明太子の日
2015年1月10日
1月10日は、『明太子の日』です。知る人ぞ知るではありますが、昭和24年のこの日、現在は福岡市中州を本社とする株式会社ふくやが、初めて『辛子明太』を店頭に並べて販売したことに因んだのだそうです。
今では福岡みやげの定番となった辛子明太ですが、ふくや創業者初代川原俊夫氏が、戦後満洲から福岡に引き揚げた後、子どものころ、韓国釜山で暮らしたときに食べた味が忘れられず、独自のやり方で研究を重ね、これを日本の食卓でも食べられるよう、遂に販売にこぎ着けたということです。初代は、皆に食べて欲しいとの思いでしたから、周囲の人たちに作り方を教え、これが広まって、「明太子を販売したい」と言う事業者が出れば、丁寧に伝授したと言われます。商標登録せず、特許も取得せず、ただ食べてもらいたい思いだったと述懐されました。ですから、福岡市内に数ある明太子販売業者の中で、ふくやは、『元祖』を名乗らないのです。
福岡で暮らしたことがあり、福岡大好き人間の私は、もともとあまり辛子明太は食しませんでした。それは、唐辛子が苦手と言う理由もありましたが、三方が海に面し、博多湾の先玄界灘は屈指の漁場である福岡県の名産が、スケソウダラの卵を使った加工品というのは勿体無い、「な~んだ、やっぱり魚は北海道だな」と言われるのではないかと思われるのは、悔しい思いがあったからです。
随分狭い了見でした。初代川原社長は、利益や権利、名声?なんか関係なく、ただこんな美味しい食品は、広くみなさんに食べて欲しい思いだったわけです。一昨年、福岡市をホームタウンとするサッカーJリーグ第2ステージに属する『アビスパ福岡』が、資金難で、Jリーグからの強制脱会の危機が報じられた折、株式会社ふくやは、明太子のギフトセットの売上代金全額を、アビスパ福岡に寄付する支援活動をされました。その結果、用意した2296セットは瞬く間に完売となり、約900万円と見込まれた売上金は、全てアビスパ福岡に渡されたのです。危機を脱したアビスパ福岡は、今年は、元日本代表主将を務めた井原正巳氏を監督に迎え、次のステップに進むことができました。
このころから、私は、ふくやの明太子をよく食べるようになったのです。全て直営方式のふくやの明太ですが、きさらぎ法律事務所は、通販の会員になり、大切な方々に、ふくやの明太子を食していただいております。因みに、きさらぎ法律事務所は、『アビスパ福岡』の法人後援会『ソシオ』に所属してもおります。
最近、日韓の交流、あり方について、あちらこちらで議論がなされおります。今では、日本全国の食卓に欠かせない明太子は、満洲そして釜山を経由して、素晴らしい先人の努力によりもたらされたものだと知る人は少なくなったのでしょう。いっぽうでは、インスタントラーメンは、日本から韓国にもたらされた歴史があります。『歴史は忘れてはならない』と言うことでしょうか。
人間の引き際、辞めどき
2015年1月9日
フィギュアスケート男子町田樹選手が現役を引退しました。2015年3月に中国で行われる世界選手権に臨む日本代表が発表された場での引退表明であり、日本スケート連盟さえこのこと知らず、まさに電撃引退でありました。
『氷上の哲学者』と言われる町田樹選手ならではの決断と場面の感があります。町田元選手は、近年のスポーツ選手のキャリア問題について大学院で学び、今後フィギュアスケートをスポーツマネジメントの領域で考察する研究者として、競技人生を支えてくれた全ての人に恩返ししたいとのメッセージを残されました。
実に見事、清々しい気持ちにされられました。これまた、町田樹氏のお人柄なのでしょう。
アスリートの引退には、いろいろありました。今年も、多くのアスリートが引退されましたね。数年前になりますが、もうやり残したことはない、このチームは優勝できる力があるから納得した趣旨を言って、シーズン途中のヒーローインタビューで、突然引退表明したのは、北海道日本ハムに在籍した新庄剛志氏でした。新庄氏の予言とおり、この年チームは日本一になりました。
アスリートに限りませんが、『辞めどき』は、とても大切だと思います。私は、会社経営者、個人事業主の方に、会社事業は、始めるよりも止めるほうが難しい、良い経営者は、辞めどき引き際を誤らないと申します。
信長、秀吉、家康、それぞれファンがおります。若いころ、私は、どうにも徳川家康を好きになれませんでした。狸親父と言われるごとく、何か企んでいる、真っ向勝負しないように思えて格好良さ、潔さを感じなかったからです。その点信長は、思う存分好き勝手を楽しんで、『是非もない』と言って本能寺に消えました。秀吉は、志さえ持てば、………の立身出世型の代表でありました。
でも、年を経るに従い、最期に怨恨から殺害される、晩年に多くの人の死を命じるような生き方には、同意出来ない思いになりました。
昨年放映されたNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』でもそうでしたが、徳川家康は、豊臣秀吉時代の末期の世を承継しない、天下は天下を収めるべき者が収めるとして、戦乱の無い太平の世を新しく創る考えだったとされています。
それに相応しい人物だったからこそ、長生きできたのでしょう。言い伝えに過ぎませんが、平清盛は、熱病により悶死した、源頼朝は、源義経の亡霊を見て落馬して死んだなど、それなりの功績を残しながら、残念な最期でありました。
また、後進に道を譲ることも大切です。女子柔道のある階級は、能力の高い選手が揃っておりながら、このところなかなか結果が出ないと聞きます。いっぽうで、若手に混じって、若手とともに精進を重ね、納得いくまで闘う姿勢を維持する選手もおられますね。
レジェンド葛西紀明選手には、学ぶべきところが多々あります。
人間の引き際、後進に譲るとき、新たな道に進みとき、これはなかなか難しいものです。ソチオリンピックで、日本中が泣いた浅田真央さんは、どのような選択をされるのか、アスリートとして、若者そして年頃のお嬢さんとして、悔いのない選択をされることを望みます。
駅弁の思い出
2015年1月8日
1月8日から、京王百貨店新宿店で『元祖有名駅弁と全国うまいもの大会』が2週間にわたり開催されます。
今や駅弁を販売する駅は、東京駅のような大きな駅だけとなり、列車の窓を開けて、「お弁当屋さーん」と、僅かな停車時間を利用して必死に名物駅弁を買い求めた時代は、昔日のこととなりました。京王百貨店のこの催事は、毎年テレビ放映され、凄い人集りとなっています。特に、昔なつかしと思われるのか、私のような年配族が多いのです。
皆さん、駅弁にはどのような思い出がありますか?もちろん、新幹線等の車内販売の経験はあるでしょう。でも、乗車中の列車が停車したときに買ったという経験は、相当昔となるのではないでしょうか。
私の思い出は、「やはり!」と思われるでしょうが、『横川の釜めし』です。今は廃線となった信越本線横川駅にあった『おぎのや』さんが作る峠の釜めしです。長野新幹線が開通する前までは、群馬県と長野県の県境となる碓氷峠を越えるには、横川駅で機関車を増結しなければなりませんでした。
その作業の時間に横川駅では、いっせいに乗客がホームに下車して、おぎのやの売り子さんから幾つも釜めしを買い求めたものでした。横川駅の次が軽井沢駅だったこともあり、若者のグループが、沢山買い求めておりました。何回か横川軽井沢間を通った私ですが、大学1年生の夏、仲間(悪い友人?)たちと『合宿』に向かう途中で買い、食べた『峠の釜めし』がいちばんの思い出となっています。
昨年久々に会ったあの時の彼らも、このときの思い出を言っておりました。
駅弁は、懐かしい思い出となって、私たちの心に残っているのです。あの時あの頃にタイムスリップするようです。駅弁とともに、あの時の情景が浮かびます。
今年で50回となった『元祖有名駅弁と全国うまいもの大会』に行って来ます。
それにしても催事に並んだ駅弁の値段には、正直びっくりしますね。今の駅弁には、何処か郷愁を感じ、こどものころに戻る代金が含まれているのだと思っています。
美味しさは、あまり関係ないのかもしれません。でも、お金を気にせず買いたくなる物は、とても大切だとも思えるのです。
初詣
2015年1月7日
1月7日は、七草粥を食べる日とされます。春の七草、すなわち、セリ、ナヅナ、ゴギヨウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロを入れた粥を食べると健康に暮らせると言う古来からの風習です。もともと1月7日は、正月元旦から7日経過した『七日正月』で、一つの節目となるこの日に粥を食べて邪気を払う中国で生まれた言い伝えとされます。
それと1月7日は、日本国民にとって、大きな時代の切り替えがあったなが~い1日でもありました。この日、朝からテレビをつければ、皆喪服を着用していたのです。そうです。昭和から平成へと、時代は移りました。激動の昭和等称されることが多くなり、若い世代には『昭和』と聞いても、ピンとこないかもしれません。昭和64年が平成元年です。戦争を知らない世代が大半となりました。
以前、昭和天皇即位50年事業の一環として開設された昭和記念公園について触れました。明治天皇を偲んで設営された代表的建造物と言えはなんでしょう?初詣日本一の参拝数となっている『明治神宮』がこれです。
若者の街原宿から行く明治神宮の祭神を知らない人は多いのではないでしょうか?お生まれになった京都の御陵に埋葬された明治天皇の神宮を、ぜひとも東京にも造りたいとの国民の希望から、全国青年団の勤労奉仕により、1920年(大正9年)に鎮座式が行われ、ここに明治天皇、昭憲皇太后を祭神とする今では正月三が日で300万人の初詣客となった明治神宮が存在した経過があります。
初詣のとき、よく「何をお願いしましたか?」の質問があります。例えば、神田明神の参拝客には商売繁盛、湯島天神の参拝数には合格祈願、金刀比羅さんや厳島神社には海の安全をとなるのでしょう。今年数年ぶりに明治神宮に初詣をした私は、何を祈願したのでしょう。
それはヒミツです。
あけましておめでとうございます。
2015年1月1日
新年あけましておめでとうございます。
2015年(平成27年)が動き出しました。
今年は、わたくし福本悟にとっては、大学卒業35年、弁護士登録30年、きさらぎ法律事務所を開設して20年を経過した年に当たります。そして、日本の戦後70年の節目の年でもあります。
よく『五十日』と言う言葉が使われます。もともとは、京都にある寺院の祭日に当たる5日に、講の賭け取りを行うとうまくお金が集まるとの謂れから、取引の決済、お金の集金は5日か10日に行われる慣習が培われたもので、5日、10日、15日、20日、25日、そして月末は、特に銀行は混雑しますね。
私も、この良い数字が並んだ本年は、多くの方々が、きさらぎ法律事務所にお集まりになり、いろいろなお話をしながら、自ら学びつつ、ここをお訪ねになる方々のサポートができればと念じるものでございます。
このところ思うのは、どんなに説明し、ご説得しても、意を決して法律事務所をお訪ねいただいた方々に対し、その悩み・辛さを取り除いて、安心・平穏・無事を齎すことは、なかなか難しいということであります。時として、十分ご納得いただいたと思ってしまって、自己満足に陥る危惧もあります。
今年のNHK大河ドラマは、『花燃ゆ』です。この女性主人公杉文の兄吉田松陰の有名な言葉として、「至誠にして動かざる者は、未だ之あらざるなり」があります。
吉田松陰を尊敬する山口県出身の安倍晋三内閣総理大臣も、これを座右の銘とされています。法律問題を抱え、私どもと邂逅する方々に対して、まだ理解を得ることが叶わず、安心・平穏を差し上げられないとするならば、それは私どもの誠意が足りないことだということです。
もともとは、孟子の言葉とされるこの言葉を大切にした吉田松陰は、必ず自分の真心、誠意は天に届くとの信念がありました。そして、松陰亡き後、弟子たちにより、時代は動いたものです。
不肖私めも、司法修習生になったとき、また結婚したとき、その節目節目にあたり、吉田松陰に学ぶことを誓い立てしてまいりました。決して今をときめく安倍晋三氏の真似っこではありません。
国民から大きな信頼を得て、昨年末、新たな進路をきった安倍晋三内閣総理大臣にはとうてい及びもしませんが、誠意と真心を尽くした先人に学び、初心を忘れず、2015年も執務しなければならないと思っております。
今年もよろしくお願いいたします。