NHK大河ドラマ『真田丸』の影のMVPは誰でしょう?

2016年12月19日
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NHK大河ドラマ『真田丸』が放送を終えました。既に真田丸ロスなる言葉が蔓延しているようです。この5年間で、最高の安定した視聴率と発表されています。私も可能な限り見ていました。この『ひとりごと』でも何回か取り上げました。おそらくこれが最後になるでしょう。
真田丸とは、戦国最後の最強の武将、真田幸村こと真田信繁の青春期から生涯を描いたドラマで、その名の由来は、大坂の陣のとき、大阪城に築いた出城『真田丸』と、真田一族の結束絆を意味すると言われます。歴史物とは言えドラマですから、多少史実とは違う展開もあった過去の大河ドラマ、今回は、大きな違いは無かったように思います。それでいて三谷幸喜さんのお笑いと『オチ』、そして感動を残す脚本で、普段歴史物や大河ドラマに関心のない方々も、いつしかハマったと

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されます。そして名優を並べ、また、これまで第一線に登場されなかった俳優さんも多く『その日の主役』を務められ、歴史の陰にいた人物にもスポットをあてる手法は、これまでの大河にはなかったように思います。そして数々の流行語を生みました。

流行語の中でも『ナレ死』はよく聞きました。真田丸のナレーションは、NHKの有働由美子アナウンサーです。真田丸は、戦国時代からスタートし、日の本一のツワモノと言われた真田幸村の大坂夏の陣で終わりますから、まさに群雄割拠、多くの歴史上の人物の最後のときを通過します。物語の最初は、武田信玄亡き後の武田家滅亡からしたが、武田勝頼のそして幸村の父真田昌幸の最後にも、信玄公が現れました。



ただ、ほとんどの人物が、有働アナにより、死去が『報告』されると言う展開で、ナレ死なる言葉が生まれたのです。要するに、いつの間にか死んでいたと言うわけです。


真田幸村もそうでした。史実として有力な説は、夏の陣で、徳川家康をあと一歩まで追い詰めた幸村、やがて多勢に無勢、疲れ果てて神社で休んでいたときに、そこを訪れた伊達家家臣に『手柄にせよ』と言って首をさしだしたとも、人知れず自害したとも言われていました。今回の真田丸、ほとんどその描写でありながら、死の瞬間は露わにされていません。



真田丸を脇から支えた本多忠勝、大谷吉継、淀殿らみんなそうでした。武将の最後と言うと、本能寺のような壮絶なシーンがいつも浮かびますが、年齢を重ねるごとに、あまり好きではなくなりました。やはり死ぬシーンって嫌ですね。ナレ死は新しい大河ドラマの境地を開いたのではないでしょうか。

堺雅人さん演じる真田幸村がドラマの主人公であることは明らかですが、巷では、真田丸MVPとか、陰の主役とか論じられているようです。ある意味人気投票のようなものですが、それぞれの回、それぞれのシーンに主役がありましたから、年間を通じては難しいかも知れません。真田幸村より長く生きた点で、徳川家康が有利であることは否定できないと思いますが、幸村に、そしてこのドラマに大きな影響を与えた真田昌幸も候補でしょう。ポイントポイントで、存在感を出す出浦昌相や小山田茂誠、さらに本多正信も素晴らしい。

そして真田信之、この方を忘れてはならないでしょう。


名優、味のある俳優陣でさらに盛り上がったと思います。例えば甚だ失礼ながら、大泉洋さんのイメージ変わりました。ご自身大河ドラマで主役を務められ内野聖陽さんの家康、これまでの家康なキャラと違いますね。



この方、何をやられても成り切る演技凄いです。星野源さんの徳川秀忠との掛け合いも見ものでした。でもそんな家康に仕立てたのは草刈正雄さん演じる真田昌幸だろうと思います。幸村、家康をある意味手玉に取った真田昌幸こそ、最大の功労者かなとも思いました。
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ちょっと意外と言うか、さすが三谷幸喜さんと思えたのは、真田昌幸が、これほどまでに武田信玄を崇敬していた描き方です。権謀術策調略騙し裏切りのシーンが数々あった真田昌幸、振り返ると、武田家に対しては、最後まで忠誠を尽くしたと言うか、武田家臣であったことを誇りに感じていたことがわかります。この歳になって、あの時代を生きた武田信玄には、多く学ぶことがあると思うようになりました。 『人は城、人は石垣人は堀、情けは味方仇は敵』。



 現代企業の研鑽でもよく使われる言葉だそうです。真田丸の最初のシーン、信玄公亡き後次々に武田家を裏切る者が出る過程で、武田勝頼は、躑躅ヶ崎の館から、巨大な新府城を造りましたがここを放棄し、どこに行くかがありました。平岳太さん演じる武田勝頼は、このとき自分のそして武田家の運命を悟っていたかのようですが、まさに信玄公が城を持たなかった道理がわかるものです。城は守りのシンボル、城なんかなくても守られる、攻めて来られなければ良いのです。



あの時代に人を信頼し、人から信頼されるのは、並大抵のことではありません。


結局いったんは真田昌幸の進言を受けて真田家の居城上州岩櫃城に行こうとした武田勝頼、小山田信茂に翻意を促され、そして小山田信茂の裏切りにより天目山の露と消えたのでした。 真田昌幸は、このとき大きな人生の岐路にあったと思います。


そして学んだのでしょう。真田幸村の真田の赤備え、あれは武田武士団の山県昌景が使ったものでした。



武田信玄→真田昌幸→真田幸村と信玄時代の遺訓は生きていたシーンです。そして赤備えと言えば徳川家を支えた井伊家。真田丸でも、それを暗示するシーンがありました。 


真田信之が治めた松代藩から現れた佐久間象山が徳川幕府の終焉を仕掛けたとの捉え方もまた一興ですが、こうしてみると、影のヒーローは、武田信玄だったのではと考えてしまうほど、あれこれ楽しみがあった真田丸だったと言うことです。