ある中学校が、いじめにより自殺した生徒が、転校したと在学生に説明したとの報道に寄せて。

2015年9月1日
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何とも不可解な対応が、ニュースになっています。今月発生した大阪府内の中学1年生2名が亡くなった事件は、多くの方が、痛ましい思いと怒りの念を持たれたかと思います。同世代の子どもが被害に遭った事件は、川崎市内で、夜年長の少年に暴行を受けて男子生徒が殺害された事件、また、岩手県内では、いじめにより男子生徒が自殺した悲しい出来事が報じられたばかりです。

先週になって、宮城県内で、昨年自殺した中学1年生が、実はいじめを受けていたこと、後日学校側も、いじめが影響した自殺であったことを確認していたことが明らかになりました。驚いたのは、亡くなったこの当時中年1年生の生徒ついて、学校側は、在学生に対して、「転校した」と説明していたことであります。教育委員会は、このように説明した理由を『遺族の意向』と述べました。

まず、ご遺族に対して、マスコミ等が、『本当かどうか』等の確認と称して、追いかけることが無いよう願いたいです。教育委員会は、そんな理由を挙げながら、『発覚』して事実関係を問い合わせして来た報道機関に対して『謝罪』しておりました。これはおかしい。怒りを覚えます。

本当に、遺族の意向であり、学校や教育委員会がそれを汲んで『転校した』と生徒らに説明したことが教育者として正しい判断だったとされるなら、それこそ遺族の意向に逆らってまで、今ころ事実を発表するのはおかしい。また、悪いことはしていない、間違っていないならば、どうして、しかも報道機関に対して、謝罪しなければならないのでしょう。

私は、『遺族の意向』が、『いじめにより亡くなったことを隠して、家庭の都合で、生徒は転校したと在学生には説明して欲しい』と申し出されたのだととしても、この学校側の判断は、教育者としては納得できません。確かにご遺族は、辛い、悲しい出来事があった街は離れたいでしょう。

真相を明らかにして将来いじめが無くなったとしても、亡くなった生徒は戻って来ません。ですが、このところ報道されるいじめに関する学校側の対応にやるせなさを感じているからか、私は、この中学校や教育委員会は、『遺族の意向』を渡りに船にしているのではなかったかとの疑念を抱きます。『遺族の意向』は、文字通りしなければならないのではなく、真摯にこの亡くなった生徒に対する『すまなかった』思いがあったのならば、何か違ったやり方があったのではないでしょうか。

この中学校には、命を守れなかったこの中学生のほかにも、このいじめに関わった生徒を含む多くの生徒がいます。学校は、この全ての生徒を教育し、命の大切さを教えなければならないでしょう。特に、いじめを行ったとされる生徒のうち数家庭には、『事実』そのものが伝えられていないとも報道されているのです。教育ってなんでしょう。学校や教育委員会は、どこを見て、何のために教育に携わっているのでしょう。

少し話は逸れますが、心にもない謝罪は、すぐにバレます。また、そんな『謝罪』をしても、そんな『謝罪』をした前提となった事実出来事は、また繰り返されます。もし、この学校や教育委員会が、『遺族の意向』に沿って生徒らに対して嘘を教えたことが間違いであり、この度の報道機関に対する『謝罪』は、心からの謝罪であるとされるなら、いい大人が揃いも揃って馬鹿面下げてマスコミ前で頭を下げるではなく、さっさと職を辞すべきだと考えます。


こんな報道に接するたび、個人で責任を取らない組織にいる方々の良心、職業倫理ってなんだろうと思うのです。