安倍晋三内閣総理大臣のヨーロッパ諸国訪問も終わり、この後は伊勢志摩サミット、そして夏の参議院議員通常選挙です。安倍晋三内閣総理大臣は、伊勢志摩サミットの『成功』と消費税率アップの中止を提げて衆議院を解散し、成果が出ていると言うアベノミクスをさらに進めるのか、例によって「後戻りするのか?」のかつて流行ったわかりやすいフレーズで、衆議院議員総選挙に打って出ると言われておりました。
すなわち、衆参同時選挙、ダブル選手を行うだろうとの予想であります。
任期中の衆議院議員の身分を失わせる総選挙は、議院内閣制のもと、国会と内閣の間の政策面での対立が続き、にっちもさっちいかなくなり、国政が停滞した場合に、それを国民のために打開する手段として行われるものです。これが憲法7条に基づく内閣の解散権で、よく『国民の信を問う』と言われますね。
衆議院解散は、まさに「そんな国会議員、使えるの?」と国民に尋ねるわけですから、内閣を支持する議員、すなわち与党が多数を占める間は、あえて政権を支持する議員をいったんクビにする必要はないはずです。選挙となれば税金が使われますし。
そう考えると、衆参同時選挙って、おかしいと思いませんか?解散すなわち国会議員を不在にしてまで、国政を停滞させないために、衆議院議員総選挙が行われます。その間は、参議院だけとなります。法律は、国会で可決したときに成立しますから、審議中の法案は廃案となります。
条約の承認や予算の成立は、憲法上衆議院の優越が規定されておりますから、参議院だけでーー緊急集会なるものがありますが、ーーそうまでして審議することはありませんね。まして衆議院議員総選挙中に、参議院議員通常選挙が同時に行われていたならば、国会は、事実上『半数』の参議院議員しか動けない、動かないわけで、そのこと自体が国政の停滞を招く危険性があります。
先の安保法制を急ぎ成立させようとするとき、政府与党からは、不測の事態への対応、切れ目のない体制つくりなど声高に言われました。そんなに急ぐ必要あったのでしょうか?そんな『国会重視』の政権が、今度は衆議院を解散するですって。この間、国会と内閣が厳しく対立する事態が起きていたでしょうか。参議院議員の定数は確か242ですから、その半数の議員は、改選を迎えて自分の選挙で忙しいくなります。
ですから事実上半数の人たちで、国政を決めなければならない理屈です。国会そして国民の立場からすると、興味本位の当選予想はともかく、あまり歓迎できるものではありませんね。
自国で開催されたサミットが成功しないはずがありません。
しかもご丁寧にゴールデンウィーク中に、休みも取らず安倍晋三内閣総理大臣は、ヨーロッパ諸国を訪問し、準備を万端にしています。既にドイツのメリケル首相と会話したこと自体で、成果を強調した新聞社もありました。そして消費税率ですが、一昨年の衆議院議員総選挙でも、誰も税率アップを求めていないのに、『国民の真を問う』とされました。あのときは、国政の停滞ではなく、年末のクソ忙しいときに!だったでしたか?
ところがここに来て、どうやら安倍晋三内閣総理大臣は、衆参同時選挙となる衆議院解散をしないのではの予想が出ています。
先の衆議院北海道5区補欠選挙では、選挙運動期間最終日に北海道入りすることが叶わず、熊本地震で被災した方々を励ますために現地入りされました。膝をつけて被災者に語りかけるその姿は、北海道5区を含む全国に放映されましたが、さぞ気持ちは、北海道へだったでしょう。
そんなお優しい姿と、連日放映される自衛隊の活動に心を動かされた北海道5区では、自衛隊とそのご家族が暮らす千歳恵庭のみならず、多くの選挙民が、与党候補に託す選択をされたのです。おそらく国民は、政府を信頼している、政権を支える与党も支持されている、もはや国会運営につまらないケチがつく心配はないと分かったのでしょうか。
以前にも指摘しましたが、小選挙区制が基本の衆議院議員総選挙と、かつての衆議院議員中選挙区制に似ている同一選挙区に複数の当選者を出す、しかも同じ政党の候補者が立候補する参議院議員通常選挙では、仕組みが異なり、自ずから選挙運動も異なります。
巨大与党に対抗するための野党連合は、小選挙区制では、候補を一本化しますが、複数の当選者を出す参議院の選挙区では、それぞれの野党が、候補者を出します。
方や統一方や独自です。これでは選挙協力なんてできませんね。でも、変な声も聞こえてきます。
それは、熊本地震の復旧がままならない間に、血税を使って選挙を行うのマズイと。確かに、ご自身が出演された既に収録収録済みの民間バラエティ番組か、不謹慎狩りにあったのかどうかわかりめせんが、放送中止になりましたから。やはりどこまでもお優しい方のようです。
ゴールデンウィーク期間中、レジャーに繰り出した方も多いかと思います。日本各地で寒さが緩み、好天が続く季節になると、外に出たくなるものです。サービス業に関わる方々は、お休みはないでしょう。
ただ、大型連休は、いわゆるかきいれ時、割り切ってやりくりすることに慣れておられるとも思われます。ただ、サービスを受ける側は、楽しみで気が大きくなっているのかもしれませんが、マナー違反が指摘される声が聞かれます。このところ気になるのは、それってサービスを受ける側なの?と思える形態でのマナー違反が多くなったことです。
私が利用する最寄駅は、なぜか鉄道ファンが多く集まる駅らしく、休日ともなれば、毎日ホームの端から、カメラを構える姿が見られます。
この方々は、電車の扱いに慣れているので、危ない!と感じた瞬間に遭遇したことはありません。でも、小さなお子さんに、電車を見せたいと思って連れてきたのか、親子連れは、子どもと電車双方に目が行き届かなければなりませんから、見ているほうはハラハラします。事故になっているわけでもないし、駅利用客に迷惑をかけているものでもありませんので、黙ってやり過ごします。鉄道会社の立場からは、違った答えや希望が出されるかもしれませんが、迷惑にならない行為は、周りが余計なお世話をしなくても良いとなりましょうか。
先月でしたか、関東地方のある鉄道会社が、線路近くの田畑に入り込んで写真を撮るファン?宛に、「もう、来ないでください」とメッセージを送ったことが話題になりました。
なんでもカメラを構える人たちが、線路脇の敷地に入って、花や作物が植えられている土地を荒らしたことに我慢ならないと言うわけです。これに対しては、このような行為をしたのではないと想定される人たちから、「上から目線」とか「鉄道会社の土地じゃないだろう」「何か損害あったのか」「もう行ってやらないぞ」等等、反発の意見もかなり寄せられたようです。
当事者ではない人たちが、主としてネットを介して、意見を発した側を叩く風潮は、この国の特徴になった感があります。
真面目な鉄道ファンでしたら、鉄道会社に物申す場合、それは鉄道が好きであるがゆえの行動ですから、自分を特定し、かつ、確実にその声が届くようなやり方で行うでしょう。実際宿泊したホテルや利用した航空機には、誰が発したかわかるやり方で、意見を求める用紙等が備え付けられております。そう考えると、この鉄道会社、ファン?一般にメッセージを送ったかたちを取ったのは、本当に鉄道ファンは来るな!と言いたいのではなく、鉄道ファン擬きのマナーが悪い人たちへの警鐘をしているのではないかと思います。
ゴールデンウィーク明けのニュースで、ある自治体が、市の公共施設で行われている野外バーベキューを規制する方向で、条例を制定するとの報道がなされていました。
主としてバーベキュー利用者のゴミ不法投棄や違法駐車等が多発していることが原因のようです。既に河川敷等でのバーベキューを有料にする自治体は存在しますが、お金を払えば返って好き勝手ができるかに感じる人もいるのでしょうか。そう言えば子どものころ、遠足で訪れた公園等で、「ゴミは持ち帰りなさ~い」と引率した先生から言われたのに対し、「掃除する人の仕事を無くしたらダメだよ」なんて理屈を立てて、疑問?の声が上がったことを思い出しました。
お金を払っている、あるいは自分たちはお客さんだとの意識から、マナーやルールに反する行動をするケースは確かに多いのだと思います。
先の小学校時代の経験は、子どもが計算して、そんなことを言ったのではないとしてしても、やりたくないこと、面倒なことを免れるための言い訳として、お客様意識があるのかもしれません。これと同じと言うべきかわかりませんが、この土地この場所とは自分は関係ない、馴染みがない、もう来ない、やってもバレないと考えるところから、ゴミの放置等のマナー違反が起きるのではと思うのです。
湘南地方のある海岸では、近くのマリンスポーツショップの人たちが、海岸パトロールをされているところ、この時期から秋口まで、砂浜にはバーベキューの残りカス、器具等が散乱し、また、わざわざ砂を掘って埋め込むような光景が見受けられるのだそうです。これも、砂浜から離れたらもう安心なんて不心得な考えによるのではないでしょうか。
誰でも自分の生活圏を大事にしたい思いはあるでしょう。よくお話するとおり、我が家から徒歩1分もしないところに公園があり、その先2.3分も歩けば、かなり広い公共の公園ゾーンに繋がります。住民は、この環境を大切にしたいと思っているはずです。だからかどうか断言できるものではありませんが、ゴミはポイ捨てしないのは当然のことで、ペットのフンは必ず持ち帰ります。
ところが、たまに公園内に、フンが落ちているのを目撃します。たぶん休日等に遠方から来た人が残していくのだと近くの住民、特にわんこを飼っている方はそう言います。万一にも、ここで暮らす者が、公園にわんこのフンを残す等の行為をしたならば、ここで生活することはできないからです。
今日は、マナー違反に関して書きました。自分には関係ないから……と思って、社会に迷惑をかけかねない行為をしていないか、振り返る必要がありそうです。
この仕事をしていると、「バレなければよいと」自覚していなくても、そう考えていたと指摘されても仕方ない場面に遭遇することはよくあります。もちろん、自分自身も含めて。皆さん、考えてみませんか。
上野駅は、東北の匂いがすると言った人がおります。今は、夜行列車は無く、東北新幹線は、東京駅が始発です。宇都宮線高崎線も、上野東京ラインと名付けられて、上野駅が終着駅始発駅では無くなりました。東北の匂い、まだするでしょうか。
1日の乗降客日本一の新宿駅、私は、ほぼ毎日利用しています。日頃は、通勤通学のターミナルと感じるのですが、新宿駅は、信州への入り口の感じがいたしませんか?それは、私の世代は、「あした私は、旅に出ます。あなたの知らない人とふたりで、いつかあなたと行くはずだった、春まだ浅い、信濃路へ……」で始まる昭和の青春の名曲、『あずさ2号』を覚えているからなのかもしれません。
国鉄JRがその後下りを奇数、上りを偶数の列車番号にしたことから、8時ちょうどのあずさ2号は消滅しました。でも、あの名曲と、新宿から信州信濃路へ旅立つ人は、絶えることはないのです。新宿駅から発車する特急あずさは、スーツ姿のサラリーマンに混じって、重装備をしたいかついクライマーや、信州に憧れた?若い女性、さらに温泉地あたりにでも行くのか、賑やかなグループ、また静かなご夫婦等、いろいろな人が利用しています。私は、新宿駅から甲斐路信濃路へ向かうのは好きです。
事務所が新宿にある私は、山梨県の甲府や都留、そして長野県の諏訪や松本に行く機会は多いです。仕事もそうですが、多摩地区にある自宅から、わんこと一緒に山梨県に出かけることもあります。
都内から向かうとき、鉄道も高速道路も笹子トンネルまでは、登りの連続です。列車が笹子トンネルに入ると、速度を落としたことがわかります。そして笹子トンネルを抜けると、甲州市となった甲斐大和駅を通過します。この『ひとりごと』で、何回かお話したと思いますが、武田家終焉の地であります。
ここを通過すると、眺望が開け、見事な盆地の風景が見られます。果物の宝庫と言われる山梨県です。特に4月、一面の桃源郷は見事です。やかで甲府に到着し、ここからさらに信州を目指してあずさ号は進みます。もう4月末で、桃のピンクは見られません。私は今日、特急あずさに乗車しました。
春まだ浅い時期も過ぎたようです。車内は、レジャーよりも 仕事の感じがしますね。特に、諏訪岡谷塩尻松本と、昔から精密機械の土地が続いています。また、お酒やワイン等の産地でもあります。山ばかりなのに山梨県なんて言う人がおりましたが、信州には海がありません。
魚好きな私ですが、やはり山に囲まれた場所は、水がきれいでおいしいです。我が家は、山ばかりの会津から、お米を送ってもらっていますが、信州米、特に安曇野のお米は美味しいですね。人間にとっては水が基本中の基本、これが豊富で美味しい土地は、まさに『日本』を感じます。
その信州に入る前、通るのが甲斐路すなわち山梨県です。山梨県と言えば何を想像しますか。富士山や富士五湖、清里や八ヶ岳、果物や花、温泉等いろいろです。
私は、古い人間になりましたか、武田信玄公であります。実際現在でも山梨県の方々が、県の偉人として挙げるのは、その4分の3が武田信玄公なのだそうです。歴史好きな私も、武田信玄と上杉謙信、両雄は、惹かれる戦国武将です。ただ、年齢を重ねるごとに、武田信玄は、武将と言うよりも、優れた行政官、政治家だと評価しています。
このことは、別の機会に私の思うところをお話します。今日は、この戦国最強の武将、最高の政治家であった武田信玄亡き後、後を継いだ武田勝頼の代で、この強国が崩壊した事実を振り返り、武田家末期の足跡が残る場所に思いを馳せる行程を辿りました。
すなわち、城を造らなかった信玄時代は去り、長篠の戦いで大敗した武田勝頼は、領国内への侵攻を防ぐ狙いに加え、人心が離れて謀反の兆しが現れてもいて、築城を決意、これを普請したのが真田昌幸で、こうして完成したのが新府城です。NHK大河ドラマ『真田丸』で、最初に出てくるシーンがこれでした。
新府城は、現在の韮崎市にあります。JR韮崎駅の次には、新府駅があります。そしてさらに鉄道を北西に進むと、穴山駅、長坂駅と続き、山梨県のいちばん北西、小淵沢駅となるのです。
新府城は、数万の兵が入城できる強固な城でした。しかし完成して数ヶ月で、武田勝頼は、この城に火をかけて東へ進み、笹子峠を越えようとしたところで、小山田信茂から鉄砲を打ちかけられ、天目山の露と消えたのでした。
その武田末期、裏切り者のひとりが、武田信玄の女婿穴山梅雪でした。武田勝頼を見放し、密かに徳川家康の庇護を受けて生き延びる選択をした末路は悲惨でしたが、新府城を捨てることを進言したのも、穴山梅雪とも言われています。歴史の皮肉か、新府駅の次にあるのが穴山駅です。
さらに武田末期、書物『甲陽軍鑑』では、跡部勝資ととも戦犯とされたのが長坂釣閑斎ですが、この先に長坂駅があります。でも長坂釣閑斎も跡部勝資も、武田家滅亡と運命を共にしていて、仮に武田家滅亡となるような誤った判断をしたのだとしても、最後は武士らしく主君に殉じ、甲斐武田家と運命を一にしたのです。武田武士として生きたと評価してあげて良いのではと思います。
そんな思いで、韮崎駅で途中下車して新府、穴山、長坂を経て信州へ入りました。私は、山梨県、そして信州に向かうとき、小山田信茂の岩殿城跡が見える大月に入ると、なぜか武田信玄ではなく、武田勝頼を想います。甲斐大和駅、新府、穴山そして長坂駅を通ると、なおその感が強ます。
電車からは、信玄の足跡ではなく、勝頼の悲哀が見えるのです。歴史好きな私にとって、信州信濃路へ進むにあたって、避けて通れない感慨があるのが甲斐路です。
武田勝頼が自害したのが新暦に直すと4月3日です。百花繚乱のこの時期、甲府市や笛吹市を中心に、信玄公まつりが盛大に行われます。4月、花とともに、名家武田家の盛衰を想う甲斐路です。
ゴールデンウィークのころになると、自宅から駅までの間の道路沿いには、ツツジが咲き並びます。白、濃いピンク薄いピンクとてもきれいです。私が通勤のため利用する路線にも、つつじにちなんだ駅名があります。ツツジの花の中には、ハチの姿がよく見られますね。ハチは痛いですが、甘い蜜をもたらします。
でも、私は、『ツツジ』と聞くと、直ぐに浮かぶものがあります。『躑躅ヶ崎館』です。今は現存しない、甲斐の国主武田家の館です。この館ができたのは武田信玄の父武田信虎時代で、急遽現在の石和方面から、移動しなければならない事情が生じたのですが、父信虎を追放して国主となった武田晴信、後の信玄公は、あえて築城しなかったとされます。信玄を継いだ武田勝頼の時代、甲斐武田家が滅亡した折に、躑躅ヶ崎館も消失しました。『古府中』と呼ばれるその場所は、現在は武田神社となっていて、JR甲府駅からバスで行くことができます。
『人は石垣人は城……』の武田武士(武田節)の唄でも知られる武田信玄の政治力学から、この館は、武田家滅亡の少し前まで、甲斐武田家のシンボルでした。戦国大名が、堅固な城を築城する中、武田信玄は、城を造りませんでした。有名な、『人は城、人は石垣人は堀、情けは味方、仇は敵』がこれです。どんなに堅固な立派な城を構えても、人を大切にしなければ崩壊する、人こそ宝であり、自分の味方であると言う意味と言われます。すなわち、人を大切にし、その力を信じ、その能力が如何なく発揮できるのよう整える、また、人は温情をかけ、誠を持って接すれば、必ず心を開いて力になってくれる、反対に、恨んだり憎めば、人は害意を持ち反発する、武田信玄が、戦国最強の武士団を育成統率できたのは、この力学によると評価されているのです。実際、信玄を裏切って、躑躅ヶ崎館へ攻め込まれたことはありませんし、信玄在命中は、その領土が、他国他の大名から侵されたこともありません。この教えは、人をやる気にさせる企業とは?として、企業戦士のバイブルともなってもいるようです。
人を信頼してこそ自分たちも生きられるの考え方、実はわたしたちも、踏襲しているのです。それは、あの忌まわしい大戦敗戦の経験に基づくものです。あの暗黒時代、本当に人を憎み、鬼畜とも言い放ち、敵に回して結局悲惨な結末を迎えることになりました。そこから生まれたのが日本国憲法です。その前文には、こう書かれています。
『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した』のです。これは、非武装で、何もしないと宣言しているのではありません。まず、自分たちの安全平和は、他人、諸国民を信頼することから生まれる、人に憎しみや仇を感じるようでは、結局それは自分たちに降りかかってくる、日本国民は、先の大戦でそれがよくわかった、だから全世界の人々に先んじて、平和を愛する諸国民を信頼することで、国際社会において名誉ある地位を占めるべく、国家の名誉をかけ、全力をあげて、この崇高な理想と目的を達成することを誓うとしたのです。
最近ある国家が危険だとか、その脅威に対抗する云々が言われているようです。その方法として、例えば軍事力を誇示するとどうでしょうか。相手は、さらに力を持って対抗してくるでしょう。中南米にあるコスタリカは、キューバ、ニカラグァ、ドミニカ共和国、そしてアメリカ、これらが隣国にありますが、常備軍はありません。常備軍がないと言ったのは、万一他国から侵略された場合に、徴兵できるシステムを残しているからですが、現代社会で、軍隊がないところに急遽徴兵してにわか軍を設けても……でありますから、コスタリカには、軍隊はないとなるのです。コスタリカは、中南米の楽園と呼ばれますが、軍隊が無くなった後、侵略されたことも、戦争に巻き込まれたこともありません。日本には、自衛権を行使する必要が生じた場合に備えて、自衛隊は存在しますが。
この自衛隊、現内閣により、いわゆる集団的自衛権の行使ができるとされ、この春施行された法律により、同盟国を救助しなければ日本が侵略されるとして、地球の裏側まで行くことが可能とされました。これが本当に自国への差し迫った侵略なのかどうかの点もありますが、そもそも他国、他の人たちを信頼して初めて自分たちの生存と安全があるとの根本的な決意とは、相入れませんね。
よく、同じ憲法前文の『われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって……』の部分のみが、好んで引用されますが、これは、ある国に助けられてばかりいてはいけないのであって、その国が攻撃されてることは、日本のへの武力行使だから助けに行く!なんて根拠にはなり得ません。この無視してはならないの対象は、いわゆる仲の良い同盟国を指すものではないからです。先に決意したとおり、日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼したのだから、それを無視軽視することは、『自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務』に反する行動だと戒めているのです。要するに各国は、この決意をした日本に見習えと求めているのです。
戦国時代は、国内で争い、だからこそ身内を大切にする必要がありました。今は国際協調社会です。世界の平和、自国の平和は、まさしく他国、他人を信頼してこそ維持されるのだと考えます。仇とまではいかなくても、信頼されていないとわかれば、その相手だって、こちらを信頼するはずがありません。アメリカ合衆国共和党次期大統領候補者であるドナルドトランプ氏は、日米同盟は、アメリカのみが負担を強いられるもので、見直しが必要だと述べています。よく言うよ!と思いますが、それなら結構、アメリカ軍、どうぞお帰りください。思いやり予算なんて言葉が定着して何年かと思いますが、日本の予算も大きく変わることができるでしょう。日本国憲法は、占領下のアメリカが中心になって日本に押し付けたものだと批判する方々は、『トランプ大統領』に言われるまでもなく、『アメリカ軍』そんな有難迷惑なもの、さっさと返上するのでしょうね。
ツツジは、ハチの痛さと蜜の甘さが共存しています。現代の武田信玄は現れないでしょうか。
企業では、戦国武将の名言が、社員教育に使われていると聞くことがあります。
自己を研鑽し、顧客を満足させ、会社を繁栄させる、若い人や新人社員に体得させるのだそうです。話は変わりますが、安倍晋三内閣総理大臣も、座右の名がありますね。『至誠に動かざる者は、未だ之れ有らざるなり』。もともとは孟子の言葉ですが、長州藩士吉田松陰先生が、日頃を弟子たちに伝えていた心得です。
人には誠意を持って接すれば必ず心を開いてもらえるものだ、まだそうならないのならば、それは自分の誠が足らないからだとの意味です。安倍晋三内閣総理大臣、さすが組織のトップとして、未熟な部下たちに授けるにふさわしい言葉ですね。
少数者を排撃するヘイトスピーチを厳しく不法行為と断じた判決が言い渡されたばかりですが、一部与党議員の中には、原発反対!安保反対!の運動をヘイトスピーチだと言った人もおり、極め付けは「保育園落ちた 日本死ね!」をヘイトスピーチだと言った人がおりましたから。
原発にしろ、安保にしろ、保育園問題にしろ、政治の誠実さが欠けていたら、国民の支持理解を得られないと言う当たり前のことを仰ったわけですから。これとほとんど同じ意味に使われる戦国武将の名言があります。今日は、そのお話であります。 『人は石垣人は城…』は、私が若いころ、年配者がカラオケで歌っていました。
『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』あまりにも有名な言葉ですね。甲斐の国主武田信玄の言葉です。群雄割拠、明日をも知れない戦国時代、ほとんどの武将は、堅固な城を構えました。しかし、躑躅ヶ崎の館と言われるごとく、武田信玄は、『普通の家』に住んでいて、城は造りませんでした。
どれだけ堅固な城を構えても、人の心が離れていては、世の中を収めることはできない、人を信頼し、情を持って接すれば、人は石垣や堀以上に守ってくれる、ただし誠意を尽くさず、仇で返すような振る舞いをすると、人は裏切り、やがて自分の周りに人はいなくなり、自ずと滅んでいくの戒めです。すなわち、誠意を尽くし、人を大切にすることで人は恩義を感じ、力を発揮し、また離れることはない、人こそ城だと言う理解です。
武田信玄が戦国最強の武将で、風林火山の旗印のもと、史上最強の甲州軍団と言われた所以はここにあります。信玄亡き後家督を継いだ武田勝頼が大敗を喫した長篠の戦いは、『馬と鉄砲』と言われるのですが、歴史研究家の中では、武田武士団の集団自殺とも評する見解があります。
馬場美濃守、山県昌景、真田兄弟ら多くの名将が命を落としました。いくらなんでも戦況がわかるのに、鉄砲のある柵に向かって突撃だけを繰り返すのは歴戦の強者たちにはあり得ない、ここを死に場所として、信玄公に殉じたと言う説です。 豊臣秀吉の末路は言うまでもなく、あの織田信長だって、権勢を極める過程で、幾つもの味方からの裏切りに遭っています。
織田信長は、父に疎まれ弟を殺しました。武田信玄は、晴信時代父を追放し、その後嫡子義信を自害させました。そんな経験のある武田信玄だからこそ、自らが人を大切にする姿勢を示さなければならないと考えたのかもしれません。部下からも、領民からも慕われ、今なお山梨県民の4分の3は、尊敬する人物として武田信玄を挙げると言われるごとく、甲斐国を強国とし得たのだ思います。ここが裏切りを終始恐れ、自分に従わない者は殺してしまう織田信長と異なるところです。
あまりに偉大な父を持った武田勝頼は、気の毒だったかもしれません。しかも、頼りにしたい者たちが、集団自殺したのでは。 『人は石垣人は城』は、歳を経るごとに学ぶべき人生訓だと感じるようになりました。私は、あるお方と同じく、吉田松陰先生を尊敬してもおります。「弁護士の仕事でいちばん大切なことはなんですか?」と問われます。
私は、『説得する力』だと申し上げます。説得の相手は裁判所だったり、事件の相手方だったりもしますが、最も説得する機会が多く、かつ、大切なのは、依頼者を説得することだと思っています。依頼者は、不安と不満の塊です。
それをどうときほぐし楽にして差し上げられるか、また、心の落ち着きを取り戻し、抱えておられる問題に終止符を打つか、要するに、収めところを見極め、そこに導くように説得することがそれです。そのためには、まずは自分が誠実で、誠を持って接しなければならないのです。今日は、特急あずさに乗車して、これを書いています。電車は、甲府駅に到着しました。