自民党が野党に転落したのは、細川護煕氏率いる日本新党ブームに湧いた1993年(平成5年)の衆議院議員総選挙でした。ただこのときは、『古い自民党』が支持を失い、内部から離反分離して、反自民の野党連合が出来たのであり、二大政党制による政権交代ではありませんでした。こうして成立した細川政権は、野党間の政策不一致は避けられず、これを承継した羽田孜氏の内閣が総辞職したため、再び自民党が政権に返り咲いたものでした。自民党に対抗する政党として『新進党』が出来ましたが、あっという間に消滅しております。
野党連立政権が瓦解して、『自社さ』政権が出来たこと、その後社会党がなくなったこと等、細川連立政権が齎した影響は大きいですが、私が当時から疑問に思っていて、今まさにとんでもないことをしてくれたと考える大きな制度改革がありました。それは、選挙制度の改革、すなわち、小選挙区制になったことであります。
『政治改革』を旗印にして政権に着いた細川内閣は、自民党をして金権腐敗政治と言い、その温床になっているのは、同じ政党の候補者同志が、同じ選挙区で闘うため、候補者は、派閥のボスにお金をもらって選挙戦に臨むことにあると言います。お金を貰って当選すれば、派閥のボスに頭が上がらず、ボスは、お金を集めて結束を高める、これが、中選挙区制の欠陥だと言うのです。
それは現実そうかもしれません。でも、悪いのは金権腐敗政治、あるいは金で縛りをかけるやり方なのであって、中選挙区制が悪いと言うのは話が逆だと思いました。アメリカ、イギリスのように、国民また民族間の闘いにより、民主主義を掴んだ歴史がない日本では、小選挙区制は、政策を選び、そして政党選択の選挙となると言う実感が伴わず、結果大政党のみ当選して、死票が積み重なる『危険』が大きいと思ったからです。
さて、小選挙区制の結果どうなったかは、もはや言うまでもありません。得票率過半数にも満たない政党が、絶対安定多数の議席を確保できるのですから。そして、小選挙区制は、この巨大与党内をも、劇的に変えてしまいました。すなわち、政党内に、ボスは必要無くなったのです。この政党の候補者にならなければ当選出来ない仕組みである以上、『この政党』の顔、これを牛耳っている人には、逆らえない仕組みです。
ひとりで仕事をし、ひとりで責任を負う立場の私も、派閥と言う言葉には、アレルギーはあります。でも、ボスが子分にいろいろ教えることは、悪いものではありません。かつて自民党には、安保外交には、タカ派とハト派があり、経済政策には、成長か財政か等それぞれ特徴がありました。大勲位中曽根康弘元首相も、党内には護憲派が居たからこそ、自民党は、バランスを保って国民から嫌われなかったと仰るのです。『三角大福中』、各人は、その後内閣総理大臣になりました。派閥の勉強会で、政策が提言されてもおりました。
さて、9月に行われる自民党総裁選は、安倍晋三候補の無投票当選が確定したようであります。ボスではなく、この政党の絶対的君臨者に異を唱えるなんて、党内で、冷や飯を食わせられるくらいならまだしも、国政選挙で公認されず、また、この政党にいられなくなるかもしれないと考えるのでしょう。今は、内閣の一員である有力対抗馬と目されていた閣僚は、「内閣を支えるのが自分の仕事」と上手いこと言って、総裁選の立候補をいたしません。
そんな中で、唯一かつて自民党の総務会長を歴任した女性議員が、このままでは、自民党は活性せず、国民から見放される?として、総裁選の立候補を模索していると報じられています。もっとも、総裁選立候補には、議員20名の推薦を要するので、そんな度胸のある方、『今の自民党』におられるのでしょうか。先の来日したドイツのメルケル首相をして、『ナチスドイツと日本を混同』なんて記事を掲載する大手マスコミに囲まれる自民党の先生方から、そんな度胸ある人出てこないでしょうね。でも、この女性議員、『女は度胸』を見せただけでも、ご立派だと思いました。
『大きな態度の安倍総理。おじいちゃんと同じ…。』なんて歌があることを知りました。
それまでは、『大きなノッポの古時計。おじいちゃんの時計…。』しか知りませんでしたが。安倍晋三内閣総理大臣のおじいちゃん、すなわち祖父は、岸信介元内閣総理大臣です。
こちらも、山口県ご出身です。ちなみに、内閣総理大臣の数は、山口県出身がいちばん多いことは、私が子どものころから言われておりました。もっとも、この中に、菅直人氏が含まれていることはあまり知られておりませんし、意外にも?日本共産党の野坂参三氏や宮本顕治氏も、岸信介氏らと同郷なのです。
安倍晋三氏がおじいちゃんと同じなのは、国の安全保障に関する法案を強行採決し、その後国会前で、国民の多くが安保法案に関する抗議活動を行っていることです。岸信介元内閣総理大臣は、いわゆるA級戦犯ですが、内閣総理大臣を務めました。この岸信介氏が首相のとき、『60年安保』が起きたのです。 1960年(昭和35年)1月、当時の自民党代表であり、内閣総理大臣であった岸信介氏は、アメリカ合衆国との間で、改定された新しい安保条約に調印しました。これがいわゆる新安保条約です。
そして、同年5月、自民党は、衆議院で、この条約を承認する強行採決をしました。憲法73条で、条約の締結は内閣の権限ですが、事前に国会の承認を受けなければならないからです。
ただし、憲法は、国会の承認は、やむを得ないときは、事後でも良いと規定されております。 新安保条約は、日本にある米軍基地が攻撃でもされた場合には、日本の自衛隊も『出動』する内容等が盛り込まれていたため、『戦争に巻き込まれる』として、国会周辺では、大規模な抗議運動が展開されたのです。このころは、国際的には東西冷戦、国内的には対米従順と『逆コース』への危惧があって、これが学生運動と合間って、激しいデモと抗議活動に発展したのでした。
そんな中で、国会に入り込んだデモ隊が、警察隊と衝突し、当時東京大学に在学中の女子学生が亡くなったのでした。結果、強行採決された新安保条約は、自然承認となりましたが、岸信介内閣は、総辞職したのでした。 新安保闘争の当時、国会を取り囲んだデモ隊は、警察署の発表では約13万人とのことでした。このときは、ヘルメットや棒を持った学生や、労働組合関係者等が中心であったことが、今回の安全保障関連法案に対して抗議するため集まった人たちと違うところです。でも、何と無く、『60年安保』と似て来た様相を示しております。
安倍晋三内閣総理大臣は、この法案が国会で審議される前に、アメリカ合衆国に赴いて、アメリカ合衆国国民に対して、「夏までに法律とする」と約束して来ました。そして、衆議院では強行採決されました。その後も、国会前での抗議運動、反対活動は大きくなり、遂に8月最後の日曜日には、主催者側の発表では、デモ参加者は12万人にもおよび、反対のうねりは、全国100箇所以上にも波及したそうです。
さて、政府与党は、国民の反対なんて何とも思っていないようで、9月に行われる自民党総裁選は、無投票当選にて、安倍晋三氏が、再選される模様です。安倍晋三内閣総理大臣は、かつて新安保条約を結び、国会前のデモ活動に見舞われて退陣した『おじいちゃんと同じ』には、ならないようであります。この方、おじいちゃんを超えましたね。
参議院で審議中の安全保障関連法案に関する市民の反対運動は、8月最後の日曜日30日に、国会周辺に、これまで最大の12万人が集まったとされています。
また、この日は、全国各地で、さまざまな反対運動が展開されたと報道されました。国民の半数以上が反対している法案を、急ぎ簡単に成立させるのか、到底理解できません。
安全保障関連法案に関する報道がない日はありませんが、このところ芸能界でも、結婚や交際のおめでたい報道が続いているようです。
山本耕史さんと堀北真希さんの婚約発表に続いて、片岡愛之助さんと藤原紀香さんが、真剣な交際をしていることが、ご両人により述べられております。 芸能界のこ とは、ほとんどわからない私ですが、藤原紀香さんには、注目しておりました。特に数年前神戸市に行き来した際、ホテル○○○○や○○神社等、あることで藤原紀香さんにゆかりがあるとされる場所だとして、神戸市内の名所案内の方が、観光客にいちいち説明していたことが思い出されます。
藤原紀香さんは、以前イラク戦争に反対する意思表明をされたことが、私がこの方、単なる芸能人ではないと意識した契機です。 神戸市では、その足跡が観光名所となっているなどビッグさを感じた後、特定秘密保護法を危惧する意見を出されました。
東日本大震災のとき、その日ミュージカルの初日が予定されていたところ、すぐに基金を作り、6300万円を日本赤十字社に寄付されたこと知りました。
それは、阪神淡路大震災で知人を失った経験から、やり残して人生を終えるのは嫌だと思ったからだと述べられたそうです。 アフガニスタンを訪れ、戦災リポートをし、独立運動が展開されている東ティモールでも、様々なボランティア活動をされました。
ご自身世界子ども基金を設け、カンボジアに学校を建設されるなど、その社会活動、人権活動には誠に尊敬されるべき素晴らしいかたちを、世界各地に残されているのです。藤原紀香さんの根底にあるのは人の命の大切さ、これを奪う戦争には絶対反対にあり、戦争により被害を受けるのは、戦争を始めた政府や人間ではなく、これに巻き込まれた人たち、特に子どもたちだとの考えであろうと思われるのです。
さて、そんな藤原紀香さん、これだけ反対運動が拡大している安全保障関連法案に関して、特にご意見を出されないのはなぜ?と思っておりました。
そうしたところ、先のロマンスであります。これからは、少しは、ご自分の時間を確保して、自分の幸せも考えたらと言う思し召しでありましょう。私は、今回ご自身が交際の事実を発表されたお相手の方がどうのこうのとは申しません。
ただ、世界には、特に戦災等に巻き込まれた子どもたちには、優しいお母さんであられることを、わかってあげて欲しいなと願うばかりです。
この時期、安倍晋三内閣総理大臣と懇意にしている橋下徹大阪市長は、この秋にも国政政党を立ち上げると発表しました。ご自身が生みの親であった維新の党は、民主党等国政野党と仲良くなって行くことが、立党の精神に反するのだそうです。
大阪市長を勤め上げた後、橋下徹氏は、政界を引退すると言われますが、橋下徹の名のもと当選した大阪、関西や中心とする議員の方々は、橋下徹氏が完全引退したら、橋下新党?は、一定の役割を果たしたとして、○○党に流入すると思っています。
維新の党が、野党編成に加わることを毛嫌いしたのはなぜか、いずれわかるでしょう。
それにしても、関西には橋下徹氏以上に、社会問題に真摯に取り組む方がおられるのに…。と思うものであります。大阪市長選、大阪知事選に、藤原紀香さんが出られることをいちばん恐れているのは誰でしょう。それは橋下徹氏ではありませんね。これからも、藤原紀香さんの公私にわたるご活動に、気を揉む中年男のひとりごとでありました、
8月30日に国会周辺で行われた安全保障関連法案への抗議活動は、参加者は10万人を超えたとされ、永田町界隈や国会議事堂周辺は、すごい人人人となった模様です。
一部報道機関は、何もわからずに、ただ情動に流されてデモに参加した人たちとの捉え方がされていましたが、参加した70歳以上の方々は、60年安保のときは、それこそ組織や仲間に頼まれて国会前まで来た人がいたけれども、今回は違うと言われました。それは、参加者を見れば分かるのだそうです。ヘルメットをやマスクをした人なんていない、小さな子どもを連れたお母さん、一見してチャラ男、遊び人風、さらには他の政策では、政府与党を支持している人たち、まさに一般市民なのです。
休日の霞が関永田町、ちょっとした異変が起きて、混乱したようです。
これだけ多くの人が集まり、大行列が出来ると、『全く無関係な人』は、迷惑?だったかもしれません。車で自宅に帰ろうとしたとき、家の前の幹線道路が、なんらかのセレモニー、会場への行き来に使われて、大渋滞となってたどり着けないなんて聞きます。
この日、国会なんぞに行くつもりはなかったのに、地下鉄駅からすごい行列となって、そのまま進むしかなかったなんて事態に見舞われた方も、おられたのではないでしょうか?
こんなとき、困るのはトイレですね。平日であれば、もし、駅近くでもよおしたとしても、勤め先はすぐ近くです。駅で用足しするとしても、大行列はあり得ないでしょう。ところが休日の官庁街、ビルは立ち入ることはできません。駅にある2つ3つのそれが頼りです。
トイレの前の大行列は、コンサートやスポーツ観戦の際にも見受けます。
特に、女性に人気のあるアーティストの催事では、会場内の男子トイレが、臨時に女性用に変わっていることがあります。空港の到着ロビー近くのトイレが、航空機到着直後、長蛇の列となることも、珍しくありません。
私も高校受験のとき、受験高校が男子校の折、外のフェンスに沿って、臨時のトイレができていて、受験生は、フェンスの下に流れる『水路』にそれを流した経験があります。受験生で、あれこれ言うような余裕なかったですが、後ろから眺めると、不思議な光景でした。最近では、高速道路の渋滞に巻き込まれたときの危機回避に、ポータブルトイレの類が、出回っているようですが。
トイレなくして人間の生活は成り立ちません。
以前、太平洋戦争における日米の戦略に関して報道した番組がありました。先の大戦での日本国の戦死者のうち6割は病死で、しかも、多くは餓死されたと言われております。物資が困窮する中、戦争を止めなかったのです。アメリカ軍は、物がない日本軍は、山岳地帯や藪茂みの中に隠れて、草木を食べてゲリラ戦に挑むこと承知しておりました。
それでアメリカ軍は、山中で、草などを食した場合の便のあとを、備に研究していたのだそうです。これを追って、いつころまで日本軍がいたか、どの方向に動いたか、把握して戦ったのだそうです。
この話を聞いたとき、なんかとても辛く悲しかったです。補給路を絶たれ、食物が底を突く、仲間が餓死していく中、かろうじて山中の草木で、その日その日を凌いでいた当時の徴兵された方々は、これが理由で、いとも簡単に、アメリカ軍に看破されていたなんて。トイレとは、人間の尊厳そのものではありませんか。
図らずも、今回『戦争法案』に反対する運動に参加された方々が、トイレの大切さを感じとられたのであれば、今後も、人間の尊厳を踏みにじる最たる悪、『戦争』に関して、さらに広く多くの方たちに、語っていただきたいと思います。
戦争しかり、予期せぬ災害でも、まず、トイレの不便が言われます。
安保法案とトイレ、考えさせられる記事でした。
「やはりそうか」と納得した発表がありました。維新の党最高顧問で、地域政党大阪維新の会の代表橋下徹大阪市長が、「大阪維新の会で国政政党をやる。年内に道筋をつける」と記者会見で述べました。橋下徹氏は、この発表の前日、「国政政党から離れ、大阪の地方政治に軸足を移す」と述べ、松井一郎大阪府知事とともに、維新の党を離党したばかりでした。
橋下徹大阪維新の会代表は、自らが維新の党を離党するにあたっては、維新の党の国会議員、これは、橋下徹氏に近い大阪、関西選出の議員に向けてでありますが、現在審議中の安保法案へしっかり対応するようメッセージを送り、離党しないよう自重を求めるメールを議員に送っていたそうです。そして、大阪系の議員も、「今(離党して)組織を割っても何も良いことはない」と確認して、党分裂を回避すると述べたばかりでした。それがその翌日になると、橋下徹氏の表明を受けて、『橋下新党』に参加するのだそうです。
以前このひとりごとで、大阪都構想に敗れて政界を引退する、ただし、市長として任期満了まで精一杯勤めると述べた橋下徹氏に、ーーおそらくはじめてーー賞賛の弁を贈ったことを思い出しました。いつも申しますが、精一杯やって結果が出なかったとしても、そして、闘いの場から去る者に対しては、私は、賛辞を送ります。あの時、橋下徹って、実はカッコいいとも思えたのです。まあ、彼は、私なんかにそう思われてもどうってことないでしょうが。
橋下徹氏が、今後国政政党を立ち上げることがどうだと言うものではありません。だいたい、政界引退を表明しながら、安保法案が衆議院で審議入りしている6月ころ、維新の党顧問の松井一郎大阪府知事と一緒に都内に出向いて、菅義偉内閣官房長官、安倍晋三内閣総理大臣と会食する意味がわかりません。そして8月25日には、松井一郎氏は、菅義偉氏を訪ねていたとのことです。「離党せず、安保法案にしっかり対応して」と党員に言っておきながら……。さて、どんな『対応』を、橋下徹氏は期待したのでしょう。
橋下徹氏は、もともと菅義偉氏、安倍晋三氏と近い関係にあり、先の大阪都構想を巡る投票にあっても、官邸は、自民党大阪支部が、共産党、民主党と同調したことに不快感を示し、橋下徹氏を支持していたことが知られています。橋下徹氏、元大阪府議の松井一郎氏らが考えていることは、わかりそうなものです。
それにしても、橋下徹氏人気にあやかろうとしか考えていないのでは?と思いたくなるのが、維新の党のいわゆる大阪系議員さんです。橋下徹氏が立ち上げる政党が、将来自民党と合体した(吸収
された?)場合、この方々は、なんのためらいもなく、付いて行くのでしょうね。私は、維新の党では、その主義政策はともかく、江田憲司氏や柿沢未途氏らのほうが、ご自分の意見を言い、敢然としている政治家だと思います。
大阪都構想に敗れたとき、大阪市長を勤め上げて政界を引退すると爽やかに述べた橋下徹氏、『永田町病に付き合っている場合ではない』として、大阪、関西に集中するして離党した松井一郎氏、ならば、そんな大仰なことを仰らなくてもとだけ、今は述べておきます。