福本悟がいちばん落ち着かないのが7月1日から15日までです。

2016年7月11日
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7月になると、落ち着かなくなります。それは、『博多祇園山笠』が始まるからです。

 

博多祇園山笠、通称山笠、博多の人は、山とも言いますが、7月1日から15日の早朝まで行われます。きさらぎ法律事務所の旧ホームページ『よかとこ九州』でも、繰り返し取り上げてきましたので、その謂れ、歴史、意義等は、ここでは繰り返しいたしません。福岡の人間ではない私なんかが完全にハマるのですから、博多っ子は、たまらないですね。 山笠は、博多の総鎮守櫛田神社への奉納の神事とされます。

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もともとは、700年以上も前の鎌倉時代、博多の町に疫病が流行ったとき、現在の中国から来た承天寺のご住職聖一国師が、施餓鬼棚と言われる木箱に乗って、町中に清めの水を撒いたのが起源とされています。その後戦国時代、荒廃した博多の町を豊臣秀吉が、『太閤の博多町割り』により、各地域ごとにグループ化して復興に努め、それが現在の『流』となり、現在の7つ残る流れに繋がりました。

 

もともとは、京都の祇園祭のような豪華絢爛な飾り物を、各町ごと、つまり流ごとに造って、練り歩く慣わしだったところ、江戸時代に、土居流が東建寺で休憩中、恵比須流に追い越された事件が起こり、飾り物を担いで抜きつ抜かれつの『レース』が繰り広げられたのでした。この『事件』には伏線があって、それまで嫁取りは、流れ中での仕来りがあったところ、片方の流れの女性が、他方の流れの男性の元に嫁いだこと、この女性がべっぴんさんであったこと、これを妬んだ?奪われた側の流れが、夫を連れて里帰りしたときに嫌がらせをしたとか、果ては仕返しをしたとかで、この両流れ、ビリビリした空気があって、先の抜きつ抜かれつに至ったと言われているのです。

 

これが飾り物を担いで走るきっかけとなったわけですが、明治になり、博多の町にも路面電車が登場しました。すると飾り物が、その電線を切断する事故が相次ぎ、一部山笠を廃止するとの意見も出されました。

 

 

ここで伝統文化の山笠を残すため、大きな飾り物を展示する『飾り山』と、いくらか小型の飾り物を担いで町中を走って時間を競う『舁き山』に分かれて、現在の『博多祇園山笠』となったのです。東流、中洲流、西流、千代流、恵比須流、土居流、大黒流の7つの流が存在します。 櫛田神社への奉納と言う、いわば神仏混合の祭りとなったのは、流の中に居た櫛田神社の氏子たちが、祇園祭の山車から飾り物を生み出し、ここから櫛田神社への奉納行事として定着したと言うのが通説です。櫛田神社への奉納と言う面から、山笠には幾つか決まりがあります。

 

その中でも絶対に守られているのは、『山笠期間中は、キュウリを食べない』が存在します。それはキュウリの切り口が、櫛田神社の祇園宮の神紋に似ているからなのです。そして、山笠が、勇ましい男の行事、その歴史の中では、先の男のプライドをかけた抜きつ抜かれつもあったことから、山笠期間は、女人禁制であります。夫婦は、枕を共にしないとも言われているのです。

 

7月1日になると、福岡市内の彼方此方に、飾り山が登場します。福岡と博多の違い、その歴史についても、これまでこの『ひとりごと』で書いてきました。那珂川を挟んで東側の博多の伝統行事だった山笠、飾り山は、福岡地区にも登場しています。市内天神には複数の飾り山があり、福岡ドーム前にも出ています。中央区天神の『新天町』地区では、子ども山笠も行われています。

 

そして舁き山、すなわちヤマが動き出すのは10日以降です。最初は、各流れの中を担いで走る『流れ舁き』です。そして12日は、前哨戦となる『追い山ならし』、13日は、唯一山が、博多地区から福岡地区に入る『集団山見せ』、そして14日は、クライマックスへのリハーサルを兼ねた『流れ舁き』が夕方から行われて、いよいよ15日朝4時59分に、今年の一番山が櫛田入りして、フィナーレの『追い山』が行われるのです。 追い山は、各流れが、櫛田神社の清道から、廻り止と言われる須崎町までの約5キロを、高さ4.5メートル重さ1トンはある山を担いで走ってタイムを競い合う行事です。

 

だいたい32分くらいから36分くらいからかかります。朝4時59分に今年の一番山が櫛田入りして清道を回ったところで、祝いめでたを唄うので、5時より1分前にスタートするのです。各流れが5分間隔でスタートし、追い越し禁止です。 よく言われるのは、㈰なんで朝4時59分にやるのか㈪なんであんな重いもの持つのか㈫なんであんなもの担いで走るのか㈬なんでそうまでして見たいのかの疑問です。

 

これは、『山のぼせ』の人には説明無用、山があるけん博多たい!で終わるのですが、なんで私なんか無関係な者まで、ハマるのでしょうか。これは、単なるバカとしか言いようがないのかもしれません。今年も7月15日朝4時59分に、博多の街に私は居るはずです。そして、よかヤマやったとそれぞれに語り合って、また来年の山笠での再会を約するのです。 博多祇園山笠、いよいよクライマックスを迎えます。