東日本大地震の折、ヘリコプターで被災地を飛行した当時の内閣総理大臣を、その内閣が対応した福島第1原発の事故処理を巡って、当時の内閣総理大臣菅直人氏、当時の政権与党民主党を徹底的に批判したのは誰あろう、安倍晋三自民党総裁です。
当時から可笑しいと思っていました。だって原発を造ったのは?原発推進団体組織から多くの支援を受けているのは?そして豈図らんや、政権が交代したら、『福島第1原発事故収束宣言』をし、その後全国に存在する原発を再稼働するよう舵を切ったのは誰?
これに似た発言が、最近国会でありました。安倍内閣の防衛大臣が、かつて自民党が野党時代、子ども手当を止めて軍事費を増やせ!核武装を精神論に留まらずに検討すべき!等発言したところ、『自民党政権になって、日米安保体制が強固になったから、その必要は無くなった』と答弁したことです。
野党のときはダメでも、自分たちが与党に戻ったら、なんでも上手くいったことになるようです。民進党代表蓮舫氏は、『気持ちの良いくらいの変節』って評しました。もっともこの大臣もかつて受験した司法試験、『内閣は、集団的自衛権行使は憲法上認めれない』が正解でしたが、この内閣になって『正解』も変わってしまうのでしょうか。これは『見事なまでの変節?』。
蓮舫代表、あなたに言われたくないって思っている人いると思いますよ。先に投票が行われた新潟県知事選挙、民進党どのように対応しましたか?争点は明確でした。柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な泉田知事を承継するかどうか、民進党を離党した脱原発派の候補が、自民党公明党が推薦する候補に勝ちました。この候補、民進党から推薦は受けられず、共産党、生活の党(自由党)、社民党の推薦を受けました。
先の参議院議員選挙の折、各地で起きた『野党統一候補』です。しかし民進党は、この選挙、『自主投票』にしたのです。
その理由は、民進党の支持母体である連合新潟が、原発推進候補を事実上支持して、自主投票を決めたので、民進党として推薦できないと言うことでした。だから民進党って、信頼されないのでしょうね。全国の世論調査でも、50%以上の国民が、原発再稼働に反対しており、原発賛成は25%程度です。この新潟県知事選挙、投票の際何を重視したかに関して、報道機関の出口調査の結果、いずれも『原発』であるとの結果が出ています。
実際民進党支持層の75%ほどが、野党統一候補に投票していました。民進党幹部は、風を見る能力がないですね。
この選挙の終盤になって、蓮舫代表が、現地入りして野党統一候補を応援しました。これは、もしかしたら勝つのではないかと思えて、勝ち馬に乗ったとしか思えません。今後の野党連合、また、政局を睨んで、民進党の影響力の低下を恐れたと受け取られて仕方ないと思います。何が、『元仲間』ですか。
たとえ支持母体の意向とは相反しても、政権を目指す政党であれば、国民の声に耳を傾けるべきです。公務員批判を大上段に振りかざすある政党から、バカにされるどころか、与党も一緒になって、これら組織に頼るところを批判されるのです。
実際件の組織に属した人でも、あの得票率からすると、脱原発候補にほとんど投票したと思われます。民進党は乗り遅れです。にも関わらず、野党統一候補の勝利を我が事のように言うのは、強い違和感があります。
小選挙区制のもと、巨大与党に立ち向かうのは、野党連合しかありません。また、選挙では、わかりやすい争点に選挙民が惹かれることもまた、郵政選挙以来はっきりしています。さらに川内原発を抱える鹿児島県の知事選、先の参議院議員選挙での新潟県もそうですが、青森県、岩手県、宮城県、福島県の結果を見れば、東日本大震災の復興が待たれる地域や、原発がある地域の住民の意思を汲み取ることはできないのかと考えます。
それを昔ながらの組織の意向によるとは情けない。党内の原発賛成派は、小選挙区制のもと、自民党に居ても公認されないから、民進党に居るとも言われかねないでしょう。
原発YESNoは、わかりやすい構図です。都市部の住民は、地方の原発を含む電力により、都会の生活が確保されているのに、なんとも思いやりがないです。数年前の都知事選で、原発反対の元首相経験者らが、自民党が応援する候補者に敗れました。争点をわかりやすく、劇場型の選挙を行うことで知られる人をもってしても、都会では、原発は争点化しなかったのです。
都会では、アベノミクスってものが延々と『争点』だとされ、選挙民も、民進党もそんな風に捉えているのでしょうか。アベノミクスって、わかりやすいですかね。民進党、与党を打倒するなんて言うならば、自党がまず脱皮しなければならないでしょう。蓮舫代表、しっかりやれ!
いつかこの『ひとりごと』で、指定席のお話をしました。落ち着く場所として、福岡空港のある飲食店から眺める風景をあげました。東京帰る前の、名残りのひと時でもあります。ビールの中では、あまり好きではない銘柄なのですが、気分次第で美味しく感じます。
でも、このところ数ヶ月経験していません。
私が福岡空港に次いでよく行き来するのは、いつもいちばん好きな空港と紹介する新千歳空港です。ここの魅力は、これまで何回もお話しましたので、今日は繰り返しません。ただ、ここにもどうしても、訪れる場所があります。
それは、以前ご説明した『北空港の歌詞碑』です。その設置の経緯やその後の出来事も、今日は触れません。ただ、あの歌詞碑の前に来て、ボタンを押したい自分があるのです。北空港、夜の札幌を舞台に、北の空港から飛び立つ男女の恋を歌うものです。1987年に発売されたデュエットの名曲、今でもカラオケランキングで、常に上位を占めているのです。
音痴で、今ではカラオケなんかやらない私が、なんで惹かれるのだろうと考えてしまいます。ひとつには、そのときの自分の歴史に重ねるからだと思われます。この曲が発売されたのは、私がちょうど30歳になるころ、子が生まれ、弁護士登録3年が経過し、ボチボチ私的に仕事を受けるようになった時期でした。また、浜圭介氏の秘蔵っ子とされたこの韓国人女性歌手、私が初めて親元を離れて福岡市に一人暮らししたころ、デビューしました。
そのとき、一人暮らしで、何気なくつけていたラジオから、浜圭介氏が熱心に紹介し、片言のハスキーな日本語で挨拶する女性歌手、顔は見えないのに、なぜか気になったのでした。初めての一人暮らしを終え、東京に帰ることが決まっていた福岡2年目の夏、冷房がなく、西陽が入る1Kのアパートに住んでいた私には、『西陽で焼けた畳の上』で始まる歌詞に、引き込まれたことを覚えています。
この歌手は、デビュー以来ヒットを飛ばし、北空港の前後にもヒット曲があったからか、北空港は、発売当時は、そんなに印象に残る曲とは思えませんでした。折からバブルの時期でもあって、バーやクラブ、スナック等、あちらこちらで歌われたのでしょう。まだ北海道には行っていない私の耳にも、何か北の演歌って哀しくて、でも、旅立ちが似合うんだろうなと思えたのでした。
北海道の空の玄関口が、当時の千歳空港だとは、頭ではわかっていたものの、この歌により、北の空港に、北海道に行って見たいと考えるようになったのかもしれません。その直後に、青函連絡船が廃止されました。いよいよ北海道と言えば航空機、この空港には、様々な別れや出会いがあるのだろうなと想像してみたりしました。
そして、初めて北海道に行ったのはその2年後、私と北海道、特に札幌市との縁を結びつけてくださった南昇先生と知り合いになったのも、その1年後でした。こうしてきさらぎ法律事務所が開設されてから毎年北海道へ、新千歳空港に行き来することになったのでした。クレイルチーズの西村公太さんとお会いしたのも、今から10年以上前の新千歳空港でした。初めて私の北海道の依頼者となった方からいただいたのは、千歳市内にある洋菓子店『もりもと』の『雪鶴』でした。今でも、新千歳空港で買って帰ります。新千歳空港のある土産物店、また飲食店では、『いつもありがとうございます』と声かけされ、嬉しいですね。おそらく雰囲気で、『あの人』とわかるのでしょう。
そう振り返りますと、むしろ何気なく聞いていた『北空港』こそ、私を北海道へ誘い、新千歳空港へ呼び、そのファンにしたのではないでしょうか。そのことには、なかなか気づきませんでした。私が、新千歳空港に、北空港の歌詞碑があると知ったのは、なんと今年になってからなのです。それから必ずこの歌詞碑の前に行き、ボタンを押しています。周りには、滑走路を眺める多くの人々がおります。
しかし、毎回この歌詞碑に気づく人は見かけません、たまに子どもが興味があるのかボタンだけ押して、どこかに行く姿はありましたが。それでも歌が流れる間、順次照明が変わるこの歌詞碑の前で、飛び立つ航空機を眺めるこの場所もまた、私にとって『指定席』であります。新千歳空港の北空港の歌詞碑、私にとっては別れではなく、また来る日までのしばしの挨拶をする場所のようです。
プロ野球セパクライマックスシリーズが終わりました。
勝ち残ったのは、両リーグのチャンピオン広島カーブと北海道日本ハムです。両チームの強さに敬意を表するとともに、ここまで頑張ったDeNAベイスターズ他4チーム、最後まで良い試合ありがとうごさいました。少し休んで身体をケアし、また来季に向けて、準備されるようお願いします。さて、残すところは、日本シリーズです。
それにしても大谷恭平選手、凄いですね。この『ひとりごと』でも、何回か書きましたが、大谷選手、栗山監督のもと、このチームに入団して、もともとあった才能に、さらに磨きがかかったようです。日本シリーズ出場を決めた試合、DHで先発出場していたところ、9回を迎える前に、栗山監督を何回も見て、投げたい!とアピールしたようです。それに応えた監督も流石です。以心伝心チーム一体を感じます。『圧巻のピッチング』、この言葉、今年何回か使われたでしょう。主砲中田翔選手は、アレを見て、もう、練習するのが馬鹿らしくなったなんて笑いを誘いつつ、チームメイトを讃えておりました。
一方の広島カープ、こちらは32年ぶりの日本一を目指します。同学年の1.2.3番トリオはもとより、チーム生え抜きの選手と、帰ってきたベテラン選手が一体となって、抜群のチーム力で、ぶっちぎりでセリーグ優勝を遂げました。もともと市民球団から発足した歴史があり、さほど潤沢な資金力があるわけではないと言われるのに、数年前に『カープ女子』と言う言葉が生まれたごとく、多くの熱心なファンに支えられて、久々の日本シリーズです。好試合が期待できそうです。 結果的には、杞憂に過ぎなかったわけですが、一部クライマックスシリーズの是非に関しては、議論がありました。ルールである以上、それに合わせて準備することと、これに参加する各チームの首脳陣は、言われました。
でも、シーズン1位のチームが、日本シリーズに出場できないことになっては、なんとなく違和感が残ります。特に今年のセリーグ、19.5ゲーム差です。ブロらしく、最後まで全力を尽くす、シーズン終盤で消化試合を作らない、そして、何よりも常に観客を楽しませるとの視点は、理解できなくはありません。確かにアドバンテージの1勝とか、本拠地開催等工夫はされておりますが、これだけ過密日程で試合を行うのでは、選手の怪我や体調不良が気がかりです。実際、骨折しながら出場した選手もいたと言われます。
最高の試合を見せてもらうためには、選手が最高の体調で、プレーできることが重要です。今回は、広島市と札幌市で試合が行われます。パリーグには、札幌市と福岡市を本拠地とするチームがあります。移動は慣れているとも言えましょうか。ところがセリーグは、広島カーブにしては、シーズン中は、全て東に向かうことになっていて、それは、陸路すなわち新幹線での移動だそうです。広島カーブが過去日本シリーズを戦った相手チームは、阪急、近鉄、西武で、いずれも陸路移動だったので、今回は、直線距離だけでも1200キロ離れている北海道札幌市までの移動では、航空機を利用せざるを得ないわけです。
ここで球団は、チャーター機を使用することを決めたと報道されました。 北海道札幌市の玄関口新千歳空港と、広島空港との間には、JAL便と、エアドゥANAの共同運行便各1往復があります。ただ、座席数は少なく、また、広島への帰りが遅い時間となるので、長時間のフライトでかなり不自由でしょう。そんな状況なので、カーブ球団は、日本航空と交渉して、日本シリーズ用のチャーター機を手配したとのことです。
諸経費を含めれば、往復で金10.000.000円かかるそうです。それでも選手の体調管理、ベストの状態でプレーできるように配慮するのは素晴らしいことだと思います。セリーグならではのハンデ?かもしれませんが、カーブ球団の英断に、マスコミ各社も賛辞を送っています。 広島市内から広島空港へは、山の中、かなり時間をかけて行き来します。
また、新千歳空港から札幌市内には、札幌ドームを通って、やはり1時間くらいかかります。移動時間を両チームの選手たちは、普段見れない風景を、のんびり眺める余裕はないかもしれません。
でも、リラックスして試合に臨める下地はできたかと思います。今、北海道は、紅葉が終わる時期です。さて、広島カーブの皆さん、帰りの新千歳空港を、どのような思いで出発されるでしょうか。両チームの健闘に期待します。
最近、徳川幕府、そして田中角栄氏を評価する声が聞かれます。
ともに外に向かって敵を作らず、戦闘行為がなく、国内でも大きな対立はなく、それなりに人々は納得して生きていたと言われるのです。特に田中角栄氏は、『昭和の顔』のトップに選ばれたこともあるようです。
日本が鎖国から目覚め、幕府の力が衰え、尊王攘夷が叫ばれてやがて倒幕に、そして明治維新を迎えました。若き志士たちが血を流し、王政復古を成し遂げて新しい国を作ろうとしたことで、幕末維新は、若者や歴女からも注目される時代のようです。確かに明治になり、新らしい国の骨格が決まり、近代化されていく過程は、私の時代の社会科の入試でも、いちばん試験に出るとされた部分でもありました。
数年前、NHKで、年末に3年間にわたって『坂の上の雲』と言うドラマが放映されました。これは司馬遼太郎氏が、なかなかテレビ化を承認されなかった名作であり、私も放映を楽しみにしていたものでした。ただ、なんとなく、私なりの勝手な解釈ですが、この時代を、そしてこのドラマをどう捉えるか、司馬遼太郎氏自身、幾らかの不安を感じておられたのではないかと思いました。
『坂の上の雲』には、3人の主人公がいます。いずれも幕末に四国松山で生まれ、それぞれの道で、日本の明治時代を支えることになる人物です。秋山好古、秋山真之、そして正岡子規です。司馬遼太郎氏の原作はともかく、あえて言えば、NHKでは、本木雅之さん演じる秋山真之に、スポットライトを当ててていたように思われます。
秋山好古は、大日本帝国陸軍の軍人で、陸軍大将にもなった人物ですが、日本騎兵の父とも言われます。秋山真之は、帝国海軍の軍人で、バルチック艦隊を迎え撃った日本海大海戦の折の作戦参謀で、彼が打電した『天気晴朗なれど波高し』は、今の世にも、あちらこちで使われているのです。正岡子規は、俳人歌人として知られますが、新聞記者の経験もあって、小説や評論の世界にも通じ、日本の近代文学に大きな影響を与えた国語学研究家であります。この3人が、幼少期から、松山での知り合い、遊び仲間であったことから、物語は始まりました。
司馬遼太郎氏は、もと新聞記者ですが、先の大戦で、壊滅的な結末を迎えた日本が、そこに至るまで、どのように近代国家として体をなしたかに関心を持っていました。明治維新により、急速に近代化した日本は、西欧列挙に学び、渡り合っていくにあたっては、やがては手が届くと思って登り始めたが、途方もなく遠く、長い道のりであったと言う、達成感よりも哀しさが残る感覚を、『坂の上の雲』と言う題名に残したのだと評価されています。『坂の上の雲』は、小説だけれども、司馬遼太郎氏は、事実のみ書いたと述懐されています。
ただ、明治初期の若者たちが、自己の志を、国家の進展と同じように捉え、それが秋山好古の騎兵隊であり、秋山真之の海軍戦術てあり、正岡子規の日本語による散文改革だったとの立場が出ていて、特に後半は、日露戦争が大半を割いているため、戦争賛美の作品と捉えられる危惧から、先のとおり司馬遼太郎氏は、この作品の映像化ドラマ化には、承諾されなかったと言うのが、NHKプロデューサーの弁でありました。
司馬遼太郎氏の相続人により、松山市に『坂の上の雲ミュージアム』が開設の許可を受けられましたが、そこには、『特定の政治、思想、信条を極端に賛美しない』という意図で開設にこぎつけたものでした。 NHKで放映された坂の上の雲、秋山真之の親友であって、旅順港閉塞作戦で落命した広瀬武夫中佐は、私が関心を持っていた歴史上の人物です。今では名俳優の仲間入りをされている元五輪選手藤本隆宏さんが演じましたね。
『杉野はいずこ』の歌で知られる広瀬武夫中佐、日本の軍神第1号として靖国神社に祀られ、かの石原慎太郎氏が、広瀬武夫氏の血染めのタオル?を保管していると報道されたこともありました。広瀬武夫氏の出身地大分県竹田市には、広瀬神社があり、市の博物館前には、その銅像があります。私は、『3分の2』に関して、あまりにも国民の意識が欠落していることに、もう居ても立っても居られない思いで、参議院議員選挙の日、大分県のある場所に行くため、前日、ついでと言っては失礼ですが、竹田市に行きました。私が見た広瀬武夫氏の銅像には、広瀬武夫氏が心優しい明治の男として紹介されていました。
軍神だとか英雄だとか無縁です。これは藤本隆宏さん演じる広瀬武夫そのままでした。そして私は先日松山市を訪れ、『坂の上の雲ミュージアム』に入館しました。『坂の上の雲ミュージアム』、まさしく特定の……のとおり、子どもや学生主婦らが勉強するスペースが設けられるているなど、日露戦争を持ち上げ、軍人らを讃えるものではありません。そこには静かに明治が、松山市が流れていました。
最近ある報道で、日本が、先の大戦であのような結末を迎えた、そしてそのように突き進んだのは、日露戦争に勝った!と言う勘違いがあったからだとする意見が、掲載されていることを知りました。私はもう、歴史に関心を持った当初から、日露戦争は負けなかったと言う認識です。セオドアルーズベルト大統領の仲介を得たのは、政治力であり、全権大使小村寿太郎外務大臣ならずとも、戦争が終わってよかった、負けなくてよかったと本当は思っていたのです。しかし、国民は、日比谷焼き打ち事件しかり、もう真実を見る目がなくなっています。カッコいい言葉に騙されています。そしてそのまま先の大戦に進む政府軍部を持て囃し、国民一体となった突き進んでしまったのでした。
私は、豊後竹田そして松山市に坂の上の雲の登場人物の足跡を辿り、彼らは決して英雄でも救国の主でもないことに、気づかされれました。少なくともご本人は、そうお思いだと受け取っています。それは、NHK『坂の上の雲』での秋山好古、秋山真之、広瀬武夫各人の描かれ方で確信しました。あの時代、志を持ち、優しさを持ち、生きていく過程で遭遇し、その場面で最大の力を発揮した先人たち、悔いはないでしょう。見事です。しかし、その後の日本が進んだ道、その過程で自分たちがいかなる評価され、後の世の人々に伝えられたかには、さて、どのように思われているでしょうか。
『世界一』とか、『強い』がある方から、盛んに述べられる昨今です。『我が軍』と言い、自衛隊員らを特に讃える言動をし、その賛同を求めます。 今年の12月、かつて戦ったロシア国の大統領が来日し、北方領土問題に大きな進展があるのではないかと言われています。ロシアのプーチン大統領、以前から『引き分け』という言葉を日本国民に贈りたいとしています。
かの日露戦争は、『引き分け』ではないかもしれませんが、日本は負けなかったと理解する私からすると、予定される『下関会談』の結果、あるお方が、こんなことを言われたら怖いと思います。『日本国民の念願が、我が内閣により叶った、北方四島のうち歯舞群島、色丹島が返還された。これは歴史的勝利であり、我が内閣の成果である』と。
そしてその直後に行われる衆議院議員総選挙、いよいよ憲法が変わってしまいます。日露戦争から学ぶのは、私なんかではなく、どなたかであるべきなのです。そんなことを松山市で考えてしまいました。
きさらぎ法律事務所での初回の相談は無料、相談時間の制限は設けておりません。このように申しますと、「本当?」と感じられる方が少なからずおられると思います。ホームページを見て申し込みされた方でも、この質問を受けることがあります。
実際このシステムを利用なさった方は、やはり本当だとわかります。
弁護士費用に関する日本弁護士連合会の規程が撤廃され、弁護士費用は、依頼者と弁護士が、自由に取り決めして良いことになりました。それで『初回無料相談』はできるのですが、巷聞くところ、相談料無料の法律事務所は、結構あるらしいです。ですから、『本当ですか?』のお尋ねは、相談時間に制限がないことについてであります。
むしろ、「何時間かかるのですか?」のご質問を受けることもあります。つまり、反対に、ずっと拘束されるのではないか、何かいろいろ聞かれるのではないかと思われるのでしょう。
予め30分と決めれていると、相談者は、これこれを聞こうと決めていて、質問してその答えを欲します。いつも言うことですが、相談者が聞きたいと思っていることが、事案の解決に有効かと言えば、全く無駄ではないにしても、解決には直結しないことがほとんどです。そもそも自分が期待する答えが欲しい、そうなるような前提で質問されるからです。
弁護士の答えが『YES』であったとしても、紛争の相手方にその通り言ってやっても、「はい、わかりました」とはならないですね。もし『NO』の回答を貰ったら、諦めますか?法律専門家の答えですから、食い下がっても仕方ないとは思っても、30分程度のやりとりでは、『それではどうすれば良いか』には進めません。
これは経験としか申せませんが、何時間もかかることなく、私の相談は終了しています。相談を受けて、質問に対する答えを出し、それではどうするか、相談者にとって何が良いのか、つまりこの事案の終着点はどこか、どこで収め、何を確保するのか、初回相談の機会に申し上げます。つまり解決を齎す回答です。そこに行くためのプロセスをその次に説明します。相談時間の前半は、ただ黙って聞いている、その質問に対する回答を差し上げる、そして後半は、それでは何をすべきか、どうするかを私からお話します。
後半戦は、ほとんど私が喋っています。そして『時間』終了です。過不足なく時間を使っています。ほとんどの方が、やり残し感なく帰られると思っています。時間制限なんかなく、ごく自然に終了しているものです。
ですから、時間制限はない、必ず面談して相談をと申し上げるところを面倒だ!とは思って欲しくないのです。電話、メールのみでの相談は受付していないのは、そんなやり方だけで解決できる法律問題はないからです。端的に言えば、しっかり時間を作って、弁護士に相談しようとの姿勢がなければ、抱えている問題は、解決しないのです。
最近は、きさらぎ法律事務所のホームページをよくご覧になっているのに、あえて電話で、とか、内容証明を出してとか、申し込みされるケースが出ています。アクセスしていただいたことは誠にありがたいのですが、お断りしています。その申し込み者にとって、何ら解決にならないからです。
さらに厚かましく付け加えますと、それでもいい、解決したかどうかは、自分で決めるのだとお思いでしたら、さらに危ない。相談を受ける前に『これを聞こう!』と考えていたところが、まず間違いと言えるからです。
それを気づいていただく、そして、ご相談者にとって何が解決なのか、そのために何をするのか理解していただいて、一緒にやっていきましょう、こうなるのです。
ここからのお話です。
それでも依頼されないのはなぜでしょう。
もちろん、同じような回答道筋を示されて、そちらの弁護士に依頼されるのは良いことです。私は、初回相談を終えた後、他の弁護士にも、相談されることをお勧めしています。もちろんそれは、安心して弁護士福本に依頼していただきたいからです。でも、その結果、私と同じような対応回答をし、その方向でやろうとなって、その弁護士に依頼されるのでしたら、解決します。解決までのきっかけを与えたことで、私も自己満足ですが、嬉しいです。しかし、持ち帰っても、『そのまま』の方がおられます。
せっかく相談を受けても、動かなければ解決しません。なぜ弁護士に依頼されないのでしょう。別に困ってなければ、人間は動きません。それはそれで良いのです。しかし、納得していないというのではなく、割り切れない、諦めきれない、やはり気持ちの整理がつかないのでしょう。
ここまでくれば、法律問題ではないですね。決断です。やらない限り変わらない、それでも良いのだと言うことです。それはひとつの選択です。ただ、問題の先送りは、いかがなものかとは思います。究極を言えば、もし相続が起きたらどうしますかです。
相談者にとっては、法律事務所にいらっしゃるのは、大きな階段を上がったことになると思うのです。今度は決断です。まだ自分の期待する答えが欲しくて、あちらこちら法律事務所を回っている間には、余裕があるのでしょう。
それでも期待する答えが得られなかったときは、決断が求められます。でも、最初にどこかの法律事務所を訪ねたときの決断より、ハードルは、下がったのではないでしょうか。弁護士に相談しようと思ったとき、そしてきさらぎ法律事務所に相談申し込みしたときの勇気があれば、解決できない問題はありません。
相談後のあなたの勇気を信じています。