1978年(昭和53年)に、羽田空港を結ぶ路線が、旅客数世界最多となった千歳飛行場は、航空自衛隊と民間航空機の共用となっていて、千歳基地とも言われておりました。冷戦時代には、旧ソ連の領空侵犯に対応する自衛隊機のスクランブル出動が、私が中学生のころにはよく話題になっていて、北海道の中心の空港の役割を期待されながら、滑走路が1本であることも影響し、しばしば航空ダイヤが乱れる事態に見舞われていたのです。
そんな状況を打開すべく、千歳飛行場の隣接地に新しい空港を建設することになり、1992年(平成4年)7月、現在の新千歳空港ターミナルビルが完成し、千歳市と苫小牧市に跨る3.000mの平行滑走路を2本持つ『新千歳空港』が開港したものです。
新千歳空港は、北海道内では最大の規模の空港であり、日本国内では、数少ない黒字空港です。
年間利用客数では、羽田、成田、福岡についで4位となっています。道内では、比較的降雪の少ない地域に位置している上、国内最大規模の除雪対策が取られていて、冬季の間で、全く離発着が不可能となる日は数日と言われます。航空自衛隊千歳基地とは隣接、接続していて、航空管制は、航空自衛隊が一括して担当しているのです。
このような歴史と、空港の役割を思えば思うほど、『新千歳空港』が、『札幌』と表示されるのは違和感があります。北海道の方々は、この空港のことを『千歳』と呼ぶのがほとんどだとお聞ききしました。
むしろ、2年前にターミナルビルがリニューアルして、国内線、国際線それそれのターミナル部分が確立して全面開業してからは、子どもの遊び場や、温浴施設等が次々に誕生し、道内の人にも、観光施設として注目されつつあるようです。もはや『札幌』と言わなくても、商業施設として認知されているのです。
空港と聞くと、特に演歌が似合いそうな北の空港には、なんか別れとか、寒さや厳しさをイメージするのではと感じられます。しかし、新千歳空港は、とてもきれいで、まさに北海道の出入口、道内各地を本店とする店舗が入店し、ここに来れば、道内の全ての土産物が手に入ると言われます。
それと、冷戦時代の緊張が残って、自由に国際線開設の認可が下りにくいと言われるものの、この空港では、重大事故が発生していないことも、明るさ楽しさをもたらしているのではないでしょうか?
新千歳空港は、私がいちばん好きな空港でもあります。ここで知り合い、親交を深めた方、また、もう顔見知りになった方等おられます。
札幌での仕事を終え、新千歳空港内で、『サッポロクラシック』を飲むワンパターンの日帰り出張を、もう20年続けています。これをいつまで続けられるかが、私の元気のバロメーターかもしれません。こうして今夜も、新千歳空港から羽田空港に帰るのです。
お盆明けに、内閣府が発表した2015年4月から6月までの国内総生産、すなわちGDPの一次速報は、物価の変動の影響を除いた実質的成長率が、1月から3月期より、0.4%減だったと発表されました。
この状況が1年間続いた場合の年率に換算すると、1.6%減となり、マイナス成長だったことが、明らかとされました。
マイナス成長となった場合には、個人消費の落ち込みが理由であり、景気回復には、程遠いことが判然とした次第です。 そもそもGDPの6割は、個人消費が占めるので、個人消費の落ち込みは、0.6%に留まるとは思えません。
予想されたとおり、消費税率アップ前にした駆け込み需要が過ぎ、円安の進行によって、輸入食品等が値上がりしたのに、実質賃金は伸び悩んでいるがゆえに、消費は低迷し続けたことが窺われます。 安全保障関連法案の陰に隠れた感がありますが、アベノミクスって、何でしょうね。
景気は回復したのでしょうか?
安倍内閣の経済再生大臣は、7月期の賞与や、中国、アメリカ向けの自動車輸出も回復すると見込まれるとの理由を挙げて、これは一時的なものであり、景気は回復すると述べたと伝えられおります。
アベノミクスにより、企業は利益を得、経済は順調と聞かされきました。賞与が期待されるのも、大企業です。実際住宅投資や公共事業も回復したとの統計が出ているのに、景気回復がないのは、国民一人一人にまで、経済は行き届いていないことを物語るものです。
大企業や円安の恩恵を受ける業界、また、公共事業に関わる業態には利益があっても、国民のほとんどは、そんなもの無縁ですね。 ある番組でゲストが言っていましたが、本当に経済政策が上手くいっていると考えるのであれば、政府は、子育て、高齢者福祉等にお金をかけるべきです。こうすれば、働く一人一人は安心でき、働いて得たお金は、将来国民として国によりサポートされると思え、経済効率も上がるのではないでょうか。
これまで行ったことがない地域で、どこかの国を後方支援するのではなく、日本国内にあって、国民が、安心平穏に生活できるよう目を向けていたただきたいと思うものです。
8月15日は、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』です。
この日、日本武道館で行われた全国戦没者追悼式で、今上陛下の『おことば』に、魅入られました。
天皇の儀式出席は、憲法で限定された天皇の国事行為のひとつであり、天皇陛下が発するおことばは、内閣の助言と承認を経て行われます。
例年とおり、今上陛下は、先の大戦における深い悲しみ、戦後の国民のたゆみのない努力、平和を切望する国民意識等を述べられた後、『ここに過去を顧み、先の大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い……』と初めて言及されたのです。
天皇の国事行為でありますから、当然安倍内閣は、天皇陛下のおことばは、わかっていたのです。この初めてのおことば部分に関して、日本の報道機関が挙って報道したことは当然でしょう。むしろ、国外の反応こそ気になりました。 朝鮮日報や注目メディアが、日本の天皇が、『深い反省』を述べたと報道するのは、両国の歴史を考えれば驚くに値しませんが、アメリカ合衆国のメディアでも、かなりの注目度を持って取り上げられていたものです。
アメリカの通信社ブルームバーグは、『天皇、戦争に反省表明、安倍首相と対照的』の見出しで記事を記載し、ニューヨークタイムズは、『安倍首相の政策に対する静かな反対』との見方が強まると紹介したようです。前日8月14日の『安倍晋三内閣総理大臣の70年談話』については、ワシントンポスト紙が、自らの言葉で謝罪がなかったと論評していたのと対照的です。
私は、きさらぎ法律事務所にご相談に見えられる方々には、いつも『あなたは、抱えた問題をどのようにしたいのですか?』とお尋ねします。
ほとんどの方が、誰々から何々を言われたが、これにどう対応すればよいのか?の質問から入られます。あなた自身がどうするかが大切なのであり、別の人が乗せたレールで考える必要はないと申し上げます。 安倍晋三内閣総理大臣は、かなり以前より、過去の河野談話、村山談話、小泉談話を政府として全体として承継すると言いつつも、戦後70年の今年、『安倍談話』を発表すると各界に仰っていました。
そのための懇話会も発足しました。こうして発表された『安倍談話』は、かなりの長文ですが、主語すなわち、安倍晋三氏がどのように考え主張するのか、明確ではありませんでした。
私的に申せば、自分が件の問題に関してどのように考えるのか、どうしたいのかが示されない『言葉』は、意味がないのです。歴代の内閣がどう言ったとか、世界の何処かの国や地域では、何がなされて主張されているのかなんて、現職の日本国の内閣総理大臣が、言う必要はありません。
でも、私は、安倍晋三内閣総理大臣の本意ではなかったと思います。『安倍談話』が、『こんなふう』になったのは、さぞ不本意だったでしょう。いわゆる安全保障関連法案に関する政府与党に対する批判は強く、安倍内閣の支持率は低下の一途であり、私は、これ以上不支持が増えないよう、不承不承自分を出さぬこんな談話になったのだと思っています。
私にもわかりますが、文章を長々と書き連ねると、全体の雰囲気に惑わされ、『目くらまし』が可能です。
安倍談話に関しては、概ね高評価がなされているようです。確か何かのとき、この『ひとりごと』で私は、この夏の政治的決定、例えば、普天間基地移転問題、川内原発再稼働問題、新国立競技場建設問題、70年談話等等で、『アメ』が配られたときこそ危険と述べました。安全保障関連法案は、なんかよくわからないまま、『安倍内閣は、やっぱり変なことしない!』と思って、批判が鎮まり、法律となってしまう予想を述べたと思います。 しかし、豈図らんや、アメリカ合衆国は、ちょっと厳しいですね。
安倍晋三氏は、日本の国会に諮る前に、アメリカ合衆国に対して、この夏までに、安全保障関連法案を成立させると約束までして、『アメリカ贔屓』を示したと言うのに、70年談話を批判され、天皇陛下から釘を刺されたかの論調をされ、お気の毒ですね。
誰かのために善かれと信じてやっていることが報われなかったら、ガッカリです。彼の国は、日本国そして安倍晋三氏をどのように見ているか、お気づきになるとよろしいのにと思いました。
お盆の季節ラッシュのさなか、羽田新千歳間を往復しました。早朝から羽田空港は混雑しており、搭乗便も、出発が遅れました。今日は珍しくボーディングブリッジではなく、バスからの搭乗でした。
機内では、放っておいて欲しい私は、ある航空会社の『機内サービス』には辟易しているのですが、今日のエァドウ新千歳空港行きは、チョつと感じ良かったです。機長のアナウンスも、普段は睡眠を妨げられたり、オーディオ音楽が途切れたりして、あまり歓迎できないのですが、こんなアナウンス、初めての経験をしました。
機長は、はじめ「機長の◯◯◯です。……」からアナウンスするのは当然ですし、出発前にキャビンアテンダントから、「本日の機長は⚪️⚪️、私は客室を担当する◯◯です。」と案内があります。
ところが今日のARDO11便の機長は、機長、副操縦士、この航空機の整備士、出発責任者、そしてキャビンアテンダント全員の氏名を述べたのです。まさに、チームARDO11便ですね。なんか一体感を感じました。でも、英語で復唱したとき、CAさんが7名全員が、見かけはともかく、『Miss』だったことが明らかとなってしまいましたが。
北海道の翼を標榜するエァドウは、数年前に経営不振からANAホールディングスに組み込まれ、全日空と共同運行を行なっています。羽田空港の発着枠しのぎ合いは厳しいものがあり、今月再生計画が認可されたスカイマークについても、ANAホールディングスが主導権を握ることになったようです。第三極とか、独自性とか言われても、難しいさが指摘されています。お客さんは、どんな基準で航空会社を選び、何を求め、満足したいのか、難しいでしょう。
最近流行りのコストパフォーマンスと言う言葉に合わせると、私は、今回のエァドウ便にはとても満足しました。気持ち良かったです。つまらないことですが、他社との違いがわかりました。航空機は、ひとたび飛び立つと、何々会社は関係ありません。今ここに居て、私たちを目的地まで運んでくれるスタッフは誰か?これが大事です。何か今後の航空会社の生き残り、独自性を示す参考となるような今日の機内の一コマでした。
暑さが続きます。暑さの中、夏の風物詩となってるのは花火でしょうか。
今年最後になるのではないかと言われる東京湾大花火大会、8月15日に行われる諏訪湖の花火大会も終わりました。首都圏からもツアーバスが出る大曲花火大会は、あと数日となりました。
あるテレビ番組で、花火大会の観客を狙う『スリ』について報道されていました。これは、花火を見る場合だけに限ってのことではないのでしょうが、前に見ようとするものがあって、特にそれが遠い場所に位置するときは、自分の持ち物に関する注意が散漫になり、被害に遭いやすいと結論が示めされております。狙われやすいのは、後ろにあるリュックサック、子どもを抱きかかえるなどして手一杯のとき、体をそらして入れ物の位置が変わったケースなどが危ない!と例示されております。
総じて、自分の前に、財布等貴重品が見えない状態のときに、被害に遭うようであります。
前に物があれば安全と言えるのは、スリの被害だけではありません。ご本人は、『被害を受けている』わけではないので、なかなかお気づきにならないのですが、通勤電車内でのリュックサックを背負わらるのは、困りものですね。後ろには、目が付いておりませんので、リュックサックの横や後ろの位置に立つ羽目になったら悲惨です。邪魔なだけならまだしも、リュックサックの動き、つまりこれを背負う人の動きによっては、大きなパンチを見舞われたような経験があります。
バック等荷物を横にして、つり革の前に立たれるのも、ちょっと迷惑ですね。つり革の前、つまり座席の横には、荷物を置く人はありません。7人掛けの座席の前には、やはり7人は立つことができるはずです。それが肩に掛けたバック等が横に来ると、5とか6人しか並べません。こんなとき、荷物は前にして持ち抱えて欲しいものです。
よく、通勤電車等では、荷物は前に抱えて乗車してくださいとアナウンスされます。あれは、目が行き届かないところにあると、人間が乗降できても、荷物がドアに挟まれる可能性があるからだと言われています。
確かにそうですが、急ぎ乗車することに夢中になると、人間の意思から離れた荷物がどうにかなっていて、近くに居た人の顔面を押し付ける等、危険な状態に至る可能性もあるからだと思います。
混雑する公共の場所では、荷物は前に持つ習慣が確立すると良いです。あらゆる『被害』の可能性を低くできます。
でも、そんな環境に身を置くがゆえに経験することです。通勤電車、満員電車がなければ杞憂に過ぎないでしょうね。
こんな話題をひとりごとにしてしまう私もまた、やはり東京中心主義に毒されていると言うことでしょう。