セクハラ、パワハラになってしまうのはどんなときですか?と質問されることがあります。 法律的な回答としては、その概念は、何々法の第何条に明確に規定しているというものではないので、裁判所の事実認定、判断によるとなるのですが、そんなこと説明しても、意味ありません。ご質問者は、今自分のある言動がそれに当たると指摘されているとか、そう取られるのではないかと感じているから、お困りなのです。そんなとき、私は、その相手からセクハラ、パワハラに当たると思われたならアウトだと申します。後になって裁判所で、そうではないと判断されれば良いというものではありまんね。もちろん、腹いせ、言い訳にこんな言葉を吐くケースも無くはないですが、そんなケースは、私からするとすぐにわかります。 そもそもご質問者自身、そんな濡れ技は、即座に判断できると思われます。 これは予防のお話です。ここで学ぶことは、自分がどんな考えで発言し、行動しても、これを受ける相手の受け取り方次第では、意図したところと違う事態に進むことがありうると言うことことです。 今日は、セクハラ等のお話をするのではありません。 受け手に注意!を喚起したいわけでもありません。熊本地震が発生した直後から、気になることがあるので、これを書きます。報道で知る限りの事実に基づく私の思いであり、私自身、今回の震災で被災された方々に対して、何もお力になっていない立場での発言ですから、ご不快な方もおられると思います。その場合、どうぞ無視されるようお願いいたします。 被災地の状況を報道するマスコミ関係者の配慮の欠く行為が批判されていました。ある地方のテレビ局の中継車が、ガソリンスタンドに並ぶ車列に割り込んで給油したことが問題となり、局が謝罪しました。刻一刻と移る被災地の状況を、時をおかず国民に知らせたいの思いがあっての行動だったとしても、被災して、車が生命線の皆様からすると、そもそも横入り自体がルールに違反しているうえ、今まさにこの局が見ている被災者の置かれた状況を無視した行動で、批判は免れないでしょう。 また、あるテレビ局のアナウンサーが、被災地から、飲まず食わずの報道を続けてようやくこの日初めての食事にありつけたところを写真に撮って「現地では、なかなか食料が手に入りにくい」とツイートしたことが、大きな批判を浴びていました。 被災地では、まともに食料が行き届かない状況もある中で、不謹慎だと言うものです。確かにマスコミの使命は、国民の知る権利に奉仕することで、朝から晩まで取材等を続けて、局が用意した弁当をようやく食べられる時間帯になったのは相当遅くだったとしても、「70万食を本日中に届ける!」との一声があったにも関わらず、現に食事を満足にいただけない被災者がおられる現地での発信としては、配慮を欠く行為だと思います。 ここに挙げた2例は、マスコミの使命の観点から、特に批判されても仕方ない行動だと理解します。ですから、広く全国各地から、批判の声が殺到するのはわかります。ただ、『不謹慎』なる言葉が、日を追うごとにひとり歩きしているように感じられ、とても気になるのです。これは、タレントのそれ自体なんでもない普通の行動を不謹慎!と言うところから始まります。ある女優が、先輩とともに撮った笑顔の写真を掲載したところ、『不謹慎!』とされました。「テレビニュース見てますか」「タイミング悪すぎ」と。 被災地のことを慮ってツイート等したタレントが、『不謹慎!』とバッシングを受ける例が指摘されています。 九州出身のタレントが、非常時の必要品等を掲載し、自らの写真を添えて『がんばろう』とやったところ、写真は不要とか自己アピールだとが批判された末、『不謹慎!』となりました。さらに被災者からの発信に対しても、批判がなされたそうです。実家倒壊等の被害を受けて避難生活をしている女優さんが、被害の情報等を発信していたところ、愚痴るな!被災したのはお前だけではないとか、可哀想アピールがイラつく等の批判が寄せられたと言うのです。いずれもこの方々、『謝罪』したうえ発信を停止したのでした。 これら報道を知った多くの心ある方々は、「なんてこと言うんだ」と憤然とされたと思われます。それはそうです。ただ、私は、この普通のことをした人、善意の人、また被災した人を不謹慎とかパッシングした人たちは、おそらく被災者ではないと思うのです。被災された方々は、そんなこと‼︎意見できる心理的物理的状況にあるとは思えないのです。今、とてつもない不安と不便、苦しみの中、もういっぱいいっぱい、どうしたらよいかわからない、明日どうなるかわからない、そんな状況のときに、いちいちツイートとかを見て、その投稿者なりに、被災地を知らないとして、『不謹慎』を浴びせられるのかと言うことです。 この『不謹慎』の声が出回ることは、自己の意見を押し通す、何か大義名分を縦に、上から押さえつける姿勢が見て取れます。単に独善的だで済ませて、相手にしなければまだ深刻な事態には進まないと考えます。 気になるのは、戦時下で、何か意見を発すると、『非国民』とされた風潮と、なんかオーバーラップしてしまうことです。危機感を煽って、我が意思を押し通す、みんながそうでなければならない、やがて声が出なくなると言う恐ろしい連鎖です。 私が今日最初に言ったのは、相手がそのように感じるなら、止めたほうがよいと言うことでした。この例は、結果被害者対加害者の構図になるからです。しかし、熊本地震に見られる不謹慎の声は、誰が挙げているのかと言うことであります。ここには、被害者対加害者の構図はありません。 なんの関係もない、それこそ被災者のことを真剣に考えてもいない人たちが、クレーマーあるいは暇つぶしかどうかわかりまけんが、『不謹慎!』を錦の御旗に騒いでいるのだと思うのです。そんな声に従う必要はないことを申し上げて、この話題を閉めます。