寝台特急『北斗星』が、8月23日朝上野駅に到着し、その全ての運行が終了しました。来年3月新青森新函館北斗間の北海道新幹線の開通により、青函トンネルの運航が困難になることが理由とされておりますが、鉄道ファンや、何かの儀式行事や思い出に乗車するケースはそんなにあるわけではなく、やはり採算が取れない事実は否定できません。国鉄分割民営化は、今は昔のことであり、JR各社も利益を上げなければなりません。 寝台特急北斗星は、1988年(昭和63年)3月に、青函トンネル開業に合わせて上野駅と札幌駅間に運転を開始したブルートレインです。運行当初は、個室寝台や豪華な食事等で注目を浴びました。当初3往復だった北斗星は、やがて2往復に、そして1往復になって、今年の3月に全ての定時運行を終了し、8月まで臨時列車として動いていたのでした。 北斗星が生まれた当時は、まだ東京駅からは、九州に向かうブルートレインがありました。私も小さい子どもを連れて、『あさかぜ』に、そして『北斗星』に乗車したことがあります。特に北斗星は、その名のとおり北への思いを運ぶ夢の青い車両の感がありました。ロビー室やシャワー室もあり、束の間の夏休みを、家族で堪能した記憶があるのです。 仕事を終えた北斗星のブルーの車体は、解体される予定でしたが、これの譲渡を希望する声があったりするので、今後の行き先は未定とのことです。姿を消したSL、蒸気機関車も、あちらこちらで保存運動が起こり、その後実際石炭を入れ、点火して運行する、つまり、生き返ったSLもあります。 前夜午後5時過ぎに上野駅を発車した北斗星1号は、私が札幌の裁判所に午前10時に出頭するために早朝羽田空港を出、新千歳空港駅を8時49分の『快速エアポート』で札幌駅に到着するころ、長旅を終えて、終着札幌駅に到着します。単に航空機でひとっ飛びにはない風情があり、思い出作りができるのではないでしょうか。私が初めて福岡市に赴任する際乗車した『あさかぜ1号博多行き』の車内でも、初めて会う人たちと、旅談義に花を咲かせたものでした。 ブルートレインは、長い道程を、なんの繋がりもなかった人たちをひとつにまとめて目的地に運ぶ人生の模型のようなものではないでしょうか。『袖振り合うも多生の縁』。同じ車両で一夜を共にし、また、酒盛りをした縁、この偶然を大事にしたいとずっと思っていました。別に名刺交換するわけではありませんし、再会を約束するものではありません。もちろん、何処かでその後会ったこともないでしょう。でも、ブルートレインでのひとときは、古き良き日本が凝縮されていたようにも思います。日本の線路から、ブルートレインが姿を消し、またひとつの時代が終わったと思うのです。