2016年サッカーJリーグアビスバ福岡の闘いに寄せて。

2016年4月8日

明治安田サッカーJリーグディビジョン1に所属するアビスバ福岡は、昨年J2リーグ戦を3位となり、昇格プレーオフを制して今年J1リーグで闘うことになりました。

 

きさらぎ法律事務所は、今年もアビスバ福岡の法人後援会に登録されています。

 

ホーム自由席券を数枚いただいているので、開幕戦に続いて、福岡市博多区のレベルファイブスタジアムに観戦に参りました。アビスバ福岡は、ここまで4試合を経て、まだ勝ちが無く、最下位となっています。 昨年は、観戦した全試合で負けたことがありませんでした。特にホームレベルファイブスタジアムでは全勝で、公式戦最終戦、そしてJ1への昇格プレーオフが行われたヤンマー長居スタジアムでの試合にも参戦できて、本当にありがたかったです。

 

今年はJ1、厳しい闘いが予想されるので、みんなでチームを後押ししたいと思います。

さて、試合のほうは、なかなか良いゲームだったと思いますが、やはりホームでも、この日もアビスバは勝つことができず、1対0で敗戦となりました。これで開幕から5試合連続勝ちがなく、開幕5戦で勝ち点5以下のチームは、全てその年はJ2へ降格しているとかで、厳しい現実を見せつけられたのでした。

 

でもアビスバ福岡は、川森社長、井原監督のもと、会社、チーム、サポーター一丸となって、諦めず立て直して闘い続けると思います。昨年も、いくつものジンクスを破ってきましたから。井原正巳監督を信じています。 レベルファイブスタジアムは、福岡空港から近いので、私のように県外から観戦に来るファンも少なくありません。

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この日も、試合後福岡空港には、レプリカを着用したまま羽田空港等へ帰る人を目にしました。「お疲れ様。またお会いしましょう」と交わします。 空港は、その所在地の人以外の人々が集まる場所でもあります。かつて上野駅は、東北の玄関、東北の匂いすると言われました。また、『ひかりは西へ』のキャッチフレーズがあった時代には、高度成長期でもあって、太平洋ベルト地帯が注目された印象があります。その点空港は、この場所にいる人が何処へ向かうのか、何処かは来たのかわからないものです。

 

福岡空港を例にすれば、新千歳空港行きの隣の搭乗口が、沖縄那覇空港行きだったりします。 空港の到着ロビーで、出てくる人の手荷物、おみやげ袋を見ると、この人どこから来たのかわかります。昨年は、アビスバ福岡の試合を観戦して帰ってきた羽田空港は、勝利こそがおみやげでした。今年は、まだそんなおみやげを東京に、羽田空港に持ち帰ることができませんが、それこそ『次のおみやげ』だと思って、応援を続けることにいたします。 元サッカー日本代表主将、日本が初めてワールドカップに出場したときの主将が井原正巳氏でした。

 

井原監督、福岡には単身赴任なのだそうです。シーズン中は、ほとんどご家族のもに帰られることがないのではと思われます。西鉄ライオンズ時代から、福岡は、野球ファンが多いと言われます。そのライオンズが福岡を去り、やってきたホークスの監督を務めたのは王貞治氏でした。世界のホームラン王の王貞治氏、福岡ソフトバンクホークスの名誉会長ですが、王貞治氏は、もはや東京ご出身とは思われず、すっかり福岡の人になられた(失礼!)感があります。 昨年この『ひとりごと』では、アビスバ福岡井原正巳監督には、感謝してもしきれないと再三書きました。もちろん『今年』を諦めたわけではありません。

 

この日の試合後井原監督は、負けたけれども選手の健闘を讃え、手応えを感じ、この先もやっていけると述べられました。私は、今年のアビスバ福岡の結果がどうであっても、井原正巳監督に対する感謝の気持ちは変わることはありません。

 

ある意味、毎年J2二桁順位だったこのチームを、初めて監督になられた年にJ1へ昇格させた手腕、そしてそのお人柄は、長く福岡の人たちに、語り継がれると思っています。

 

まさに王貞治氏と同様、多くの福岡市民の心の中で、『福岡の人』になられたと思います。空港から近い場所に居ながら、勝負の世界に身を起き、単身赴任をされていて、東京に帰れない井原正巳監督に感謝の思いを馳せて、福岡空港から帰った次第です。