『大きな態度の安倍総理。おじいちゃんと同じ…。』なんて歌があることを知りました。
それまでは、『大きなノッポの古時計。おじいちゃんの時計…。』しか知りませんでしたが。安倍晋三内閣総理大臣のおじいちゃん、すなわち祖父は、岸信介元内閣総理大臣です。
こちらも、山口県ご出身です。ちなみに、内閣総理大臣の数は、山口県出身がいちばん多いことは、私が子どものころから言われておりました。もっとも、この中に、菅直人氏が含まれていることはあまり知られておりませんし、意外にも?日本共産党の野坂参三氏や宮本顕治氏も、岸信介氏らと同郷なのです。
安倍晋三氏がおじいちゃんと同じなのは、国の安全保障に関する法案を強行採決し、その後国会前で、国民の多くが安保法案に関する抗議活動を行っていることです。岸信介元内閣総理大臣は、いわゆるA級戦犯ですが、内閣総理大臣を務めました。この岸信介氏が首相のとき、『60年安保』が起きたのです。 1960年(昭和35年)1月、当時の自民党代表であり、内閣総理大臣であった岸信介氏は、アメリカ合衆国との間で、改定された新しい安保条約に調印しました。これがいわゆる新安保条約です。
そして、同年5月、自民党は、衆議院で、この条約を承認する強行採決をしました。憲法73条で、条約の締結は内閣の権限ですが、事前に国会の承認を受けなければならないからです。
ただし、憲法は、国会の承認は、やむを得ないときは、事後でも良いと規定されております。 新安保条約は、日本にある米軍基地が攻撃でもされた場合には、日本の自衛隊も『出動』する内容等が盛り込まれていたため、『戦争に巻き込まれる』として、国会周辺では、大規模な抗議運動が展開されたのです。このころは、国際的には東西冷戦、国内的には対米従順と『逆コース』への危惧があって、これが学生運動と合間って、激しいデモと抗議活動に発展したのでした。
そんな中で、国会に入り込んだデモ隊が、警察隊と衝突し、当時東京大学に在学中の女子学生が亡くなったのでした。結果、強行採決された新安保条約は、自然承認となりましたが、岸信介内閣は、総辞職したのでした。 新安保闘争の当時、国会を取り囲んだデモ隊は、警察署の発表では約13万人とのことでした。このときは、ヘルメットや棒を持った学生や、労働組合関係者等が中心であったことが、今回の安全保障関連法案に対して抗議するため集まった人たちと違うところです。でも、何と無く、『60年安保』と似て来た様相を示しております。
安倍晋三内閣総理大臣は、この法案が国会で審議される前に、アメリカ合衆国に赴いて、アメリカ合衆国国民に対して、「夏までに法律とする」と約束して来ました。そして、衆議院では強行採決されました。その後も、国会前での抗議運動、反対活動は大きくなり、遂に8月最後の日曜日には、主催者側の発表では、デモ参加者は12万人にもおよび、反対のうねりは、全国100箇所以上にも波及したそうです。
さて、政府与党は、国民の反対なんて何とも思っていないようで、9月に行われる自民党総裁選は、無投票当選にて、安倍晋三氏が、再選される模様です。安倍晋三内閣総理大臣は、かつて新安保条約を結び、国会前のデモ活動に見舞われて退陣した『おじいちゃんと同じ』には、ならないようであります。この方、おじいちゃんを超えましたね。