江戸時代が260年以上続いた理由を考えてみませんか?

2016年8月23日
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最近昔を懐かしむ声が聞かれます。昔っていつ?

 

ひとつは江戸時代、徳川幕府の時代を見直そうという声です。

 

倒幕とか維新と言う用語がまことしやかに世の主流になり、なんか徳川幕府は悪者、無能力の代表のような伝われ方がしています。確かに『偉人』として徳川歴代将軍や幕臣が、あまり紹介されることはありませんね。

 

ふたつめ、こちらは、この先いくらでもお話しする機会があると思われるので、今日は止めておきます。 NHK大河ドラマ『真田丸』では、これまでの徳川家康のキャラとは一味違う内野聖陽さんの名演技が引き立つ家康ですが、これも名優近藤正臣さん演じる生涯の友本多正信に乗せられるまま、いよいよ天下取りの野望を持ち、これを着々と実践しようとするところです。

 

このとおり後に神となった東照大権現神君家康公、決して焦らず慌てず時を待ち、大器晩成型の成功者として、後の世の手本となりました。中高の歴史の教科書には、3代家光、5代綱吉、8代吉宗と、最後の将軍慶喜あたりは出てきます。

 

でも、家康ほどインパクトはないと思いますし、何か成した人物として、紹介されているとは思えません。 でも、なんで徳川幕府は、270間近く続いたのでょう。確かに鎖国をし、士農工商の社会で宗門を設け、他国他地域との接触、軋轢を生まなかったことも、争いが起きなかった一因でしょう。太平の眠りを覚ます蒸気船と言れた黒船来航により、慌てふためいて吸引力を失い、以来約15年、世の中は落ち着きませんでした。

 

この部分だけ捉えれば、だらしない幕府には、国のかじとりをさせておくことはできないとして、倒幕運動に立ち上がる志士が、もてはやされます。 もちろん黒船なんか来なければ、アンラッキーだったのだでは済まされないです。

 

客観的事実として、西欧諸国アメリカ等は、民主主義が徹底されていたとまでは言えないとしても、幕末維新のころ、幕府を含む各藩が、そして新政府が、有望な若い人材を、世界各国に留学させていることは、やはり太平の眠りから覚めたと言えるでしょう。眠っていたのは徳川幕府? 1600年の関ヶ原の戦いの後、大坂冬の陣夏の陣はありましたが、これはおそらく大阪側を含めて、徳川方に勝利するのは困難とわかっていたと思います。

 

あの淀殿にしても、誇りを守るため、馳せ参じた浪人たちも、死に場所や名誉を求めて戦ったのだと考えられます。そして倒幕明治維新になり、西南戦争まで、大きな内乱はありませんでした。ところが、明治維新後、日本は昭和20年まで、戦火が絶えることはありませんでした。ただし、太平洋戦争、すなわち一部の人たちが大東亜戦争と言う戦争に至るまでは、『国外』が戦場であり、日本が戦争に負けることはないと信じられていたのです。

 

江戸時代がなぜ『平和』だったのか、戦乱はなく、徳川幕府が続いたのか、最近いろいろ見解か発表されています。私は、徳川家康と言う晩年に花咲かせた天才?が、国は弱くても、人々は貧しくても、頭は悪くても、まあ、人生こんなもんだと思ってしまうような社会を構築したからだと考えております。

 

それはキリシタン禁止ーーこれが鎖国に繋がるーー士農工商、一国一城、武家諸法度、参勤交代、御三家等の仕組みにより、国内に徳川幕府、つまり現在の統治システムに刃向かうことができない仕組みを作ったこと、徳川家は、400万石の大名、金持ちであり、譜代の藩ですら数十万石しか与えず、万一直系が途絶えても、御三家から将軍が出るよう結束させました。庶民のほうも、今の生活より下になることはないと信じ、また、武士はやることがなく、争いがないので会議も緊張感なく、何も決まらず、官僚的な出世、やがて事なかれ主義となり、なんかのんびりムードが蔓延していたという解釈です。

 

鎖国があったとは言え、信長秀吉のころのスペインやポルトガルは衰退し、これに代わったオランダも衰える中、幕府と貿易による交流を持っていて、いくらかヨーローバ諸国への防波堤にはなっていたでしょう。イギリスが力を持ち、やがてアメリカも建国されますが、国内の民主化?で、このころはいっぱいいっぱい、とても極東の端の小さな国なんて、かまっている場合ではなかったでしょう。 確かに国内に争いがなく、海外を知らず、どことも交流せず、どこからも接触がなければ争いもないので、進歩はなくても平和だったと言えます。

 

立身出世物語はあり得ず、何も変わらぬ、ある意味希望はないが、失うものもない生活があったのです。何か希望し、何かを誰かが求めると、確かに他者との軋轢を生み、争い事は、ときに戦争になるかもしれません。希望がない、天下万民今の生活から抜け出せないが、今の生活は保障されるって時代だったのです。

 

明治維新後、この国は大きく変わりました。維新を成し遂げたとされる薩長藩閥体制ができ、形の上では大日本帝國憲法があり、議会もありました。でも、統帥権の独立を縦に、文民統制なんてあり得ず、軍部が独走暴走して、やがて国土が焦土化して、終戦となりました。明治維新を成し遂げた志士たちの末裔、特に山口県出身者は、総理大臣はもとより、内閣各部署に大臣を輩出しておりました。

 

維新後、政権の中心を担った旧薩長、特に山口県出身者が戦争を止められず、かつては賊軍と言われた甲信越、東北地方出身者らの多くが、アメリカ相手の戦争には反対していたことは、歴史の矛盾かもしれません。 江戸時代、あのころに戻せとは、言いません。でも、少し参考になる事柄はあると思います。鎖国により、他国との軋轢はありませんでした。もし、今日本を取り巻く国々が、軍事力をチラつかせて力を誇示してきたらどうするか、鎖国ではありませんが、そんなもの、相手をしなければ良いのです。

 

だって良きに悪しきに、日本は核の傘に入っていて、安全だと言うのが政府の立場ですから。こちらから何かする必要はないです。そして国内に目を向ければ、確かに生活が良くなったとの実感はありません。でも、こんな生活でも安定して守られれば良いとも思えます。

 

何も強く!とか前え!なんて言ったところで、ごく一部の金持ちにしか、恩恵無いですから。この点江戸時代は、富みを保有する徳川幕府、自分の味方である譜代、旗本御家人に、金をばら撒くことはあません。誰がそう言ったかは別として、『経団連』って強いですね~。この団体が物申すことは、ほとんど政策実現していますよ。ただ、参議院議員選挙があったので、2025年までに消費税を25%にする前提である10%への移行、諦めましたが、租税特別措置が88もあるので、まあ約束?は、守られていますが。

 

ある意味徳川幕府は、どん底を作らない、最低限度の生活はできていた、士農工商は不平等なのに、これが確立した庶民の間では、『格差』を感じることはなかったのではないでしょうか。正論としてはおかしいですが。

 

慣れって恐ろしいです。幕末の志士たちは、格差是正とか富の分配を求めて、倒幕に動いたわけではないでしょう。格差が固定されてしまう社会であれば、せめて今よりマイナスにならないよう、現代の政治には、期待したいです。

 

徳川家康が築いた幕府、これを徳を失ったとして批判し、弟子たちを駆り立てたのは、長州藩の思想家吉田松陰です。安倍晋三内閣総理大臣が尊敬して止まない松陰先生、現在の日本をどのようにご覧になっているでしょうか。

 

房総特急『しおさい号』の車内から、『潮騒』を思い出した福本悟のひとりごとです。

2016年8月22日
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今日は、東京駅から房総特急『しおさい号』に乗車しました。

 

このところ東京駅から乗車する機会があるのですが、新幹線ホームと異なり、地下ホームは、さほど混雑していません。こちらは総武横須賀線ホーム、朝夕の通勤ラッシュが混雑する時間帯だと思います。30分に一本発車する『成田エクスプレス』に乗車する人は、大きな荷物を持っておられます。

 

この時期、海がある房総方面には、家族連れの姿が多く見られます。 特急『しおさい』は、東京駅と総武本線銚子駅を結ぶ特急です。『しおさい』が登場したのは昭和50年3月、総武本線が全線電化されたときです。

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もともと房総方面の観光は、海沿いを結ぶ内房線と外房線に集中しており、総武本線は、県庁所在地の千葉と、佐倉、八街、成東、八日市場や銚子といった都市間を結ぶ役割を果たしていて、東京から直行する機会は、他の路線に比べて少ないと言われました。昔鉄道少年だった私は、蒸気機関車を追いかけ、東京両国駅から『急行犬吠』なる気動車に乗車して、千葉の先佐倉機関区や、成東方面に出向いたことがありました。

 

それが電化とともに特急列車が投入されたのは、総武本線が、房総地区唯一の『本線』を名乗っていることが理由だと聞いたことがあります。東京駅から千葉駅を起点とする優等列車を走らせて、需要の掘り起こしをするには、地区を束ねる『本線』を試すのが相応しいとされたのだそうです。 今日のしおさいは、夏休みでもあり、グリーン車を含めた9両編成で運行されていますが、ガラガラですね。もともとは6両編成で、しばらくはグリーンはなく、この車両を使って、ホームライナーが走っていました。今では佐倉と八日市場の裁判所に行くときには、これを利用します。

 

特に八日市場の行き来は、裁判所に頼み込んで、しおさいの発着時刻に合わせて、時間を指定してもらったことが思い出されます。昨年8月東京駅から外房線の特急『わかしお』に乗車しましたが、明らかにあちらの方が混雑していました。やはり海の魅力が強いのでしょうか。 『しおさい』を漢字にすると『潮騒』ですが、その意味は、海が満ちる時の波の音を言います。昔銚子商業高等学校が、甲子園を沸かしていたころ、その校歌が評判になりました。

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もともとは長い校歌らしいのですが、甲子園では、『幾千年の昔より、海と陸との戦いの激しきさまをつつげつつ、犬吠崎は見よ立てり』でした。 犬吠崎は、初日の出の名所です。この時期台風情報で、犬吠崎の北東何キロメートルなんてよくニュースになります。東京湾に面した内房、砂浜が多い外房、これらの海岸と犬吠崎の勇ましいさまは、なんか違うのでしょうね。地球規模の満ち引き、荒々しい波の音、そこに都心から向かう列車は、『しおさい』が似合うのでしょう。

 

『潮騒』と書くと、古い人間は別のことを思い出すかもしれません。三島由紀夫氏の名作であり、繰り返し映画化された小説潮騒です。昔は吉永小百合さんと浜田光夫さん、私の世代は三浦友和さんと山口百恵さんですね。三重県の鳥羽にある神島をモデルにした古き良き日本の青春、恋愛物語です。日頃、あるジャンルの法的問題ばかりーーだけではありませんが、ーー扱っていると、甘酸っぱい香りとはこんなことかな?と想像したくもなります。

 

今、この『しおさい号』に乗車している人のうちどれくらいの方が、三島由紀夫氏を、潮騒を知っているのかなと考えながら、巨大マンションが並ぶ街々を眺めています。 『さざなみ』『わかしお』は、休日やシーズンには、新宿駅からも出ています。『しおさい』は、平成27年からは、全列車が東京駅発着となりました。

 

それは房総特急の歴史が、東京駅から千葉駅を経て試行された原点に復帰した感がします。特急さざなみとわかしおが、京葉線が開通して千葉駅を通らなくなったこともあり、今ではほぼ2時間間隔で運行されるしおさい号は、東京駅と千葉駅間のビジネスマンに、多く利用されていると聞きます。

 

総武本線を成田エクスプレスの間を抜けるようにして走る特急しおさい号、蒸気機関車を追った鉄道少年のころを思い出しながら、涼しい車内で寛いでおります。もっと利用する人があると良いですね。

 

トリプル台風がやって来た今年8月の暑い日のひとりごとです。

2016年8月21日
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お盆が明けた週末、日本列島の南にあった熱帯低気圧が台風となって、次々に日本列島に接てくる気配となりました。

 

熱帯低気圧は、台風の卵とも言われ、例年だとこの時期太平洋高気圧が、日本列島の近くまで張り出ているので、南の海上で発生した熱帯低気圧は、これを避けるように迂回して、あまり列島、特に関東から北の方向には近づかないのに、今年はちょっと違った気圧の配置になっていることが、台風のコース取りを、例年と変えさせているようです。 関東で生活する私は、子どものころ、台風は9月のイメージがありました。

 

それは暑い夏、太平洋高気圧が日本列島付近で強さを発揮しているため、台風は、ここを避けるように東シナ海や、中国大陸から朝鮮半島を経由する大回りがほとんどだからと、大人になって知りました。それが今年に関しては、高気圧は、日本からはるか離れた東海上で強いために、熱帯低気圧は、この縁に沿うように進んでやがて台風となっていきます。

 

天気図に示されたところでは、今年高気圧が強い場所は、日本のはるか南東の地域、そして東シナ海から朝鮮半島あたりで、反対に気圧の低いところ、気圧の谷なっているのが、まさに例年太平洋高気圧が張り出ていた日本列島近くであることが、台風の動きを、北日本に向けている原因なのだそうです。

 

そして土曜日20日夜になり、日本の南、関東の下あたりにいた台風の卵は、台風9号~11号となって、このうち9号と11号は、北日本、特に北海道に向かうことが予想されているのです。先日台風7号が上陸した北海道では、その後も前線の停滞と台風からの湿った空気の影響で、断続的な大雨が振り続いておりました。道東北見市の常呂川が氾濫して床上浸水した家の姿、美瑛町天人峡へ向かう道路が、土砂が崩れて寸断された姿は、これが北海道?と驚くばかりです。

 

8月1ヶ月間の降水量を、わずか1時間で記録してしまった地域がいくつもあるようです。それが今度は、台風が通過するとは。 遅く台風になったのに、一番早く日本列島にに近づく台風11号は、台風7号と同じようなコース取りをとって、北海道に上陸することが確実です。この台風の関係でさらに北海道は150㎜の雨量となる見込みだそうです。 関東の下にある台風9号もまた、関東地方に上陸した後、11号を追うように、日本列島を北進して、これまた北海道にも上陸する気配です。

 

いっぼうで、台風10号は、これまた気圧の谷場にはまって、こちらは西方向に進むという、台風の進路としては逆ではないかと思えるほど、際立ったコース取りをします。これらは全て太平洋高気圧位置、影響とされます。 そして台風の進路にならない西日本地方は、連日猛暑日です。暑いのに参ってしまうとしても、台風のほうが慣れていて良いなんて言えないはずです。台風9号は、まず関東地方を来ますので、関東甲信越地方の雨量は400㎜なんて予想されています。しかしこの台風は、その後北海道に来ますから、台風11号が去ったにも関わらず、さらに150㎜くらいの降雨量となり、トリプル台風の影響は、大きいのではないかと案じられます。

 

土地の高さが低い場所でなくても、北海道で雨のために避難してきた人は1800人程度いらっしゃると報道されています。熊本を襲う地震、北海道を襲う台風、いずれもこれまで縁遠く感じていた自然の勢い、被害が少ないことを希望するものです。 台風9号は、首都圏を通過する可能性が高いです。

 

今から通勤通学への影響が語られています。最近では、台風や降雪の前の日には、ホテルに泊まる通勤者がおられるようです。学校は、休校になるケースもあります。地方は、田畑への影響をも考えなければなりめせんが、首都圏では、いつも交通機関がどうなるのか注視されています。台風情報にはいつも注意を要します。

 

今年の台風は、初上陸の場所が北海道、その後トリプル台風が続き、そして連日の台風上陸の可能性が北海道に出るなど、ちょっと例年とは違う台風シーズンに入りました。いっぼうで、首都圏では小さな地震が続いています。日本全国気が抜けないいささか長い8月となっているのうです。みなさん気をつけて。

 

首都圏の水不足の解消を願いつつも、大雨に注意を要するまだ暑さが残るお盆明けです。

2016年8月19日
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今年は、台風の発生が遅いと言われていたところ、台風6号と7号が、相次いで関東地方に接近し、東京では久しぶりに雨となりました。さて首都圏の水がめはどうかなんて勝手なことを考えておりましたら、台風7号は、関東から東北地方をかすめて、北海道に上陸しました。今年初の列島へ上陸した台風7号、北海道へ直接上陸した台風としては、23年ぶりとなるそうです。

東京が雪に弱いように、北海道は、台風対策は大丈夫でしょうか。特に農作物にとってとても大切な時期、とても気になります。この台風7号、関東地方に近づくにつれて、気圧の低下が収まったかと思いきや、関東から東北地方に向かった途端、勢力を維持したまま一気に速度を上げたので、台風に慣れていない地域で、大きな被害が起きていないことを願うばかりです。

台風が去ったというか、通らなかった東京では、気温がどんどん上がり、関東地方では、39°Cとか38°Cを記録した場所が続出しました。そして相変わらず西日本では酷暑続きです。


日本列島が亜熱帯になったのではなんて毎年言われるようになり、返って沖縄のほうが過ごすやすいとも、観光に行った方はいわれます。そしてこのところ北海道は悪天候続き、台風が直にやってくるなんて、地球はおかしくなっているのではと、不安がささやかれる状況です。

台風が去って、高温となった関東地方ですが、昼間青空になったのに、夜間は、記録的短時間大雨情報が発令されました。都内多摩地区でも、翌朝降雨の跡が残っていて、少し驚きました。

『記録的短時間大雨情報』とは、数年に一回程度しか発生しないような短時間の大雨を観測、解析した場合に、現在の降雨が、その地域にとって災害につながるような、稀にしか観測しない雨量であることを知らせるために発表されるそうです。

こんなときは外に出ず、災害に巻き込まれないように、特に注意しなければなりません。台風への備えは、昔からいろいろ案内されています。『雨くらい』の感覚では、このところのゲリラ豪雨や記録的短時間大雨のときに、思わぬ被害を受けることがありえます。大雨による洪水や浸水の危険があるので、河川や用水路に近づかないことはつとに言われます。


流れが速いので、そんな場所に近づかないのは当たり前と言えそうですが、都心でも危険はあるのです。

例えば溢れた水で側溝の蓋が外れているのに気づかず、流された例はあります。また、都会の道路でよく見られるアンダーパスには近づかないことです。これは、鉄道や道路が立体交差している地下式の場所のことで、ここに水が溜まって、車が水没する例は、毎年のように報告されています。さらに突発的に発生す大雨により、地下施設が水没することもありました。


数年前、都心の地下鉄の駅が水没して機能麻痺したことを思い出します。階段から流れた水により、地下にある店舗があっという間に冠水して、逃げ遅れた方の悲劇も知られています。そうです。都市部都心でも、雨からの危険に晒されているのです。


雨による直接受けた被害ではなくても、少なくない影響が出ます。特に今回は、台風が去った直後だけに、『なんで?』と驚き、隙がないようにしたいものです。今私は、東京駅にいるのですが、東北新幹線や常磐線が夜間未明に不通になっていて、多くの人たちが困っておりました。「だって台風は、昨日でしょう」と会話されていました。


栃木県宇都宮市では、未明の午前3時ころには、1時間に110ミリにも達するする猛烈な雨となったと報じられていました。これでは点検その他で、翌朝ダイヤが乱れても仕方ないですね。

台風一過の青空なんて言われました。それは被害がなければ言えることです。このところ雨上がりの街に、虹がかかっている様子がしばしば見られると思いませんか。恵みの雨とも言われるごとく、雨がなければ生きていくことはできません。


また、雨は嫌なものを流してくれます。でも、付き合い方を間違えると、ときに大きな反動を受けることがあります。しっかり備えて憂いなきようしたいものです。そして、きれいな虹が現れると良いですね。台風シーズンを前に、思ったことを書きました。みなさんお気をつけて。

 

『ガッツポーズは肩から上に手を出してはダメだ』よりも、気になる選手の発言があります。

2016年8月18日
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リオデジャネイロオリンピックも後半戦、オリンピックの話題がない日はない日本列島です。

この大会では、日本初とか何十年ぶりの快挙等讃えられる結果が表れていて、日本人選手の頑張りには、拍手を贈りたいです。いっぼうで、オリンピック精神に悖ると指摘されるケースも出ていて、時は8月、考えさせられるものがありました。

柔道男子100㎏超で、対戦相手となったイスラエルの選手との試合後の握手を、エジプトの選手が拒否し、礼もぜず立ち去ったことが報じられています。エジプトとイスラエル、アラブ問題等で対立が深く、エジプト国内では、対戦相手が決まった段階で、そもそも試合出場を拒否すべきだとの声もあったようです。エジプトと言えば、ロサンゼルスオリンピックの決勝戦、山下泰裕選手が痛めた箇所をわざと外して、すぐに抑え込まれて銀メダルとなったラシュワン選手のスポーツマンシップが思い出されます。


この大会のエジプト選手に対しては、IOC国際オリンピック委員会の規律委員会が、このような行為は、オリンピックの価値を具体化するフェアプレー規範と友好精神に反するとして厳重注意をしました。そしてエジプトオリンピック委員会に対して、五輪価値観の適切な指導をするよう求めたとのことで、結果この選手は、本国に帰国処分になったと伝えられています。アラブ問題は、政治的に深いものがありますが、確かに選手個人があのような態度を執るのは衝撃でした。


かつて冷戦時代、アフガニスタンへの旧ソ連の侵攻を理由に、いわゆる西側諸国がモスクワオリンピックをボイコットしました。そして4年後のロサンゼルスオリンピックは、東側諸国がボイコットしました。古くはヒトラーが利用したベルリンオリンピックもありました。ただあのころは、国家対国家の感はあったのでした。

いっぼうで、リオデジャネイロオリンピックでは、『難民団』の選手たちが出場しました。かつての祖国に帰れず、難民として他国で暮らしながらスポーツに勤しみ、祖国への思いを馳せて競技する、辛く悲しいことですが、このような形での参加が可能となり、素晴らしいです。柔道女子では、国として初めてオリンピックに参加したコソボの選手が、金メダル候補の日本人選手を破って優勝しました。


コソボ地区は、旧ユーゴスラビアに属し、これが崩壊後は、セルビアとなったもののコソボ紛争が継続し、IOCからは、独立したオリンピック委員会としては承認されておらず、コソボの選手は、セルビアもしくはアルバニアのオリンピック委員会に属して出場するしかありませんでした。コソボは国連加盟国ではありませんが、『祖国』代表として出場を希望する選手たちの願いが叶い、2014年にコソボオリンピック委員会が承認され、こうしてリオデジャネイロオリンピックに初参加が認めれたのです。柔道52㎏級の世界王者ケルメンティ選手は、コソボ初の金メダルを手にしました。

国際紛争とオリンピック、日本では考えられない実情です。国内では内戦が続いている国から参加した選手も、数多くおられます。そんな現実を見ると、言っておきたいことがあります。メダル獲得に水を差すとか、一生懸命頑張った選手に失礼の批判はあると思います。この件に関しては、別の観点から、あるご老体が批判されているようです。それは、卓球個人銅メダルを獲得した日本人選手の行動についてです。

あるテレビ番組に、レギュラーとして出演している元プロ野球OBのご老体?が、この日本人選手が試合に勝利して、歴史的な銅メダルが決まった際、ガッツポーズをしたのに対して苦言を呈しました。曰く、手は肩から上に上げたらダメ、やっつけたというような態度をとったらダメ、この国は礼に始まり礼に終わる、スポーツとはそういうものと『喝!』を入れたのです。スポーツをやらない私は、肩から上か下かがそんなに大切なことなのか、礼を失したかどうかはよくわかりません。


私がとても気になったのは、この日本人選手の喜びの声でした。そして、このご老体?の『喝!』に対する理解を求めるつもりだったのか、その後の発言に、さらに違和感疑問を持ちました。

この日本人選手、銅メダルが決まってガッツポーズの後、感想を聞かれてこう言われました。夢が叶えられて嬉しいの後、「今日負けたら一生後悔すると思うし、本当に死にたくなると思うので、絶対に負けないと言う気持ちで頑張りました」。これ聞いてどう思われましたか?喜びや祝福の気持ちを持ち続けられましたか?死にたくないのは当たり前、でも避けられない運命に委ねるしかない人も、最後のオリンピックを見ているかもしれません。


また、コソボ紛争を言うまでもなく、競技を続ける過程で、見たくないものを見て、人には言えない経験をした選手もいたでしょう。死なんて言葉をアスリートが使うのは、相当に違和感があります。

さらに続きます。例のご老体の発言は、「話題になっているので当然知っている」とした上で、男子団体戦も決勝進出したことを喜び、転んでガッツポーズした後、こんなことを言われました。「ガッツポーズは、遊びじゃなくて命を懸けているので喜びが自然に出る。相手も命をけけてくる。戦場ですからね。」と。


あるスポーツ新聞紙、この発言の見出しに、『戦場なので理解求める』と出しました。ここまで言われるのですから、失言とかはしゃぎ過ぎ、若気の至りではありませんね。

リオデジャネイロオリンピックに参加した選手の中に、実際戦場を経験した方がいるかどうかは知りません。『戦場ですから』って、戦場を知っているのですか。知ったような口を利くなと言いたいです。スポーツ選手、特にオリンピック選手が全員、対戦に命を懸けているかどうかは私にはわかりません。先のコソボの選手や難民選手団を気遣えば、絶対に出てこない言葉です。日本人が戦場を知ってるの?簡単に、軽々しく口に出せるのと、国際社会では不思議かられないでしょうか。


二度にわたってこんな発言が、『勝者』から出たのですから、卓球協会も日本オリンピック協会も指導にはおよばないとの考えでしょう。『老害』について国内ではネット上で語られていますが、『死にたくなる』『戦場ですから』『命を懸けてくる』に関しては、だれも、どこからも問題視されていないようです。奇しくも8月15日、これこそが日本国民の平和ボケかもしれないと、あるいはこちらも『老害』と言われれるかもしれない平和を愛し、命を対決にしたい人間のひとりごとであります。

 

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