江戸時代が260年以上続いた理由を考えてみませんか?

2016年8月23日
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最近昔を懐かしむ声が聞かれます。昔っていつ?

 

ひとつは江戸時代、徳川幕府の時代を見直そうという声です。

 

倒幕とか維新と言う用語がまことしやかに世の主流になり、なんか徳川幕府は悪者、無能力の代表のような伝われ方がしています。確かに『偉人』として徳川歴代将軍や幕臣が、あまり紹介されることはありませんね。

 

ふたつめ、こちらは、この先いくらでもお話しする機会があると思われるので、今日は止めておきます。 NHK大河ドラマ『真田丸』では、これまでの徳川家康のキャラとは一味違う内野聖陽さんの名演技が引き立つ家康ですが、これも名優近藤正臣さん演じる生涯の友本多正信に乗せられるまま、いよいよ天下取りの野望を持ち、これを着々と実践しようとするところです。

 

このとおり後に神となった東照大権現神君家康公、決して焦らず慌てず時を待ち、大器晩成型の成功者として、後の世の手本となりました。中高の歴史の教科書には、3代家光、5代綱吉、8代吉宗と、最後の将軍慶喜あたりは出てきます。

 

でも、家康ほどインパクトはないと思いますし、何か成した人物として、紹介されているとは思えません。 でも、なんで徳川幕府は、270間近く続いたのでょう。確かに鎖国をし、士農工商の社会で宗門を設け、他国他地域との接触、軋轢を生まなかったことも、争いが起きなかった一因でしょう。太平の眠りを覚ます蒸気船と言れた黒船来航により、慌てふためいて吸引力を失い、以来約15年、世の中は落ち着きませんでした。

 

この部分だけ捉えれば、だらしない幕府には、国のかじとりをさせておくことはできないとして、倒幕運動に立ち上がる志士が、もてはやされます。 もちろん黒船なんか来なければ、アンラッキーだったのだでは済まされないです。

 

客観的事実として、西欧諸国アメリカ等は、民主主義が徹底されていたとまでは言えないとしても、幕末維新のころ、幕府を含む各藩が、そして新政府が、有望な若い人材を、世界各国に留学させていることは、やはり太平の眠りから覚めたと言えるでしょう。眠っていたのは徳川幕府? 1600年の関ヶ原の戦いの後、大坂冬の陣夏の陣はありましたが、これはおそらく大阪側を含めて、徳川方に勝利するのは困難とわかっていたと思います。

 

あの淀殿にしても、誇りを守るため、馳せ参じた浪人たちも、死に場所や名誉を求めて戦ったのだと考えられます。そして倒幕明治維新になり、西南戦争まで、大きな内乱はありませんでした。ところが、明治維新後、日本は昭和20年まで、戦火が絶えることはありませんでした。ただし、太平洋戦争、すなわち一部の人たちが大東亜戦争と言う戦争に至るまでは、『国外』が戦場であり、日本が戦争に負けることはないと信じられていたのです。

 

江戸時代がなぜ『平和』だったのか、戦乱はなく、徳川幕府が続いたのか、最近いろいろ見解か発表されています。私は、徳川家康と言う晩年に花咲かせた天才?が、国は弱くても、人々は貧しくても、頭は悪くても、まあ、人生こんなもんだと思ってしまうような社会を構築したからだと考えております。

 

それはキリシタン禁止ーーこれが鎖国に繋がるーー士農工商、一国一城、武家諸法度、参勤交代、御三家等の仕組みにより、国内に徳川幕府、つまり現在の統治システムに刃向かうことができない仕組みを作ったこと、徳川家は、400万石の大名、金持ちであり、譜代の藩ですら数十万石しか与えず、万一直系が途絶えても、御三家から将軍が出るよう結束させました。庶民のほうも、今の生活より下になることはないと信じ、また、武士はやることがなく、争いがないので会議も緊張感なく、何も決まらず、官僚的な出世、やがて事なかれ主義となり、なんかのんびりムードが蔓延していたという解釈です。

 

鎖国があったとは言え、信長秀吉のころのスペインやポルトガルは衰退し、これに代わったオランダも衰える中、幕府と貿易による交流を持っていて、いくらかヨーローバ諸国への防波堤にはなっていたでしょう。イギリスが力を持ち、やがてアメリカも建国されますが、国内の民主化?で、このころはいっぱいいっぱい、とても極東の端の小さな国なんて、かまっている場合ではなかったでしょう。 確かに国内に争いがなく、海外を知らず、どことも交流せず、どこからも接触がなければ争いもないので、進歩はなくても平和だったと言えます。

 

立身出世物語はあり得ず、何も変わらぬ、ある意味希望はないが、失うものもない生活があったのです。何か希望し、何かを誰かが求めると、確かに他者との軋轢を生み、争い事は、ときに戦争になるかもしれません。希望がない、天下万民今の生活から抜け出せないが、今の生活は保障されるって時代だったのです。

 

明治維新後、この国は大きく変わりました。維新を成し遂げたとされる薩長藩閥体制ができ、形の上では大日本帝國憲法があり、議会もありました。でも、統帥権の独立を縦に、文民統制なんてあり得ず、軍部が独走暴走して、やがて国土が焦土化して、終戦となりました。明治維新を成し遂げた志士たちの末裔、特に山口県出身者は、総理大臣はもとより、内閣各部署に大臣を輩出しておりました。

 

維新後、政権の中心を担った旧薩長、特に山口県出身者が戦争を止められず、かつては賊軍と言われた甲信越、東北地方出身者らの多くが、アメリカ相手の戦争には反対していたことは、歴史の矛盾かもしれません。 江戸時代、あのころに戻せとは、言いません。でも、少し参考になる事柄はあると思います。鎖国により、他国との軋轢はありませんでした。もし、今日本を取り巻く国々が、軍事力をチラつかせて力を誇示してきたらどうするか、鎖国ではありませんが、そんなもの、相手をしなければ良いのです。

 

だって良きに悪しきに、日本は核の傘に入っていて、安全だと言うのが政府の立場ですから。こちらから何かする必要はないです。そして国内に目を向ければ、確かに生活が良くなったとの実感はありません。でも、こんな生活でも安定して守られれば良いとも思えます。

 

何も強く!とか前え!なんて言ったところで、ごく一部の金持ちにしか、恩恵無いですから。この点江戸時代は、富みを保有する徳川幕府、自分の味方である譜代、旗本御家人に、金をばら撒くことはあません。誰がそう言ったかは別として、『経団連』って強いですね~。この団体が物申すことは、ほとんど政策実現していますよ。ただ、参議院議員選挙があったので、2025年までに消費税を25%にする前提である10%への移行、諦めましたが、租税特別措置が88もあるので、まあ約束?は、守られていますが。

 

ある意味徳川幕府は、どん底を作らない、最低限度の生活はできていた、士農工商は不平等なのに、これが確立した庶民の間では、『格差』を感じることはなかったのではないでしょうか。正論としてはおかしいですが。

 

慣れって恐ろしいです。幕末の志士たちは、格差是正とか富の分配を求めて、倒幕に動いたわけではないでしょう。格差が固定されてしまう社会であれば、せめて今よりマイナスにならないよう、現代の政治には、期待したいです。

 

徳川家康が築いた幕府、これを徳を失ったとして批判し、弟子たちを駆り立てたのは、長州藩の思想家吉田松陰です。安倍晋三内閣総理大臣が尊敬して止まない松陰先生、現在の日本をどのようにご覧になっているでしょうか。