『お客様は神様です』と教えられることは、お客様に現場で対応する者のストレスになることを、理解する必要があります。

2016年9月27日
テーマ 
以前この『ひとりごと』でも書きましたが、電車内にベビーカーを広げて乗車することの可否が、また議論されていました。迷惑行為のひとつとして取り上げられるのだと思います。結論としては、国土交通省や鉄道の団体からは、乗車OKとされているので『ダメだ』は間違いとなります。

しかし問題なのは、乗り方と言うか、ベビーカー利用者のマナー、常識?だと思われます。危険な乗降をする、連れ立ってワーワー騒ぐ、お菓子を食べさせるなどしてゴミを落とす、堂々と他の乗客の妨げとなる位置にベビーカーを広げる、ぶつけても謝らない等等でしょう。

でも良い風景も目にします。乗降の折、他の乗客が手助けするところ、車内でお母さんが、子どもに優しく車内マナー?を教えるところなどです。要するに、公共交通機関を利用する人の心の持ち方でしょう。

乗客のマナーを言うなら、ときに駅や車内で声を荒げて言い合う姿は、感じ悪いですね。特に酔っ払いが多いらしいですが、駅員にクレームをつける、果ては暴力を振るう事例が増加傾向にあるそうです。駅員さんも、お気の毒と思います。お客様って、なんでしょうかね。お金を払っているから偉いと勘違いしているのでしょうか。

飲食店でも、横柄な態度の客いますね。鉄道会社も飲食店も、お金を受けて、サービスを提供しているのです。法律上は、双務契約と言い、代金とサービスが均衡を保つ関係です。確かに鉄道会社は、目的地までお連れすること、飲食店は、安全確実に料理を召し上がっていただくことまでサービスに含まれているのでしょう。しかし、サービスを提供する側の責任ではないところで、目的が果たせなくなることもあるのです。

関西方面の鉄道会社が運行する電車に乗務していた20代の車掌が、電車が駅に停車して、乗客とのやりとりの最中、突然制服制帽を脱ぎ捨てて線路に降り、高架線の線路からその後数メートル下に飛び降りて重傷を負った『事件』が報じられました。なんでもこの車掌が乗務した電車は、数駅先を通過していた電車に人が飛び込んだために、路線は運転見合わせとなって、しばらく駅に停車していたようです。

すると人身事故のためにしばらく駅に停車したままとなった電車の乗客から、この車掌さんはあれこれ言われたらしく、その直後、先の行動に至ったとされています。事実関係は、よくわからないところがありますが、ある報道では、『車掌、逆ギレ』と書かれていました。

『逆ギレ』なる言葉は、ある現象から生まれた造語でしょう。被害者と加害者がいて、迷惑を被った被害者が、加害者に対して怒りや抗議の姿勢を示したとき、自分が批判されていることに耐えられない加害者が、逆に被害者に対して、開き直り的に怒りの態度を示して刃向かう現象を指すと言われます。

つまり、被害者と加害者が、明確になっている前提があるのです。

この車掌さんが勤務する鉄道会社の電車が、運転見合わせとなったことについては、確かに定時に目的地に到着できない点で、乗客は、被害者と言えるかもしれません。しかし、人身事故自体は、鉄道会社に落ち度があったと言うべきでしょうか。民法では、自己の責に帰すべき事由により、他人に損害を与えた場合に『不法行為』とされます。

少なくとも、この車掌さんは、乗客との関係で、『加害者』に位置づけられるとは思えません。ネット上の多くの意見は、むしろ不可抗力に近い事情により電車は停車しているのであり、乗客が車掌を取り囲んで文句を言うことがおかしい、無理難題を吹きかけられてひたすら平身低頭していたとすると、それに罵声を浴びせたり、怒鳴りつけるほうが『加害者』だと言うものです。

少なくとも『逆ギレ』は、ないだろうです。

鉄道会社に勤務した人は、基本的に鉄道が好きなのだと思います。大好きだったはずの電車の乗務を放棄して、鉄道マンのシンボルでもあったはずの制服制帽を脱ぎ捨てて線路から飛び降りるとは、よほどの精神状態に追い込まれていたのでしょう。公共交通機関の職場にある者として、職場放棄の上、さらに鉄道ダイヤに影響するような仕儀に至ったことは、いち鉄道ファンとしては残念な気持ちです。

しかし、あくまで報道やツイッターからの情報の域を超えませんが、この車掌さんを追い詰めた原因ってなんだうと思わざるを得ません。乗客だってまさか人身事故でダイヤが乱れるとは予想せず、予定を組んでいたでしょう。でも、この車掌さんを問い詰めて、まして文句を言い、さらに早く運行させろ!と騒いだところで、電車が動いて『問題』が解決するものではないでしょうに。何かの腹いせに、お客様は神様であって、運転見合わせに関しては平身低頭するしかない鉄道会社側に当り散らしているだけにしか映りません。反論できない、してはならない人に対する攻撃は、私が特に嫌いなやり方です。

先に申しましたように、運行契約は、双務契約です。片方のみが神様ではありません。もちろん金を支払う前提として、定時に目的地まで運んでくれることがあるわけですが、運行会社に責任がなく目的が達せられない場合にまで、まして、その会社の一従業員に過ぎない車掌さんを吊るし上げて何になるんでしょう。

人身事故も、まして運転見合わせも、この従業員の判断責任ではないはずです。私は追い詰めた乗客の行動に、納得致しかねます。もし、この車掌さんが不条理に対して反論?でもしたならば、さらに大騒ぎになったいたようにも思います。

私がその場に居合わせたら、おそらく車掌さんに文句を言い続ける人たちの姿に、不快感を持ったと思います。乗客のマナーってなんでしょう。公共交通機関の使命はあるでしょうが、これを利用する人のマナーもあるでしょう。

ベビーカーだけの問題ではないと思います。最近車内マナーが気になるおじさんのひとりごとでした。問題の『事件』を起こした車掌さんの回復と、職場復帰を願っています。

 

『ハマの番長』こと、横浜DeNAベイスターズ三浦大輔選手の現役引退報道に寄せて。

2016年9月26日
テーマ 

秋にもなると、春先から行われていたプロスポーツも、終盤を迎えます。プロ野球のペナントレースも、先日セ・リーグでは、圧倒的強さで広島カープの優勝が決まりました。

 

また、12球団中唯一クライマックスシリーズに、出場した経験がなかった横浜DeNAベイスターズが、シーズン3位以上を確定させ、これに初めて出場することが決まっております。いっぽうパ・リーグのほうは、北海道日本ハムファイターズが、優勝マジックを点灯させました。

 

こちらは、2位の福岡ソフトバンクホークスとは1ゲーム差であり、最後までペナントの行方はわからない状況です。 シーズンも終盤になると、この年限りで引退を表明する選手が現れます。既に横浜の三浦大輔選手、日本ハムの武田勝選手、阪神タイガースの福原忍選手らが引退表明しました。シーズンが終われば、次々と引退を決意する選手が出てくるでしょう。引退と言っても、自分はやり遂げたと納得して、ユニフォームを脱ぐ選手もいれば、いわゆる戦力外となって、契約更新が認められず、かと言って、他の球団からの誘い、契約締結に至ることがなくて、不本意ながらこの世界を去る形での『引退』をされる選手もおられるのです。

 

プロの世界は厳しいと思わせる瞬間です。 子どものころから成人するまで大田区に住んでいて、また、一 時期川崎市にも住んだことのある私は、元大洋ホエールズのファンでした。大洋が、日本シリーズに初出場して、4戦全勝して日本一になった昭和35年のことは、記憶にありません。子どもから大人になる過程で、大洋ファンと言うよりも、ある球団が大嫌いになりました。よく言われるアンチ○○であって、このチームが負けると、気分が良かった時期が続きました。

 

その後大洋球団が、本拠地を横浜に移したころから、ホエールズ、後のベイスターズにはあまり関心がなくなり、平成10年の2度目の日本一のときも、それほど感動したものではなかったのでした。また、アンチ○○のほうも、このチームが常勝軍団ではなくなり、また、いろいろ野球外でくだらない話題が出てくるようになって、もう敗けろ!と強がる必要はなくなりました。 ですから、私は、あまり野球には関心はないのです。ただ横浜地方裁判所に行き来するときに乗り降りする『日本大通駅』には、横浜スタジアムの最寄駅と言うこともあり、ベイスターズの選手のポスターが、あちらこちらに張り出されていることには、いくらか気になってはおりました。

 

やはりベイスターズが勝つと良いなとは思えるのです。よく種を蒔き、耕し、実りをつけると言われます。今年のカープは、ブラウンーー野村ーー緒方の各監督が、長い目線でひとつづつ丁寧に選手を育て、チームをまとめ上げたと評価されます。ベイスターズも球団オーナーが代わり、高田GM、中畑清監督になり、今年承継したラミレス監督により、丁寧に育ててきた成果が、少しづつ現れてきたのだと思います。

 

それと球界最年長、『ハマの番長』こと三浦大輔選手兼任コーチの存在が大きかったと思うのです。 三浦大輔選手は、若いころからリーゼントヘアで、番長らしい風貌だったわけですが、横浜一筋25年、ベテランから神の域に 達してもなお、黙々と練習する姿は、若手ならずとも感銘を受けるものです。『番長』とは、こと三浦選手に限っては、強面のツッパリではなく、自ら率先してなんでもやる、いくつとなっても追い求める諦めない代表のような尊敬の念を持って多くの人から称えられているのだと思います。大洋ホエールズを知り、また20年前の日本シリーズ優勝を経験したただひとりであり、記録よりも記憶に残る選手でした。

 

それでも最優秀防御率や最多奪三振を獲得し、プロ野球の投手としては、24年連続安打を放ったと言う世界新記録を更新してギネス登録されたことは記憶に新しいです。無四球完投勝利16回は、もちろん現役最長で、39歳で獲得したシーズン最多完投数も、もちろん最年長記録です。年輪を重ねても衰えを知らない三浦大輔選手、ただ凄いとしか言い表せません。

 

リーゼントで現れた先日の引退会見も、三浦選手らしかったですね。引退を決意したのは「勝てなくなったから」。誠に失礼ながら、ベイスターズに在籍していなかったら、200勝は当然のこと、未だ未だ勝てたでしょう。もっとも、ベイスターズ一筋故に長く続けられ、達成できた部分もあるのかもしれません。珍?記録としては、開幕投手7連続敗戦という日本記録もお持ちなのです。そんな三浦選手を小学生時代から知る元阪神タイガースの岡田彰布監督から、FA宣言をした三浦選手に対して、当時の横浜ベイスターズを遥かに超える破格の条件で熱烈ラブコールを受けたときにも、三浦選手は、「番長行かないで」「三浦!三浦!」コールに感動して、横浜残留を決めたとされます。

 

ここ数年は、コーチ兼任選手として、いつも1軍に帯同しつつも、自身は2軍暮らしが多く、そんな時でも三浦選手が出場していない横浜スタジアムに、『18番』のユニフォームレプリカを身につけたファンの姿を見て、絶対に1軍で投げる、勝つのだとの信念で続けてきたと目を潤ませて述懐されていたのが印象的でした。奈良県橿原市出身の三浦選手、いつになっても『関東言葉』にならないところがまた凄いです。

 

これはお叱りを受けることを承知で申しますが、私は、『関西弁』では、三浦大輔氏のそれだけが、きれいに受け入れられました。 横浜球団は、三浦大輔選手が付けていた背番号18は、『横浜ナンバー』として、プレー、振る舞いの両面でチームを牽引するとともに、チームの象徴となるべき選手が付ける番号と指定しました。これは、事実上の永久欠番の扱いです。その三浦大輔選手、今年の横浜DeNAベイスターズの公式戦最終戦がある9月29日、現役最後の1軍登板が予告されています。

 

この試合で、24年連続1軍登板での勝利と言うNPB日本野球機構の新記録を樹立できるかどうかも焦点ですが、選手全員が、18番を入れたユニフォームで登場することが発表されています。

 

 

選手球団ファン、それぞれのハマの番長への愛惜と感謝の気持ちでしょう。三浦大輔選手、ありがとうございました。これからの御活躍ご健勝を期待しております。

 

昔の子どもは注射漬け?今の子どもは注射嫌い?ーーウイルスに感染したくない人間のひとりごとです。

2016年9月25日
テーマ 
子どものころ、よく医師から注射をされた経験があります。


小さいときは、お尻にされた記憶もあり、あれは嫌でしたね。小学校のころまでは、あまり丈夫なほうではなかったようで、しょっちゅう注射されましたから、腕には、その跡が残っていました。腕が硬くなって、注射針が折れたこともありました。やがて注射には慣れっこになり、太い静脈注射でも、恐怖感はなくなりました。子ども時代、小学校では、BCGとか風疹とか、予防接種がありました。

私のころは当たり前だった予防接種、近ごろの子どもたちは、しなくなったのでしょうか。ひとつには、効果的な薬の開発があり、また、注射の功罪も言われていたように思います。昔、特におたふく風邪、百日咳、麻疹は、必ず予防接種を受けました。最近の子どもたちは、注射を受ける機会が少ないのか、テレビに放映される接種の場面では、いつも泣いている姿ばかりです。


私の息子さえ、高校生のころにインフルエンザの注射を受けるのに、痛いから嫌だなんて言っていました。体育会の代名詞のような男だと思っていたのですが。それで、予防接種を受けていない子どもが、そのまま大人になってこれら病に感染したら、かなり症状が重くなるといった脅しのような報道も、あったと思います。


さて、この夏、関西方面を中心に、麻疹が発生していたことが発表されました。これが知られたきっかけは、先月中旬、関西国際空港に勤務する女性従業員が、医療機関より麻疹と診断されたことにあります。同時期に関西国際空港を利用した一般客3人も、麻疹と診断されたところ、いずれも7月31日に、関西国際空港に居合わせたことが判明したと言うものです。



麻疹の潜伏期間は10日から2週間と言われており、最初に麻疹と認定された関空従業員の同僚も、8月下旬から複数が麻疹に罹り、8月26日には、たまたま関空の関連機関に居合わせた人も感染したとのことです。その後も『感染』が増えて、医療機関の医師看護師や、関東方面にも麻疹と疑われる症状が現れた方がおり、その方々は、麻疹と診断された人か、関西空港にいずれも接点があったことから、9月に入って、特に大阪府では、『大騒ぎ』になった様相であります。

日本国内では、年間発生する麻疹の数は、30件くらいとされ、2015年には、WHO世界保健機構は、日本には、土着の麻疹ウイルスはないと言う意味の『排除状態』と認定しているそうです。従って、国外からウイルスが持ち込まれたと考えられるわけですが、既に7月31日より1ヶ月以上も経過した時点での感染注意の呼びかけとなっていて、今後も二次感染、三次感染が心配です。



最初の7月31日に感染したと推測される4人からは、同じ『H1』なる遺伝子型だったとされますが、何しろ国際線の利用客だけでも、今年の夏は、1日60.000人と過去最高値を記録した関西国際空港、感染源を特定することは困難でしょう。

関西空港で感染した人は、ほとんどが20代から30代前半だそうです。中には10代の人もいるとか。これは予防接種をしっかり受けていなかったことが一因と考えざるを得ないと言うのが、国立感染症研究所の見解です。麻疹は、空気、飛沫、接触で感染し、その力は強く、ワクチン接種が予防には有効なのだそうです。ところが麻疹に関しては、1978年に、ワクチンによる定期接種が制度化され、2006年に、1歳と就学前児童に2回接種に変わった、しかし、ワクチン接種後10年くらいは抗体が十分ではなく、まさに20代から30代の人が、この世代に当てはまるそうです。昔散々注射漬けされた?世代は、大丈夫でしょう。

9月7日段階では、関西空港関係者で、麻疹と診断された人は43人に達し、大阪府は、麻疹ワクチン未接種もしくは接種不明の関空従業員のうちとりあえず300名に、急ぎ接種をさせると報じられました。それでもワクチン未接種もしくは接種不明の30代以下の関空従業員は900名おり、ワクチンの確保ができ次第、感染者と関わった可能性の高い部署の順に、ワクチン接種を行っていく方針なのだそうです。



麻疹って子どもが懸かるもの、だから子どものときに注射するのだと教えられた世代からすると、まことに驚きですね。

さて、私が関西国際空港を利用したのは9月17日です。その前日の16日、大阪地方裁判所から、ひとつの発表がありました。大阪地裁の職員が、先月関西国際空港を利用したところ、麻疹に罹っていたことが判明したのだそうです。私は、大阪の裁判所にも行きますが、裁判所には裁判所関係者と検察官、弁護士だけが行き来するのではありません。当事者、被告人、警察官、刑務官そして公開される裁判を傍聴する一般の方々がおられます。


ある意味裁判所は、ありとあらゆる方々が集まる場所です。でも、今更感染防止のために、空港や裁判所を閉鎖するわけにはいかないでしょう。

そんなことを考えながら、9月17日夜、大阪市内から回って、関西国際空港に帰京のため立ち寄りました。


私が、『弾は当たらない』と思っているのは、航空機に搭乗するときだけではありません。そもそも多少の風邪気味になっても、多少熱っぽくても、きさらぎ法律事務所を開設して20年以上経過しましたが、これまで1度も寝込んだことはないのです。

子どものころ、痛い思いをして注射漬け?された効果は残っていると信じて、夜の関西国際空港を飛び立った次第です。

世界遺産の国際観光都市京都、多くの国宝や重要文化財があって、誰でも無料で拝観できる施設をご存知ですか?

2016年9月23日
テーマ 
年間観光客数が5.500万人を突破した国際観光都市京都。海外からの観光客も約200万人と、日本を訪れる外国人観光客の7人にひとりは、京都を訪れている計算になります。


何回も京都を訪れ、ファン、マニアあるいは信仰とか、一定な歴史を学ぶためにいらっしゃる方々は別として、京都観光にも定番はあるようです。私が子どものころから、金閣寺、清水寺、二条城がベストスリーでした、これに銀閣寺や嵐山嵯峨野散策、東山散策、祇園や河原町、大原や伏見等目的や宿泊数に対応して、観光される習わしです。私が中学校のときも、京都奈良が修学旅行地でした。

IMG_1180
そんな京都で、隠れたと言うか、ほとんどコースには入らない『名所』があります。この世界遺産の敷地内に、いくつ国宝があるのか、数えたことがないので正確にはわかりませんが、京都駅から徒歩圏内、しかも『国宝』とされる建造物にも『タダ』で入れますし、『タダ』でお坊さまの勤行を見学できるのです。

敷地内には、鳩を追ったり、ボール遊びする子どもたち、建造物内では、上半身裸で寝そべる外国からのお客様、若者は、回廊をスマホをやりながら歩いています(それが良いことだとされているとは思えませんが、咎められないのです)。そしてとにかく広い。でも現存する建造物は、江戸時代からそのままのもあるのです。さて、それはどこでしょう。

それは、浄土真宗本願寺派の総本山龍谷山本願寺すなわち、『西本願寺』です。京都には、『東本願寺』と『西本願寺』があることは、知られていると思います。東京には3つの弁護士会があって、その違いを聞かれることがあるのですが、成り立ちや会員数の違いがあるくらいで、中身すなわち業務の内容や能力に違いはありません。


本願寺にしても同じ、喧嘩しているのではありませんし、教義が違うわけでもありません。あえて言えば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代背景と言うか、それらに翻弄された?歴史の産物と、私は思っています。


浄土真宗の開祖が親鸞聖人であること、その教義は他力本願であることは、知られているかもしれません。他力本願とはすなわち、人間はみな同じ、階級も善悪もない、そして自分の力で祈願しても願いはかなわない、ひたすら南無阿弥陀を称えることにより、阿弥陀さまのお力により救われると言う内容です。


この世の生が終わるときには、阿弥陀さまの本願力により即極楽浄土に行くことが約束されていて、即成仏して御仏になる教えであります。これが、死して霊が彷徨うことはない、死は穢れではなく、第二の生であるとの信仰に結びついて、戦国時代『一向宗』とも言われる集団となり、特に織田信長を徹底的に苦しめたことに繋がりました。

親鸞聖人が広めた浄土真宗、中興の祖と言われるのは蓮如上人です。その蓮如上人が継いだ浄土真宗の小さなお手が、京都東山にあった『本願寺』でした。このころは、のちに信長も手を焼いた比叡山延暦寺の末寺のごときで、このときの本願寺はかなり寂れていて、ここには統一性も独自性も失われていたそうです。蓮如上人は、浄土真宗の再興に勤めて、機内にも徐々に教えが浸透してきたところで比叡山から疎まれて、『本願寺』は破壊され、北陸地方に逃れました。北陸地方に一向一揆が発生しやすかったのは、もちろん蓮如上人がそのような教えをしたわけではありませんが、阿弥陀さまの救いが死を恐れない抵抗となったのかもしれません。


やがて蓮如上人、近江国や京都の入口山科あたりに本願寺を移し、そして1496年、大阪御坊に『石山本願寺』の造営がなったのです。浄土真宗の門徒の家にあるご仏壇には、真ん中に阿弥陀様、左右に親鸞聖人、蓮如上人がおわします。なお、浄土真宗には、位牌はありません。写真も飾りません。死して祈る必要がないからです。御仏になられた方は、凡夫である俗世界で生きる私たちをお救いになる、ひたすら阿弥陀さまに感謝の気持ちを持てば良いのです。


以上の説明は、積極的な間違いはないとは思っておりますが、真面目、熱心な真宗のご門徒さまからは、その説明の仕方、お叱りを受けるかもしれません。私の理解は、浄土真宗は、人間には階層も優劣もない、人間は弱いもので、かつ悪玉を持っている、自分ひとりの力ではなにもできない、また、何かを自分の力で求めるものではない、ひたすら南無阿弥陀を称えることで、どんな人でも救われる、現世で悪人と言われる人であつても、『悪人正機説』しかり、御仏として極楽浄土で行くていくことができる、だから他人を信じなさい、自分だけで、何ができるものでもない、人に優しくなのだと言う理解です。


こんなふうに考えますと、西本願寺の境内には誰でも自由に入れる、料金は要らない、そして疲れた!面倒だ!の人は寝そべっても良い、だってそれが人間の普通の姿だから。阿弥陀堂、御影堂で行われる僧侶による勤行や布教、これは誰でも自由に、無料で参加することができます。

西本願寺の歴史、もう少しお話したいことがありますので、それは次の機会に。



今日は、複数の国宝があり、拝観料は不要、誰でも参加できる西本願寺にどうぞお越しくださいと申し上げます。それにしても広いです。その辺を歩いているお坊さまに、気軽に「こんにちは」と声をかけてしまいたくなる西本願寺に行ってきました。

 

今だから言える昨年9月19日の行動と私の思い。

2016年9月21日
テーマ 
9月の三連休、敬老の日が9月15日固定から変わったことが原因です。

行楽シーズンを迎えることも理由なのでしょうが、10月10日固定だった体育の日も、移動しました。古い人間?からすると、東京オリンピック開催日だった10月10日は、戦後の復興、高度経済成長のシンボル、そして昭和の歴史的出来事であった『この日』は、記憶に留めておきたいものです。


もっとも4年後の猛暑の時期、2回目のオリンピックが東京で開催されます。 この9月の連休は、行楽というよりも、雨に見舞われる印象があります。2016年のこの時期、台風16号が、沖縄県から九州南部を通過するとされ、さらに日本の南には、『台風のたまご』がウヨウヨしているのです。今、東京は、久しぶりの日差しが出ていますが、これから新幹線で移動する先の天候は、気にかかります。昨年の今ころの『ひとりごと』で、十五夜お月さんのお話をしました。


今年は9月15日、北海道等北日本の一部地域で、満月が眺めれたようです。 


この9月と言う月、私にはあまり相性が良くないようです。それは、昨年『ひとりごと』でお話したように、もともと『月の中でのウサギの餅つき』が、悲しいお話だったから感じるのかもしれません。私の両親が、阿弥陀仏の本願力により、御仏になったのも9月でした。我が家のわんこ『こまち』の母犬『ももちゃん』が、虹の橋を渡ったのも9月でした。

世界的には『9.11』が思い出されます。暑い夏の疲れが出て、なんかスッキリしない時期でもあります。皆さんも、体調管理にご留意ください。でも、昨年9月には、歴史に残る出来事がありました。 9月18日金曜日夜、私は、国会前におりました。赤と青の紙のカードを持って、ここに集まった多くの人と声をあげていました。


「戦争法案絶対反対!」。元ある自治体の首長が言っていました。選挙のとき言わないで、こんなことをするのは、サザンオールスターズのライブに行ったほうが良い…。選挙のとき、それは今年の参議院議員選挙前、野党から散々争点隠しと指摘されながら、「憲法改正を国会が発議するには、両院の3分の2の議席が必要です。是非とも与党および改憲勢力に、3分の2を与えてください。この選挙は、それこそが争点です」って政府与党言いましたかね。


2014年暮れの選挙、いわゆる安保法案なんて話題にすら出ていません。


もっとも、自民党のマニュフェストにたった1行、『安全保障政策の早急の整備』とか書いてありました。書いてあってもなくても、どーせやるよと私は分かっていましたが。 ですから、件の元首長の言っていることは、どこ吹く風ではあるのです。むしろこんなくだらない応援団にだしにされたサザンオールスターズさんがお気の毒と思いました。


要するに、選挙がどうであっても、声を出したからどうなるってものではなくても、そんなことわかっていても、どうしても黙っては居られなかったのです。あるお方が尊敬する吉田松陰先生には、「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」と言う句がありました。


「かくしても、かくならぬとは知りながら、やむにやまれぬ平和主義」です。 おそらく、あの日あの時国会前に居た人たちは、ここで『安保廃案』『戦争反対』と叫んでも、法案が成立することはわかっていたのです。でも、ここで声をあげなければ、絶対に後悔すると思ったのです。美輪明宏さんが仰っています。


「この法案に賛成した議員が最初に、そしてその議員が所属する政党に投票した人」が、率先して『非戦闘地域』に行ってください。私は後悔したくありませんでした。この法律が成立しても、諦めないと決めました。あれだけ無駄⁉️を承知で、多くの人が思いを同じにしたのですから。


 あれから1年が経過しました。9月19日、全国的に安保法制、平和主義に関する集会が開催されました。ある意味、草の根の民主主義に気づかされた、声をあげることの大切さを認識した、諦めないこと、仲間がいるんだと知ったとても重要な歴史的出来事となった2015年9月です。


私は毎年9月は、特に緊張感を持った月にしたいと思っています。