今年初めての『山の日』を迎えた福本悟のひとりごとです。

2016年8月11日
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今年から新しい国民の祝日『山の日』が始まりました。

 

改正された祝日法によると、山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝することを趣旨とするものですが、特に8月11日には、山に因んだ出来事があったわけではなさそうです。ですから、山の日をいつにするかは議論がありました。やはり山に行きやすいと言う意味で、夏場で、休みが取りやすい日が良いのではないかとされ、7月の海の日と連動するとか、お盆の時期に被せるとか、超党派の議員連盟である『山の日制定議員連盟』では、いろいろ議論されたようです。

 

それで、学校が夏休みでもあり、お盆休みと連動しやすい点で、8月12日とする案が、3年前の6月末の段階で、採用されたそうです。しかし、私が即座に『8月12日』と聞いて思い出すことがあるのですから、到底この日を国民の祝日にはできないと、採用が見送られたわけです。それで1日前倒しの8月11日が、山の日となったわけであります。 昭和60年8月12日18時56分ころ、東京羽田空港を離陸し、大阪伊丹空港に向けて飛行中の日本航空123便ボーイング747型スーパージャンボ機が、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の屋根に激突墜落して、512名の命が奪われた航空機事故が起きました。

 

現在でも、単発の航空機事故としては、最大の犠牲者を出したことになる『日航ジャンボ機墜落事故』が起きてしまった日です。この事故に巻き込まれたご遺族関係者は言うまでもないことですが、この日を山に感謝…とは素直に思えない人々は、少なからずおられるはずです。群馬県出身の国会議員、そして群馬県知事らが中心となって、日付の見直しを求められました。曰く、「これでは山の日ではなく、御巣鷹山の日になってしまう」と。それで2013年11月に、山の日は、8月12日から8月11日に変えられ、2014年3月、国会で改正祝日法が議決されて、『山の日』が決まったのです。

 

山の日の制定そのものには、山に対して感謝こそすれ、日にちをどうするかで問題視されたような事態が起こるとは、想定されていなかったでしょう。そんな経緯があったからかどうかわかりませんが、今年8月11日、政府が主催するような大々的な記念行事は行われませんでした。長野県にある上高地で、長野県や松本市、山岳関係者が集まって、『全国記念大会』が開かれたようです。この記念式典に、皇太子殿下ご一家が、臨席されたと報道されていました。

 

 

皇太子徳仁殿下は、登山を趣味のおひとつにされていて、式典では、約50年登山を続けられていて、山には登るたびに新しい発見や、新たに学ぶことがあって、山の魅力は尽きないと述べられました。皇太子様は、昭和42年に、天皇皇后両陛下とこの上高地を訪れた思い出に触れられ、この日が、明るく豊かな山の未来を創造する第一歩となることを願っているとも、仰っしゃられたとのことであります。 皇太子様は、その50年前、この日『両親』と述べられた天皇皇后両陛下に連れられてこの上高地に来られたとを振り返られて、穂高連峰の雄大な景色に魅了され、そこから流れ出る梓川の清流に心を癒されたことが懐かしく思い出されますと述べられました。

 

この日同行された敬宮愛子様は、皇太子様雅子様とご同行する初めての地方へのご公務となられました。出迎えする小学生らに対して、「学校は楽しいですか?」等、お言葉をかけられたご様子であります。 今上陛下が、『お気持ち』を国民に対して述べられて、最初の皇太子様ご一家のご公務でした。この日、皇太子様が趣味とされる山に、その思い出の源泉となる上高地に、初めての地方ご公務として、敬宮愛子様がご同行されたことは、意義深く感じました。

 

 

皇太子様も、今上陛下が即位された御歳になられます。国内外に渡る様様なご活動とそのお姿、そして発せられるお言葉や立ち振る舞い等、敢然として若々しく、凛々しい限りです。

 

 

そして、陛下同様常に国民を思い、また、ご家族を大切にされるお姿は、いつも心を打たれるものです。山の日は、国家的行事ではありませんが、それだからこそご家族ともども国民の中に入られて、お祝いの気持ちと感謝を述べるお役目は、まさに皇太子様であればこそと感じました。

 

山の日8月11日、この『ひとりごと』をご覧くださっている皆様には、どんな過ごされ方をしましたか?

 

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列島は猛暑が続き、福岡県久留米市では、16日連続猛暑日となって、観測記録を更新したそうです。山の上は涼しいでしょうが、そこにたどり着くまでが、私のような怠け者には堪えます。ただ、そんな私でも、過去2回8月に、富士山山頂にいた経験をしています。昔を思い出しながら、家でわんこと一緒にゴロゴロした祝日を過ごしました。

 

さて、明日は8月12日、そしてお盆に入ります。

今上陛下の『お気持ち』を聴いた福本悟のひとりごとです。

2016年8月9日
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日本人にとって、忘れられない、忘れてはならない8月が訪れました。71年前の8月6日と9日、世界初のそして唯一の原子爆弾が、日本に投下されました。その数日後、当時のソビエト連邦の対日参戦があり、昭和20年8月15日、昭和天皇の玉音放送により、日本は、終戦を迎えたのです。


この戦後71年となる今年、今上陛下は、『お気持ち』を述べられ、これがビデオに収められて、国民に届けられました。奇しくも8月8日は、広島長崎で行われる平和記念式典の間の日、ある人は、パパの日と言い、ある人は、陛下のお言葉を、71年前にタイムスプリットさせて、平成の玉音放送と言いました。


国民それぞれが、それぞれに感じたであろう陛下お気持ち、私は、これを拝聴したひとりの日本人として、どうしても書かざるを得ない、言わざるを得ないのです。

今上陛下が、皇太子徳仁殿下に皇位をご生前に譲位される希望をお持ちであることが、先月公にされました。皇室の即位や承継順位等は、皇室典範と言う法律により定めれています。


法律である以上、憲法に従って規定されていることは言うまでもありません。日本国憲法第1条は、天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権が存する日本国民の総意に基づくと規定されています。


これが象徴天皇制です。つまり、象徴天皇制は、個人の尊厳を根本規範とし、平和主義と並ぶ柱の一つである国民主権に支えられて存在する憲法ともと、国民は、天皇を日本国の象徴と仰ぐことを決めたのです。声を大にして言わなければならないのは、国内に存在するどこかの政党が目指す憲法改正草案に規定されるような、天皇は、元首ではないと言うことです。


陛下は、『お気持ち』の中で、ご年齢等を理由に挙げられて、象徴としての天皇のお務めを果たすことが困難になる危惧の念を述べられました。全身全霊をもって象徴としての務めを果たし得なくなるとき、どのように身を処していくことが国民にとってよいことか、考えを巡らしできたと明かされました。この『お気持ち』の中で、陛下は、『象徴』と言うお言葉を7回も使われています。


お気持ちの最初に、日本国憲法で象徴と位置づけられた天皇の在り方を日々模索しつつ過ごされたと言い、お気持ちのおまとめにあたっては、象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じると述べられました。今上陛下は、日本国憲法の象徴天皇制を承継することが、天皇そして皇室のお務めと言われているのです。

当たり前のように、何も考えずに、天皇の地位、象徴天皇制に慣れてしまった日本国民は、陛下が『象徴』を繰り返され、日本国憲法の下での象徴、象徴天皇の務めが、常に途切れず安定的に続いていくことの願い、このようなお気持ち、お言葉を述べられた意義を理解したでしょうか。


陛下は、天皇の地位は、国民主権のもと、日本国憲法に根拠があること、この憲法が定めた象徴としてのお務めを途切れさせてはならないと言われたのです。この務めを天皇、皇室として行うために、いわゆる生前退位を願われていると言うことは、とりもなおさず日本国憲法を守り抜くと言うメッセージを発信されたわけであります。

天皇、国務大臣、その他公務員が、日本国憲法を尊重擁護する義務があることは憲法に規定されていますが、そんな形式論を言ってみても、政権政党が、改憲を党是とし、その中で天皇を象徴ではなく、国家元首としている現実を無視することはできません。でも、この政党の改正草案なるものをどれくらいの国民が知っていたのでしょう。


いかに選挙の際隠され続けていたからとは言っても、『3分の2』の議席を与えるなんて…。陛下のこのような『お気持ち』は、先の参議院議員選挙の直後、露わにされました。今上陛下ご自身が、御身を供して国民に知らしめたのです。

私は、参議院議員選挙の投票日に伊勢神宮と並ぶ皇室な大神をご祭神とする宇佐神宮に詣でたこと、ここに昨年から今年にかけて4回、天皇陛下の勅使が見えられたこと、なぜ私がそんな日に宇佐神宮に行ったのか、この『ひとりごと』に書きました。まさかこんなに早く、これをお話しすることになるとは思いもよらぬことでした。

陛下の『お気持ち』の中には、国民統合の象徴として、国民を思い、国民ために祈るお務めを果たされ続けたことに加え、日本の長い皇室の歴史を振り返り、これから皇室が国民とともに在り、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、『象徴天皇』の安定的承継を願っておられるのです。ここまで申せば、陛下が何を仰りたいのか、国民は理解できなければ昔流に表せば『非国民』でしょう。

ほとんどの国民が、今上陛下が生前に譲位されることには、反対しないと思います。苦虫を潰したような顔つきで、早口で陛下のお気持ちを聞いた後、メッセージを発した安倍首相にしても、『反対』は言えないでしょう。だって60%近くの国民が、安倍内閣を支持してるんですから。これから象徴天皇制を前提とする皇室典範の改正等の作業に入らざるを得ません。

象徴天皇制を承継するような諸々の手続きを進める羽目になるなんて、考え及ばなかったでしょうね。一部とんでもないマスコミ、どこかの大応援団は、陛下のお気持ちに沿うために、憲法改正が必要との答えを集めるための露骨な世論調査をしました。でも、そんなことをやっても、陛下のお気持ちは、日本国憲法の象徴天皇制の承継にあるのですから、このマスコミが応援して止まないどこかの政党が求める元首とするような改正を為しないことは、いくらなんでもバレるでしょう。


要は、ドサクサに紛れ込ませて、9条の改正撤廃等をやり遂げようとする天皇のお気持ちを政治利用したくだらない露骨な世論操作に過ぎません。天皇陛下こそ、日本国憲法を守り抜く強いご決意を発信されたのです。

皇位承継者である皇太子徳仁殿下は、これまでの幾つかの会見で、皇室の務めは、日本国憲法を守ることとハッキリ仰ってします。

ある方向を目指す方々は、皇太子殿下のご即位を、心底歓迎しているのでしょうか?それと、皇室典範の改正は、過去他にも論点となった事項がありました。場合によっては、皇位承継順位が変わる可能性もあります。ある政党の総裁が会長を務める最近いろいろなところで名前が出てくる団体は、天皇の生前退位も女系天皇も承認しておりません。


そんなところからか、先月天皇陛下のお気持ちが露わになった直後、菅義偉内閣官房長官は、皇室典範の改正等お気持ちに沿った対応には、否定的な態度を見せました。

このまま何もしないと、少なからず政府に対する批判が起きると思います。

いっぽうで、ある団体との関係から、日本国憲法の国民主権を確認するような象徴天皇制を途切れなく整備するなんて、絶対にできないと考えられます。

先月天皇陛下の生前退位のご希望が報じられた直後、日本国民は、いとも簡単に『3分の2』を与えてしまったゆえに、ご自身を人身御供にしてまで、この国の平和と人々の尊厳、そして天皇制を支える国民主権を守るため、立ち上がったのだとの解説がありました。

恐れ多くも私も、例の宇佐神宮のくだりで、これに近いひとりごとを申しました。陛下は常に国民を思い、全世界の平和を願っておられます。涙が出ます。


本当に有り難いことです。どうか安んじて安寧の日々が送れますようお祈り申し上げます。

自分を高めるには、ライバルと親友の存在が必要です。ーー萩野公介選手瀬戸大也選手の活躍から。

2016年8月8日
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リオデジャネイロオリンピックが始まりました。日本からすると地球の裏側、時差12時間の遠く離れた南米の地で、アスリートたちの競演が、繰り広げられています。力を発揮できた選手、思いとおりに行かなかった選手、アクシデントあり、感動ありで、連日日本国内でも盛り上がりを見せています。

オリンピックに関わる全ての方々が、どうか怪我なく、これまでやってきたことすべてをぶつけ、後悔なきよう競技されることを願っています。

開会式の翌日、早速日本競泳界で、素晴らしい結果がもたらされました。男子400メートル個人メドレーで、萩野公介選手が金メダル、瀬戸大也選手が銅メダルを獲得されました。

決勝の時間が、日本では日曜日の午前10時ころでしたから、かなりの国民が、その瞬間を生放送で見れたのではないでしょうか。まずはメダルを獲得した両選手におめでとうございますと申し上げ、これまでのご努力に敬意を表するものであります。このビッグニュースに列島は、マスコミを中心に、ここまでの萩野公介選手、瀬戸大也選手の軌跡やエピソード等を放映しているので、この『ひとりごと』で、あえて説明するまでもないことです。


ここでは、少し感想を述べさせていただきます。

大学4年生の萩野、瀬戸両選手は、子どものころから水泳を始めますが、小学校低学年より、萩野選手はその能力が抜きん出ていて、瀬戸選手は、強い速い萩野選手は、遠くから背中を追う『萩ちゃん』だったそうです。それから瀬戸選手も憧れの萩ちゃんを目標にどんどん力をつけて、遂に中学生のときに、勝利の瞬間を迎えました。


それからは、まさに同学年のふたりの時代、互いに競い合って記録を伸ばし、かたや日本記録を作り、かたや世界選手権を制し、いつの間にかふたりは、『公介』『大也』と呼び合う最大のライバルであり、最大の親友に至ったと言うことです。

特にロンドンオリンピックとそこからの萩野選手、瀬戸選手には、ドラマがありました。ロンドンオリンピック選考会で勝った萩野選手は、17歳で出場したロンドンオリンピックで銅メダルを獲得、選考会で敗れた瀬戸選手は涙にくれました。その後萩野選手は、日本記録を塗り替えますが、骨折事故に遭い、選手権への出場どころか選手生命にも黄信号が灯る経験をし、いっぽう瀬戸選手は、世界選手権を制して2年間世界チャンプオンの座にあって、いち早くリオデジャネイロオリンピックの代表に選考されたのです。


こうして迎えた今年、怪我から見事復活した萩野選手は、世界ランク1位に登り詰め、瀬戸選手も負けてはおりません。瀬戸大也選手、直前のレースで、泳げば泳ぐほど自己記録を更新して、リオデジャネイロ入りしたものです。そしてオリンピック本番の予選、瀬戸選手は、さらに自己記録を出し、瀬戸選手が2位、萩野選手が3位で決勝に進みました。


結果は、萩野選手が金メダル、瀬戸選手が銅メダルでこの大会、日本人第1号で表彰台に、しかもふたりで上がりることが叶いました。萩野選手は、いつもとなりに大也がいる、瀬戸選手は、公介を追うことだけを考えると言われました。


切磋琢磨とは、この両人のためにあるような言葉だと感じました。ある評論家が言っていました。これは意図されたことではないけれども、予選ではこの大会本番で、瀬戸選手同様泳げば泳ぐほど記録を伸ばして、予選1位通過したアメリカ選手を、瀬戸選手が予選からしっかり競い合って共に記録を出したこと、これを見た萩野選手は、ある意味力を温存できて『勝負どころ』を押さえることができたのではないか、まさに萩野選手、瀬戸選手2人で成し遂げた偉業と言うのです。

ここまで高め合った両人からすると、あとは時の運かもしれません。レース直後、『おめでとう』『本当に良かった』と互いを称え合って場内の観客に応えるふたりの姿は、本当にスポーツっていいな、男の友情っていいなと感じました。ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得し、今回金メダルを手にした萩野公介選手に向けて、瀬戸大也選手が、今回自分は銅メダルを獲得した、東京オリンピックではワンツーフィニッシュすると述べたことが印象深かったです。


ワンツーとは、もちろん瀬戸大也選手が1位、萩野公介選手が2位の意味です。このふたりなら、さらに高め合うでしょう。

スポーツには、個人競技と団体競技があります。もともとは個人競技でも、今回期待されている体操団体とか、陸上水泳のようにリレーといった形で、チーム力を競う試合もあります。スポーツに関係ないところでよく言われるのは、団体競技のスポーツを経験することで、仲間の大切さを知り、社会性常識が身につくがあるようです。


確かにそのことは否定しませんが、萩野公介選手、瀬戸大也選手を見て知れば知るほど、スポーツはひとりではない、自分を支える関係者あってのスポーツであり、その中には、『ライバル』と『親友』と言う存在がとても大きいのだと知らされた思いがします。


自分を高めるには、ライバル、目標と心を許せる友の存在がとても大切であること、それはスポーツの世界に限らないのではないかと気づかせられた萩野公介選手、瀬戸大也選手の活躍でした。


おめでとうございます。そしてありがとう!

 

8月6日、広島市の平和記念式典での広島市長と内閣総理大臣の言葉に寄せて。

2016年8月7日
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8月6日、71年経過した広島市は、あの日と同じ晴れた暑い日でした。

今年5月27日、アメリカ合衆国バラクオバマ大統領は、現職のアメリカ大統領として初めて広島市を訪問し、平和記念公園で、広島と長崎が、核戦争の夜明けではなく、私たちが、道徳に目覚めることの始まりとして知られるような未来にと演説を締めくくりました。

 

確かにオバマ大統領が広島を訪問したことは、何かが変わるかもしれないと期待を寄せたものでした。でも、何か変わったでしょうか? 現在世界には1万5千発を超える核兵器があると言われています。オバマ大統領に同行した安倍晋三内閣総理大臣は、核兵器のない世界に向けて、絶え間なく努力を積み重ねると言いました。でも、それから何をしたのでしょう。

 

任期少しとなったオバマ大統領、核政策の変更を検討していると報じられました。

 

特に、他国に核兵器で攻撃されない限り、核を先に使わないとの約束、すなわち核兵器先制不使用の宣言がこれです。 71年前に日本に落とされた2つの原子爆弾、あの結果、惨状を知れば、核兵器を使用したら『戦争』は、終わることがわかります。要するに、先も何も、使ったら終わりです。

 

 

ですから先制不使用を約束すると言うことは、要は核兵器は使用しない、もし、他国が使用したら自国はおしまいを覚悟したと同じです。日本国憲法前文にある、平和を愛する諸国民の公正と正義に信頼して、われらの生存と安全を確保することを決意したとの日本国民の願いと重なります。日本国民は、国家の名誉にかけ、この崇高な理想と目標を達成することで、国際社会において名誉ある地位を占めたいと思うと誓ったのです。

 

それは、唯一の被爆国である日本こそできる、言わなければならないと思うのです。 この核兵器先制不使用の宣言に関しては、広島長崎の市長も、核兵器のない世界に向かう重要な一歩となるとして、核政策の変更を支持する書簡を送ったとされます。

 

ところが煮え切らないのは日本政府、なんとこのことに関して、日米でしっかり意思疎通を図っていくべき課題だと述べました。また、国連でも非人道的な核兵器を、国際法で禁止しようとする動きが加速しています。この国連の作業部会がまとめた最終報告案は、大多数の国が、来年の交渉開始を支持したとあるのですが、かの作業部会でなんと日本は、『時期尚早』と反対していることは、報道されているのでしょうか?

 

なんで日本がこんなことを国際社会で言っているのでしょう。

 

それは、安倍政権の安全保障政策と無縁ではないですね。自民党政権は、日本には核兵器はないという非核三原則を堅持するとしていますが、核の傘に入ることを否定していません。日本を取り巻く環境、軍備拡張政策を進める中国や、核ミサイル実験を行う北朝鮮等の周辺諸国が存在することを挙げて、核兵器先制不使用も、核兵器禁止条約も、核の傘の抑止力を損なうゆえに、日本は賛成できないと言うものです。

 

広島長崎のみならず、核の被害を地球上から根絶したいとするのが、日本国民の願いではなかったですか。抑止力論に立つ限り、世界から核兵器は無くなりません。

 

アメリカ大統領は、日本国民に原爆投下について謝罪すべきどうか、日米では、延々と議論は尽きません。しかし、日本政府が、核兵器の絶対悪を言わず、アメリカ合衆国オバマ大統領や、国連の動きに反対しているなんて……。日本国民は、知っているのですか。

 

それで『3分の2』を与えたのですか?そもそも核の均衡は、冷戦時代の遺産であり、現在のアメリカ合衆国を相手に、本気で核戦争を仕掛ける国家なんてあるんでしょうか?

 

アメリカ合衆国にしても、最大の貿易相手である中国に対して、心底日本の側に立った行動をするとは思えません。 アメリカ合衆国次期大統領候補者トランプ氏は、アメリカ軍の日本駐留は、日本のためなのに、なんでアメリカが駐留費用を支払うのかなんて言っています。

 

私からすると、アメリカは、アメリカのために、日本に軍隊を置いているので、そんなアメリカに対して、日本は思いやり予算を組んでいるわけです。でも、日本政府の核兵器を巡るこのような立場は、まさにトランプ氏の言うごとく、あの核兵器で日本は守られていることきなるでしょう。

 

被爆地の願いは、核兵器のない世界です。広島市長は、核兵器の絶対悪を言いました。これに対し日本国内閣総理大臣は、憲法の平和主義を揺るがしかねない集団的自衛権、そして安保法制に関する被爆者の懸念に対し、2年前『見解の相違がある』って、一蹴しました。

 

そんなことで、また、福島第一原発の事故の後、原発再稼働を決めた政府、世界は、本当に日本は核兵器廃絶を願っているの?と思ってしまうのではないかの懸念を抱かざるをえない8月6日と9日を迎えたひとりごとです。

 

北海道の玄関口新千歳空港で起きた保安検査場すり抜けに関する報道に寄せて。

2016年8月6日
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夏休みで混雑する北海道新千歳空港で、女性客1人が、保安検査場で、金属探知機による検査を受けずに搭乗待合室に入ったことから、その後の国内線全便について一時出発を見合わせ、当時搭乗待合室にいた全員の再検査を行って、3時間経過したとろに、運航を再開したことが報じられていました。

 

この影響で、新千歳空港に着陸予定の航空機は、上空で旋回を余儀なくされ、何機かは燃料等の観点から、引き返しや到着地変更を余儀なくされたようですし、欠航もあり、また離発着には、相当遅れが出たものと思われます。 私の記憶では、搭乗客の保安関係でトラブルが起きるのは、新千歳空港の感が強いです。

 

昨年12月でしたか、若者数人のグループから、「こいつ爆弾持っている」との発言をキャビンアテンダントが聞きつけ、搭乗客を機外に出して、発見者グループの何人かが一時拘束された事件、数年前には、搭乗客が、制限区域内からドアを開けて勝手に外に出たことから、当時居合わせた搭乗客約1250人が、再度保安検査をやり直すことになり、多くの便に遅れが発生した事件、今年の1月ころでしたか、いったんは保安検査場を通過した手荷物の中に、実は機内持ち込み禁止のハサミが入っていたことがわかり、これまた再検査のため、数分空港内の全便の運航を停止して、出発便に数時間遅れが出た事件等ありました。

 

搭乗客のルール違反は論外ですが、こうも保安検査場側の見落とし等ミスというか、混乱が生じるのでしょうか。保安検査を担当する会社の資質で済まされる問題ではないでしょう。

 

保安検査場すり抜け?が発生した以上、搭乗待合室にいる搭乗客を機内に入れること、そして航空機を出発させることをいずれも止める選択は正しいと考えます。保安検査場は、万一のためにあるのですから、そこでアクシデントが起きたのであれば、用をなしません。やり直しは当たり前でしょう。でも、何でこんなことが起きるのでしょうか。保安検査場通過は、慣れている私からすると、いろいろ質問されて面倒だなと思うくらいでした。

 

それだけ丁寧に対応されているということです。 この10年くらい、保安検査場で、『ブー』となったことはありませんでした。それは、もう慣れたこともあるでしょう。金属性のもの持っていないかと言われれば、私だって財布、そしてその中に硬貨は持っています。また、ボールペンや鍵くらい持っています。でも鳴りません。ところが、先日大分空港に向かうために利用した羽田空港の保安検査場で、本当に久々に、『ブー』となったのです。 この日何を持っていたかと言えば、硬貨と鍵くらいでした。

 

 

そのままもう一度通過したら、今度は『ブー』はありません。どこが異なるのかわかりませんでした。ただこの日いつもとは、決定的に違うことがありました。それは搭乗する目的と、これに従った服装です。つまり、仕事、出張ではなく遊びですからスーツ姿でなく、ラフな普段着?で保安検査場を通過したのです。私の場合、スーツ姿が普段着であって、むしろ家にいるときの服装に困るわけです。

 

7月のあのとき、なぜ大分県に行ったのかは、この『ひとりごと』でも、あれこれ書いています。ただ、全くの私用ですから、酷い格好だったことは間違いありません。保安検査場の機械、または人が、なんて思ったのでしょう。ちなみに、私の息子は、毎回必ず保安検査場で、『ブー』となるようです。職務質問?を受けた数は限りなく、家の前でも、「その自転車君の物?」って職質された猛者ですから。 未だ分からないのは、保安検査場で『ブー』となる基準です。数年前、ある空港で、東京に帰る出張族の一行が、『ブー』となってボヤいていました。曰く、行きと帰りと全く同じ格好、同じ手荷物なのに、何で鳴るんだ……。

 

私は、無作為に、たまにはどんな人でも、『ブー』となる仕組みかと思っていました。つまり、虚仮威しの効果です。でも、そんなふうに見破られたら、元も子もないでしょと思っていました。それで10年くらい『ブー』は無かったので、保安検査場は、適宜しっかりやっているのだと安心の心境となっていたのです。

 

そしたら先月の経験でした。 なんで鳴ったのでしょね。保安検査場設置の機械が、私のこと、胡散臭い奴だと警告したのでしょうか?私の記憶では、新千歳空港の保安検査場で鳴ったことはなかったです。

 

新千歳空港、この空港は、国内では珍しい黒字空港です。民営化の動きも活発です。だからとは言いませんが、安心安全は、航空機をはじめとする公共交通機関に携わる方々の使命です。

 

気になる新千歳空港保安検査場でのアクシデントです。