ヘリコプターで被災地の視察はしないけれども。

2016年4月21日
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熊本地方を襲った地震では、隣県も含めて時間の経過とともに、深刻な被害の状況が明らかになってきています。

避難生活を余儀なくされていることで、心因性の疾患も危惧されることです。人間もそうですが、家畜やペットの状況もたいへん気がかりかと思います。避難所での生活は、当然不自由な面があるかと思います。それなら遠くで心配心配を言っているだけで何かやれるのか、やっているのかと問われれば、自分の無力感を知らしめさせられるだけです。

災害が起きたことは仕方ないと考えて進むしかないでしょう。

でも、こんなときいつも思うことがあります。あるテレビ番組で、冒険家、評論家で、アウトドア愛好家として知られるタレントが、言っていたことでもあります。予想しない自然災害が起きたとき、その対策本部長?には、危機管理とか言うことで、内閣総理大臣をトップとして体制が組まれることには、どうにも違和感があります。かの『会議』の目的は、どうやって現実の被災者を救援し、被災した地域をいかに復興されるかにあるはずです。そこに要求されるのは実務であり、何よりも現場が大事です。


また、アウトドア愛好家ではありませんが、こんなとき日頃自然と触れ合い、自然の脅威と共存をよく知る者において、その経験を生かして提言し、また活動することができないのかと思うのです。このタレントさんも仰っていたらしいですが、避難所と言う箱物に集まり、詰め込まれ、やがてそこで何が不足するとか、何の問題が起きたが繰り返されることが常態です。今回も、既に避難所で亡くなった方がおられるとの情報も出ているようです。

東日本大震災のとき、内閣総理大臣が、ヘリコプターを使って津波の被害を受けた福島第一原発の状況等を視察したことが批判を浴びました。スタンドプレーだとは思いたくありまりせが、ヘリコプターで、首相が眼下を眺めたことで、何か解決してのでしょうか。この後引き続いて起きた原発事故とその対応を徹底的に批判したのは自民党であり、特に現総裁安倍晋三氏でした。原発事故は起こらないと言う触れ込みで、原発を推進してきた事実を論じる暇はあのときはなかったのでしょう。


今回の大地震では、対策本部長?に就任した安倍首相の声、部下現場への発令の有り様が、何回か放映されます。例えば、日暮れまでに救出すべしとか、全ての避難所に物資は送るべしとかです。そんなこと当たり前、誰でも言える、その程度のことをテレビ放映して、被災地は勇気付けられるのでしょうか。それよりも、機動的組織的に動ける体制、現場第一で、切れ目のない対応ができる指揮系統こそ重要ではないでしょうか。

報道されたところでは、1日で被災地に70万食分を届けると決められたようです。

しかし、被災地からは、食べ物が届かない、おにぎり1個だけ、3時間並んで久しぶりに食にありつけた等の声が、この日も放映されていました。70万食を配るのはとても良いことです。ですが、内閣総理大臣、どこをどうやって、どこへ、いつころ届けられのですか?声だけ出していれば物が届くわけではありません。

例のアウトドア愛好家であるタレントさん、阪神淡路大震災から何も学んでいないと批判していました。彼は、東日本大震災の折、キャンピングカーを寄贈したそうです。それは、ハコモノである避難所に詰め込まれている被災者が、普通の生活を送れるようにの思いからだと言うことです。


避難所生活で、健康を害する方が出たのを『二次的被害』なんて言って欲しくないですね。現実の被災の状況をよく知る方々が、目の行き届く場所で、指揮してもらえれば、『被害』は大きくならないとお考えのようです。確かに行政がある程度縦割りとなることは致し方ないところはあります。でも、よくわかっている人に第一線で決定してもらって活動させる、政府、内閣は、その報告を受ける基本的な体制が必要だと思います。


東日本大震災のときのヘリコプター首相を批判しておりながら、既に収録したバラエティ番組を放映させるべきか、また、ある地域の補欠選挙に応援た行くのか、そんな悩ましい状況にある行政のトップのお方に、あまりご負担をかけないほうがよかったでしょう。

危機管理が問題になるとき、なんとなく権限を集中させる動きがあるのは気になります。また、いつぼうで、都内のターミナルで募金活動を行ったある野党の党首が、ついでに?鹿児島県川内原発の停止を訴えているのも何か素直になれませんね。これを機会に…、要は不幸不安が生じたこのときに、の感じを持たれてしまうのではないでしょうか。


要するに、災害が起きたときこそ、行政のトップダウンや権限集中ではなく、また、ここぞとばかりに、『便乗』を疑われるようなことをするではなく、災害救助等に詳しい方々を中心に、現場に目が行き届く体制を組んで、被災された方々の気持ちが素直に理解できる優しい人たちの手にお任せして、被災者救援がなされるべきだと思うのです。

被災地に届くはずの70万食が、結局届けられなかった場合、被災者の落胆は大きいでしょう。また、その約束違反の責は、第一線で活動されている方々に向けられては堪りません。実際翌朝のテレビ場合でも、周囲にビル等が多く見える熊本市内と思われる場所にある学校でも、校庭に机を並べ、物資が届かないことを訴える様子が放映されていました。


「届ける」と言っておきながら届かなかったケースについては、届けなかった現場が悪い、現場の手違いなんて仰るのでしょうか。それにしても、この地震、なおも終息する気配がなく、なんと言ったらよいのか、遠くにいる人間は、ただ「気にしています」と言うしかないもどかしさが続きます。被災された方々、被災地には、心からお見舞い申し上げます。