先週搭乗した航空機の機内誌に、この航空会社の機長から、搭乗客へのメッセージのページがありました、このコーナーは毎月あり、航空機の専門的な説明が比較的多い感じがしていましたが、私が手にした月は、機長の思いが書かれていたものでした。それはこの機長が駆け出しの副操縦士だった当時に遡ったお話であります。
相当前の思い出のようです。当時ある離島を結ぶ路線を運航していたところ、3月のある日、離島の空港から出発準備をしているとき、10人くらいの小学生が、ある先生に対して『ありがとうございます。まだ遊びに来てください』と書いた横断幕を掲げ、手を振りながら見送る姿が目に入りました。そのとき目を手前に移すと、ハンカチをに目に当てながらボーディングブリッジを渡って機内に入る男性の姿が。このとき投稿者であるこの若い副操縦士さん、不覚にも涙が止まらなかった。そのとき横にいたベテラン機長がこう言ったそうです。航空機は、単に人や物を運ぶだけではない。お客様の人生を運んでいる。自分たち操縦士は、このフライトは、人生の中では何万分の1の運航かもしれない。しかしこの便のお客様には1分の1の人生なのだと。これを聞いた若い副操縦士。これを肝に命じてお客様それぞれの人生を運ぶお手伝いをしていると自覚し、機長となった今も日々勤務しているのだそうです。いいお話です。
このお話は、私の仕事の姿勢にも通じます。私のところを訪ねてくださる方にとっては、おそらく人生初の経験であるとともに、自分だけの経験であり、悩み苦しみであるはず。私は、まずその勇気を讃え、ありがとう!と申します。
そしてその悩み、問題とされるところを解決するには、あなたは何をしたいのか、あなたにとって何が良いのかを一緒に考えましょうと申します。相手からこう言われたからどうすれば良いのかではないのです。
得てして不安の中にいらっしゃる方々は、予めネット情報などで、似たケースがある、こう言う裁判例があるとか情報を持って来られます。でもそれは別の人のケースであり、あなたの人生とは違う。だからこそ私たちもまた、他のケースと比較してはならない。今いる依頼者その人のみの人生であることを、絶対に忘れてはならないと戒めるのです。もともと人は個性の塊です。ただ自分を生かす、自分が幸せになるには他方で他人を尊重しなければならない。認め合うことが必要だと思うのです。
毎週日曜日、私はNHK大河ドラマ『西郷どん』を見ています。ドラマであり、必ずしも歴史と一致はしませんし、描きどころもそれぞれです。1月最後の日曜日となった先週の放送は、初期のこのドラマのポイントとなるいくつかの名シーンがありました。西郷さんらに慕われ、期待される島津斉彬公が、いよいよ藩主になるべく、父斉興と雌雄を決するシーンは、なんとロシアンルーレットで決めるとは。また、晴れて藩主となり薩摩へお国入りした斉彬公を、万感の思いで迎える薩摩の人々の触れ合いもまた良かったですね。でも私がいちばん心に残ったのは、沢村一樹さん演じる赤山靭負が切腹する前日、西郷さんら若者を集めて語りかけるシーンでした。
薩摩藩の重臣で、斉彬派と言われた赤山靭負がお由羅騒動に巻き込まれて切腹させられるのは、歴史を知るものとして避けられないのですが、やはり辛いですね。前日先生と慕われる赤山靭負は、自宅に西郷どんら若者を招いて芋を食べながらこんなことを言いました。『芋は、どれ1つ同じかたちをしたものはない。泥を被っている。水で流し、互いをくっつけて磨くと泥が取れてきれいになり、美味しい。おはんらと同じ。皆個性っちょうものがある。互いに尊重し、磨くと光る。おはんらはそういう人間になれ!そいがおいの願いじゃ』。だいたいこんな感じだった思います。泣けてきます。
人間同じ人はいない。まず互いを認め合うことが大切。他人を認めることで自分が磨かれて、その個性を発揮できる。日本国憲法の根本規範は個人の尊厳です。個人として尊重されるには、他人のそれも認めることが前提。個性を伸ばすことと我が強い、時としてわがままな振る舞いをすることとは違うのだと思います。それぞれの人生、個性を生かすことの前提なのでしょう。あの時代にあって本当に赤山先生が言われたのかどうかはわかりません。ただNHKは、何かを視聴者に知って欲しかったと理解したいです。他人を認めないことから争いは起きます。まさに赤山靭負が切腹に追い込まれたのはそう言う社会だったからです。
さて、先の機長の思い出に戻ります。ある人にとっては万分の1のことかもしれないが、当人にとってはたった一度の経験であり、人生であることを理解して、今の政治は行われているでしょうか。例えば、かつて東京は世界に有数の治安が良い国であり、フクシマは完全に『解決』したかに世界に対してアピールされました。確かにオリンピックの開催を希望する国民は少なくない現実はあるでしょう。しかし当の被災者は、どんな思いで聞いたでしょうか。生活保護費を削減すると、幾らかの財源ができるかもしれない。しかし明日の生活ができない人はどうなるのでしょう。認め合い、寄り添う、そこで個性を発揮する、こうして目玉となる政策は、行うべきではないのでしょうか。ある人が決めたら、誰も他のことを考えることなく通ってしまう。議員も政治家も個性はないのでしょうか。
個性を認め合い、互いに磨き合うことは競争ではないです。競争とは認め合うことが抜けているからです。私も仕事柄依頼者には、あなたが幸せになるなら、他人を追い詰めてはならない。まず相手のことを考えましょうと申します。
人それぞれ、同じ経験はない。そんな人たちの人生を運ぶ手伝いをされる操縦士は、崇高な使命感が必要なのですね。私はブロを認め、尊敬しております。ブロがプロであるのは、異本的には日本国憲法の根本規範である個人の尊厳を尊重し、理解しているからだと思うからです。医師も然り、税理士もしかり。また建築士は、注文主の個性にあったonly oneの家を建築する。雪道等で車を助けるJAFサービスの方たちもまた、立ち往生しているそのドライバーの人生に大きな影響を与えている。その人その人のために、認め合い寄り添う姿勢がそこにあります。
大河ドラマでは、西郷さんら若者の人生はこれからです。これから個をぶつけ、磨くシーンかいくつも見られます。その折々にまた、視聴者として感じたことを書きます。ただ言えることは、件の航空会社の機長さんのように、お客様は分け隔てしない、それぞれの人生であることを尊重しなければならないことを、主権者である私たちは、私たちの代表者に理解させれる必要があると言うことです。
主権者である国民一人一人を分け隔てなく、すなわち『私たち』と『こんな人たち』に分けて対立を起こすようなことなく、政治の世界に身を置く方々には、主権者国民のため心して欲しいと言うことです。さて今日もやがて『西郷どん』が始まります。そろそろ帰宅の時間となりました。ご一読ありがとうございます。