うるさ型老人可愛い老人、政治の世界に選んでもらいましょうか。

2015年7月16日
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少子高齢化社会が進む中、介護制度をどのように位置づけるか、国のあり方として、とても大切なことだど思います。

巷では、介護の現場の苦労、努力はなんとなく言われている感はありますが、要介護5の実母を施設に委託している私など、昨今の情勢からすると、親不孝ものと言われるでしょう。

さて、先月介護団体複数が、中学校高等学校の一部教科書には、介護は重労働で低賃金であるなどと記載されていることについて、これを修正されるよう要望書を出したことが明らかにされました。

確かに現実にたいへんなお仕事であり、私は、いつも感謝と尊敬の念を持ちます。 昨年末の衆議院議員総選挙後、真っ先に政府与党は、介護事業者に対する報酬を引き下げることを決めました。

それこそ、そんなこと、選挙の争点にもなっておりません。

曰く、「特別養護老人ホームを運営する社会福祉法人には、多額の内部留保がある」のだそうです。

いっぽうでは、法人税は減税するとのことですから、こちらは、内部留保はなかったのでしょうか。

それはそれとして、全国老人福祉施設協議会や全国老人保険施設協会等は、一部教科書では、介護の現場は重労働低賃金であると強調されるだけで、介護福祉の大切さ、これに従事する魅力や社会的意義等が欠落しており、介護福祉に対する否定的イメージを植え付ける危惧があると指摘したものです。

確かにそうだと思います。中学生高等生にもなると、将来の職業、自分の進みべき道について考えるころでしょう。

たいへん、たいへんだけ言っていても、少子高齢化社会の現実と、今のアベノミクス?を基にする政治では、積極的に介護に従事したいと考える若者が増えるのか、案じられます。

新聞報道によれば、ある特養、すなわち特別養護老人ホームで働く若者を『登場』させ、『介護現場で働く非正規社員として働くが、重労働で賃金も高くない』と、この教科書会社のコメントが付されているそうです。

このコメントだけ見れば、非正規雇用に対する批判かと思いきや、そうではなく、介護の仕事に対する否定的イメージを植え付けるものだと言うわけです。

でも、一部大学、一部学部では、特養での実習をカリキュラムに入れていて、私の周りでも、特養での介護現場を経験した声が聞かれるようになりました。これはよいことです。学生たちが言う言葉として、年寄りって、元気な人ほどわがままだけれど、弱くなると可愛いがあります。

弱くなると、そうねー、わかりました、なんてとても従順、何かしてあげたい気持ちになるのだそうです。

何歳から老人と言うべきかわかりませんが、最近勇ましい老人が目立ちます。

そうです。国会で審議中のいわゆる安全保障関連法案に反対する方々です。

元自由民主党に属した山崎拓氏、古賀誠氏、亀井静香氏、武村正義氏、藤井裕久氏等等のお歴々です。

これは、若者がだらしないことの裏腹でしょう。山崎拓氏は、『上のほうばかり見るヒラメ議員』と言い当てました。ヒラメに例えられた方々は、こんな勇ましい老人?を相手にするのが嫌でしたら、特養にでも研修に出向かれて『可愛い老人』と対話されてはいかがかと思います。

老人となった先人の努力あっての現在です。 それとも、うるさい老人は、施設にでも入って可愛いくなれと言われるのでしたら、こんなうるさ型をしっかり介護していただけるよう、やはり介護現場に対して、十分な保障をするべきだと思います。みんなやがて年寄りになります。

 

さて、自分は可愛い型、うるさ型どちらか考えてみませんか。

 

人知れず自殺することをどう思いますか。

2015年7月15日
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先日走行中の東海道新幹線の車中で、71歳の男性が、持ち込んだ燃料に火をつけて焼身自殺した事件が起こりました。

人が現に居る公共交通機関での放火であり、この男性の自殺に巻き込まれて死傷された方がおられるうえに、多くの利用者に、多大な迷惑、衝撃を与えたことは、到底許されるものではありません。

ネット等で、非難の嵐となっていることは当然です。 この被疑者の行為自体は、全く同情の余地はありません。

ただ、自殺した動機が徐々に明らかされるに従い、なんとかならなかったのかと悔しく、やるせない思いに至りました。

被疑者は、昨今言われる『下流老人』だったのです。そして、高齢者の困窮を支援するあるNPO法人の代表理事によれば、高齢者の9割が、下流老人に陥る試算となっていると言うのです。 現役時代に大企業や公務所等に勤めたごく一部の富裕層や、生活安定者を除けば、低収入で現役を退き、年金生活に入ったものの、預貯金はなく、頼れる身内友人もなく、生活困窮を訴え、相談する対象もない人々は、誰でも『下流老人』になるのだそうです。

この被疑者は、流しの歌手や清掃廃品回収の仕事等をしながら、約35年間国民年金を納めてきたにも関わらず、受給できる年金額は、この被疑者が住む都内の自治体の1ヶ月の生活保護費よりも少ない12万円なのですから。

前年仕事をしていれば、国民健康保険と住民税だけで、数万円の支払いを要します。 被疑者が賃借する家の家主は、生活が苦しいからと申し出され、1年前より家賃を1.000円減じたこと、2ヶ月分まとめての支払いだったが、遅れたことはなかったと言います。

私はわかります。この被疑者は、受給する年金が、2ヶ月に1回入ったら、直ぐに家賃の支払いをしていたのです。

事件を起こす当日、落ち着いた声で、区役所に電話して、恨んでいない旨言っていたと報じられております。

この被疑者から相談を受けていた区議会議員は、生活保護の申請について話をすることになっていたと言います。被疑者の知人は、かつて区役所に、縄を持って相談に行ったと聞いたことがあると述べており、おそらく生活保護が、なかなかおりなかったのでしょう。

繰り返しますが、私は、この被疑者の行為は、酌量の余地がないもので、彼のこれまでの生き様を正当化するつもりはありません。

ネットでは、死ぬなら勝手に死ねとか、人に迷惑かけず人知れず死ぬ!なんて掲載されています。もし、この方が、人知れず自殺した場合、彼の人生って余りにも悲しいとは思われませんか。貧困は、彼ひとりの罪なのでしょうか。 かつてこの『ひとりごと』でも、案内しましたか、菅原文太さんは、国の責任は、戦争をしないこと 、国民を飢えさせないことだと言われました。

こんな勝手に死ね!の風潮で良いのでしょうか?

生活保護を受けることが悪いかの風潮があることは悲しいです。もし、偉そうな水際作戦ではなくて、自治体が、資金がなくて本当に住民を助けることができないなら、赤字国債を発行し、じゃぶじゃぶ市場にお金を流し込んで株価が上がったと得意顔するではなく、国は、地方交付税交付金を増やすべきでしょう。

 

第1次なんとか内閣では、『再チャレンジ』なんて政策が示されましたが、既にスタートラインに差がついているところに、競争を煽ってお金をつぎ込んでも、『勝つこと』は困難です。

そしてここ数年、『アベノミクス』であります。この被疑者のように、低所得ながらも、国民年金を納めてきた高齢者が、下流老人になってしまうのは、政治の誤りだと思います。

誰でも下流老人になりうるのです。センセーショナルな事件報道に留まらせることなく、事件の背景事情、遠因について、国民として考えなければと思いました。

 

『ひよ子』は、『面白い恋人』とは違うんです。

2015年7月14日
北海道札幌みやげは、今でこそたくさんありますが、昔から出張族の定番だったのが、石屋製菓株式会社が販売する『白い恋人』だったと思います。

淡い白い雪と、恋の街札幌のイメージは、これを貰った人もまた、北への思いを馳せたのではないでしょうか。


ところで数年前、『面白い恋人』なる商品が、大阪伊丹空港や新大阪駅で販売されて、議論を巻き起こしたことがありました。これは、『白い恋人』をパクった吉本興業の子会社が販売したみたらし味のゴーフレットであります。


最初のころ、白い恋人だと思って購入した客から、「違う!」との苦情が石屋製菓に入ったようで、やがてお笑いの吉本興業が、模倣品を販売して利益をあげていると指摘されたものです。

石屋製菓は、商標権侵害、不正取引防止法違反を理由に、販売禁止や損害賠償を求めて民事訴訟を提起しました。そして最終的に、吉本興業側は、パッケージの図柄を改め、販売地域を関西地区のみにすることで、両社間に和解が成立して終了したと言うことでした。

私も、大阪伊丹空港の売店で、『面白い恋人』が並べられているのを目にしました。恋人とおぼしきふたりが、大阪城等の大阪周辺の場所を訪ねるパッケージであり、札幌によく行く私からすると、明らかに『白い恋人』をパクって面白おかしく、そして利益をあげようとしているのだとわかるものです。はっきり言って、気分が悪かったです。なんでもお笑いで済むのかと言う疑問です。和解になってよかったです。

ところで、福岡から上京した学生や、東京に転勤してきたサラリーマンたちも、東京での生活が始まった当初、『なんで!』とある光景を見て、ショックを受ける例があります。それは、『銘菓ひよ子』が、東京みやげとして、東京駅等に並べられていることです。


ひよ子は、福岡の吉野堂グループの銘菓だからです。

吉野堂グループのひよ子は、明治も末のころ、当時炭鉱の街とされた福岡県飯塚市に、炭鉱で働く人たちのエネルギーとなる甘い物を作ろうと言うことで初代が考案し、福岡県はまた、当時より美味しい鳥と卵を生み出す都市として定評があって、ここに大正元年、『ひよ子』の販売に至るのです。吉野堂の名称は、飯塚から福岡市内に行く途中の難所八木山峠に咲く染井吉野から名を取ったのだそうです。

あの可愛いらしいひよ子が、なんで索漠とした東京みやげなの?。それなりにショックだったと思います。

実は、吉野堂グループを統括する株式会社ひよ子は、飯塚から福岡天神に、そして東京にも出店したところ、折から東京オリンピックで沸く東京では、ひよ子のかたちをした可愛いらしい、そして焼きあがって数日しても、皮と餡が絶妙に馴染んだこの味に魅せられた人々から口コミで広がって、ひよ子は、関東でも工場を建設して直売することもなったのです。

こうしてひよ子は、福岡と東京に別会社を設け、それぞれ協力しあい、また、競いあって、『福岡』『東京』それぞれのひよ子として、今日まで愛されていると言うわけであります。決してどちらかがパクった訳ではないのです。

それで福岡から東京に来て、生活することになった人たちは、東京のひよ子を見て、ふるさとを懐かしみ、愛着を持つようになっていくのだそうです。福岡に帰省するときには、東京のひよ子をおみやげにするとも聞きます。

今では、東京ご出身なんですよと言われたら、福岡市民には、『あれっ』て思われるであろう王貞治ソフトバンクホークス名誉会長が、初めて東京から福岡に赴任したとき、ひよ子があるのを見て、全く同じことを思ったそうです。


福岡と東京は、なんか近しい、仲良くなれる素地があるようです。きな臭い?話が続く昨今、ひとりごとには、こんなひよ子今昔物語も良いのではと思いました。

 

『大きなのっぽの古時計おじいちゃんの時計』

2015年7月13日
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今月半ばにも、衆議院安全保障委員会で決議されそうないわゆる安全保障関連法案に関しては、国会周辺で反対のデモ行進が行われるなど、市民の間でも、この法案を早期に成立させようとする政府与党に反対する声が高まっているようです。

ところで先月神奈川県大和市で開催された『憲法9条やまとの会』主催の『若者と国家ー自分で考える集団的自衛権』の中で、『制服向上委員会』なるアイドルグループが歌った歌が、自由民主党を批判したとして、これは『特定の政党、宗教その他の政治団体などを支持し、またはこれらの活動に関係ないもの』に与えられる市の後援要項に反するとして、後日市の後援が取り消される事態となったと報じられております。

なんでもこのグループの歌詞について、自民党所属の市議から、「表現の自由は尊重されるべきであるが、特定の政党を非難する活動を市が後援するのか、これは名誉毀損、倒閣運動、反政府運動だ…。」と猛烈な抗議を受けた由であります。

この集会では、元内閣官房副長官補の防衛官僚だった柳澤協二氏の講演もあり、一連の次第の中で、このアイドルグループが登場して、替え歌を披露したと言うことです。

この替え歌、すでにあちらこちらに出回っておりますから、この『ひとりごと』にそのまま出しても、変な意図がないことは、ご理解いただけると思います。大きなのっぽの古時計…です。


大きな態度の安倍総理  おじいちゃんと同じ
約5年で復帰したご自慢の政権
民主党の自滅の後にアベノミクスが生まれたの
今はもう円安で得意顔

原発反対に四苦八苦四苦八苦
東電と一緒に四苦八苦四苦八苦
今はまだ動かせない日本の原子力

この歌、まだ先がありますが、やめておきます。

確かに自由民主党や安倍晋三内閣総理大臣を批判する内容が歌われておりますが、『特定の政党を支持し、……またはそれらの活動に関係のないもの』であることに、何ら変わりないと思うのですが。この歌の主は、単に自由民主党がキライなだけであって、こんな歌が、市が後援した場で披露されたからと言って、何処かの政党や団体を市が応援していることになるのでしょうか。

それとも市の本音は、『特定の政党(自由民主党?)を批判してはならない』ことが、市の後援要項の意図するところだとでも仰るのでしょうか。

それから、市は、『憲法9条やまとの会』の申請を認め、後援したのです。それがその団体がゲスト?として呼んだアイドルグループの歌詞が問題だとして後日後援を取り消すのは、まさしくこのグループの表現内容に市が着目したがゆえに取り消しの判断に至ったと自認したに等しく、それこそこのグループの表現の自由に対する不利益処分を課したものと言わざるを得ません。


だいたい公務員には、憲法尊重義務が課せられており、市は、憲法9条を遵守することをテーマにした団体の集会を応援すべき立場にあるのですから、常に後援はできないとしても、いちど決定した後援を取り消すことは、この憲法尊重擁護義務の点からも、簡単に容認できるものではありません。

『制服向上委員会』の歌の様子を放映した番組で、ある芸能人は、「やらされている」とか、「正気なかったよ」なんてコメントを発していました。私は、このアイドルグループの存在も、例の歌も知りませんでした。ちなみに、このアイドルグループは、過去民主党野田政権を批判する歌も、発表したらしいですが、売れなかったのか、民主党が寛容だったのか、誰も今回のような『文句』は言わなかったようです。また、常に原発反対の立場で歌っていることも、初めて知りました。

それはそれとして、本当にやらされているのかどうか興味があって、私は、このグループの18歳の女の子が、沖縄慰霊の日に発したひとりごとを読みました。

そして、とても感心しました。

内容は省きますが、辺野古沖基地移転を強行している人が、「今後も引き続き沖縄の基地負担の軽減に全力を尽くす」と言われても、卒直におかしいとツイートしています。

『戦争法案は戦争への道が開かれてしまう。絶対に止める。戦争はただの人殺し。』この当たり前の考えを持ち、表現したことが、公権力を持つ側の面々は目くじらを立て、発信を阻止しょうとするのでしょうか。

最近のマスコミを懲らしめる、叩くとの発言が、公然と与党議員からなされる現実からしても、表現の自由が危機的状況に至りつつあると案じられてなりません。

たかがアイドルグループの替え歌に、目くじら立てなくてものレベルの問題ではない気がいたします。また、『芸能人』であっても、よく勉強せず、テキトーな発言を、電波に発することはやめていただきたいものです。

 

学校給食費の支払いは、したくないのかできないのか

2015年7月10日
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『学校給食費の未納が3ヶ月間続いたら、翌月から給食の提供を停止します。その間は弁当を持参させてくださいーー。』

 

首都圏のある自治体の中学校が、こんな通知を保護者に出したところ、該当する40何世帯全部が、納付するか納める意思示したーー。

 

こんな事例が、新聞報道されています。 市内にある4校の生徒1人あたり月額4,500円の給食費の滞納額が、4月から6月までに約180万円となっていて、このままでは食材購入ができない恐れが出てきたとして、学校として、このような方針をとったと言うことです。

 

保護者に配布した通知には、『給食を停止する際にはお子様にも告知する』『有料なものには相当額の支払いをするのは社会のルール』などと明記したとも言われます。

 

学校の先生に教えられるまでもなく、これらご家庭のおとなたちが、『有料なものに相当額の支払いをするのは社会のルール』であることはわかっていたでしょう。

確かにズルをするおとなたちがいるのも事実でしょうし、あるいは、先生らに敵対心を剥き出しにする、クレーマーのような人もいるでしょう。実際効果があったようですし、市に寄せられた意見のほとんどが、この4校のやり方を支持するとのことでした。

でも私は、これはおかしいと考えます

 

まず驚いたのは、給食費の管理は、各学校に任せる私会計方式がとられていることです。

そのため担任教諭らが、未納家庭を訪問し、お願いをし、就学援助の仕組みを説明する例なのです。

離婚や破産の事例を担当し、かねてより私は、なんで給食費は、別に納めなければならないのだとの疑問を持っておりました。確かに学校に行く行かないに関わらず、ご飯を食べる必要はあります。

 

ですが、学校で皆と一緒に食べると言うのは、教育に含まれる、そのひとつの場面なのではと思います。

私が大好きな福岡市、その教育委員会について、以前批判的な意見を述べましたが、福岡市教育委員会の健康教育課の見解は、『給食は教育の一環として実施している。給食の提供は市の責任であり、未納を理由に食べさせないとことは考えていない』であります。

 

今度は、『良いこと言うな‼︎』です。

 

福岡市のように、一般会計に予算計上して、一括管理する公会計方式にするまでに至らなくても、なんで件の自治体は、『学校任せ』にするのでしょう。

 

先生たちは、昨今の教育改革だの行政改革などにより、少ない人数でやることがたくさんあります。

子どもと充分コミュニケーションがとれないと嘆く先生が多い中、未納家庭を訪問して、給食費の納付をお願いするとか、福祉制度の説明をするとか、これは教育の一環なのでありましょうか。

 

特に、学校間を競わせ、先生の成績に影響するような流れの中、教育現場が心配です。

取り立てに先生を使うようでは、心情的にも、先生と生徒保護者との間に、信頼関係は構築できるのが、不安になります。 この『ひとりごと』のどこかで申したかもしれませんが、債務を抱え、失業し、お金がなくて生活保護の申請に出向いた依頼者が、自治体の『水際作戦』により、ボロクソ言われて追い返された例がありました。

この方、当然給食費なんて、お金がないので支払えません。給食費を滞納していることがわかって、子どもが虐められるのではないかと心配しておられました。

件の4つの学校で、もし『お弁当』を持ってきた、あるいはそれすらできなかった子どもがいたらどうしたのでしょうか?お金の支払義務があるのは親であり、子どもには罪はない、子どもは教育を受ける権利があり、学校に行くことが保障されなければなりません。

 

私は、ある裁判所で、長年司法委員を務めております。

司法委員とは、民間の協力により、健全な市民の感覚、社会常識と言ったものを民事裁判に反映させるため、簡易裁判所の民事事件で当事者間の和解を試みたり、訴訟の審理に立会い、意見を述べる民間から選ばれた非常勤の裁判所職員です。

例えば、携帯電話の支払いしていない等数万円の支払いを求められて提訴される例もあります。裁判になる人は、本当に支払えない人です。その事情を聞くと、必ずしもその人のみの無責任でそうなったとは言い難いケースがあります。

 

本当に支払えない人、生活保護を受けている人等については、たとえ本当が支払いたい!と仰っても、司法委員として和解は勧めません。 私は、この4校のある自治体は、学校に取り立てをやらせるではなく、裁判所の手続きを執るべきだと言いたいです。

その過程で、自治体の担当者は、裁判所司法委員を交え、被告となった滞納者が、ズルして支払わないのか、本当に支払えないのか見極め、支払えない家庭の子どもから、教育を受ける権利を奪うことにならないよう、その後の対策を考えていただきたいと思うのです。