大相撲秋場所の横綱鶴竜関の優勝に寄せて。

2015年9月30日
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大相撲秋場所は、横綱鶴竜の優勝で終わりました。

 

白鵬、日馬富士の横綱が休場する場所で、大関照の富士も、終盤全治1ヶ月の怪我と診断されながら最後まで、優勝争いの土俵を務めました。

その中で、鶴竜関の優勝には、あれこれ意見が出ているようです。 横綱鶴竜の相撲に対して、文句が出たきっかけは、星の差1で迎えた14日め、大関稀勢の里との土俵で、取り直しと合わせて2回とも、立会いに変化したことが、横綱らしくないと非難されたことにあるようです。

私は、大相撲は、もう30年くらい見たことがなく、特に誰を応援しているものではありませんが、大手新聞社を含めて、マスコミほとんどが、鶴竜関が、14日めの取り組みでの立会いに変化したことを、批判的にとりあげていることには、興味を持ったものです。

 

大横綱白鵬が登場して、それまでの朝青龍関の時代も含めると、日本国籍の力士の優勝は、はるか昔となった感があります。

今場所は、日馬富士に加えて、あの白鵬まで休場となり、はっきり言って、久しぶりの日本人の優勝に、期待するむきはなかったでしょうか。鶴竜も、照の富士も、日本国籍ではありません。そんな中で、先頭を行く鶴竜を、星の差1で追う大関稀勢の里が、14日めに行われる鶴竜との対戦には、相撲ファンならずとも、関心を持たれたであろうことは、想像できます。 こうして迎えた14日に対戦した稀勢の里戦で、横綱鶴竜が立会いに変化して、結果勝利したことが、横綱の品格に欠けると言われたものです。

横綱とは、正々堂々勝負するのは当然で、格下相手には胸を出し、決して逃げてはならないのだそうです。立会いに変化するのは、相手の圧力をかわすもので、横綱らしくないとされます。 それはそうかもしれません。でも、挙って横綱鶴竜に対する批判的な論調が多いのは、違和感があります。

 

これは、『日本人稀勢の里に優勝を』なんてケチな了見によるのではないとは思いますが、横綱って、負けない強さを求められるのではないのですか?

 

確かにカッコ良く勝ちたい、力の差を見せつけられることが、横綱に求められるとしても、これに拘って、結果勝できない横綱でも良いのでしょうか。

鶴竜関は、とにかく勝てて良かったと述べられました。 白鵬、日馬富士がいないひとり横綱の場所で、勝てなかったら何と言われるでしょうか。この場所のプレッシャーは、並大抵のものではなかったと想像されます。反則ではない限り、どんなことをしても勝つ、 これが大切と考えた横綱を、責めるべきでしょうか?

プロは、お客さんに魅せなければなりません。でも、それは、プロである以上、勝負に徹して魅せることだと思います。いかに良いプレーをしても、勝てないのはプロとは言えないでしょう。 私は、この場所も、報道の範囲でしかわかっておりません。

 

でも、1差で千秋楽を迎えた大関照の富士が、数日前に、全治1ヶ月と診断されながら土俵に立って、結びの一番で鶴竜に勝ち、優勝決定戦に持ち込んだことにも、拍手を送りたいと思います。

 

身体が言うことを効かなくても不戦敗はできない、それこそ気力気力なんて、日本人のようです。

横綱は、そして大関は、負けないこと、観客に魅せることが、その使命だと思います。

 

白鵬関がいなくても、まだ『モンゴルの壁は厚い』ことを知らしめた秋場所でした。 大相撲は、国技と言われます。勝った横綱を批判するなら、日本人の強い力士を育てることに、関係者懸命になるべきだと思いました。折しも、ラグビー日本代表は、国籍日本だけで構成されているのではないけれども、日本国中が、歓喜したものでした。

 

モンゴル出身の横綱が、日本の土俵を守り、横綱の意地を見せたことは、日本の国技向上に、役立っていると信じるものであります。

『神秘的な物には近づけない』ある世界文化遺産候補地に寄せて。

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2015年7月、国連教育、科学、文化機関(ユネスコ)世界文化遺産に、8県8エリア、合計28遺産が、『明治日本の産業革命遺産』として、製鉄、製鋼、造船、石炭産業の礎を築いたとして、登録されました。

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その中でも九州は、八幡エリア、三池エリア、佐賀エリア、長崎エリア、鹿児島エリアと計21遺産が含まれ、その中には、日本初となる現在も使われている施設も存在します。その興奮が冷めやらぬ状況にある中、2年後平成29年のユネスコでの世界文化遺産登録を目指す国内候補地として、またしても九州福岡県の遺産が、今年7月に、文化庁より発表されました。

ぞれは、『神宿る島宗像沖ノ島と関連遺産群』です。すなわち、福岡県宗像市にある宗像大社が所有する沖ノ島全域、大島の中津宮、沖津島遥拝所、宗像本土の辺津宮、それと福津市にある新原奴山古墳群の5遺産で構成されます。これまで日本の世界遺産は、観光や自然景観が注目された感がありますが、この『神宿る…』は、文字とおり神聖な場をいかに後世まで保存するかの観点から選定されたもので、歴史的にも極めて重要な意味をもつものと言えます。

宗像市にある宗像大社は、福岡県周辺では、交通安全の神徳有りで知られておりますが、もともとは、古来この地が、特に沖津宮のある沖ノ島は、日本と大陸との中間地にあり、遣唐使などの交流が続けられるよう、海上安全をお護りする御神体と崇められていたものです。

今年のパワースポットに宗像大社が案内されていたので、宗像市の宗像大社に詣でました。

宗像大社とは、もともとは、天照大神の子となる三女神が、沖ノ島、大島そして現在の宗像大社に降臨し、それぞれ沖津宮、中津宮、辺津宮の祭神になられ、大陸と日本のとの交流を護ったとされます。

宗像市大社のある辺津宮から、玄界灘の大島にある沖津宮まで11km、そこから、沖ノ島の沖津宮まで49km離れ、その直線上には、韓国釜山が位置するので、特に沖ノ島はその中継点として、歴史を残しているのです。ここから出土した銅鏡、土師器、刀剣類その他は、国宝として宗像大社すなわち辺津宮の神宝館で保存され、公開されております。

宗像三女神、あるいは沖津宮中津宮辺津宮と言われる中で、先の『神宿る…。』にもあるとおり、神秘的なのは、絶海の孤島沖ノ島にある沖津宮でしょう。ここは、現在の宗像大社本宮の所有で、神官が、10日交代で務めるほかには、住人はおりません。この絶海の孤島が、歴史通に知られたのは、日露戦争の日本海海戦であります。バルチック艦隊が、対馬海峡を通過したとき、東郷平八郎艦長率いる連合艦隊が攻撃を仕掛けたものですが、その様子が、ここ沖ノ島で見られたからです。

沖ノ島は、女人禁制の島で、先の神職以外には、立ち入ることができませんが、日本海海戦のあった5月27日のみは、厳選された男子200名が、沖ノ島に入ることが許されます。でも、厳しい決まりがあり、前日は、大島の中津宮に参拝し、沖ノ島に入ったら、全裸で海に入り、禊を受けなければならないなど、全て神事の一環として行われるものです。

こんな神宿る島が、世界遺産になったとしても、年間200人の男性が、たった1日だけ立ち入ることが許されるのでしたら、滅多なことでは、この島を体得することはできません。

まさしく観光ではないのです 。神秘なものには触れない、遠くで拝むのがご利益だなんて言われますが、もし、宗像大社沖ノ島が世界遺産に登録されたら、その保存の仕方は、議論されるでしょう。そんなことを考えなかわら、宗像市大社の境内や歩きました。女神様から、パワーをもらえたでしょうか。