中秋の名月に思う。
2015年9月29日
9月27日は、『中秋の名月』です。その翌日28日は、スーパームーンすなわち、今年いちばん大きな月が見られる日でした。
中秋の名月には、お月見と団子が定番です。そして、こどものころ、お父さんお母さんに、月の中にはうさぎがいて、お餅つきをしていると聞かされたものだと思います。今日は、このお話をします。
秋は、月の位置が高くもなく低くもなく、見上げるにはちょうど良い位置にあり、秋は空気が澄みきっていて、特に月が綺麗に見えると言われます。この秋の中でも、『中秋の名月』のお月見は、日本の伝統、風物詩でもあります。
中秋の名月、十五夜とも言われますが、まさに秋の中ば、これは日本古来からの季節感、そして天文学から来たものです。
古来から日本で読まれた詩の世界では季語があり、秋は7月から9月までとされます。ちょうど8月15日は、その真ん中にあたること、そして旧暦では、月は新月となる日から1日と数え、15日めの夜が『中秋の名月』となります。当時は旧暦が使われておりますから、新暦では9月のこのころが、『中秋の名月』となるわけです。
いっぽう、月と太陽が正反対の位置になったとき、満月に見えます。暦と月の満ち欠けがほぼ一致するとき、満月の中秋の名月を見ることができます。
旧暦の8月15日ころは、収穫の時期であり、東アジアや中国では、サトイモを食べる習慣があったそうです。これが江戸時代に日本にも入り、サトイモを食べながら月を眺める、やがて芋団子ができたと言われます。そして、日本の秋の収穫の代表はお米、米を使って団子を作るようになったのです。
日本各地で、中秋の名月、十五夜の月見団子はそれぞれですが、芋やもち米を使った団子が多いですね。収穫の時期ですから、夜遅くまで、仕事をする人々を照らす月明かりにありがとうの気持ちを込めて、団子にすすき、萩を備えて月を敬い、団子を食べるのだそうです。すすきは、収穫された稲穂を意味し、萩は、箸の意味があり、神仏に対して、萩を備えて、箸に見たてて団子を食べると言うものでしょう。
さて、月見団子には、うさぎの形をしたものが含まれていることがありますね。「あぁ。月にはうさぎが居て、餅つきしているからだ
」と思われるでしょう。
でも、中秋の名月とうさぎ、どうして月にうさぎが居るとのお話になったのかを理解している人は、意外と少ないのではと思います。
これは、インドの神仏からの伝説とされます。昔サルとキツネとウサギがいて、人間になれなかったのは、自分が、前世に悪いことをしたからだと思い、そのため獣の姿になってしまった、だから、これから人間様に対して良いことをすれば、来世は、人間に生まれ変われるだろうと話し合ったそうです。
こらを聞きた帝釈天は、窶れた老人の姿になり、サル、キツネ、ウサギの前に現れ、お腹が空いて死にそうだと言ったのです。
さて、いつかこの『ひとりごと』で申したかもしれませんが、日本の昔話とされるものは、悲しい結末が多いのです。
窶れた老人を見て、3頭は、必死に食物を探しました。サルは、木に登って木の実を集め、キツネは、川に入って魚を採ってきました。しかし、ウサギは、何も採れません。それで、ウサギは、再度
食物を探してくるから、それまでに、火を炊いて準備して欲しいと、サルとキツネに頼みました。しかし、やはりウサギは、食物を持って来ることができません。それでウサギは、みんなに対して、どうぞ自分を焼いて食べてくださいと言って、火の中に飛び込んだのでした。
これを見た老人は、帝釈天の姿となって、可哀想なことをした、みんなの優しさはよくわかったから、来世では、人間にしてしんぜようと言いましたが、それにしてもウサギの哀れを思い、黒焦げとなったウサギを、月の明かりに映し出して貰ったと言われます。それ以来、月の中に、うさぎの姿が残ることになったのです。
それからです。中秋の名月には、月の中にうさぎが餅つきをしていると言われるようになったのは。
平安時代、権利と富を築いた藤原氏は、「この世をば、我が世と思う望月の、…」と満月を読みました。この『もちづき』から、餅つきが発祥したとも言われますが、先の昔話のうさぎを憐れみ、また、感謝の気持ちを持って、月の中のうさぎの餅つきを説明されることが多いですね。あのとき、お腹が空いた老人を助けるため、うさぎは、命を捧げました。飢えることがない世界でありたい、そのために帝釈天により、月に遣わされたと信じたうさぎは、月の中で、世界の人々が、飢えることがないように、ずっと餅つきをしているのだと言うものです。
うさぎさんのこんな悲しい話、みなさんご存知でしたか?
昔話でも、人間を飢えさせてはならないとサルキツネそしてウサギは必死でした。しかしながら、世界の中では、まだ飢えに苦しむ人たちがいます。また、地球上では、新しい『戦争被害』が起きています。
ぞれは、他国の紛争に介入し、反発を受けた人たちをテロと呼び、また、生来の地を奪われて、難民となっていくかたちです。
果たして、月から人間たちのために餅つきをするウサギさん、今の世界の現実と、つい最近、日本が選択した平和社会なるものを、遠いところから、どんな思いで見ていらっしゃるのでしょうか。
貧困の連鎖を断ち切るために
2015年9月28日
生活保護費の収入認定が、早ければ10月から変わりそうです。
生活保護の支給は、憲法25条の『健康で文化的な最低限度の生活』をおくるため、その基準に達しない家庭に対する国の責務です。ただし、具体的に幾らであるとか、国民側から、直接の請求権があるかなどは議論があるところで、しばしば自治体では、『水際作戦』が行われるのです。それを手柄のように捉える自治体もありますが。
生活保護が受給できても、様々な制約があります。これでは何が文化的だ、何が最低限度だと言いたくもなります。例えば、養育費の支払い約束があればダメ、車は処分しなさい、私立や塾はダメ、保険等で被害弁償を受けられたら、支給された分を戻せ等です。
特に、子どもが親を助けようとして、また、こんな生活から抜け出したくて、アルバイトをしたり、奨学金を受給して進学することは、基本的には認めれません。すなわち、アルバイトをした分は、その世帯の収入とみなされ、奨学金が出たとしても、それを塾代に使ってはならない等あったのです。これでは親の貧困から子どもは抜け出せません。
厚生労働省は、子の進学のための塾や教材、模試費用等については、アルバイト代から出しても良い、つまり、子が働いた、あるいは奨学金と言う借金をして稼いだお金は、世帯としての収入とはしない、子どもために使うことを認める方向だと報じられております。
私からすると、『当たり前』のことでした。何らかの事情で、最低限度の生活を維持できない家庭で育ったこどもは、その生活から脱したいと思うのは当然です。日本弁護士連合会は、ここ数年、『貧困の連鎖』を大きな社会問題にしております。私から言わせれば、これこそ『政治の責任』だと思います。 みかん箱を机に、裸電球の下で苦学したなんて、昔の立身出世物語です。司法試験の世界でも、法科大学院に進学することが受験資格になるなど、この国は、お金持ちが支配する国になって行く感があります。
優しい経済ではないんです。親の貧困を理由に、進学を諦めた人たちを、私は何回も見てきました。
でも、お金持ちは、単にお金持ちであるだけなら、自由と国民主権の国であれば、羨ましいで終わりです。しかし、先般の国会前での『反対運動』では、こんなプラカードが目につきました。『戦争を始めるのはお金持ち。戦争に駆り出されるのは貧困者』 なんでもナチスを例にするのは、ある新聞社と同じと思われてイヤですが、ナチスは、第一次世界大戦で課せられた天文学的数字となる賠償金の支払いを踏み倒し、ドイツがこうなったのは、金に汚いユダヤ人のせいだと喧伝しました。
今でも軍需産業は儲かるなんて言う経済人がいるように、日本の戦後民主政策のひとつとして、『財閥解体』がありました。かの安保法案に関するNHKでの討論中、山本太郎参議院議員は、特定機密保護法、改正労働社会派遣法、原発再稼働、そして今回の安全保障関連法案を例にして、○○○が賛成し、政府に「やれ」と申し入れるときは、いつも危ない方向に進んでいると述べたことが思い出されます。
先の大戦で、お金持ちは、戦争に対してはどんな態度をとったでしょう。もっとも最後は大政翼賛会ができ、国家総動員で、戦争に突き進みました。
もちろん、国民は、本当のことを知らされずに。生活保護制度に批判的な人たちは、今回の安全保障関連法案の成否に関して、どのような立場、見解だったか興味があります。
日本人は、うに消費量世界一です。
2015年9月27日
日本は、周囲を海に囲まれ、昔から魚介を食べる民族とされています。かつての蒙古襲来のとき、モンゴル民族が、馬や鳥を食べるのを見て、武士たちが仰天した記録が残されています。また、黒船来航により開国した日本は、明治になって、すき焼き、ステーキ等の肉を食べさせるレストランが、開業することになります。
日本人のいか、かに、まぐろの消費量は、世界最高レベルです。うなぎやクジラを好むことも知られています。それでも、『コレもか?』と思える海の生き物の消費量世界一があります。それは、『うに』です。
うには、世界で900種くらいあり、そのうち食べられる種類は140種くらいで、日本では、ムラサキウニ、バフンウニ等が知られております。
ただし、その9割は輸入物で、街中のスーパーで、国産のうににお目にかかることは、まず都内ではないと考えられます。こどものころ、100円寿司店のウニを食べて、苦い、溶けて不味い等、ウニ嫌いになったまま、大人になった方も少なくないでしょう。それだけウニは高価品、また、獲るのは難しいからです。
国産のうにと言えば、北海道だろうと思われます。うには、世界中に生息しています。だから輸入物が多いとも言えますが、国産のうには、秋から冬に産卵し、冬から春までに成長します。だいたい2年くらいで『大人』すなわち、食用になるのですが、北海道では6月から8月くらいまで、九州では4月から9月ころまで、ありつけるはずです。
うには砂場にいるものもありますが、ほとんどが岩場に隠れるようにいて、熟練の海女さんでも、捕獲は難を極めます。こうして私たちのもとに現れるときには、高級品となっているのです。
さて、うにはうにでも、東京では食べられない、当然北海道でも食べられないうにがあります。それは、『赤ウニ』です。赤ウニは、東京より西南の地域にいて、特に産地は九州です。中でも西九州が赤ウニの生産地のほとんどを占めていると思います。赤ウニは、比較的深い海底にいて、少し扁平な形の直径5cmから8cmくらいの殻が少し赤みかかった濃厚で甘さ抜群のうにです。
これは、長崎県平戸や佐賀県唐津の物が最高級とされ、九州外に出回ることはないです。赤ウニの産卵時期は、他のウニと少しずれていて10月中ころなので、9月末のこの時期が、最高に美味しいときなのです。夏の終わりに福岡に行くときは、必ず『唐津の赤ウニ』を目指します。
さて、今回は、行きつけの『天神あらんどろん』で、唐津の赤ウニの箱売りに合いました。あまりにも贅沢なので、1箱の半分にしてもらいました。1.000円でした。この美味しいさと言ったら…。以前北海道の人に、博多の台所『柳橋連合市場』から、唐津の赤ウニを送ったら、絶賛されました。「こんなうに、北海道にはない」と。そのとおりですが。
この年に1度の束の間贅沢、『唐津の赤うに』、九州福岡は、いかだけじゃないを知っておきたいです。こうして今年も、うにさんとはお別れの季節がやってきました。唐津の赤うに、絶品です。
ペットの犬も、人間の子どもも、早く母親から離してはいけません。
2015年9月25日
先日首都圏のある市で、飼い主のもとを離れた紀州犬が、人間に噛み付いて軽症を負わせ、翌日も人間を噛み、探しに来た飼い主までも噛み付いて離れないことから、臨場した警察官が、この紀州犬に対して、飼い主の同意を得て発砲、それでも犬は怯まず、警察官に向かって来たとのことで警察官3人が、計13発拳銃を発射して、ようやくこの犬を仕留めたとのニュースが、報じられておりました。
今日は、この警察官の行為について論じようとは思いません。法律的には、犬は、『器物』であり、その所有者の同意を得て『損壊』したのであるから、器物毀棄罪は成立しません。
仮に、飼い主の同意がなかったとしても、警察官や飼い主に対して攻撃を仕掛けて来たのであれば、自己または他人の生命身体等を守るため、必要やむを得ない状況にあって、その反撃の程度が相当であれば、発砲行為等は、正当防衛が成立します。 この件では、射殺されたこの紀州犬の飼い主が、批判されています。それはそうでしょう。報道されたところでは、70歳を超えるこの飼い主は、日頃あまり散歩に連れて行くことがなく、この犬は、よく吠えていたと言うことです。しかも、飼い主の家から逃げ出したのですから、その管理がなっていないと言わざるを得ません。
犬は、相当ストレスが溜まっていたでしょう。おそらく躾なんてしていなかったのでしょうね。
でも、そんな飼い主だったからかもしれませんが、いかに自分の腕に噛み付いて離れないからと言って、射殺して良いなんてよく言えるなと思います。犬は、攻撃を止めればよい、つまり法的に言えば、急迫不正の侵害行為が止まれば良いのであって、まさに息の根を止めてしまう必要があったのかと言うことです。
概して吠える犬は臆病で、不安なのです。飼い主がしっかり愛情を持って育て暮らしていれば、こんなことにはならなかったでしょう。まさしく犬も家族なのです。お陰で?動く標的が相手とは言え、市街地で13発も拳銃を発射したとして、関わった警察官もあれこれ言われてお気の毒との意見もあり得るでしょう。 我が家には、わんこが3頭います。もともと知人がブリーダーをしていたことから、その家で生まれた生後90日を超えた子犬を引き受けたのがきっかけでした。
その後、その知人であるブリーダーさんを介して、この犬種では、最も信頼できるとされるブリーダーさんの元のわんことの間に交配し、我が家で5頭生まれました。そのうちの2頭が残って、母親と一緒に暮らしているのです。今は、母犬7歳、子ども4歳になりました。 『8週齢規制』と言われるわんこ引き受けに関するルールがあります。
これは欧米でのルールで、日本の動物愛護法では、45日間とされる子犬の販売規制のことです。多少犬種により異なるとは言われますが、犬は、生まれて70日から90日の間に、社会性が身につきます。つまり、母親の愛情をたっぷり受けるなどして、人間社会で生きるルールを学ぶのです。これが生後間もないときは、身につきません。よく例示する誠に辛い統計ですが、早くして母親と離れた少年の非行率が高いことでも裏付けられることだと思っています。
ところが、『可愛い!』がだいいちのペットショップでは、可能な限り、生まれて小さいままの犬を並べます。見た目可愛いからです。
小さいときに、母親と引き離すべきではないのです。さらに悪いことに、ペットショップのガラスケースで長く暮らしていると、もちろん生育状況も気になりますが、他のわんこと触れ、また、外で遊び、まして躾教室に通うなどの機会はないでしょうから、社会性を身につけないまま、人間と一緒に暮らすことになることです。 良い犬のブリーダーさんは、生後90日くらいまでは、購入希望は受けるものの、引き渡しはしません。
その間に、母犬と一緒に暮らし、また、他の兄弟姉妹とも一緒に暮らし、社会性を見につけさせるのです。ペットショップは全部ダメだとは言いませんが、『目と目が合った』『抱っこして懐いた』は、止めた方が良いですね。我が家で生まれた子犬は、皆良い家庭に引き取られました。それでも生後100日以上、我が家に居る母犬と一緒に、暮らしました。
そして、今でもよく皆で会いますが、兄弟姉妹仲良しです。母犬は、子どもたちをペロペロ舐めます。もちろん吠えることもなく、人間大好きなわんこたちです。 男女の中でもそうかもしれませんが、『可愛い』とか『運命』は、少し慎重に捉えたほうがよろしいかと思います。
ブリーダーさんをはじめ、しっかりした家庭で大切に育てられ、愛情たっぷり受けたわんこは、一緒に暮らすと安心です。そして、そんな環境で育ったわんこたちは、決して拳銃で射殺されるような目には遭わないはずです。
子どもを愛情を持って育てること、それは人間社会の規範ではないでしょうか?
新国立競技場問題からラグビー日本代表、そしてアビスパ福岡井原正巳監督を思う。
2015年9月24日
ラグビーワールドカップイングランド大会で、日本代表チームが、世界ランク3位、過去2回優勝し、今大会も優勝候補とされる南アフリカチームに勝利しました。なんでもこれまで日本は、W杯では1勝しか挙げておらず、体格でもかなり劣るので、劣勢が伝えられ、その勝利は、歴史的快挙と讃えられているのです。
この試合、何回もビデオ放映されましたので、そのシーンは記憶されました。ノーサイド直前に、相手チームが反則を犯し、そこでペナルティキックを選択してこれが決まれば同点のところ、日本チームは、あえてスクラムを選択しました。トライとなれば5点、もし、プレーが切れれば、そこで試合は終了です。
スクラムから出たボールを右に展開、そしてラックとなって素早く出したボールを、今度はバックスが左に展開、飛ばしパスを使って、最後は、左隅に逆転トライを決め、ノーサイドとなった試合でした。
ラグビーもサッカーもバレーボールも団体競技です。もちろん個の力、巧い選手がいるに越したことはないでしょうが、それだけでは勝てません。言い古された言葉ですが、チームワークです。ひとりでも諦めたら、ひとりでも気を抜いたら、この結果はなかったでしょう。ラグビーは、サッカーと異なり、たくさん得点が入り、オフサイドなどルールが難しいと言われます。身体と身体をぶつけ合う英国で始まったスポーツですが、ノーサイドで知られるごとく、紳士のスポーツと言われますね。確かにシン-ビンと言う危険な反則による一時退場はありますが、殴り合いや審判に対する暴言等は、ほとんど目にすることはありません。あのデカイ男たちが、審判に注意を受けて小さくなっているのは、可愛いものと思います。
次は2019年、日本でラグビーワールドカップが開催されます。この話で、先の新国立競技場建設問題を思い出された方もおられるでしょう。もともと新国立競技場は、2020年東京オリンピックパラリンピックが決定する前に、建て替え建設が決まっていて、実は、ラグビーワールドカップのメイン会場となる予定であったのです。
日本ラグビーフットボール協会名誉会長は、あの森喜朗氏です。この森喜朗氏が、2020年東京オリンピックパラリンピック協会大会組織委員会委員長となったことから、いくらか話がややこしくなった感は否めません。森喜朗氏は、「あの生牡蠣みたいな競技場、初めからイヤだった」と述懐されました。そんな記憶も薄れていないときに、日本代表チームの快挙です。前日あったこちらも『歴史的転換』となった永田町界隈での出来事をも忘れられるかの大きなニュースとなりました。
自国でのワールドカップ前のワールドカップと言えば、2002年日韓サッカーワールドカップの前、初めて日本代表がワールドカップに出場した1998年(平成10年)ワールドカップフランス大会です。このとき、日本代表は、三戦全敗でした。ここから歴史を刻んでいくのです。
世界に初めて出たフランス大会のサッカー日本代表チームの主将は、井原正巳氏です。この井原正巳氏、現役引退後、指導者としての研鑽を積み、特に名将ネルシーニョ監督のもと、柏レイソルでのヘッドコーチとして人材養成の傍ら、確かな目を養われたようです。そして、今年2015年、アビスパ福岡の監督に就任されました。
アビスパ福岡は、すっかりJ2に定着し、しかも毎年順位は二桁で、この間赤字連続によるライセンス剥奪の危機もありました。ところが、 前社長、前々社長や選手スタッフスポンサーサポーターら、一丸となって苦境にあるチームを支え、全国のサッカーファンの応援を受けて昨年経営危機を脱し、この春より井原監督のもと、スタートを切ることができました。
この井原監督、まず顔が良い、スタイルが良いです。現役時代からの物腰の柔らかさ、落ち着いた丁寧な語り口で、かつての日本代表主将井原正巳を知らない方々も、すっかり魅せられてしまったようです。開幕三連敗を喫し、あれこれ不安が囁かれましたが、その後はブレることなく、チームは安定してここまでやって来ています。
先日のホームゲームは、アビスパ福岡20周年記念としてOB戦が行われ、試合のほうも、不利な判定を受けながらも、選手の集中を切らすことなく、後半アディショナルタイムに逆転し、レベルファイブスタジアムを埋め尽くした今季最高数となった観客は、感動したものでありました。
話があちこち飛んですみません。
きさらぎ法律事務所が後援会に登録され、福本悟が応援を続けるアビスパ福岡が、秋ともなったこの時期、まだプレーオフ圏内の順位に着けていることで、いささか気分が良いのです。井原正巳氏のこのお姿を拝し、今イングランドで活躍するラグビー日本代表選手の皆様が、ラグビーワールドカップ日本大会を経て、指導者とられるなどの将来をあれこれ想像しながら、応援する自分がおります。