ホトトギスが啼かないとき、待つことができるかどうかでその人の生き方が分かるそうです。

2016年9月20日
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NHK大河ドラマ『真田丸』は、関ヶ原の戦いを終えました。真田昌幸、信繁親子の高野山九度山への配流により、ドラマは、今後高野山中心になるのでしょうか。

私が気になるのは、ようやく?表舞台に出てきた徳川家康の描かれ方です。真田幸村こと信繁の最大の見せ場、大坂冬の陣、夏の陣は、家康抜きには語れません。


『真田丸』では、内野聖陽さんを抜擢して、これまでと違う家康がここまで現れていますが、さて、三谷幸喜ワールドいかがなりましょうか。

以前この『ひとりごと』で、徳川幕府が270年近く続いたこと、その間内乱はなく、また、外国と交戦したこともなかったことについて書きました。それは、徳川家康と言う類まれな辛抱人が、徳川幕府を盤石にしたことが基本的に大きいと申しました。


士農工商の社会で鎖国、しかし庶民はそれに慣れたのか最低限度の生活が出来て反抗せず、また長く戦がなくて、武士階級も官僚化し、財力も幕府が一手に握ってこれまた何ができるものではなく、結局坂本龍馬らの『商売』の結果海外から資金流入があり、幕末そして戊辰の戦が始まって、明治新政府が建設されたと言う理解です。

信長、秀吉、家康の三傑の中で、いちばん人気がないのは家康でしょう。その理由は、明治維新を成し遂げて、太平洋戦争(大東亜戦争)の終結まで強い政治的軍事的影響力を持った薩長を中心とする倒幕勢力が、徳川幕府、特に徳川家康を評価しない喧伝をしていたこともあるでしょう。



でも私が思うに、徹底的に強さで上り詰める信長、人たらしではあるけれども、立身出世の見本でもある秀吉と比べると、「徳川家康って何かしたの?」の感じで、何かパッとしない、知らないうちに天下を取った人、運がいいんじゃないくらいの感覚の方が、少くなくないように思います。

まさにそうだと思います。中学校か高等学校の社会科の教科書で、この3人が、ホトトギスを詠んだ句が掲載されていました。

織田信長  啼かぬなら、殺してしまえ、ホトトギス。
豊臣秀吉  啼かぬなら、啼かせてみしょう、ホトトギス。
徳川家康  啼かぬなら、啼くまで待とう、ホトトギス。
徳川家康は、狸親父と言われるこどく、何を考えているのかわからないと評されますが、それは自ら動こうとしない、目立たない、しかしなんか結果が出ている、だからづるいとか省エネとか言われるのだと思います。

信長のように、天下を取るため多大な労力をかけ、秀吉のように、天下を維持するため財力をかけるではないので、徳川家康は、『ケチ』とも言われます。

それゆえにか家康のケチには、尾ひれがついているようです。どーせ汚れるから褌は黄色にした、畳は傷つくから裏返しにして繰り返し使用したとか逸話に事欠きません。その中で、家臣には、10万石以上与えなかったと言うのは、ケチと言うよりも、自身を脅かす勢力を作らない対策だと言われます。秀吉は、女性についても豪華絢爛を求めました。


この点、家康を言い当てた有名な言葉がありますね。『家康の後家好み』。決して無駄?なことに、無駄ではなくても、今風に言えば費用対効果の点で、自分は何もいたしません、欲はございませんのような顔をして、うまいところを持っていく、これが端的に表れたのは、豊臣家臣団の分裂から起きた関ヶ原の戦いでしょう。

出る杭は打たれる、目立ち過ぎは妬まれるは、昔から言われることです。桶狭間で、三方ヶ原で、本能寺で、そして関ヶ原の戦いと、家康にはギリギリのところで何もしないのにラッキーがもたらされています。むしろ目立たない、何もしないように見られることが、究極の省エネであり、勝利かもしれません。


だからこそようやくもたらされた我が世、ここで決して豪華絢爛、無駄遣いはしません。家臣に多くの石高を渡さなかったことがケチのようで、盤石な基盤を構築したわけです。現代社会でも、大盤振る舞いした有名人が、気の毒な末路に至ったケースを聞知します。ケチとは、出すべきところで出さない、世間の常識から受け入れ難い場合を指すのだと考えます。


徳川家康は、経済的には倹約家、政治家としては、身の丈に合った生き方をしたとも評価できるでしょう。何もしなかったのではなく、無理せず用意周到に、周りが潰れるのを待ったようです。

ケチと聞くとなんか蔑視の意思が含まれている感じがします。でも、好き嫌いはともかく、徳川家康を軽蔑する人はいないでしょう。


それは今風に言うケチではなかった証左では。コツコツぶれずには、現在の成功者に通じる生き方です。そして問題は解決しています。

私がしばしば依頼者に申し上げるのは、ケチっては解決しない、しかし焦って急いでも解決しないと言うことです。徳川家康は、結果的に幸運だったのではないと思います。ひとつひとつ計算して、じっくり確実に事を運んだと理解します。


現に270年間紛争なく持ちこたえたのです。『人の一生は、重荷を負て遠き道をゆくが如し。いそぐべからず。』重みのある生き方ですね。

福本悟には、『立川高松間』と『三島沼津間』に違いがあるのです。

2016年9月16日
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昔鉄道少年だった私は、時刻表を眺めるのが好きでした。


地理も好きで、良く地図を見ていました。その経験が、大人になって役に立っているのです。事務所で依頼者とお話しするとき、出身地等の地名が出ると、だいたいわかるので会話が続き、リラックスしていただけます。また、出張先で交通機関にアクシデントが起きたときでも、臨機応変に対応できます。



例えば数点前、除雪が追いつかず、滑走路が閉鎖されて新千歳空港に着陸できず、函館空港に連れて行かれたとき、航空会社は、函館札幌を結ぶ特急『スーパー北斗』を案内しました。しかし、私は函館空港から、札幌市内にある丘珠空港に向かいました。
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いつかこの『ひとりごと』で、ひと駅の面倒をお話ししたかもしれません。それはしばしば行き来する立川の裁判所の場合に感じることです。東京都内の地方家庭裁判所は、23区と島嶼部は霞が関にある本庁、それ以外の地域、つまり三多摩地域を管轄するのは、東京地方家庭裁判所立川支部なのです。



JR立川駅から、多摩モノレールで1駅行った『高松』で下車します。1駅乗るために、10分間隔のモノレールを立川で待つことになります。ところで、鉄道では現在も、『1駅』しか運行されない列車がいくつかあるのです。


このうち、始発駅と終着駅が隣り合わせの路線もあります。例えば、兵庫駅と和田岬駅、鳳駅と東羽衣駅は、1駅間を結ぶ路線です。線路は続くよどこまでもではありませんが、まだ先があるのに、1駅行ったら終点になる電車があるのです。今日は、そのお話です。これは、時刻表に詳しい人は、すぐにいくつかピックアップできるでしょう。


なぜひと駅だけ運行させるのか、いろいろ事情はあるのでしょう。典型的なのは、車庫に入れるために行われる場合です。常磐線の水戸駅と勝田駅間なんか、この例ですね。


新幹線が1駅と言うのもあります。福岡県の方ならよくご存知の博多駅と南博多駅間の博多南線と言う新幹線車両を使用した在来線は有名ですね。これは、車両基地に回送する車両を、福岡市内中心部への住民の足として使用したケースです。


新幹線そのものの『1駅』の運行は、山陽新幹線の小倉駅と博多駅間、九州新幹線の川内駅と鹿児島中央駅間がよく知られています。

その路線としては、始発と終点ではないのに、時刻表を見ると、いくつか『1駅』間のみ運転される電車に気づきます。先の常磐線水戸駅と勝田駅のほかにも、中央本線の茅野駅と上諏訪駅、鹿児島本線の下関駅と門司駅、日豊本線の宮崎駅と南宮崎駅、奥羽本線の青森駅と新青森駅等あります。なるほどねーと納得された方もおられるでしょう。


この形態の『1駅』の運転は、比較的大きな駅、起点となるような駅間で行われていることと言えましょう。

この観点から、特徴的な『1駅』の運転が見られる路線があります。それは東海道本線の三島駅と沼津駅の運転です。1日に何本も運行されています。この『ひとりごと』でも、いつかお話したと記憶していますが、人口が多く、古くから静岡県東部の商業物流の中心となっていた沼津市、その玄関口JR沼津駅には、新幹線は停車しません。そもそも沼津駅近くを新幹線は通りません。



それは、レールを沼津駅方向に伸ばすと、新幹線の速度はかなり落ちることと、その名のとおり湿地帯があって、新幹線を通過させるには、難工事が予想されたので、東京オリンピック前の東京新大阪間全面開通が急務であったことから、新幹線は、沼津を通らない結論となったのです。新幹線が開業して何年か経って、近くに新幹線車両基地がある三島駅に、新駅がつくられました。三島は、西伊豆への入口で、箱根や富士五湖方面にもバスがありますが、沼津の代わりとなったことは、否定できないと思います。

私は、沼津市に用があるときには、新幹線で三島駅を利用します。三島駅で新幹線を降り、東海道本線に乗り換えするとき、『沼津行き』に当たることがあります。そんなとき、三島駅発沼津駅行き電車は、また、その逆は、『新幹線リレー号』のような感じがするのです。新幹線リレー号とは、東北上越新幹線が大宮駅発だった時代、上野駅から大宮駅まで、新幹線に乗車する人のために、新幹線につながると言う意味で走行していたのでした。


立川の裁判所に行くときの『1駅』は面倒だなと感じますが、三島駅沼津駅間の『1駅』は、私のような利用をする人がかなりいて、悪い気がいたしません。

そして今日も、三島駅から、沼津駅行きに乗車しました。車掌さんが、「この電車は、東海道本線下り沼津行きです。当駅を発車しますと、次は終点の沼津です。」とアナウンスするのが、なんとも貴重な経験をしたように思えます。



沼津での用が終わって三島駅からの帰りは、新幹線ホームで、沼津市に本社がある桃中軒の駅弁『港あじ鮨』を買いました。三島も沼津も、私からするとあまり変わらないです。そして昼間、帰りの新幹線の中で口に入ったのは、港あじ鮨だけではありません。これだから新幹線はチョットなのです。無論悪いのは私です。

現在は秘境、かつては難所、栄枯盛衰を見てきた伊那路から。

2016年9月15日
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今日は、長野県飯田市に行きました。長野県のいちばん南に位置する市で人口10万人超、県内では長野市、松本市、上田市に次ぐ人口となっています。

まさしく信州の南、『信南』と言われる地域で、中央高地式気候と太平洋側気候を併せ持つ長野県内では、比較的温暖な地域とされています。南アルプスと中央アルプス囲まれたなだらかな地形で、夏の昼間、猛暑でも25℃以上の熱帯夜にはならない反面、2年前には、観測記録を更新したこともあり、最近りんごの産地として力を入れているようです。

飯田市と言えば、武田信玄を思い出す人は、相当な歴史通か信玄公の信者でしょう。現在の飯田市は、戦国時代武田信玄が攻略して、24将にも加えられる秋山信友を置いたところ、京へと進んだ三方ヶ原の戦いで徳川家康を蹴散らし、織田信長を震撼させたところで病に倒れ、甲斐の国に戻る途中、『3年間は死を伏せろ』との遺言を残して、飯田市の隣、現在の下伊那郡阿智町で、武田信玄は亡くなったとされるのです。この地で荼毘に付され、遺骸は、近くの長岳寺に埋葬されたのではないかと言われております。

現在放映中のNHK大河ドラマ『真田丸』では、真田幸村こと真田信繁の父真田昌幸は、武田信玄を崇敬し、信玄公の領地を我が物にする強い意思が伝わります。信玄死後の武田家の衰退を招いた長篠の合戦以後、この信南地域は、徐々に武田家の勢力が失われ、やがて木曽義昌の裏切り、武田信廉の逃走により、そして穴山梅雪、小山田信茂らの離反により、武田勝頼は、天目山の露と消えるのでした。その意味で、この地域は、武田家にとっては、栄枯盛衰の象徴の地でもあります。

今日は、飯田市に行くにあたり、武田家を滅ぼした織田信長を生んだ尾張名古屋から入り、帰りは天竜川を横目しながら、信南から三河へ、そして長篠を通って在りし日の武田家に想いを馳せることになりました。余計なことですが、武田家の家紋とされる四つ割菱は、『福本家』も使用しているのです。歳を重ねる毎に、『信玄公』が気になって仕方ない福本悟です。
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話が脱線しました。飯田市は、今、あるところから、注目を浴びています。リニア中央新幹線が開通すると、飯田市に新駅が開業するのです。リニア中央新幹線の是非は別として、開業する新幹線の駅は、各県ひとつとされていたので、県内各地で誘致の争いが起きました。それは、北陸新幹線敦賀新大阪間の路線決定とも似ています。結局、品川から名古屋への直線距離上にある飯田市に、新駅が出来ることに決まりました。


要するに、これまで東京からも名古屋からも、長野市からも行き来に時間を要した信南の中心飯田市に、東京品川から40分、名古屋市から20分で到着できるのです。それで、東京と名古屋の通勤圏になり、またセカンドハウスや老後の住居あるいは別荘を求めて、土地に纏わる取引が盛んになることが予想されます。首都圏では、神奈川県相模原市の橋本周辺が、同じ理由で、地価高騰が予想されております。

最近見直しされている田中角栄元内閣総理大臣は、日本列島改造論を立ち上げました。日本各地を結ぶ高速道路ができ、族議員なんて用語も生まれましたが、なんとかミクスのように、田中列島改造論なんて言わないところは、謙虚な庶民派だと思います。この高速道路の開通により、都市と地方の行き来が容易になったことは否定できません。


今度は、政府与党により、十分なまでに税金の優遇を受けたJR東海によるリニア中央新幹線です。でも、過疎地と都市部を結ぶと言う意味よりも、より早く、より便利にが優先され、サラリーマンには、過酷な労働が強いられるのではないかと心配です。飯田市等が活性化するのは良いですが。

飯田市からの帰りは、豊橋駅まで、飯田線特急『ワイドビュー伊那路』を利用しています。ここは天竜川を横目に、山を縫うように鉄道が走っており、トンネルとカーブが多いです。IMG_1145



最近流行りの『秘境駅ツアー』として人気があるそうです。飯田駅から豊橋駅まで、『特急』で、2時間30分かかります。昔の人、戦国時代の武田武士は、こんなところを踏破したのだと思うと驚きしかありません。そうまでして、戦いを終え、天下統一しなければならなかった時代の厳しさを、難所続きの飯田線の車中から、垣間見た気がしました。電車は、『本長篠駅』に到達しました。

東京駅から愛知県、岐阜県を通って長野県に向かう車中でのひとりごとです。

2016年9月14日
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ここ立て続けに、岐阜県内で、『自然の生き物』により、人間が大きな影響を受けたニュースが報じられました。ひとつは、飛騨市での『スズメバチ』、ひとつは、各務原市での『羽虫』騒動です。スズメバチは、人間を襲い、羽虫はカゲロウと見られますが、人間が通行する道路を、通行止めにしました。

ひとつめ、『スズメバチ騒動』は、日曜日の昼ころ、飛騨市内で行われていたマラソン大会で、参加したマラソンランナー115人が、ある場所で、スズメバチに刺されたというものです。コース近くの橋の下に、50センチくらいのキイロスズメバチの巣があり、このあたりをランナーが一斉に通過すると、足音や振動でハチを刺激し、約1.000匹いたであろうハチに攻撃されたのだろうとの専門家の見方です。スズメバチは、黒い物に攻撃を加える習性があるとかで、ランナーの皆さんが刺された箇所は、頭でした。

私の場合、頭髪のほうは、もう悲しい状況ですが、ほとんど黒もしくは濃紺のスーツを着用しているので、スズメバチには要注意です。必死に走っているマラソンランナーさん、驚いたことでしょう。大事なければ良いのですが。

もうひとつ、『羽虫騒動』は、愛知県との県境木曽川に架かる愛岐大橋に、夜8時40分ころ、大量に羽虫が『積もっていた』と報告された事件です。多いところで1センチくらい道路に積もっていて、スリップの危険があるため、岐阜県警は、3時間くらい通行止めとしたのでした。きっかけは、この橋の上で車複数が絡む追突事故が発生し、視界不良の原因に行き当たったのでした。羽虫が大量発生した理由は明らかにされておりませんが、カゲロウやユスリカ等は、一般的に水辺や湿地帯にいるので、河川敷や橋の上は、『危険地帯』と言えましょう。私は、蚊も含めて虫は嫌いなので、もう考えたくありません。

今私は、名古屋市から高速バスで岐阜県内を通過しています。山また山が続いていて、また、ずっと続く雨の中、自然との厳しい闘いがあるのかなと思ってしまいます。でも、蜂の巣は、私の家にもあるのです。それほど多くのハチが入っているとは思えませんが、何回駆除してもまた造られます。また、羽虫はもう少しすると、北海道では、『雪虫』として冬の到来を知らせます。

カゲロウは、小説やドラマにも出て来ますし、雪虫って聞くと、なんかロマンチックに聞こえます。自然界の生き物でも、出てくる場所や場面により、利用されたり好まれたり、少し変ですね。

自然界の生き物が大量発生すると、決まって地震等の天変地異の可能性が言われます。古い日本の昔話では、ナマズが動くと地震になると言い伝えられました。リュウグウノツカイと言う深海魚、これは超不味いのだそうですが、コレが姿を表すと、偶然だと思いますが、地震が起きました。でも、雪虫が飛ぶと初雪になると言うのと全く同じ、こじつけだと思います。

もし、自然界の生き物の大量発生を、天災への警鐘とされるなら、このところ日本列島を取り巻いてウヨウヨしている台風との関連は、あるのでしょうか。自然界の生き物も、このところ続く日本の天候不順で、おかしくなったのかもしれません。それにしてもこのところ日本列島、雨が多いと思われませんか?初夏のころ、首都圏では、夏の水不足がら取り沙汰されていましたが、真夏に入って以降、聞かれなくなりましたね。

今、高速バスは、長いトンネルに入りました。

長野県入ったようです。長野県に行くのに、新宿駅、東京駅を使わないのは、長野県、日本列島は広いなと思えます。ここもまた山また山です。昔の人は、歩いていたのです。そのとき、スズメバチとか羽虫はいたでしょうか?そろそろ今日の目的地です。

 

オリンピックと言えば、東海道新幹線を思い出す世代です。

2016年9月13日
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2度目の東京オリンピックが2020年に開催されます。住んでいる都市で、オリンピック開催に2回も当たるのはラッキーと言えましょう。

 

もっとも、1964年のオリンピックは、小学校1年生ときであり、ほとんど記憶、印象はありません。むしろこのときの東京オリンピックが、戦後復興の集大成、日本の高度経済成長のシンボルだったと学校で習ったことが思い出されます。 東京オリンピック、高度経済成長のシンボルとして、真っ先に挙げられるのは、東海道新幹線ではないでしょうか。

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夢の超特急とも言われた新幹線ひかり号、子どもこころにワクワクした思い出かあります。当時は、都内大田区に住んでおりましたが、最寄駅の下に新幹線の線路があり、小学校を出たところに橋があって、そこから眺める富士山と夕焼け、その中を疾走する新幹線は、とても絵になる風景でした。小学校高学年のとき、『郷土研究クラブ』と言うサークルの長をしており、地域の歴史と新しい『我が街の新幹線』を研究するのは、夢がありました。あのころを思い出す2度目の東京オリンピックです。

 

今日は、東京駅から東海道新幹線に乗車しています。

 

今年は、新幹線に乗車する機会が多いです。新幹線に乗ると、必ず⚪️ー⚪️になるので、大阪以遠の行き来は航空機にしております。今日は日本列島ほとんど雨模様、停電の影響で遅れが発生なんて車内で案内がありました。実際、乗車している列車も、雨が激しくなった静岡県内で、途中停車しました。外は霞んでいて、車窓からの景色を眺める楽しみもありません。富士山どころではありません。 子どものころ乗車した新幹線、司法修習生として赴任した福岡市との行き来で利用した新幹線、いくつか思い出があります。午前中に東京を出るときは、進行方向左側が太陽となります。

また、富士山は、左側からは、ほとんど目にすることはできません。私が思い出深いのは、進行方向右手で、静岡駅を出てしばらくしたころ見えるお茶の葉を集めて、『お茶』と書いてある茶畑です。グリーンが綺麗です。また、なぜか浜名湖では、小舟で漁をしている姿が見られます。何を獲っているのでしょうか。冬は、関ヶ原付近のみ降雪になります。東山トンネルを抜けて見える京都タワーも、私の中での『これぞ京都』です。新大阪駅に停車するとき、よく大阪伊丹空港へ向けて降下する航空機が見えました。 現在東海道新幹線はJR東海が、山陽新幹線はJR西日本が担当しています。博多からは九州新幹線です。車両は変わらないですが、乗務員は、途中で変わります。今は不思議ではありませんが、国鉄分割民営化直後は、やはり会社が変わったのだなと感じました。それと変わったことと言えば、食堂車ビュフェが無くなったことです。

 

昔は、車内販売もそれはうるさいくらい頻繁に通路を通りました。最近では、『車内販売はありません』と放送された経験をしました。 現在東海道新幹線は、車内にコンセントが設置されていて、パソコンを操作するサラリーマンの方、があちらこちらにおられます。まあ、そうでなくて、スマホをいじる方の方が多い感じですが。慣れない私は先日、差したままのコンセント、そのままにしていて、車内に忘れてしまったことがあります。今日は、忘れないぞ!でも、今も昔も変わらないところもあります。

 

トイレは、奇数号車の後方ですね。あと、指定席と自由席があります。この点、JR東日本の『はやぶさ』や『かがやき』は、全車指定席です。 それにしても、途中ひどい雨でした。新幹線は、やがて名古屋駅に到着します。少し雨が収まりつつあるようです。名古屋は、JR東海の本社があり、建設中のリニア中央新幹線の始発駅でもあります。なんでも高速化になり、これでは出張族は、軽く『行ってこい!』とハードな出張が続くでしょう。

 

東京オリンピックを前に、老朽化した高速道路のメンテナンスや改修工事こそ急務と思うのですが、夢の超特急を超える列車を運行させる意味あるんですかね。

 

ただ、これまで交通に難があった都市は、リニア中央新幹線の開通で良い効果が出るでしょう。政策減税を得られたJR東海、今度は、リニアで開発費が出されますが、これによりリニア中央新幹線が停車するようになれば、『地方創生』ってことになるのでしょう⁉︎それとも⚪️⚪️ミクスの効果⁉︎リニア中央新幹線の開通は、東京オリンピックには、間に合わないようですが。

 

日本人にとって、オリンピックと新幹線は、対を成すでしょう。なんとなく懐かしい新幹線に親しみを覚えてこの『ひとりごと』を書いております。