きさらぎ事務所をご愛顧くださり誠にありがとうございました。
2014年12月31日
2014年(平成26年)も残りわずかとなりました。きさらぎ法律事務所をご愛顧くださり、また、きさらぎ法律事務所ホームページの『福本悟のひとりごと』にお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。
きさらぎ法律事務所福本悟にとって、今年は、事務所ホームページを改定したことが、いちばん大きな出来事だったと思っております。これを立ち上げるのに2年かかりました。基本的に、もともとのホームページの内容は変えず、多くの方々に知っていただくにはどうするかの観点から、試行錯誤を重ねて今秋アップいたしました。まだ前ホームページとの繋がりや整合性など不十分なところがございますが、リニューアルしたホームページに肯定的なご意見を賜ることができまして、嬉しく、また、いくらか安堵いたしております。
自分を知っていただく、要するに、自分をアピールする場として、事務所ホームページは大切です。特に私のように、ひとりで事務所をやっている者は、自分の特徴を示す必要があります。
でも、人とは違うと言うあまり、『我が強い』独りよがりな人間になってしまわないよう、常に多くの方々からチエックされる必要があります。やはり基本は、いろいろな人と交流し、多様な意見・考えを吸収することだと思っております。私は、仕事を通して、いつも学習させていただいているのです。
東京で弁護士業務に携わると、自ずと霞ヶ関に行くことが多くなります。しかし、事務所にお越しいただく方といろいろなお話をする時間が、年々多くなった感があります。よく、話し上手より聞き上手と言われます。まずは、皆様のガス抜きの役目を仰せつかり、一緒に目指すべき到達点を考えていきたいと思っております。
会話を続けることは、お互いの能力を高めることに繋がるでしょう。来年も、人の話を聞く、「こうだ!」と決めつけず、一緒に考える姿勢で務めたいと念じます。どうぞきさらぎ法律事務所にお越しになって、福本悟といろいろなお話をいたしましょう。お待ちいたしております。
フェアプレイとは
2014年12月30日
今日は、宇都宮に来ました。宇都宮と言えば餃子です。なぜ宇都宮が餃子の街になったのか知りませんが、東日本大震災の年は、餃子日本一の座を、浜松市に明け渡したそうです。もっとも、浜松市は、正々堂々勝負したい由で、日本一は辞退し、翌年に持ち越したそうです。フェアプレイですね。さながらスポーツならば、スポーツマンシップと言うところでしょうか。
これで思い出すのは、ロサンゼルスオリンピックの柔道山下泰裕さんの金メダルです。山下選手は、オリンピックでの金メダル獲得を幼いころより目標に精進努力を重ね、無類の強さを誇りましたが、4年前のモスクワオリンピックが、まだ冷戦の最中、西側諸国のボイコットにより参加の道を閉ざされました。そして満を持して臨んだロサンゼルスオリンピックで、順調に勝ち進んだものの、準決勝で脚(腕?)を負傷してしまったのです。とても試合ができる状態ではないのに、山下選手は、決勝戦に強行出場しました。
ここで相手となったのは、エジプトのラシュワン選手でした。山下選手は、まともに柔道ができないのに、彼は力を抜くことはせず、しかも痛めている箇所は、一切攻撃しなかったのです。こうして山下泰裕さんは、金メダルを獲得しました。
このとき日本では、山下さんの勇姿よりも、ラシュワン選手を讃える声が大きかったと記憶しております。
ラシュワン選手は、互いに互角のところは正々堂々と闘い、本人の責任ではないのに、差がついたところはそれを利用しないと言う潔さ、寛容の精神、優しさを持っておられました。
さて近頃、本人の責任ではなくついている差について、寛容ではなくなった様相が見られます。競争が成り立たない分野にまで、競争原理を取り入れていることがそれです。常々私は、「強さよりも優しさが大切」と申しております。
果たしてフェアプレイとは何でしようか。宇都宮で餃子を食べながら、ふと考えてしまいました、
東京駅で思うこと
2014年12月29日
先日、出張のため、東京駅から新幹線に乗車しました。東京駅では、報道されたような100年記念のSuica販売の混乱の跡は、感じませんでした。駅には休みはないということでしょう。
新幹線は、昔『夢の超特急』と呼ばれました。夢と思うようなスピードを出すことから言われたのだと思っています。でも、庶民の間には、新幹線は、夢を運んでくれる思いもあったのだと思っています。
東京と新大阪を結んだ東海道新幹線が最初でした。今では、東海道山陽新幹線はJR東海が、東北秋田山形新幹線、上越長新幹線は、JR東日本が運行しています。東京駅には駅長がそれぞれいる理屈です。今ではあまり意識されなくなりましたが、以前は『国鉄』、すなわち日本国有鉄道だったところ、万年赤字を解消する目的で、——それだけではありませんが、——分割民営化された歴史があります。不採算路線の廃止やリストラは、これが最初だったかもしれません。
東京で暮らしていると、旅行や出張のとき利用するのが新幹線のイメージがありますが、新幹線に乗って東京駅に降り立った方々は、どのような夢を抱かれていたのでしょう。
私の場合は、むしろ東京駅が出発点でありました。昔国鉄時代、『ディスカバジャパン』『一枚の切符から』、そして『いい日旅たち』のキャッチフレーズで、鉄道旅行を推奨する流れがありました。子どものころ、何処かに行ってみたいと思っておりました。特に東京駅を発車する夜行列車、ブルートレインは、大好きでした。あさかぜ、さくら、富士、はやぶさ、みずほ、懐かしいです。これらは全部乗りました。東京と大阪を結んだ急行銀河は、何回乗車したことでしょう。時代の流れか社会の進化か、ブルートレインは無くなり、新幹線は、津軽海峡を越えるまでになり、すべからく日本中に繋がることでしょう。
都会にいると、なんとなくブルートレインなどの長距離列車を見ると、郷愁を感じます。新幹線が地方の方々の夢を運ぶのだとしたら、都会で暮らしている私たちは、夢の源を探しに旅たつのかもしれません。『いい日旅たち』は、日本の何処かに待っている人がいる、昔子どものころ、母の背中で聞いた歌と一緒に探しに行こうというくだりがありました。
夢の源は母、誰にでもふるさとはあるということなのでしょう。
東京駅100年
2014年12月28日
東京駅100年を記念して、Suicaの購入を巡り、東京駅が混乱が生じたとして、1万5000枚枚用意したSuicaのうち、8000枚を販売したところでJR東日本は、販売中止を決めたこと、これに遠方から来た人、寒さの中、早朝から列をなした人たちの怒りは収まらず、警察官が臨場したなどと報じられております。
このSuicaの販売に当たっては、前夜からの行列の禁止は発表していたものの、当日の列の誘導も、整理券の配布もなく、販売時刻前から、横入りやら、駅利用者との住み分けなど、様々な憤懣が出ていたようで、JR東日本東京駅は、危険と判断して急遽中止を決めたようであります。
おそらく東京駅側は、どれくらの人が購入を希望して並ぶのか、予想が出来ていなかったのでしょう。それにしても、年中無休の駅構内で、特設ブースを作って販売するというのは「?」と思いました。駅側と購入希望者とのトラブルならまだしも、普通に東京駅を利用するお客さんと、東京駅大好きで並んだファンとのトラブルは、避けていただきたいものです。なんとも杜撰ですが、中止はやむを得ないと言ったところでしょうか。
実は私は、子どものころ、熱心な鉄道ファンでした。小学校4年のとき、当時の東京から博多までの駅名を覚え、小学校の発表会では独自の時刻表を発表し、消えゆく蒸気機関車を追って、あちらこちらに出向いた経験があります。これをやっていると、自然に地理に堪能になり、弁護士業務を行うに当たり、依頼者との会話、そして効率良い出張に、役立っていると思っております。
東京駅との思い出はたくさんあります。別れ?もありましたし、鉄道ファンなら誰しも懐かしむ『大垣行き』には何回乗車したことでしょう。私のある意味人生を変えた福岡博多に赴任するにあたっても、25歳の春、東京駅からブルートレイン『あさかぜ1号』で旅立ったものです。
東京駅100年おめでとうございます。こんなおめでたい日に、人間のミスで台無しにしたら悲しいですね。でも、東京駅は、そんな人間社会には、また「再販売」という形でチャンスを与えてくれます。
ところで、第1次なんとか政権で、『再チャレンジ』と言う言葉が、政策のひとつとして語られたことを覚えております。失敗しても、政府がサポートするような政策だったように記憶しておりますが、もう、失敗しても助けてもらえなくなったのでしょうか?みんな自由でやった責任だから。
助け合う猿の仲間たち
2014年12月27日
インドで、線路上の架線に感電して気絶した猿を、猿仲間が必死に助け出す姿が、カメラに収められてテレビに放映されました。気絶して意識を失っている猿を、何処かから来た猿が叩いたり、引っ張たりし、それでも反応しないので、今度は別の猿がやって来て、かなり手荒らな刺激を与え、遂には近くを流れる下水?に、気絶して倒れたままの猿を漬け込み、やがて気絶した猿は意識を回復して、その場をみんなで立ち去ったというものであります。
この間20分くらいだったようです。ずっとカメラを回しているのも忍耐?がいるでしょうが、場所は鉄道の駅構内であり、ホームには人がたくさん居て、猿の救命を見守って?おりました。
人間社会では、駅構内に転落した人を助け出すなど、とても危険で勇気のいること、決して奨励されないでしょう。猿は命を顧みないのでしょうか?危険だとわからないのでしょうか?猿を助けるために、命を危険に晒すことは、人間には出来ないと言うことでしょう。それはわかっているつもりですが、なんか単純に「凄いな!」と、猿に感動してしまいました。
「猿真似」という言葉があります、猿が人の動作を真似るように、考えなく、なんでも他人の真似をすることを意味するとされます。でも、猿は、人間の真似をするのでしょうか?この言葉、なんか猿をバカにしているような感じがいたします。
サルと言えば、豊臣秀吉が有名ですね。織田信長は、木下藤吉郎を召し抱えるにあたり、『サル』と呼んだと言われます。希代の革命児信長は、藤吉郎を蔑視する意味で、『サル』と呼んだのではないのでは?これは結果論に過ぎないのかもしれませんが、信長は、後の秀吉の才を見抜き、何か他とは違う自分にとって特別な存在と思い、このような呼び方をしたのではないでしょうか?
旧石器時代、ネアンデルタール人、クロマニヨン人、何か猿の面影がありませんか。科学的には知りませんが、猿が進化したのが人類だとすると、天才信長は、秀吉の進化を予見していたのもしれません。これは珍説ですね。説ともなり得ませんが。
でも、人間社会では、なんでも他人の真似をするのはいかがなものでしょう。猿は進化し続けて今日に至ったとして、人間は、果たして今後どのような進化を遂げるのでしょう。
後の世代に確実に『良い物』を残せる場合だけ、人間は、先人の真似をすべきでしょう。進化せず、後戻りするような真似は止めてもらいたいものです。
昨今、『後戻りしてはならない』と言う言葉が流行りました。私も同感です。平和憲法がなかったあの戦時下には後戻りしたくありませんから。賢い方々は、間違った真似、変な懐古主義には至らないと信じます。