2017年が明けました。皆様新年おめでとうごさまいます。
今年は酉年、私の干支です。つまり、なんと還暦を迎えると言うことです。でもショックはないのです。それは外形や健康に関係なく、自分が歳をとったと感じないからです。
もっともっと働らかなければならない、そんな事情にあり、そんな気持ちでおります。 昨年仕事の面では、自分が担当している案件が、まさにその時最高裁判所の判例が変更されたことにより、大きな影響が出ることがありました。事案自体はこれから解決に向かうスタートと言う段階ですが、日頃の判例や条文を気にしない私としては、極めて珍しい経験でした。
当たり前ですが、その法規ができた趣旨と事案の具体的妥当性に留意しなければならないと気づかされた一件でした。 私生活では、長男が独立したわけではないのですが、家を出て1年経過しました。私の母の家を使わせてもらっておりまして、その母は、昨年極楽浄土に生まれし人となりました。私たち浄土真宗には、3つ名を持つことが許されます。
1つは、この世に生を受けた時に、親から受ける名前。
2つは、仏弟子として生きていくことを誓い、阿弥陀如来の前で、法主から授かる法名。これは『釋』が入ります。3つは、阿弥陀様のお導きにより、御仏となった時に名乗る『釋◯◯』であります。
すなわち、もともと法名をいだだいていれば、そのままです。死後いただく場合には、戒名みたいなものです。 父母とも御仏となった昨年、私はご住職にお願いして、法名を頂戴することに決めました。既に候補をいただいており、西本願寺で行われる帰敬式、いわゆる『お剃刀』の儀式に出て、門主から正式に授けられることになるものです。
私と家内は、偶々その祖先が浄土真宗本願寺派でしたから、共に日頃自分たちは無力、阿弥陀様の慈悲により災難なく生きていることを認識しており、ただいただくだけではなく、弟子として認めていただきたくなったのです。弟子と言っても浄土真宗はもともと在野宗派であり、固いことを言われないことが有難いことです。厚かましくも、勝手に弟子になったと受け取るだけです。 法名をいただく決意をした理由の1つは、多くの方々とお会いし、学ぶうちに、親からいただいたこの有難い名前、いささか名前負けしているように思えたからです。
福本の『福』はまさに福。『本』は、木の下のところに横棒一本が入って、樹木の根、物事の大元を意味すると言われます。
『悟』はまさに物事を理解することです。
どっかりと構えて物事をわかり、愉して人に幸福を与えるなんて、チョットねであります。 釋は、 開祖親鸞聖人がつけておられました。その下の2文字は、真面目に修行?するのであれば、親から付けた名の1字をもらうことができるようです。
まだ帰敬式の予定は未定ですが、60歳となるこの年に、生まれ変わった気持ちでいたいとも思えたのです。少しは気持ちが楽になるかもしれません。
そして、返って偉そうなことを言ったらどうぞお叱りください。 昨年私を知る方々から、『アレ』と驚かれたのは、この私がFacebookを始めたことです。
これは事務所ホームページだけではなく、きさらぎ法律事務所を、福本悟を知っていただきたいと考えて始めたものです。
有難いことに、お友達が増えました。また、もともと喋ったり書いたりするのが嫌いではなったので、いささかハマり気味です。
この『ひとりごと』は、電車の中で書くことがほとんどですが、その『時間帯』を今度はFacebookの書き込みに取られることになったようです。
そこで、今年は、この『福本悟のひとりごと』なるコーナーは、『軽め』とすることにしました。
内容を短くはできないタチなので、掲載の数を減らす方向になると思います。さすが事務所で執務中には、これはいたしませんので。今年もどうぞよろしくお願いします。