カラっとした夏空とスッキリしない天気

2022年8月2日
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2022年8月、久しぶりにこの「福本悟のひとりごと」を復活させます。

8月は、私の誕生日、そして日本人にとって暑い重い月であります。

そして真夏のイメージが強い日本の8月ですが、発生する台風の数は、8月が最多です。昨年2021年は、7月に3個、8月に4個発生しました。

発生数、日本本土への上陸数が、平年を上回った2018年には、8月に9個も台風が発生しておりました。

7月下旬に発生した台風5号は、奄美地方から東シナ海を北上しましたが、既にマリアナ諸島付近には、雲のかたちからやがて熱帯低気圧となる気配です。

この時期日本列島周辺には、太平洋高気圧が強く張り出して、ある意味台風の上陸を阻む面もありますが、南の海上から暖かく湿った空気が流れ込みやすくなって、いわゆる大気不安定が起こり、大雨や落雷に注意が必要となります。

暑くて晴天なのに、突然雷雨になるのは、このような気候が関係しているようです。夏は夕立や、雷を題材とした小説が多いですね。でも日々の生活には、万全の注意が必要です。

雲1つない天気、晴れの晴れは確かに気持ち良い。しかし、夏の天候は変わりやすい。いつの間にか曇天となりがちで、やがてゲリラ豪雨になることも。ただ、恵の雨でもあります。水不足や日照りから解放される面もあります。

自然には、逆らえないと言われます。てるてる坊主をぶら下げたり、雨乞いをしたり、古来から人間は未知の力にすがり、頼ってきた歴史があります。疫病も同じですね。

7月15日早朝、博多の総鎮守櫛田神社をスタートする博多祇園山笠のクライマックスを飾る「追い山」は、鎌倉時代商人の町博多に疫病が流行ったとき、承天寺の聖一国師が施餓鬼棚に乗って、町内に聖水(甘露水)をまいたことが起源とされます。今も全国各地で、疫病退散の祈願が行われているようです。

結局人間は、自然に逆らえない。逆らえないから起こることを予期して、充分対策をとることが大切でしょう。台風を止められないように、感染病の発生・流行も止められない。「被害」を少なくする政策が必要と感じます。

8月、やはり台風の発生は避けられない。スッキリしない日もあれば、晴れ渡る日もあります。毎日を大切に生きていきたいものです。

 

 

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このお話は、私の仕事の姿勢にも通じます。

2018年2月5日
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先週搭乗した航空機の機内誌に、この航空会社の機長から、搭乗客へのメッセージのページがありました、このコーナーは毎月あり、航空機の専門的な説明が比較的多い感じがしていましたが、私が手にした月は、機長の思いが書かれていたものでした。それはこの機長が駆け出しの副操縦士だった当時に遡ったお話であります。

相当前の思い出のようです。当時ある離島を結ぶ路線を運航していたところ、3月のある日、離島の空港から出発準備をしているとき、10人くらいの小学生が、ある先生に対して『ありがとうございます。まだ遊びに来てください』と書いた横断幕を掲げ、手を振りながら見送る姿が目に入りました。そのとき目を手前に移すと、ハンカチをに目に当てながらボーディングブリッジを渡って機内に入る男性の姿が。このとき投稿者であるこの若い副操縦士さん、不覚にも涙が止まらなかった。そのとき横にいたベテラン機長がこう言ったそうです。航空機は、単に人や物を運ぶだけではない。お客様の人生を運んでいる。自分たち操縦士は、このフライトは、人生の中では何万分の1の運航かもしれない。しかしこの便のお客様には1分の1の人生なのだと。これを聞いた若い副操縦士。これを肝に命じてお客様それぞれの人生を運ぶお手伝いをしていると自覚し、機長となった今も日々勤務しているのだそうです。いいお話です。

このお話は、私の仕事の姿勢にも通じます。私のところを訪ねてくださる方にとっては、おそらく人生初の経験であるとともに、自分だけの経験であり、悩み苦しみであるはず。私は、まずその勇気を讃え、ありがとう!と申します。
そしてその悩み、問題とされるところを解決するには、あなたは何をしたいのか、あなたにとって何が良いのかを一緒に考えましょうと申します。相手からこう言われたからどうすれば良いのかではないのです。

得てして不安の中にいらっしゃる方々は、予めネット情報などで、似たケースがある、こう言う裁判例があるとか情報を持って来られます。でもそれは別の人のケースであり、あなたの人生とは違う。だからこそ私たちもまた、他のケースと比較してはならない。今いる依頼者その人のみの人生であることを、絶対に忘れてはならないと戒めるのです。もともと人は個性の塊です。ただ自分を生かす、自分が幸せになるには他方で他人を尊重しなければならない。認め合うことが必要だと思うのです。

毎週日曜日、私はNHK大河ドラマ『西郷どん』を見ています。ドラマであり、必ずしも歴史と一致はしませんし、描きどころもそれぞれです。1月最後の日曜日となった先週の放送は、初期のこのドラマのポイントとなるいくつかの名シーンがありました。西郷さんらに慕われ、期待される島津斉彬公が、いよいよ藩主になるべく、父斉興と雌雄を決するシーンは、なんとロシアンルーレットで決めるとは。また、晴れて藩主となり薩摩へお国入りした斉彬公を、万感の思いで迎える薩摩の人々の触れ合いもまた良かったですね。でも私がいちばん心に残ったのは、沢村一樹さん演じる赤山靭負が切腹する前日、西郷さんら若者を集めて語りかけるシーンでした。

薩摩藩の重臣で、斉彬派と言われた赤山靭負がお由羅騒動に巻き込まれて切腹させられるのは、歴史を知るものとして避けられないのですが、やはり辛いですね。前日先生と慕われる赤山靭負は、自宅に西郷どんら若者を招いて芋を食べながらこんなことを言いました。『芋は、どれ1つ同じかたちをしたものはない。泥を被っている。水で流し、互いをくっつけて磨くと泥が取れてきれいになり、美味しい。おはんらと同じ。皆個性っちょうものがある。互いに尊重し、磨くと光る。おはんらはそういう人間になれ!そいがおいの願いじゃ』。だいたいこんな感じだった思います。泣けてきます。

人間同じ人はいない。まず互いを認め合うことが大切。他人を認めることで自分が磨かれて、その個性を発揮できる。日本国憲法の根本規範は個人の尊厳です。個人として尊重されるには、他人のそれも認めることが前提。個性を伸ばすことと我が強い、時としてわがままな振る舞いをすることとは違うのだと思います。それぞれの人生、個性を生かすことの前提なのでしょう。あの時代にあって本当に赤山先生が言われたのかどうかはわかりません。ただNHKは、何かを視聴者に知って欲しかったと理解したいです。他人を認めないことから争いは起きます。まさに赤山靭負が切腹に追い込まれたのはそう言う社会だったからです。

さて、先の機長の思い出に戻ります。ある人にとっては万分の1のことかもしれないが、当人にとってはたった一度の経験であり、人生であることを理解して、今の政治は行われているでしょうか。例えば、かつて東京は世界に有数の治安が良い国であり、フクシマは完全に『解決』したかに世界に対してアピールされました。確かにオリンピックの開催を希望する国民は少なくない現実はあるでしょう。しかし当の被災者は、どんな思いで聞いたでしょうか。生活保護費を削減すると、幾らかの財源ができるかもしれない。しかし明日の生活ができない人はどうなるのでしょう。認め合い、寄り添う、そこで個性を発揮する、こうして目玉となる政策は、行うべきではないのでしょうか。ある人が決めたら、誰も他のことを考えることなく通ってしまう。議員も政治家も個性はないのでしょうか。

個性を認め合い、互いに磨き合うことは競争ではないです。競争とは認め合うことが抜けているからです。私も仕事柄依頼者には、あなたが幸せになるなら、他人を追い詰めてはならない。まず相手のことを考えましょうと申します。

人それぞれ、同じ経験はない。そんな人たちの人生を運ぶ手伝いをされる操縦士は、崇高な使命感が必要なのですね。私はブロを認め、尊敬しております。ブロがプロであるのは、異本的には日本国憲法の根本規範である個人の尊厳を尊重し、理解しているからだと思うからです。医師も然り、税理士もしかり。また建築士は、注文主の個性にあったonly oneの家を建築する。雪道等で車を助けるJAFサービスの方たちもまた、立ち往生しているそのドライバーの人生に大きな影響を与えている。その人その人のために、認め合い寄り添う姿勢がそこにあります。

大河ドラマでは、西郷さんら若者の人生はこれからです。これから個をぶつけ、磨くシーンかいくつも見られます。その折々にまた、視聴者として感じたことを書きます。ただ言えることは、件の航空会社の機長さんのように、お客様は分け隔てしない、それぞれの人生であることを尊重しなければならないことを、主権者である私たちは、私たちの代表者に理解させれる必要があると言うことです。

主権者である国民一人一人を分け隔てなく、すなわち『私たち』と『こんな人たち』に分けて対立を起こすようなことなく、政治の世界に身を置く方々には、主権者国民のため心して欲しいと言うことです。さて今日もやがて『西郷どん』が始まります。そろそろ帰宅の時間となりました。ご一読ありがとうございます。

最近世情を賑わしたある自治体と内閣から求められた委員会、有識者会議の出した結論から。

2017年2月7日
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よく『調査委員会』『第三者委員会』、さらに『有識者会議』とか聞きます。ある目的で、何かを調べて委託者にその結果をご報告する組織です。この人選がいろいろ言われることがありますが、委託者の顔を伺い、期待されている答えを出すことが自分たちの役割と考えているのではないかと思わざるを得ない事例を多く見かけます。

 

横浜市に避難して来た福島第1原発の被災家族、その小学生が、同級生から交付を求めれて複数回に渡って約1.500.000円を渡した『事件』が報道されました。このとき、中学生となったこの子の代理人弁護士より、少年の思いが涙ながらに述べられました。震災で多くの人が亡くなった、だから自分は辛くても生きるんだ、悲しみと感動を私たち新たにしたものです。 この元小学生に対する金員要求等がいじめに当たるかどうかを調査する委員会が、先ごろこれはいじめに当たらないとの結論を出したと教育長から市議会に報告がありました。

 

曰く、『いじめから逃れるためにお金を渡したのだからいじめではない』。日本国中から非難がなされました。法律実務家である私が出るまでもなく、他人の生命・身体・自由・財産・名誉に対する害悪の告知をして金員の交付を受ける行為は恐喝です。 でも、なんでこんな結論を導いたのか、チョット違う面から考えました。それはこの委員会の『目的』は何か、端的に言えば誰の顔を見て、誰のために、誰に納得してもらうために創られ、調査すなわち仕事をしているのかと言うことです。それはこの自治体から任命され、この自治体に報告する、そうであれば自治体に責任があるとか、対応不足を指摘、あるいは体制を非難するような報告書は創られませんね。気に入られようとしてとまでは言えないにしても、真実の究明ではなく、この問題を自治体としていかに収めるか、それがこの委員たちに求められた、少なくとも委員たちはそう考えていたと言うことです。

同じことは、天皇陛下のご譲位、いわゆる生前退位に関する制度を検討する有識者会議?もしかりです。そのメンバー、官邸の近くの方が多いですね。内閣および与党は、天皇陛下の生前退位は、好ましくないと考えています。それは今上陛下が昨年国民に向けられた『お気持ち』の中で、象徴天皇制と言うご発言を8回もなさって、皇室の務めはこの象徴天皇制を未来永劫承継していくことと述べられたことが、彼らの意図する改憲に大きな障害となるからです。

 

このことは、かなり前にこの『ひとりごと』で書きました。

 

だから生前退位によりーーあるいは皇位の承継に関して男子に限るを改めるなどしてーー象徴天皇制が続くことは困るのです。言うまでもなく象徴天皇制は、日本国憲法第1条に明記される国民の総意に基づく制度であり、天皇は、日本国民統合の象徴とされている、つまり戦前回帰の目論見はもろくも崩れるからです。自民党憲法改正草案にある国家元首も成り立たなくなりますから。

 

ですから、一代限りとか、特別法による対応などで誤魔化そうとしているのです。日本国憲法では皇位の承継は法律によると書かれている、そして皇室典範にその決まりが書かれている、端的にそこを改正すれば良いのです。しかしそれでは困る、だからそうならないように『識者』を集めて意見を集約させたと見るべきです。

そんなメンバーですから、結論ありきです。

 

法学者の大半は、ーー要するに、集団的自衛権や、先の安保法のときに、ほんのわずかに存在した御用学者を除けば、ーー当然皇室典範の改正によるべきと言っています。陛下がいみじくも仰るように、象徴天皇制を途切れることなく承継するのが国民主権のもと存在する皇室の務めであるならば、皇位の承継の原因に加え、その順位、つまり女性にも皇位承継を認めるか等にも議論がおよぶことは、避けられないからです。

 

これらは1つの例です。

委員会なるものは、これの設置調査を求めた組織、主人の顔を見て仕事をします。正義だとか真実は関係ないようです。そして自分が認められた、ある程度その組織の中でポジションを得た場合、何もおいてもその組織に批判的対応をする者に対して、憎悪むき出しに処するのだそうです。これは私が尊敬する元自衛官泥憲和さんが指摘された右翼的思想です。多角的に物事を見れなくなる、それは思想ではなく、感覚なのだそうです。

 

こうなると、いくら委員会?を非難してもどーにもなりません。理屈や正論は、感覚には通じません。

 

組織外から何を言ってもダメならば、それを打開するには、組織内にいて、これに反旗を翻す人物やグループが現れることでしょうか。例えば『政治改革選挙』と言われた初めて自民党が政権を失なった細川護煕連立内閣が発足したのは、要は自民党内の分裂でした。大平内閣不信任決議が可決された『ハプニング解散』も、要するに自民党内の分裂です。

 

もっとも、その結果は良かったのかは別問題ですが。 さて組織内で意見する方現れるでしょうか。自民党の総裁任期が延長されました岸田さん、石破さん、黙っていてよろしいんですか?

 

毎年新しい発見をする新春恒例の箱根駅伝でした。

2017年1月5日
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新春恒例の箱根駅伝が、今年も多くの人に感動を与えて終了しました。三年連続優勝を飾った青山学院大学の強さが目立った大会ではありましたが、箱根駅伝ファンは、勝ち負けだけを楽しみに見ているのではありません。今年も様々なドラマがあり、また、学んだ?こともありました。

まず青山学院大学、おめでとうございます。毎年選手が変わる大学生の団体競技で三連覇、素直にその実力は評価されます。トップを続けることのほうが、それを狙うことよりも難しいと言われます。特に青山学院大学原晋監督は、ある意味これまでの監督像とは異なる指導方針、そしてキャラを発揮され、それ故にか逆風を受けるところもあったでしょうが、選手スタッフ関係者見事なチーム力でした。各大学とも、その大半の学生が、高校時代までに相応の実力を持っていますから、それをどう開花させ、駅伝と言うチーム競技に活かすかは、監督の力によるところが大きいと思います。そして監督が好きなように?できる環境を作った大学、家族、選手スタッフとその関係者の信頼関係あっての結果だと思います。今日のテレビ解説者、原監督は、経営者だと評していました。


ここ数年2位になっている東洋大学も立派ですね。箱根駅伝で全国区となった知名度のある選手たちが卒業してもなお、この成績には底力を感じます。『その1秒を削り出せ!』の言葉、個人と団体の力が合わさって結果が出る駅伝には、納得できるスローガンです。そして今年総合3位に入った早稲田大学、こちらも見事でした。傑出した選手がいない中、特に往路では、青山学院大学にあと一歩まで迫った走りは、来年以降に繋がると感じました。そしてこのところ良い結果が出ていなかったかつての優勝校神奈川大、順天堂大、復活を感じさせるレースでした。
来年に期待したいと思います。

シード権を獲得するかどうかは、来年の箱根駅伝本大会のための1年間の計画にも影響する大切なことだと 言われます。毎年悲喜こもごもの大手町の風景があります。今年について言えば、往路では10位の日本大学は復路で振るわず、往路では、シード圏外となる11位以降の順位だった日本体育大学、法政大学、東海大学が、復路の頑張りでシード圏を獲得しました。

こんなルールあったの?と思われたシーンがありました。過去にもあったことですが、『幻の区間賞』が今年も出ました。関東学生連合、いわゆる学連選抜の最終10区のランナーを務めた東京国際大学4年の照井明人選手が、この区間を走った21人中最速のタイムで大手町にゴールしました。ただし、学連選抜は、オーブン参加のため、公式記録とされません。以前にも同じことがあり、最近では往路棄権したチームの復路8区の選手が、同区間のトップの成績を残したけれども『参考記録』とされだことがあります。ルールとは言え、学連選抜チーム、その選手は、様々な思いを抱いて走っていると思います。なんか釈然としないものがあります。

『幻の区間賞』と言われる事態そのものがあることは私も知っていました。でも今回初めて知ったことがあります。それは、全く同タイムのときの順位の決め方です。今年は、山梨学院大学と明治大学が、2日間の総合タイムが11時間29分17秒で、全く同着となりました。この場合、全区間を取り出して、区間順位の上位者数の多少によるのだそうです。もしこの両校に、区間1位の選手がいたら、そちらが上位者となるのですが、この両校区間6位までに入った選手はおりません。


7位に入ったのが、山梨学院大学の5区上田健太選手だったので、このルールにより山梨学院大学が上位と決められました。ちなみに、シード争いとなる10位で同着となった場合において、このルールに当てはめても全く決着がつかなかった場合には、同着の2校とも、シード権獲得となるのだそうです。滅多にないケースですが、ひとつ覚えました。

最近の箱根駅伝の人気は、この直ぐあとに行われる大学入試にも、影響しているとの意見があります。昔私立高校を有名にするには甲子園、花園、東大に行くことだと言った経営者がおりました。例えば『有名校?』早稲田大学にどうしても入学したい!との強い志を持った受験生は違うのかもしれませんが、どこでも良い、偏差値の同じような学校とお考えの方には、絶好のアピールの場となると言う裏話を聞いたことがあります。私は、それが悪いことだとは思いません。経営のあり方であり、また、学校一体となって、あらゆる面にレベルアップをもたらす可能性があるでしょう。

ただ、そんな思惑が、監督はじめ関係者にあるとは思いませんが、気になるのは、毎年のように見られる単にがんばれ!そして感動のもとに報道されるお涙頂戴主義です。今年は、途中棄権に見舞わらるような大きなアクシデントはなかったのではないかと思いますが、選手の健康管理そして将来を託されているのも監督はじめスタッフ関係者です。


そういう意味で、今年はとても良い箱根駅伝だったと思います。来年にも期待します。選手スタッフ関係者の皆さん、お疲れ様でした。ありがとう!

 

福岡市の屋台が、劇的に変わるようです。でも、素直に喜べないのはなぜでしょう。

2017年1月3日

私が好きな福岡、その夜の夜の彩りとなっている屋台が大きく変わるようです。私が福岡市で暮らしてした昭和58年には、福岡市内には、250とも300とも言われる屋台が出ていました。

 

今では中洲、天神周辺と長浜にほぼ集まっている屋台ですが、あのころは荒江とか平尾、そして博多駅の裏のほうにもにもあったと思います。今ではその数150件を切ったと言われます。

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屋台は通行の邪魔、不衛生で臭い、タダ同然で商売している、また、ぽったくりがあるとか、そもそも入りにくいとか批判があることも知っています。それで数年前には、屋台は1代限りとの条例?ができて、ますます屋台の数が消えました。一方で生活のため、また、常連さんや屋台の灯を消すな!の願いから、いわゆる『名義貸し』をして、営業が続けられている屋台もありました。

そのような中で、福岡市の長となった高島宗一郎氏は、屋台を残すと言う方向で、数年間調査検討を加え、昨年秋に、屋台の営業の公募を行いました。これは違法営業とされていた屋台28軒が、今年3月で廃業するのに伴い、新たに屋台営業に参入する道をひらいて活性化させ、福岡市の屋台文化を守っていく、観光資源とする意図があると論評されていました。

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私は、何が違法営業に当たるのか知りません。屋台で生計を立てていた人にとっては、屋台の営業そのものが1つの財産権です。それが1代限りと言うのは、法的にはおかしいことだと考えます。財産は、相続されます。相続が起きなくても、年齢その他の事情で、途中で屋台から手を引く人もいるでしょう。

 

そんな人にだって将来・老後の生活はあります。『あそこにあった屋台、無くなったの?』とガッカリするファンもおられるでしょう。世の中には事の是非は別として、名義貸しもしくはそれに類する、脱法行為とも評価される営業は存在します。私も仕事柄スナックや、クラブの営業、賃貸借で何度もこの種形態を見ています。高島市長ではありませんが、1代限りとすれば、当然屋台はいずれ消滅します。 だとすると、今回の公募制喜ぶべきことでしょうか?まず賛成する立場として、これまで屋台経営に参入したくてもできなかった人たちにとって、いわば寡占状態でもあった屋台の営業ができる道が開かれたと言うことでしょう。

 

また、1代限りは撤廃され、直系血族に限り1回だけの承継が可能となったことは、ひとつ前進と言えましょうか。そしてこれまで条例では、違反に対する罰則がなかったことで、違法屋台が存続して、福岡の屋台のイメージ悪化に繋がったとの声を受け、屋台の営業ルールを厳格にし、違反を繰り返し、警告に従わない屋台はいずれ市によって営業が取り消しされることも明記されました。

 

さらに屋台が混雑する、狭いことが屋台営業の限界ともなっていることを認め、屋台のサイズや営業時間に関しても、柔軟に対応する余地を残したとされます。 このように言うと、『良いじゃない』と感じますが、福岡市民ではない私が言うのはなんだ!と批判されそうですが、素直に良いことだと言い切るものではありません。

まず、折角1代限りを外したのですから、少なくとも法定相続は認めるべきです。つまり屋台主の配偶者、子、そして孫です。もし営業を継続しない屋台があれば、市が間に入って公募を含む『営業譲渡』を認めるべきです。特に今回公募参入する屋台は、基本的に3年間の営業期間であり、仮に審査を通って『延長』が認めれても最長で10年までです。この屋台は、10年だけの命なのです。

 

私は既得権と言う言葉は好きではありませんが、今回公募で営業が認められた屋台は、その順位に従って3月に廃業する屋台のある地域から、好きな場所を選ぶことができるそうです。屋台は、屋台文化は、一朝一夕に出来上がったものではありません。そこにあった屋台がなくなった、その場所に出店した屋台に行こう!となるでしょうか。屋台どうし仲間意識がありました。それは自分たちはあるいは市民から批判されている、いつも監視されている、だからみんなで緊張感のもと、頑張って行こうと言うものだったのではないでしょうか。

 

そこに『ボン』と公募で認められて営業が開始されて来た新規店舗、他の屋台と、市民と、屋台文化にうまく溶け込めるとよいのですが。 私が高島市長の政策に素直に賛意を表せられないのは、これはもしかして屋台間に競争をさせようとの原理ありではないかと考えてしまうところにあります。屋台文化を継続と言いながら、3年とか10年で終わりと言うのは、屋台を営業する個人の目線に立った考えではありません。『期間』が過ぎたら次の人と言うのは、屋台そのものの消滅は食い止められるかもしれませんが、まさに屋台はビジネスの1つ、それのみに転換されるのではと思われます。10年で交代することがわかっていて、屋台を営業するのは、屋台は経済政策の1つと捉える資本力のある法人とかになってしまうでしょう。

良い屋台を残す姿勢がスタートにあれば、10年等初めから期間を決める意味わかりません。ここに競争に強いものが入って欲しいが見え隠れします。 今回の条例を受けて、現に営業中の屋台も、公募に応じたようであります。もっとも、市の説明では、3月に廃業しなければならない『違法営業屋台』も、公募制に応募できるとのことでしたから、これに生き残りをかけていた屋台もあったでしょう。現在名義貸し屋台を営業している方の中には、数年間ある屋台で真面目に修行し、ある屋台の営業主が、年齢等によりもう営業できないとなったとき、これを引き継いで、名義貸しにより営業をしている方がおります。

 

この屋台を知るファン、そして真面目に修行していた現在の営業主を知る人たちは、この方が引き継いでこの屋台の灯が消えなかったことを単純に喜んでいるはずです。この例に限らず、名義貸し屋台の店主は、比較的若い人が多いようです。今回の公募制で書類選考で理由と告げられず落選したある屋台、東京の新聞にも掲載されていました。彼らは露頭に迷うでしょう。知っていたのだから自己責任で片付けて良いでしょうか? 福岡市屋台基本条例の中には、市長は、屋台営業が、まちににぎわいや人々の交流の場を創出し、観光資源を発揮すると認めるときは、屋台営業候補者の公募を行うと記されています。名義貸しかどうか、あるいは競争力に耐えうるかどうかはともかくも、今回落選した方が、これに合致しないと判定される理由はわかりません。

 

 

私は観光客だとは認識していませんが、屋台を競争により消滅を回避させる政策には、素直に賛成することはできません。

 

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