リオデジャネイロオリンピックも後半戦、オリンピックの話題がない日はない日本列島です。 この大会では、日本初とか何十年ぶりの快挙等讃えられる結果が表れていて、日本人選手の頑張りには、拍手を贈りたいです。いっぼうで、オリンピック精神に悖ると指摘されるケースも出ていて、時は8月、考えさせられるものがありました。 柔道男子100㎏超で、対戦相手となったイスラエルの選手との試合後の握手を、エジプトの選手が拒否し、礼もぜず立ち去ったことが報じられています。エジプトとイスラエル、アラブ問題等で対立が深く、エジプト国内では、対戦相手が決まった段階で、そもそも試合出場を拒否すべきだとの声もあったようです。エジプトと言えば、ロサンゼルスオリンピックの決勝戦、山下泰裕選手が痛めた箇所をわざと外して、すぐに抑え込まれて銀メダルとなったラシュワン選手のスポーツマンシップが思い出されます。 この大会のエジプト選手に対しては、IOC国際オリンピック委員会の規律委員会が、このような行為は、オリンピックの価値を具体化するフェアプレー規範と友好精神に反するとして厳重注意をしました。そしてエジプトオリンピック委員会に対して、五輪価値観の適切な指導をするよう求めたとのことで、結果この選手は、本国に帰国処分になったと伝えられています。アラブ問題は、政治的に深いものがありますが、確かに選手個人があのような態度を執るのは衝撃でした。 かつて冷戦時代、アフガニスタンへの旧ソ連の侵攻を理由に、いわゆる西側諸国がモスクワオリンピックをボイコットしました。そして4年後のロサンゼルスオリンピックは、東側諸国がボイコットしました。古くはヒトラーが利用したベルリンオリンピックもありました。ただあのころは、国家対国家の感はあったのでした。 いっぼうで、リオデジャネイロオリンピックでは、『難民団』の選手たちが出場しました。かつての祖国に帰れず、難民として他国で暮らしながらスポーツに勤しみ、祖国への思いを馳せて競技する、辛く悲しいことですが、このような形での参加が可能となり、素晴らしいです。柔道女子では、国として初めてオリンピックに参加したコソボの選手が、金メダル候補の日本人選手を破って優勝しました。 コソボ地区は、旧ユーゴスラビアに属し、これが崩壊後は、セルビアとなったもののコソボ紛争が継続し、IOCからは、独立したオリンピック委員会としては承認されておらず、コソボの選手は、セルビアもしくはアルバニアのオリンピック委員会に属して出場するしかありませんでした。コソボは国連加盟国ではありませんが、『祖国』代表として出場を希望する選手たちの願いが叶い、2014年にコソボオリンピック委員会が承認され、こうしてリオデジャネイロオリンピックに初参加が認めれたのです。柔道52㎏級の世界王者ケルメンティ選手は、コソボ初の金メダルを手にしました。 国際紛争とオリンピック、日本では考えられない実情です。国内では内戦が続いている国から参加した選手も、数多くおられます。そんな現実を見ると、言っておきたいことがあります。メダル獲得に水を差すとか、一生懸命頑張った選手に失礼の批判はあると思います。この件に関しては、別の観点から、あるご老体が批判されているようです。それは、卓球個人銅メダルを獲得した日本人選手の行動についてです。 あるテレビ番組に、レギュラーとして出演している元プロ野球OBのご老体?が、この日本人選手が試合に勝利して、歴史的な銅メダルが決まった際、ガッツポーズをしたのに対して苦言を呈しました。曰く、手は肩から上に上げたらダメ、やっつけたというような態度をとったらダメ、この国は礼に始まり礼に終わる、スポーツとはそういうものと『喝!』を入れたのです。スポーツをやらない私は、肩から上か下かがそんなに大切なことなのか、礼を失したかどうかはよくわかりません。 私がとても気になったのは、この日本人選手の喜びの声でした。そして、このご老体?の『喝!』に対する理解を求めるつもりだったのか、その後の発言に、さらに違和感疑問を持ちました。 この日本人選手、銅メダルが決まってガッツポーズの後、感想を聞かれてこう言われました。夢が叶えられて嬉しいの後、「今日負けたら一生後悔すると思うし、本当に死にたくなると思うので、絶対に負けないと言う気持ちで頑張りました」。これ聞いてどう思われましたか?喜びや祝福の気持ちを持ち続けられましたか?死にたくないのは当たり前、でも避けられない運命に委ねるしかない人も、最後のオリンピックを見ているかもしれません。 また、コソボ紛争を言うまでもなく、競技を続ける過程で、見たくないものを見て、人には言えない経験をした選手もいたでしょう。死なんて言葉をアスリートが使うのは、相当に違和感があります。 さらに続きます。例のご老体の発言は、「話題になっているので当然知っている」とした上で、男子団体戦も決勝進出したことを喜び、転んでガッツポーズした後、こんなことを言われました。「ガッツポーズは、遊びじゃなくて命を懸けているので喜びが自然に出る。相手も命をけけてくる。戦場ですからね。」と。 あるスポーツ新聞紙、この発言の見出しに、『戦場なので理解求める』と出しました。ここまで言われるのですから、失言とかはしゃぎ過ぎ、若気の至りではありませんね。 リオデジャネイロオリンピックに参加した選手の中に、実際戦場を経験した方がいるかどうかは知りません。『戦場ですから』って、戦場を知っているのですか。知ったような口を利くなと言いたいです。スポーツ選手、特にオリンピック選手が全員、対戦に命を懸けているかどうかは私にはわかりません。先のコソボの選手や難民選手団を気遣えば、絶対に出てこない言葉です。日本人が戦場を知ってるの?簡単に、軽々しく口に出せるのと、国際社会では不思議かられないでしょうか。 二度にわたってこんな発言が、『勝者』から出たのですから、卓球協会も日本オリンピック協会も指導にはおよばないとの考えでしょう。『老害』について国内ではネット上で語られていますが、『死にたくなる』『戦場ですから』『命を懸けてくる』に関しては、だれも、どこからも問題視されていないようです。奇しくも8月15日、これこそが日本国民の平和ボケかもしれないと、あるいはこちらも『老害』と言われれるかもしれない平和を愛し、命を対決にしたい人間のひとりごとであります。