流石!と言うか、???で度肝を抜かれた向きもあるのではないでしょうか?
『三谷ワールド』の凄さです。NHK大河ドラマ『真田丸』9月11日の放送は、第2次上田合戦がテーマでありました。
前回の『犬伏の別れ』の余韻も残って、『ふたつの合戦』に期待が持たれたと思います。それが上田合戦は兎も角、天下分け目の関ヶ原は、なんと放送時間は50秒でありました。
その予想はありました。
戦国物でひとつのクライマックスとなっている『本能寺の変』は、ほとんどその場面はありませんでした。もともと真田家の目線で描くと言われていたものですが、単に視聴率を稼ぐ目的ならば、本能寺の変や関ヶ原の戦いをやらない選択はないように思います。
でも、ひとつは自信、ひとつは遊び心?とお楽しみでしょうか、犬伏の別れで最高潮に盛り上がった真田一族、その翌週が関ヶ原の戦いともなれば、多くの視聴者が期待するでしょう。
それをほとんど無しにして、しかも真田昌幸ですら予想し得なかった短時間の勝敗、そしてその結果を宴たけなわの真田家に、佐助の報告と言うかたちで終わらせるシナリオ、凄いです。
視聴者の声は概ね高評価です。やはり三谷ワールドにしてやられたの感想が強いですが、真田家の視線と言う意図からすると、むしろこのような描き方になるのは当然ではないかとの声も聞かれます。
戦国物と言うと、合戦の場面ばかりイメージされますが、その合戦に進んだ経緯や、関係者のその後も重要です。今回の『真田丸』関ヶ原編は、今後の真田家、特に幸村こと真田信繁の今後に期待を持たせる内容でありました。おそらく真田昌幸の時代は終わり、全てを悟った彼は、悟り受け入れ、腑抜けになっていくのではと予想しました。
そして解き放たれたごとく、真田信繁の生き様が、全面に堂々と、憚ることなく現れるのではないでしょうか。でも、三谷幸喜氏です。やはり、してやられる視聴者が続出するような気もいたします。
1月の放送以来、高視聴率を維持しているのは、真田丸と言う題名のとおり、真田一族の結束と生き様の視点で描かれ、史実と全く相反するような場面はなく、毎回主人公の位置を占める人物が現れ、ちょっとした笑いもあり、また、あっと言わせるとまではいかなくても、手の込んだ仕掛けが随所にあり、続けて見たくなるのだと思います。
真田丸の視点からだと、11日の第2次上田合戦と関ヶ原の戦いは、徳川秀忠と、その後の時代に、その子正純と徳川秀忠との間で軋轢が起きた近藤正臣さん演じる本多正信が、裏主役だったかも知れません。
それと、『沼田城』を巡るやり取りもよかったですね。真田信幸の正室小松殿が、敵となった真田昌幸らの入城を拒む場面は史実でもあります。また、元沼田城は、真田昌幸の叔父矢沢頼綱の居城でしたが、その子で、真田信繁とは兄弟のような契りで結びついた矢沢頼康が、史実では真田信幸、後の真田信之の家臣となる場面が、涙ながらに映し出されておりました。お見事‼︎
関ヶ原の後始末としては、石田三成、小西行長、安国寺恵瓊の処刑の後、史実では、毛利や上杉等の仕置、宇喜多秀家の悲劇、小早川秀秋の病死と続くのですが、上田を所領とし、後に松代藩主となる真田信之、高野山九度山での蟄居生活が始まる真田昌幸、信繁親子の生き様が、とても気になり、どんな描かれ方をするのか、ドキドキですね。
ようやく真田信繁の本領発揮ですが、ここにもいくつか仕掛けがらあるのでしょうね。 長野県、山梨県は、海に面していない点で、魚大好きな私は、あまり関心を持たなかった地域でした。でも、海がないがゆえに、武田信玄も真田昌幸も、様々な工夫をして戦い、また生活し、領民に慕われていたと気づきました。
岩櫃城や砥石城、そして上田の地形は、まさにその場所で生きている人々にとっては、使い方次第では、大きな味方になるのでした。
先日『真田丸』のシーンにも使われている上田城址に行ってきました。今度は、まだ放映されていない高野山九度山にも行ってみたいと思います。聞くところによると、こちらは、とても厳しい地形で、物見遊山は不可とのことですが。歴史と地理が好きになる『真田丸』でもあります。三谷ワールドは、続くようです。
現在台風14号が発生し、台湾方向に進んでいます。
そのところ毎週台風が発生し、特に北海道に複数台風が上陸するなど、気象関係者ならずとも、警戒が続く日々です。台風が発生し、上陸する都度、通常ありえないコースだとか、台風から離れた場所での予想できない風雨だとか言われ続けてもう台風本番と言われる9月も半ばになりました。これからどうなるのでしょう。
思い出した方もおられるでしょう。今年は、梅雨入りが遅く、なかなか台風が発生しなかった年です。確か台風1号が発生したのは、7月に入ってからでした。台風の発生が遅い年は、過去共通した特徴があるのだそうです。これは今年の猛暑を予想した5月ころに放映された『ひるおび』と言うテレビ番組で、気象予報士さんが説明されていました。
台風の発生が遅い年は、そこまでにエネルギーが蓄えられるので、いったん発生すると次々に、あるいは巨大な勢力を保った台風が起こる可能性があると言うことです。
気になって、そのときのテレビ番組の解説でも残されていないかと調べてみました。すると個人の方と思いますが、ブログ?に掲載されていました。そのまま引用は避けますが、今年のように台風の発生が遅い年が50年前にあった、そのときは結局年間36個の台風が発生したとのご案内でした。
そして今年は、観測史上2番目に遅い台風発生なのだそうです。気象予報士の予想として、概して遅かった年は、やはり年間として台風の数は、多い傾向が残されているとのことでした。
今年の台風は、北海道東北地方を襲い、深刻な被害が出ています。人命に関わる悲しい発表もありましたし、これから収穫時期を迎える農作物には、大きなダメージを受け、交通機関も寸断され、物流にも大きな影響がでました。特に北海道では、道東への道路や鉄道が復旧にはかなり時間を要する甚大な影響をもたらしているようです。
北海道東北方面に立て続けに台風が進んでしまった今年の特徴でもあるのでしょう。
台風の被害がもたらされる前の今年の7月29日、JR北海道は、『持続可能な運行体系のあり方』と言う文書を公開しました。要は、このままでは路線を維持し、運転を継続することは、自力では困難であるとするもので、鉄道事業者としてのメンツもなにも、私企業である以上止むに止まれぬ判断なのだと感じました。
その具体的内容は、今年の秋口までに、JR北海道単独で維持可能な線区と、そうではない線区を示すので、地域の皆様と『ご相談したい』と言うものです。これは捉え方によっては、地域に必要だとされるなら金を出せ!等の協力を、それが無理なら廃線にすると聞こえます。こうした中での、相次ぐ台風による影響により、運休や復旧工事のためのコストは数十億円と見込まれ、さらに危機的な状況に拍車をかけます。
都会の人間には、単なる過疎地の鉄道のイメージしかないかもしれません。ただ、北海道は、冬季豪雪に見舞われる地域や期間があります。豪雪のとき、道路はたいへんな状況になることは、ここ数年、日本国中あちらこちらでその様子が報道され、雪に無縁な地域の人たちにも、衝撃を与えました。
道路がダメなときでも、鉄道は運行されることが多い事実は、あまり知られていないと思います。また、札幌と釧路との間には、新千歳空港および丘珠空港と釧路空港を結ぶ空路はありますが、小型プロペラ機での運航がほとんどで、雪や視界の関係で就航率は悪く、札幌釧路間の特急『スーパーおおぞら』はとても重宝され、ときに100%を超える乗車率になるのです。鉄道を維持する必要性は高いと言えます。
現在釧路に向かう石勝線、根室本線、旭川から北見、網走に向かう石北本線は、先の台風で寸断され、札幌まで、鉄道を使って行くことができない状況なのだそうです。
しかし、雪の時期までに復旧しておかなければ、道東と札幌間は、全く行き来が不可能な状況に出くわす危険性が極めて大と思います。そんな中、今年は、次々に台風がやってきます。現地の皆様の悲鳴が聞こえてきそうです。今月新千歳空港の土産物店で見かけたとうもろこし、アスパラ等の値段、びっくりしました。
でも、消費者は高い!なんて勝手なことを言いますが、生産者農家は泣きたくなりますね。台風に備えて、それが終わると例年とおりの雪対策ですから。
これを書いているときに、新たな台風が発生しました。この進路はわかりませんが、あといくつ台風は発生し、列島に影響してくるのでしょう。
気が抜けない秋となりました。今年の十五夜、どんな天気になるでしょうか?日本中が、台風の被害から復旧し、今後深刻な事態とならぬよう願うものです。
秋になると、都内の百貨店では、恒例の『北海道物産展』が始まります。
今年は台風の影響が甚大で、特に十勝や道央方面からの品物が入りにくくなっていると報道されています。『全国有名駅弁とうまいもの大会』で有名な京王百貨店新宿店では、2週間にわたって開催されています。いろいろな地域の物産展がありますが、北海道は人気ですね。 サラリーマンの単身赴任先として、人気が高いベストスリーには、だいたい札幌市が入ってきます。仙台市、広島市、そして神戸市も人気が高いですね。今日は、実際暮らして良かったナンバーワンの福岡市のお話は止めておきます。以前日本人は、『外人』と言えはなんでもアメリカ人と思っていると指摘されました。
私からすると、北海道と言えばなんでも札幌のイメージが強いですね。実際九州の経済、人の動きは、なんでも福岡とは思えないのに、北海道では、全てが札幌を向いて、札幌から発信されているように思えてなりません。 そんな北海道でも、物産展は、道内各地から様々な品物が集まり、まるで地域の振興、お祭りの感があります。会場内で、故郷を語るのもよいですね。元気がもらえます。京王百貨店では、1日限定何個として、各地の銘品をまとめたお弁当が、999円出ています。カニであったり、ステーキ肉であったり、海鮮丼であったりします。会場での匂いもよいですね。でも、すぐに完売です。イートインコーナーでは、寿司やラーメンがあり、地ビールも味合うスペースがあります。
9月に入ると、地元北海道でも、秋を味合う行事お祭りが目白押しです。特に札幌市の中心部大通公園では、道内各地から店が所狭しと集まります。観光客に混じって、地元の方々も楽しみにしているとお聞きします。今年は、台風の影響で、農作物は大きな打撃を受けていて、そんな中で集められた品物は、ぜひ手に入れたいものです。こちらは、大通公園が、ひとつの北海道物産展のごとくであります。 物産展は、ほぼ同じ時期に幾つかのデパートで順次開催される気配があります。京王百貨店、小田急百貨店、伊勢丹、高島屋、東武百貨店、西武百貨店、三越、東急百貨店等等です。同じような店舗が出ていることにも、気づかれると思います。もちろん人気があり、美味なのだと思います。出店を競い合うというではなく、共に協力して、それぞれの地域や銘品を覚えてもらいたい願いがあるのだと思います。
お店のひとは、元気がありますね。あの声を聞き、説明を聞いていると、買いたくなり、また、その地域に行ってみたくなるのはなぜでしょう。百貨店で一番人気は、物産展なのだそうです。 昔、『故郷の訛り懐かし停車場の……』と言ううたがありました。行ったことがない地域、それまで興味がなかった逸品でも、何かその場に行ってしまうと惹かれるものがあります。それは日本人には、もともと心の故郷があったのではないかと思うのです。
何が懐かしい、何に郷愁を感じるのかわかりませんが、それは子どもものころ見た風景かもしれない、親の背中なのかもしれない。
でも、何が穏やかな気持ちになった誘われるのです。 確かに百貨店の物産展は賑やかです。
そんな中にも、どこか子どものころに感じた故郷が紛れているのです。それは、物理的に故郷を持たない私にも感じられるのです。あの雰囲気、とても好きです。どことは言わず、物産展を覗いてみることをお勧めします。
東京都下の病院5階から、遠くスカイツリーが望める穏やかに晴れた朝でした。私の母は、88歳にて、阿弥陀如来のご本願により、生まれし浄土に還ることができました。天気同様穏やかな表情でした。
私ども浄土真宗本願寺派では、故人は即往生し、極楽浄土で、私どもを見守る立場になられたわけですが、『門徒物知らず』と揶揄されるごとく、これからの諸事には、いろいろ難儀が予想されました。
最初にやらなければならないのは、葬儀場の確保、すなわちこれを執り行う業者への連絡、打ち合わせです。
この歳になりますと、結婚式より葬式に出る機会が多く、経験上火葬場がたいへん混雑することを知っているからです。これは冗談ではなく、数分間の打ち合わせ中に、火葬の時間が埋まってしまうことがあるのです。これも冗談ではなく、葬祭会社と、『事前予約』が可能となっています。特に互助会等に予め加入していると、『予約』は、3日間有効なんてところもあります。つまり、優先的に焼き場を押さえるシステムが存在すると言うことです。施主すなわち喪主を務める私は、予め『事前打ち合わせ』をしておりましたが、病院の窓から外を眺めている暇はなく、日程調整、すなわち焼き場を押さえる手配をしました。
さて、困ったことに『友引』がありました。
これは浄土真宗の門徒には、逆の意味で『難問』なのです。すなわち、浄土真宗では、吉兆等全く関係ありません。教義は他力本願、阿弥陀様のお慈悲により、即成仏できますから、成仏を妨げると言われる諸々は、全く気に留める必要がないのです。
そもそも『友引』は、中国の六曜に基づくもので、仏教徒とはなんら関係がない上に、もとは『共引』、要は引き分けを意味する言葉だからです。それは六曜が、闘いや勝負事から生まれた歴史を振り返れば当然と言えるのです。でも、葬儀に参列される方はどんなふうに感じられるかで、私たちは悩むのです。友引には、休業の葬儀場さえある現実から、友引が入ると、さらに火葬場の予約が困難になるのです。
結局、浄土真宗本願寺派の門徒でありながら、私は、『一般常識』を執りました。そのため葬儀は、まる4日後になりました。また、死は汚らわしいものではなく、即成仏して、極楽浄土で無力な私たちを見守り、お救いになる立場になられたわけです。当然参列された方には、『清めの塩』は要りません。でも、ある浄土真宗のご葬儀で、会葬御礼に塩が入っていないことに文句を言われた場面を見たことがあります。それで私は、会場の脇に、『清めの塩』を置く対応をいたしました。
保育園の建設反対運動もそうですが、火葬場の建設についても、強い反対運動があるようです。少子高齢化社会なのに、いずれも不足が言われはのはどうしてでしょう。火葬場にお世話話にならない人はいないと思います。確かに一生一回ではありますが。私は、あちらこちらで共生共存の大切さをいつも言いますが、優しくないですね。私からすると、友引はダメなんて風習?を持ち出す前に、火葬場の建設を含む人の最期の時を安心安全に不安なく送れるように対応して欲しいと思います。
また、少子高齢化社会、核家族化が進み、墓所を承継する人が少なくなっているいっぽうで、新たに公共の霊園等の墓所の確保も、難しいと言われます。これも、住宅事情や地価の高騰なども影響しているのでしょうが、やはり人の生死は、自分には関係ない、むしろ『そんなもの!』迷惑だと考える国民が増えているのではないかと思ってしまいます。今の自分がいるのは祖先がおられたからであり、日本国民として、安寧のうちに暮らせるのは、先人たちの弛まぬ努力があったからです。これまたいつも申しますとおり、優しさが無くなったに通じます。
浄土真宗では、阿弥陀如来のご本願により、これを信じ、南無阿弥陀(本願寺派では、ナモアミダブツと言います)を念じれば、仏様になることができます。我々は凡夫であり、完全にに他力本願です。自分では何もできない、だから他人にも寛容になるべきと思えるのかもしれません。難しい教義はありませんし、決まりしきたりもありません。
親鸞聖人は、僧籍者として最初の妻帯者と言われます。肉も食べ、酒も飲みます。苦行はありません。ごくフツーです。その普通の生活、人の一生の中で、保育園幼稚園、学校も必要、そして最期のときは火葬場です。その間病院や介護施設も経験するでしょう。
普通の生活、人として避けられない生活であるがゆえに、排他性を嫌うのも浄土真宗の本質です。私が浄土真宗本願寺派の門徒となったのは偶然ですが、そして、真面目な門徒様からすると、テキトーで叱られるかもしれませんが、他力本願は、人への優しさに通じると悟ったものこのご教義があればこそでした。
それでも凡夫、私は、迷いながらも一般常識に従った通夜葬儀を執り行う前の日、この『ひとりごと』を書いています。母が生まれし浄土に戻った日、病院から眺めた都内ののどかな風景は、心に刻まれるものとなるでょう。ありがとうございました。
NHK大河ドラマ『真田丸』は、最大の見せ場と言われた『犬伏の別れ』のシーンが放映されました。放送終了直後から、視聴者から多くの声が寄せられ、そのツィートの数1時間で5万件に達したそうです。その中でも、真田信幸役の大泉洋さんの演技を絶賛するものが多かったようです。
『犬伏の別れ』に関する従来の歴史家の定説、ほぼ固まっている事実関係については、先般の『ひとりごと』で書きました。真田家存続のため、父真田昌幸と二男真田幸村こと信繁が石田三成側に、長男真田信幸が徳川家康側に付く決断をしたことは間違いありません。ただ、誰が、どのような理屈理由をつけて、また、それぞれどのような受け取り方をして、さらにこの決断後、3人はどのような態度を取って別れたのか……諸説入り乱れていて、三谷幸喜さんの脚本に期待が膨らんでいたのです。ある意味予想を裏切られる?展開で、感動した方が多かったでしょう。それはまさしくこの日の主役は、真田信幸すなわち大泉洋さんとなったからです。
もしかしたら…と思わなくもなかった『くじ引き』のシーンこそありましたが、その前に、信繁が、後の世に、天下分け目の関ヶ原と言われた石田三成側と徳川家康側の戦は、国内を二分する結果にはなるけれども、短期間に終結すると予想し、その後、真田家は、どこにも属さないで生き抜くことは不可能と父に意見します。すなわち、家康が上杉攻めをしている最中に家康側を襲い、かつて武田家の支配下にあった信濃甲斐を押さえるとの目論見が奏功する見込みはないことを言います。これは、意外とこの先の伏線になっていると思いました。大泉洋さん扮する真田信幸は、もう、そんなことは止めましょうと父に言い放って『くじ引き』を引っ込めさせ、『私は決めた!徳川に付く』と。
そして、石田三成側が勝利したときは、命を懸けて自分を守れ、徳川家康側が勝利したときは、自分は命を懸けて父と弟を守る!そしていずれにせよ真田家は残ると言うのです。これを真田信幸すなわち大泉洋さんに言わせるのは、流石三谷幸喜さんですね。大泉洋さんは、大河ドラマへの出演が決まった喜びとともに、その難しさをしばしば言われており、特に、長いセリフは経験がなくてからっきりダメ、時代劇は苦手と謙遜されていたことを思い出します。アレ、もしかして、三谷幸喜さんとつるんで、わざと言っていたのでしょうか?
父昌幸は、おそらく自分を超えた息子たちを誇らしげに思って安堵し、最後の戦いを徳川家康に向けられることを、再確認したと思われます。兄弟涙して酌み交わす酒、親子3人で笑いながら飲み交わす酒、イイですね。最後の韓信の戦術のくだり、流石真田昌幸の息子と思わせる真田信幸の『解説』にも唸らさらましたが、真田昌幸の『韓信はバカだ』は、面白かった!その戦術の本当の狙いを書に残したら、誰も実践で利用できないと。流石父上の貫禄でしょう。
舞台が多い大泉洋さんは、私のイメージは、『北海道』『札幌』に、そして憎めないダメ男でした。その演技力は、まさに彼しかできないと思わせるような凄みもありました。でも、ご自身仰っていました。自分は、結婚しているし、家庭もある、本当はダメ男ではないと……。
そのとおりですね。お見事!
真田昌幸が、信濃甲斐に拘りを持ち続けるのは、信玄公への崇敬の念もあるでしょうが、この大河ドラマの最初のシーン、お館様武田勝頼を岩櫃城にお連れできずに、子らのみ人質を免じられて生き残ったことが、何か重みになっているような気がします。また、犬伏の別れの回での大谷吉継と石田三成とのシーンも良かったですね。こちらは、片岡愛之助さんと山本耕史さんですから、期待とおり出来て当たり前でしょうか(失礼!)。
史実では、上杉攻めに向かう大谷吉継が、蟄居中の石田三成を訪ねたところ、「家康を討つ」と打ち明けられて賛同を求めれ、親友に殉じたと言われます。豊臣秀吉亡き後、秀吉末期の混乱の中で治めるのは家康だと大谷吉継は認識していて、例の『直江状』にも、大谷吉継に対する徳川家康の信頼が見て取れます。実際大谷吉継は、3度に渡って勝ち目がないことを石田三成に言って翻意を促すのですが、勝ち負けではなく信義であるとする石田三成に従うことに決めたとされます。
それは、この『ひとりごと』でも書きましたが、大谷吉継は、石田三成に対しては、特別な思い入れがあるからでした。
『真田丸』では、石田三成が訪ねてきたことを、もはや武将として働くことができない大谷吉継は、自分は、三成が来ることを待つていた、つまり死に場所を貰いたかったのかもしれないと描いた上で、その三成のため、また、自分らしく生き抜く証のため、必ず勝たなければならない!と鼓舞して、石田三成に同心したのでした。真田昌幸にも届けられ、『犬伏の別れ』を演出した全国の豊臣恩顧の武将に対する文書を書くシーン、名優の演技に引き込まれます。
さて、いよいよ関ヶ原です。でも『真田丸』の視点では、真田信幸の居城沼田城を死守するその妻稲こと小松殿の憤然とした姿、そして徳川秀忠の関ヶ原参陣を遅らせた第2次上田合戦、これらが楽しみです。三谷幸喜さんの隠し玉?でもない限り、おそらく『犬伏の別れ』が、真田親子の最後の一緒にいるシーンとなるはずです。いっぼうで、関ヶ原では、大谷吉継が注目されます。
こうしてみると、三谷幸喜さん流の真田丸、毎回主人公があり、スポットライトが当たる人がいて、それがさらに今後の真田幸村こと信繁の活躍に、期待が高まるものです。関ヶ原の後、高野山九度山での蟄居の生活の描かれ方も気になりますが、それは満を持しての大坂の陣、『真田丸』へ向かう全ての仕組みプログラムと考えましょう。
それにしても、男たちの世界、そして素晴らしい俳優陣、男って、そんな『つまらないもの』ではないと思います。ひとつの大山を終えたNHK大河ドラマ『真田丸』、放映翌日の福本悟のひとりごとでした。