市の長となった高島宗一郎氏は、屋台を残すと言う方向で、数年間調査検討を加え、昨年秋に、屋台の営業の公募を行いました。これは違法営業とされていた屋台28軒が、今年3月で廃業するのに伴い、新たに屋台営業に参入する道をひらいて活性化させ、福岡市の屋台文化を守っていく、観光資源とする意図があると論評されていました。

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私は、何が違法営業に当たるのか知りません。屋台で生計を立てていた人にとっては、屋台の営業そのものが1つの財産権です。それが1代限りと言うのは、法的にはおかしいことだと考えます。財産は、相続されます。相続が起きなくても、年齢その他の事情で、途中で屋台から手を引く人もいるでしょう。

 

そんな人にだって将来・老後の生活はあります。『あそこにあった屋台、無くなったの?』とガッカリするファンもおられるでしょう。世の中には事の是非は別として、名義貸しもしくはそれに類する、脱法行為とも評価される営業は存在します。私も仕事柄スナックや、クラブの営業、賃貸借で何度もこの種形態を見ています。高島市長ではありませんが、1代限りとすれば、当然屋台はいずれ消滅します。 だとすると、今回の公募制喜ぶべきことでしょうか?まず賛成する立場として、これまで屋台経営に参入したくてもできなかった人たちにとって、いわば寡占状態でもあった屋台の営業ができる道が開かれたと言うことでしょう。

 

また、1代限りは撤廃され、直系血族に限り1回だけの承継が可能となったことは、ひとつ前進と言えましょうか。そしてこれまで条例では、違反に対する罰則がなかったことで、違法屋台が存続して、福岡の屋台のイメージ悪化に繋がったとの声を受け、屋台の営業ルールを厳格にし、違反を繰り返し、警告に従わない屋台はいずれ市によって営業が取り消しされることも明記されました。

 

さらに屋台が混雑する、狭いことが屋台営業の限界ともなっていることを認め、屋台のサイズや営業時間に関しても、柔軟に対応する余地を残したとされます。 このように言うと、『良いじゃない』と感じますが、福岡市民ではない私が言うのはなんだ!と批判されそうですが、素直に良いことだと言い切るものではありません。

まず、折角1代限りを外したのですから、少なくとも法定相続は認めるべきです。つまり屋台主の配偶者、子、そして孫です。もし営業を継続しない屋台があれば、市が間に入って公募を含む『営業譲渡』を認めるべきです。特に今回公募参入する屋台は、基本的に3年間の営業期間であり、仮に審査を通って『延長』が認めれても最長で10年までです。この屋台は、10年だけの命なのです。

 

私は既得権と言う言葉は好きではありませんが、今回公募で営業が認められた屋台は、その順位に従って3月に廃業する屋台のある地域から、好きな場所を選ぶことができるそうです。屋台は、屋台文化は、一朝一夕に出来上がったものではありません。そこにあった屋台がなくなった、その場所に出店した屋台に行こう!となるでしょうか。屋台どうし仲間意識がありました。それは自分たちはあるいは市民から批判されている、いつも監視されている、だからみんなで緊張感のもと、頑張って行こうと言うものだったのではないでしょうか。

 

そこに『ボン』と公募で認められて営業が開始されて来た新規店舗、他の屋台と、市民と、屋台文化にうまく溶け込めるとよいのですが。 私が高島市長の政策に素直に賛意を表せられないのは、これはもしかして屋台間に競争をさせようとの原理ありではないかと考えてしまうところにあります。屋台文化を継続と言いながら、3年とか10年で終わりと言うのは、屋台を営業する個人の目線に立った考えではありません。『期間』が過ぎたら次の人と言うのは、屋台そのものの消滅は食い止められるかもしれませんが、まさに屋台はビジネスの1つ、それのみに転換されるのではと思われます。10年で交代することがわかっていて、屋台を営業するのは、屋台は経済政策の1つと捉える資本力のある法人とかになってしまうでしょう。

良い屋台を残す姿勢がスタートにあれば、10年等初めから期間を決める意味わかりません。ここに競争に強いものが入って欲しいが見え隠れします。 今回の条例を受けて、現に営業中の屋台も、公募に応じたようであります。もっとも、市の説明では、3月に廃業しなければならない『違法営業屋台』も、公募制に応募できるとのことでしたから、これに生き残りをかけていた屋台もあったでしょう。現在名義貸し屋台を営業している方の中には、数年間ある屋台で真面目に修行し、ある屋台の営業主が、年齢等によりもう営業できないとなったとき、これを引き継いで、名義貸しにより営業をしている方がおります。

 

この屋台を知るファン、そして真面目に修行していた現在の営業主を知る人たちは、この方が引き継いでこの屋台の灯が消えなかったことを単純に喜んでいるはずです。この例に限らず、名義貸し屋台の店主は、比較的若い人が多いようです。今回の公募制で書類選考で理由と告げられず落選したある屋台、東京の新聞にも掲載されていました。彼らは露頭に迷うでしょう。知っていたのだから自己責任で片付けて良いでしょうか? 福岡市屋台基本条例の中には、市長は、屋台営業が、まちににぎわいや人々の交流の場を創出し、観光資源を発揮すると認めるときは、屋台営業候補者の公募を行うと記されています。名義貸しかどうか、あるいは競争力に耐えうるかどうかはともかくも、今回落選した方が、これに合致しないと判定される理由はわかりません。

 

 

私は観光客だとは認識していませんが、屋台を競争により消滅を回避させる政策には、素直に賛成することはできません。

 

2017年、福本悟は変わります!どんなふうにでしょうか?

2017年1月1日
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2017年が明けました。皆様新年おめでとうごさまいます。

今年は酉年、私の干支です。つまり、なんと還暦を迎えると言うことです。でもショックはないのです。それは外形や健康に関係なく、自分が歳をとったと感じないからです。

もっともっと働らかなければならない、そんな事情にあり、そんな気持ちでおります。 昨年仕事の面では、自分が担当している案件が、まさにその時最高裁判所の判例が変更されたことにより、大きな影響が出ることがありました。事案自体はこれから解決に向かうスタートと言う段階ですが、日頃の判例や条文を気にしない私としては、極めて珍しい経験でした。

 

当たり前ですが、その法規ができた趣旨と事案の具体的妥当性に留意しなければならないと気づかされた一件でした。 私生活では、長男が独立したわけではないのですが、家を出て1年経過しました。私の母の家を使わせてもらっておりまして、その母は、昨年極楽浄土に生まれし人となりました。私たち浄土真宗には、3つ名を持つことが許されます。

1つは、この世に生を受けた時に、親から受ける名前。

2つは、仏弟子として生きていくことを誓い、阿弥陀如来の前で、法主から授かる法名。これは『釋』が入ります。3つは、阿弥陀様のお導きにより、御仏となった時に名乗る『釋◯◯』であります。

 

すなわち、もともと法名をいだだいていれば、そのままです。死後いただく場合には、戒名みたいなものです。 父母とも御仏となった昨年、私はご住職にお願いして、法名を頂戴することに決めました。既に候補をいただいており、西本願寺で行われる帰敬式、いわゆる『お剃刀』の儀式に出て、門主から正式に授けられることになるものです。

 

私と家内は、偶々その祖先が浄土真宗本願寺派でしたから、共に日頃自分たちは無力、阿弥陀様の慈悲により災難なく生きていることを認識しており、ただいただくだけではなく、弟子として認めていただきたくなったのです。弟子と言っても浄土真宗はもともと在野宗派であり、固いことを言われないことが有難いことです。厚かましくも、勝手に弟子になったと受け取るだけです。 法名をいただく決意をした理由の1つは、多くの方々とお会いし、学ぶうちに、親からいただいたこの有難い名前、いささか名前負けしているように思えたからです。

 

福本の『福』はまさに福。『本』は、木の下のところに横棒一本が入って、樹木の根、物事の大元を意味すると言われます。

 

『悟』はまさに物事を理解することです。

 

どっかりと構えて物事をわかり、愉して人に幸福を与えるなんて、チョットねであります。 釋は、 開祖親鸞聖人がつけておられました。その下の2文字は、真面目に修行?するのであれば、親から付けた名の1字をもらうことができるようです。

 

まだ帰敬式の予定は未定ですが、60歳となるこの年に、生まれ変わった気持ちでいたいとも思えたのです。少しは気持ちが楽になるかもしれません。

 

そして、返って偉そうなことを言ったらどうぞお叱りください。 昨年私を知る方々から、『アレ』と驚かれたのは、この私がFacebookを始めたことです。

これは事務所ホームページだけではなく、きさらぎ法律事務所を、福本悟を知っていただきたいと考えて始めたものです。

 

有難いことに、お友達が増えました。また、もともと喋ったり書いたりするのが嫌いではなったので、いささかハマり気味です。

この『ひとりごと』は、電車の中で書くことがほとんどですが、その『時間帯』を今度はFacebookの書き込みに取られることになったようです。

そこで、今年は、この『福本悟のひとりごと』なるコーナーは、『軽め』とすることにしました。

内容を短くはできないタチなので、掲載の数を減らす方向になると思います。さすが事務所で執務中には、これはいたしませんので。今年もどうぞよろしくお願いします。

 

寛容の心、和解の精神で、これからも?アメリカに意見して欲しい安倍晋三内閣総理大臣の真珠湾での演説を振り返ります。

2016年12月30日
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アメリカ合衆国ハワイ州真珠湾を訪問し、メッセージを発した安倍晋三内閣総理大臣、あちらこちらからいろいろな評価がされているようです。

私は、安倍首相が真珠湾に行くと聞いた時点から、まさか『本音』は言わないだろうが『戦後レジームからの脱却』なるかねてからの持論を封印するか、とても関心がありました。何れにしてもそこでアメリカ合衆国へ、日本へ向けて発言したことは、世界へ発信されることになるからです。

安倍内閣総理大臣の真珠湾での演説、至るところで掲載されていますから、その内容は、もうここでは引用しません。

これを聞いた日本国民の90%が評価し、内閣支持率は70%近くにまで達したとされます。私も、その演説内容は良いことを言われている、と言うか、日本国憲法のもと、戦後日本が歩んできた道、国際社会で果たすべき役割からすると、当たり前のことを言っていると思いました。ただ、それを安倍晋三氏が言ったのは、日頃の言動、このお方の思想歴史観からすると、チョットあり得ないわけで、果たして本当なの?、夢じゃない、ご本人わかって喋ったの?等等心配する見解もあるのです。

安倍ドクトリンの前半は、敵国に対する終戦直後からのアメリカ合衆国の『寛容な心』、これに感謝を言っています。後半は、世界に類を見ない親密な同盟国となった日本とアメリカ、和解の精神で、世界平和のために尽くすと言っています。

前半部分は、美辞麗句と社交儀礼はともかくも、歴史的にはそのとおりです。しかし、そうであれば、平和主義が徹底されている日本がなすべきこと、特に同盟国アメリカに対してどのような態度をとるべきかは明白であり、実際のところどーなってんの?と言いたいですね。

私は、安倍氏の『郷里の先輩』らが中心となって築いてきた明治維新以来の日本、この国家は一言で評価すると、戦争ばかりしていたと受け取ります。ここではその理由や動機、まして自衛かどうかは議論しません。いつも言うように、戦争そのものが悪だからです。終戦があると言うことは、その最初があるわけで、日本が戦争を止める契機となった太平洋戦争、その始まりが真珠湾とされることから、真珠湾に行く意味があるのです。

ただし、戦争の始まり、そして日本が戦争を止めた、『戦後』となり、平和国家となった契機となった出発点の場所は、実は真珠湾だけではありません。アメリカ世論が騙し討ちと昂揚したのが、その直前まで、日米交渉が行われていたからとされますが、真珠湾の1時間前には、マレー半島を攻撃して上陸しており、真珠湾と同日には、アジア太平洋地域の米英の植民地に、欧米からの解放を名目に、爆撃を加えていました。すなわち、一口に太平洋戦争の始まりと言っても、真珠湾だけではないのです。この事実は、あまり知られていないと言うか、報道されないですね。

開戦の場所としてはいくつかある中で、偶々真珠湾が選ばれた、それはオバマ大統領が広島を訪問したことの返礼でも、退任間近のオバマ大統領へのはなむけであってもよいです。しかし、安倍ドクトリンの前半は、まさに日本国憲法の理念であるところ、かつて氏は、これとは相容れない発言をしています。

日本国憲法は、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、国の交戦権を認めません。つまり、他国に対して国の政策として武力を行使しないと言うこと、侵略戦争をしないことを反省を込めて宣言しているのです。

安倍氏、この日本のかつての侵略戦争を反省する国会決議に反対する目的で結成された『終戦五十周年議員連盟』の事務局長代理の地位につかれ、日本の二百万余の戦没者が、『日本の自存自衛とアジアの平和のために命を捧げた』と述べています。そして与党自民党の決議案が、先の大戦や日本の立場に関して、『侵略的行為』『植民地支配』を容れていることに反対してもおられます。


それでヤルタ会談で、日本の行為を侵略とし、これに連なるポツダム宣言を受け入れた歴史を否定したい、これが『戦後レジームからの脱却』なのではありませんか?安倍ドクトリンにより、これまで発信してきたご本人の思想歴史観を変えたと理解してよろしいのですね。だから評価されていることをお、忘れにならぬように願いたいものです。

真珠湾で亡くなったアメリカ人は、2.500人と言われます。日本人の死者310万人、アジア太平洋地域では1.000万人にも上る尊い命が失われました。人の命は地球より重い、もちろん数の大小で悲劇、そして命の重みが違うものではありません。天皇陛下は、昨年パラオ諸島フィリピン等をその地で命を落とした御霊に対して、哀悼の意を捧げにご訪問されました。安倍晋三さん、朝鮮半島、中国大陸、アジア太平洋地域で落命した数千万人の慰霊に旅する意思はありますか?真珠湾攻撃が、アメリカ国民からすると騙し討ちだとするなら、中国国民からすると、南京大虐殺なのです。

真珠湾でも広島でも、謝罪は必要ありませんでした。それは、心からの反省と哀悼の気持ちがあったから、『被害者』は、謝れ!とは求めないのです。それなら、歴史を否定しないなら、ぜひ南京に行って欲しいです。かつて日本が謝罪ことは誤りであるかのような一部の風潮、ハッキリ否定してきてください。

安倍ドクトリンの後半部分、日本は、日本国憲法のもと、軍隊を持たず、他国に武器を待って入ることもありませんでした。それが国連のPKO活動で自衛隊が国外に派遣され、その後閣議によって、日本国憲法は集団的自衛権の行使を認めているなどと解釈改憲して、昨年安保法制ができあがりました。


戦後他国に出かけて武力行使しているのはどこの国家でしょうか。その本土が他国から攻撃されたのは真珠湾であるが、建国以来アメリカが戦争をしていない期間は極めて少なく、『戦後』は、アメリカは、他国に出かけて戦闘行為に参加しています。平和国家日本、どうしてアメリカに意見して、これを止めされないのでしょうか。対等の、世界に類を見ない同盟国なんですから。『和解の精神』を発揮しないのでしょうか。


これを実践されるよう、見てますよ。

 

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