8月30日に国会周辺で行われた安全保障関連法案への抗議活動は、参加者は10万人を超えたとされ、永田町界隈や国会議事堂周辺は、すごい人人人となった模様です。 一部報道機関は、何もわからずに、ただ情動に流されてデモに参加した人たちとの捉え方がされていましたが、参加した70歳以上の方々は、60年安保のときは、それこそ組織や仲間に頼まれて国会前まで来た人がいたけれども、今回は違うと言われました。それは、参加者を見れば分かるのだそうです。ヘルメットをやマスクをした人なんていない、小さな子どもを連れたお母さん、一見してチャラ男、遊び人風、さらには他の政策では、政府与党を支持している人たち、まさに一般市民なのです。 休日の霞が関永田町、ちょっとした異変が起きて、混乱したようです。 これだけ多くの人が集まり、大行列が出来ると、『全く無関係な人』は、迷惑?だったかもしれません。車で自宅に帰ろうとしたとき、家の前の幹線道路が、なんらかのセレモニー、会場への行き来に使われて、大渋滞となってたどり着けないなんて聞きます。 この日、国会なんぞに行くつもりはなかったのに、地下鉄駅からすごい行列となって、そのまま進むしかなかったなんて事態に見舞われた方も、おられたのではないでしょうか? こんなとき、困るのはトイレですね。平日であれば、もし、駅近くでもよおしたとしても、勤め先はすぐ近くです。駅で用足しするとしても、大行列はあり得ないでしょう。ところが休日の官庁街、ビルは立ち入ることはできません。駅にある2つ3つのそれが頼りです。 トイレの前の大行列は、コンサートやスポーツ観戦の際にも見受けます。 特に、女性に人気のあるアーティストの催事では、会場内の男子トイレが、臨時に女性用に変わっていることがあります。空港の到着ロビー近くのトイレが、航空機到着直後、長蛇の列となることも、珍しくありません。 私も高校受験のとき、受験高校が男子校の折、外のフェンスに沿って、臨時のトイレができていて、受験生は、フェンスの下に流れる『水路』にそれを流した経験があります。受験生で、あれこれ言うような余裕なかったですが、後ろから眺めると、不思議な光景でした。最近では、高速道路の渋滞に巻き込まれたときの危機回避に、ポータブルトイレの類が、出回っているようですが。 トイレなくして人間の生活は成り立ちません。 以前、太平洋戦争における日米の戦略に関して報道した番組がありました。先の大戦での日本国の戦死者のうち6割は病死で、しかも、多くは餓死されたと言われております。物資が困窮する中、戦争を止めなかったのです。アメリカ軍は、物がない日本軍は、山岳地帯や藪茂みの中に隠れて、草木を食べてゲリラ戦に挑むこと承知しておりました。 それでアメリカ軍は、山中で、草などを食した場合の便のあとを、備に研究していたのだそうです。これを追って、いつころまで日本軍がいたか、どの方向に動いたか、把握して戦ったのだそうです。 この話を聞いたとき、なんかとても辛く悲しかったです。補給路を絶たれ、食物が底を突く、仲間が餓死していく中、かろうじて山中の草木で、その日その日を凌いでいた当時の徴兵された方々は、これが理由で、いとも簡単に、アメリカ軍に看破されていたなんて。トイレとは、人間の尊厳そのものではありませんか。 図らずも、今回『戦争法案』に反対する運動に参加された方々が、トイレの大切さを感じとられたのであれば、今後も、人間の尊厳を踏みにじる最たる悪、『戦争』に関して、さらに広く多くの方たちに、語っていただきたいと思います。 戦争しかり、予期せぬ災害でも、まず、トイレの不便が言われます。 安保法案とトイレ、考えさせられる記事でした。