最近世情を賑わしたある自治体と内閣から求められた委員会、有識者会議の出した結論から。

2017年2月7日
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よく『調査委員会』『第三者委員会』、さらに『有識者会議』とか聞きます。ある目的で、何かを調べて委託者にその結果をご報告する組織です。この人選がいろいろ言われることがありますが、委託者の顔を伺い、期待されている答えを出すことが自分たちの役割と考えているのではないかと思わざるを得ない事例を多く見かけます。

 

横浜市に避難して来た福島第1原発の被災家族、その小学生が、同級生から交付を求めれて複数回に渡って約1.500.000円を渡した『事件』が報道されました。このとき、中学生となったこの子の代理人弁護士より、少年の思いが涙ながらに述べられました。震災で多くの人が亡くなった、だから自分は辛くても生きるんだ、悲しみと感動を私たち新たにしたものです。 この元小学生に対する金員要求等がいじめに当たるかどうかを調査する委員会が、先ごろこれはいじめに当たらないとの結論を出したと教育長から市議会に報告がありました。

 

曰く、『いじめから逃れるためにお金を渡したのだからいじめではない』。日本国中から非難がなされました。法律実務家である私が出るまでもなく、他人の生命・身体・自由・財産・名誉に対する害悪の告知をして金員の交付を受ける行為は恐喝です。 でも、なんでこんな結論を導いたのか、チョット違う面から考えました。それはこの委員会の『目的』は何か、端的に言えば誰の顔を見て、誰のために、誰に納得してもらうために創られ、調査すなわち仕事をしているのかと言うことです。それはこの自治体から任命され、この自治体に報告する、そうであれば自治体に責任があるとか、対応不足を指摘、あるいは体制を非難するような報告書は創られませんね。気に入られようとしてとまでは言えないにしても、真実の究明ではなく、この問題を自治体としていかに収めるか、それがこの委員たちに求められた、少なくとも委員たちはそう考えていたと言うことです。

同じことは、天皇陛下のご譲位、いわゆる生前退位に関する制度を検討する有識者会議?もしかりです。そのメンバー、官邸の近くの方が多いですね。内閣および与党は、天皇陛下の生前退位は、好ましくないと考えています。それは今上陛下が昨年国民に向けられた『お気持ち』の中で、象徴天皇制と言うご発言を8回もなさって、皇室の務めはこの象徴天皇制を未来永劫承継していくことと述べられたことが、彼らの意図する改憲に大きな障害となるからです。

 

このことは、かなり前にこの『ひとりごと』で書きました。

 

だから生前退位によりーーあるいは皇位の承継に関して男子に限るを改めるなどしてーー象徴天皇制が続くことは困るのです。言うまでもなく象徴天皇制は、日本国憲法第1条に明記される国民の総意に基づく制度であり、天皇は、日本国民統合の象徴とされている、つまり戦前回帰の目論見はもろくも崩れるからです。自民党憲法改正草案にある国家元首も成り立たなくなりますから。

 

ですから、一代限りとか、特別法による対応などで誤魔化そうとしているのです。日本国憲法では皇位の承継は法律によると書かれている、そして皇室典範にその決まりが書かれている、端的にそこを改正すれば良いのです。しかしそれでは困る、だからそうならないように『識者』を集めて意見を集約させたと見るべきです。

そんなメンバーですから、結論ありきです。

 

法学者の大半は、ーー要するに、集団的自衛権や、先の安保法のときに、ほんのわずかに存在した御用学者を除けば、ーー当然皇室典範の改正によるべきと言っています。陛下がいみじくも仰るように、象徴天皇制を途切れることなく承継するのが国民主権のもと存在する皇室の務めであるならば、皇位の承継の原因に加え、その順位、つまり女性にも皇位承継を認めるか等にも議論がおよぶことは、避けられないからです。

 

これらは1つの例です。

委員会なるものは、これの設置調査を求めた組織、主人の顔を見て仕事をします。正義だとか真実は関係ないようです。そして自分が認められた、ある程度その組織の中でポジションを得た場合、何もおいてもその組織に批判的対応をする者に対して、憎悪むき出しに処するのだそうです。これは私が尊敬する元自衛官泥憲和さんが指摘された右翼的思想です。多角的に物事を見れなくなる、それは思想ではなく、感覚なのだそうです。

 

こうなると、いくら委員会?を非難してもどーにもなりません。理屈や正論は、感覚には通じません。

 

組織外から何を言ってもダメならば、それを打開するには、組織内にいて、これに反旗を翻す人物やグループが現れることでしょうか。例えば『政治改革選挙』と言われた初めて自民党が政権を失なった細川護煕連立内閣が発足したのは、要は自民党内の分裂でした。大平内閣不信任決議が可決された『ハプニング解散』も、要するに自民党内の分裂です。

 

もっとも、その結果は良かったのかは別問題ですが。 さて組織内で意見する方現れるでしょうか。自民党の総裁任期が延長されました岸田さん、石破さん、黙っていてよろしいんですか?

 

雪の中で開催された『全国都道府県対抗女子駅伝』をテレビ観戦してのひとりごとです。

2017年1月19日

1月に入って、最大級の寒波が日本列島を襲いました。特に日本海側では数日大雪となり、普段はそれほど雪に見舞われな地域、姫路市、広島市や四日市市あたりでも、かなりの量の降雪となって、市民生活に影響が出たと報じられております。

 

それにしても東京はホント雪、降りませんね。

 

でも、この期間、相当気温は下がりました。

秋から冬にかけて、駅伝やマラソン競技が行われます。私もタスキを繋ぐ駅伝は、日本的でもあり、よくテレビを見ます。12月最初の日曜日に行われる福岡国際マラソンは、福岡市内が映るので、可能な限りレースそっちのけでテレビを見ています。

 

さて、この寒さの中で日曜日の1月15日、『全国都道府県対抗女子駅伝』が行われました。前年12月に行われる『師走の都大路』全国高校駅伝とほぼ同じコースを走るレースで、女子の場合、中学生から社会人まで参加して襷を繋ぐことになります。

 

レースが行われた日、京都市内は、前日から大雪警報が出ていて、競技開始時にも、スタート地点の西京極陸上競技場には、雪が舞っていました。 大会本部には、大会関係者や観戦する京都市民のみならず、様々な団体、多くのファンから開催されるのか問い合わせがありました。大会本部では、中止することは考えておらず、どのようにすれば事故なく遅滞なく競技を終了させられるかを真剣に考えていたとのことです。そして路上の雪かきから始まり、沿線の京都市民もこれを手伝い、万全の状態で大会を開始し、無事終了させたのでした。 ところでテレビで見ていた少なくない方々から、こんな天候で競技を強行したことに、批判が出ていました。もちろんレースの安全、選手の健康等を考えての意見です。

 

一口に京都市内と言っても、市街地から比叡の入り口方面までコースとなっていて、途中激しい降雪で、ほとんど選手の前方は見えない状況のときもありました。レース後、怪我をしたり、体調不良を発したとの報告はありませんが。この日近くで開催予定の競馬が中止となったのに、馬は休ませて人間を走られせるのかの意見もありました、 マラソン、駅伝は、そもそも天候により中止は考えられないようです。天災や事故での中止はあるそうですが。

 

万一予定した日に開催できなかったとしたら『延期』はなく、その年の競技は中止となるそうです。

 

確かにサッカーや野球のような年間を通してのリーグ戦ではありません。この駅伝は、この日のために全国から選手と関係者が練習を積み重ね、準備してきたものです。中止の影響は大きいでしょう。天候を言うなら、そもそも真夏のマラソンはどうなのか、特に東京オリンピックはどうなるの?と繋がるでしょう。 この全国都道府県対抗女子駅伝、雪の中での開催は初めてだそうです。

その意味では、過酷なレース、環境が初めから予想される全国高校野球選手権、すなわち真夏の甲子園や、東京オリンピックのマラソン競技と同じように扱うことは適切ではないかもしれません。

 

これに参加する選手は、おそらく誰ひとり中止を望まないと思われます。選手の安全、健康を思って中止を言う人は、アスリートからすると、余計なお世話となるでしょう。私も、いちばんよくわかっている人たちが決めれば良いとの見解に基本的に賛成です。 でも、なんか違和感があるのです。そもそもこの日、大学入試を目指す高校生は、センター入試を受けています。

 

毎年1月の日曜日に行うと言うことは、このレースに参加している高校3年生は、センター試験を受けられないことになっています。もちろん大学に進学するしない、またその進学・試験の方法も多々あり、センター試験を受けないからなんだとは言えます。でも、明らかに『両立』はできないので、選手には選択肢が限られていることになります。

 

まあそれを言うなら、ほとんどの日本人が新年で寛ぎ、団欒しているのに、箱根駅伝を走る選手には、最初から正月はないことになりますが。 雪の京都で行われた全国都道府県対抗女子駅伝、あの雪の中で歯を食いしばり前へ、前へと必死に走っている選手を見た一視聴者が、『八甲田山死の彷徨』と批判していました。

 

このたとえはいかがなものかとは思います。ただ選手が必死のように、八甲田山で遭難した陸軍部隊の皆様とて、当時は与えられた使命と自分たちの命に必死だったはずです。必死になると見えなくなるとも言えます。

 

今年の箱根駅伝、最終10区であわやランナーが自動車と衝突の場面がありました。これは警備を担当する警視庁の連絡不手際と説明がありました。事故にならなくてよかったです。でも、事故が起きてからでは遅いのです。おそらく駅伝やマラソンで深刻な事故が発生したならば、翌年以降のその大会の開催、競技の存続すら危うくなるのではと思います。

 

過密日程で、関係者、警備準備に携わる方々の苦労は並々ならぬものがあります。ただ安全と安心こそ全ての原点であることに絶えず立ち戻って、素晴らしい競技が続けられることを願っています。

 

報道の公平中立なる要請によりメディアの自粛が懸念される以上に、メディアがスポンサーに買い取られる現実の恐怖。

2017年1月16日
マスメディアの役割はなんでしょう。最近NHKの受信料取立請求訴訟が話題になっています。家にテレビがあれば、NHKと契約していなくても、たとえNHK番組を見なくても受信料の支払いを免れないとの判例が続出しています。今日は、NHK問題を書くのではありません。

民主主義とは相対主義。様々な意見を出し合い、自由闊達な議論をして、国民自らがより良い社会を構築し、共存していくことです。今日の少数意見は、明日の多数意見となるかもしれません。そのためには、国民にあらゆる情報が提供されなければなりません。国民の『知る権利』に奉仕することで、メディアは民主主義社会を支える役割があるのです。

あえてNHK問題を語るのをやめたのは、いっぽうでメディアもひとつの企業、生き抜く必要があることを理解しなければならない点です。テレビ局が放映する番組には、スポンサーが付きます。よく、コマーシャルと言われるやつですね。私は、あるテレビ番組が木に気に入らないから、そのスポンサーに対する批判、その延長上に起こる『不買運動』には強く反対します。こんなことをすればメディアは萎縮し、生き残るためには沈黙するか、ときの多数意見のように見える声が大きい側の様子を伺う番組作りになる危惧を覚えます。マステディアは、その存在自体が公共性があるのです。

ところで、新年のある番組が、事実に反する報道、取材をしないで放映し、レポーターあるいはコメンテーターと言われる方々が、あたかもこれが真実であるかの前提で、自身の主義主張を述べていたと指摘されました。沖縄県国頭村東村のいわゆる『高江ヘリパッド』問題で、現地で反対運動をしている人の中には、東京で日当5万円と書かれたビラを見て参加した人がいる、沖縄県民はこの反対派が怖くて迷惑している、危険極まりなりない『反対運動』であり、これが『真実』と放映したものです。

日当のビラを配布するなどして、この『反対運動』を行なっていると名指しされたグループは、事実に反するとして番組に抗議するとともに、9つの質問をし、その回答を求めました。日当5万円のビラを都内等で配布していない、現地に来て様子を取材をし、tweet等する人には5万円を出すと言うことのようで、、、。


番組側は、状況確認ができていない、回答の可否を含めて結論が出ていない等と対応していなかったところ、2週間経過したところで、『沖縄リポートは、いろいろなメディアの沖縄基地問題の一環として報道いたしました。今後とも様々な立場の方々のご意見を公平公正に取り上げてまいります』と15秒間のメッセージをナレーションしたのでした。

これは明らかに問題点をはぐらかしています。報道の公正公平は当たり前、この番組が事実を検証せず、関係者に取材もしないコメンテーターを沖縄県に送り込んで、明らかに『現地』で行われていないことを、このコメンテーターがあたかも存在するかにレポートしたことが 問題点川なのです。コメンテーターの主義主張と合う『事実』を作り上げているのです。

後でわかったことですが、このテレビ局、単に電波を貸すだけのようです。つまり放映する権利を買い取った企業が番組を創る、テレビ局側はその内容にタッチしないのだそうです。これは金がある者が、自由に電波を使って自己の好きなように情報を発信できることを意味します。これは、国民の知る権利に奉仕する姿勢はありません。メディアを押さえた勢力が、国民をして、自己に迎合するように操作できることを可能にするものです。メディアを利用した民主主義の危機と言うべきです。

それにしてもこのテレビ局、様々な意見を公平公正にとは、よく言うなと思います。金を出してくれる者かお客様であることはわかります。でもテレビ局を名乗る以上、職業倫理と言うか、最低限度のプライドはあるでしょう。

公平公正な報道を心がけている、それはこの電波を買った企業に言うべきです。報道の自粛が言われて久しいですが、それよりも恐ろしいメディアコントロールがありました。

内閣が衆議院を解散できる理由を考えたことありますか?

2017年1月13日

昨年来2017年は、衆議院選挙があるだろうとあちらこちらで語られています。

 

ちょっと待って!衆議院議員の任期は4年では?

 

そうなんです!!

 

ただ任期中に内閣により衆議院が解散されると任期満了、衆議院議員総選挙が行われるのです。 衆議院解散とは、要は衆議院議員の資格を失わせる行為、衆議院議員は内閣によりクビにさせられたことを意味します。それがなんで衆議院議長が解散詔書を読み上げたら議員さん、『バンザイ!』するんですかね。クビになって嬉しいなら、なんでまた選挙に出てくるのでしょう。

 

後に行われる衆議院選挙により大幅な議席増が見込まれる政党に属する議員は、解散権を行使した人に対して、『ありがとう!』の気持ちから、『バンザイ!』してるのでしょうか。

 

憲法には、天皇の国事行為として衆議院解散が規定されています。もとより国政に関する権能を有しない天皇が衆議院解散を決めるのではなく、解散権を持つとされる内閣が決めて、衆議院議長が宣言する解散詔書に天皇陛下が御名御璽されるものです。細かいことですが原本は内閣官房に保存され、副本が衆議院議長のもとに届けられます。 さて日本国憲法には、69条で内閣不信任案が可決された場合の内閣による衆議院解散が明記されていますが、仮にそのようなケースであっても、日本国憲法第7条による解散と扱われてきました。

 

この憲法7条に衆議院解散が規定されていることで、内閣は、憲法69条のときに限らず衆議院を解散できると言うのが政治の世界の見解であり、これは憲法学会でも多数説となっています。 それではいつでも内閣は、解散権を行使できるのでしょうか。なぜ衆議院解散が認められているかを考える必要があります。日本国憲法では、三権分立が確固として構築されています。そんな中で国会は、国権の最高機関と規定されています。これは単に政治的美称であるにしても、内閣は、国会に対して責任を持つと言う議院内閣制が採用されていることにも、留意されなければなりません。

 

すなわち、内閣総理大臣は国会が指名します。

 

つまり国会の多数派から内閣総理大臣が誕生し、内閣が組閣されます。内閣は、国会から託された行政を行うに当たっては、国会に対して説明を果たすなど、責任を負います。ただし、行政を執るにあたり、国会と対立して動きがとれない、つまり、行政の停滞が起きると国民生活に影響が出てきます。そんなときの調整が、衆議院の解散と考えるべきです。

 

よく『選挙の争点』と言われます。ここ数年の国政選挙、いつも経済、具体的には『アベノミクスを前進させる。さらにエンジンを蒸す』であります。アベノミクスは道半ば、さらに強い経済を、それともあのころに後戻りするのか!ってなかなかのもんです。道半ばっていつ終点なの?中学校でも3年で卒業だけどと言いたいですが、それが争点なんだそうです。 だけどこれおかしくないですか。道半ばでさらにギアを上げたいが、それを阻止されたとか、国政が議会と行政の対立で停滞し、にっちもさっちもいかなくなる現実があるのですか。衆参両議院で3分の2以上の議席を与党は持っています。内閣と国会の意見が異なることがあるとは思えません。実際内閣提出の法案等は、反対する少数者を無視して、『強行採決』しています。もっとも、与党の総裁は、未だかつて強行採決をしようと考えたことはないと述べられましたが。 よく『国民に信を問う』と言われることがあります。

 

ある問題について、内閣と国会、どっちが正しいの?ってことです。例えば、小泉純一郎首相が行なった『郵政解散』は、総裁の政党からも造反者がでたり、衆参両議院で異なる議決がなされるなどしたので、まさに内閣と国会が対立したと評価できるので、国民の信を問うと言う選択は、おかしなことではありません。 そうしてみると、絶対的安定多数の議席を与党が有しているのに、従って国会運営と内閣の行動がバラバラのはずがないのに 衆議院を解散する、国民に聞いてみるなんて理屈立たないと考えられるのです。

 

内閣の衆議院解散権、これは時として政権与党の政争の具に利用される危険があります。つまり、内閣が何らかの政策・出来事でポイントを挙げたとき、国民受けする出来事が起きたときには、ときの政権に国民は靡くからです。かつて沖縄返還を実現したときの佐藤内閣がそうでした。さらに与党は数を伸ばせると踏んで解散するのです。

 

だから与党議員、『バンザイ!』なんでしょうか。 そんな現実があるので、昨年来『プーチン解散』とか、『真珠湾解散』とか、その可能性が指摘されたのでした。ロシアのプーチン大統領を、安倍晋三内閣総理大臣、故郷と言われるご自身の選挙区山口県長門市に招きました。そして年末には、任期満了近いアメリカ合衆国オバマ大統領と一緒に、ハワイ真珠湾のアリゾナ記念館に献花しました。真珠湾を訪ねた直後、内閣支持率が60%を超えました。解散権を行使するチャンスですね。しかし、タテマエとは言え、解散する大義名分が必要です。国会と内閣が対立していると言えますか。国民に対して、何を聞くのでしょう。

 

2年前の衆議院議員総選挙、かつての3党合意により、消費増税を行う時期になり、『増税しなくて良いか』国民の信を問うとして解散権が行使されました。でもなぜ安倍政権は、増税できなくなったかの理由はともかく、あのとき消費増税に反対しない政党はありましたかね。国民みんな、増税されなくてよかったと思ったのではないでしょうか?信を問う理由見当たりません。念頭の自民党の挨拶で安倍晋三総裁、『今年中の解散は考えたことない』と言ったそうです。

 

それが後になって『今年と言うべきところを今月と言い間違えた』とお付きの方々が『訂正』したようです。わざわざ訂正する性質のものなんでしょうかね。

 

石破茂前地方創生相は、私の1学年上の先輩で、初めて法律を教えてくださった方です。最近放映されたテレビ番組で石破茂氏、こう言いました。『問うことが明確ではない選挙はやるべきではない』。

このところ絶対的安定多数の力で『強行採決』もどきをやっている国会、そんな国会と内閣は厳しい対立あるなんて誰も思いませよ。これ以上数増やして何するの?と半ば諦めにも似た声が聞こえてきそうです。

 

毎年新しい発見をする新春恒例の箱根駅伝でした。

2017年1月5日
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新春恒例の箱根駅伝が、今年も多くの人に感動を与えて終了しました。三年連続優勝を飾った青山学院大学の強さが目立った大会ではありましたが、箱根駅伝ファンは、勝ち負けだけを楽しみに見ているのではありません。今年も様々なドラマがあり、また、学んだ?こともありました。

まず青山学院大学、おめでとうございます。毎年選手が変わる大学生の団体競技で三連覇、素直にその実力は評価されます。トップを続けることのほうが、それを狙うことよりも難しいと言われます。特に青山学院大学原晋監督は、ある意味これまでの監督像とは異なる指導方針、そしてキャラを発揮され、それ故にか逆風を受けるところもあったでしょうが、選手スタッフ関係者見事なチーム力でした。各大学とも、その大半の学生が、高校時代までに相応の実力を持っていますから、それをどう開花させ、駅伝と言うチーム競技に活かすかは、監督の力によるところが大きいと思います。そして監督が好きなように?できる環境を作った大学、家族、選手スタッフとその関係者の信頼関係あっての結果だと思います。今日のテレビ解説者、原監督は、経営者だと評していました。


ここ数年2位になっている東洋大学も立派ですね。箱根駅伝で全国区となった知名度のある選手たちが卒業してもなお、この成績には底力を感じます。『その1秒を削り出せ!』の言葉、個人と団体の力が合わさって結果が出る駅伝には、納得できるスローガンです。そして今年総合3位に入った早稲田大学、こちらも見事でした。傑出した選手がいない中、特に往路では、青山学院大学にあと一歩まで迫った走りは、来年以降に繋がると感じました。そしてこのところ良い結果が出ていなかったかつての優勝校神奈川大、順天堂大、復活を感じさせるレースでした。
来年に期待したいと思います。

シード権を獲得するかどうかは、来年の箱根駅伝本大会のための1年間の計画にも影響する大切なことだと 言われます。毎年悲喜こもごもの大手町の風景があります。今年について言えば、往路では10位の日本大学は復路で振るわず、往路では、シード圏外となる11位以降の順位だった日本体育大学、法政大学、東海大学が、復路の頑張りでシード圏を獲得しました。

こんなルールあったの?と思われたシーンがありました。過去にもあったことですが、『幻の区間賞』が今年も出ました。関東学生連合、いわゆる学連選抜の最終10区のランナーを務めた東京国際大学4年の照井明人選手が、この区間を走った21人中最速のタイムで大手町にゴールしました。ただし、学連選抜は、オーブン参加のため、公式記録とされません。以前にも同じことがあり、最近では往路棄権したチームの復路8区の選手が、同区間のトップの成績を残したけれども『参考記録』とされだことがあります。ルールとは言え、学連選抜チーム、その選手は、様々な思いを抱いて走っていると思います。なんか釈然としないものがあります。

『幻の区間賞』と言われる事態そのものがあることは私も知っていました。でも今回初めて知ったことがあります。それは、全く同タイムのときの順位の決め方です。今年は、山梨学院大学と明治大学が、2日間の総合タイムが11時間29分17秒で、全く同着となりました。この場合、全区間を取り出して、区間順位の上位者数の多少によるのだそうです。もしこの両校に、区間1位の選手がいたら、そちらが上位者となるのですが、この両校区間6位までに入った選手はおりません。


7位に入ったのが、山梨学院大学の5区上田健太選手だったので、このルールにより山梨学院大学が上位と決められました。ちなみに、シード争いとなる10位で同着となった場合において、このルールに当てはめても全く決着がつかなかった場合には、同着の2校とも、シード権獲得となるのだそうです。滅多にないケースですが、ひとつ覚えました。

最近の箱根駅伝の人気は、この直ぐあとに行われる大学入試にも、影響しているとの意見があります。昔私立高校を有名にするには甲子園、花園、東大に行くことだと言った経営者がおりました。例えば『有名校?』早稲田大学にどうしても入学したい!との強い志を持った受験生は違うのかもしれませんが、どこでも良い、偏差値の同じような学校とお考えの方には、絶好のアピールの場となると言う裏話を聞いたことがあります。私は、それが悪いことだとは思いません。経営のあり方であり、また、学校一体となって、あらゆる面にレベルアップをもたらす可能性があるでしょう。

ただ、そんな思惑が、監督はじめ関係者にあるとは思いませんが、気になるのは、毎年のように見られる単にがんばれ!そして感動のもとに報道されるお涙頂戴主義です。今年は、途中棄権に見舞わらるような大きなアクシデントはなかったのではないかと思いますが、選手の健康管理そして将来を託されているのも監督はじめスタッフ関係者です。


そういう意味で、今年はとても良い箱根駅伝だったと思います。来年にも期待します。選手スタッフ関係者の皆さん、お疲れ様でした。ありがとう!

 

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