いつもの指定席で思う焼酎の嗜み方
2015年6月17日
芋焼酎の本場鹿児島県では、『黒千代香』と言う器があります。これは、『くろじょか』と読み、昔から伝わる焼酎の燗付けの器具です。『ちょこ』を意味する『ちょか』が方言だったとか、琉球王朝から入ってきたとか諸説あるようですが、この黒の鉄の容器に焼酎と天然水を混ぜて一晩寝かせ、囲炉裏などで暖めて翌日飲むやり方が美味しいとされ、ここから焼酎のお湯割りが生まれたとも言われます。確かに鹿児島県の焼酎の名店で芋焼酎を嗜むとき、黒千代香の容器に入れて、出されることがあります。
もともと焼酎と水を混ぜていたので、これを暖めたのが焼酎のお湯割りだとすると、どの程度割っておくとよいのかの疑問が出されるかもしれません。黒千代香による飲み方が始まったころは、何気なしに半々だと言われます。ところが、焼酎好きには、半分水では物足りないとなって、7•3とか6•4等いろいろ広まっていきました。
やがて、ウイスキーの水割りの真似かもしれませんが、焼酎の水割りが誕生しました。私のように、酒飲み焼酎党は、焼酎を味わうではなく、ぐいぐいやりたく、家でも冬季以外では水割りで、そして福岡の屋台では、決まって水割りでやっています。
先ほど7•3とか6•4とか割り方を申しました。これも地域やお店、また飲む人等によっていろいろだなと思います。私の行きつけの屋台『しんきろう』では、さすが20年も通い続けて歳になりましたから、最近は、5•5としています。因みに、大将(店主のこと)は、『芋水』と言います。芋水用のグラスには、ちゃんとメモリがついております。
さて、しんきろうでは、まず焼酎を5のラインまで注ぎます。もっとも、そうは言っても、常連客に対するサービスなのか、5と6(の間くらいまで、焼酎を入れてくれますが。ついで氷をドバッと入れます。この段階で、氷はもう、グラスをほぼ覆いつくします。グラスを越える塊も出てきます。それで、最後にグラスのいちばん上まで、水を入れます。しかし、水は、かたちだけ、合わすだけで、ほとんど入らないのです。これが福岡博多の屋台での飲み方です。知人を同行すると、口々に「濃い!」とびっくりされました。
焼酎を飲ませる店舗とすれば、焼酎は、薄くしたほうが採算が取れるでしょう。でも、より大切なもの、守りたいものがあるのだと思います。屋台は、『袖振り合うのも多生の縁』の世界、たまたま隣に座った人が有名人だったりします。店主もお客さんもすぐ近くにいます。今日の出来事と縁、それは焼酎の濃さとともに、その人それぞれに、濃く残るのように思うのです。いつもの『指定席』で、今日もビールを飲みながら、考えてしまいました。
小泉進次郎衆議院議員に期待します。
2015年6月16日
小泉進次郎衆議院議員は、勉強家です。
父親小泉純一郎元首相が、自由民主党総裁として自ら定めた定年制に従って政界を引退するとき、後継者に指名したのが自身の二男進次郎氏でした。
小泉家は、小泉元首相で政治家三代と言うことで、その後内閣総理大臣を務める野田佳彦民主党衆議院議員から、「ルパンだって三世までですよ」と指摘されての進次郎氏の政界入りでした。
そんなことも影響したのか、小泉進次郎氏は、親の七光りではなく、各地を歩き、国民と触れ合い、会話を進め、喋ることの重要性を学んだそうです。
特に『地方』に関心が強く、毎月11日には、東日本大震災の被災地を訪問されているのです。 この小泉進次郎氏が、会話の最初に発するのは、「どこから来たの?」だそうです。確かに人間その日その場にいるのは、出自を辿れば、必ず『どこか』から来ているのです。
これは人と会う機会が多い私にも、学び取らなければならないことで有ります。よく、初対面の人どおしの会話として、「忙しいですか?」があります。
あれ、私はあまり好きではありません。
そのように尋ねられて、Yes、NOいずれの答えをしても、その後会話が繋がらなくなることが多いです。 小泉進次郎氏は、どこから来たのと尋ねた以上、それで会話が止まることは許されないとご承知です。
だから、日本また、世界各国をていねいに調べ、知識を得、自ら考え、人々との触れ合いに努められるのでしょう。
幸いにも私は、地理歴史と交通にはかなり詳しくほうだと自負しておりますので、「⚪️⚪️ってとこだけど、知らないでしょう」と返されても、例えは「△△県ですね」とか、「XXの近くですか?」とか、なんとかお返しできているのです。
東京生まれ東京育ちで東京で仕事をする私は、故郷がある人は羨ましいと思うとともに、なんで『こんなとこ』に来るんだろうと思うことがありました。都会は生活しづらいでしょうに。 増田寛也元総務大臣を座長とする産業界や研究者の団体で作る『日本創生会議•首都圏問題研究会』が、東京圏の1都3県の25年後の介護需要を調査したところ、45%増の172万人となって、全国平均の32%を大きく上回り、入院需要も21%増となる試算が出されました。
東京圏は、介護医療の受け入れ態勢が全国平均よりかなり低いようで、今でもよく聞く『患者のたらい回し』や『介護難民』は、さらに増え続けることが必定だと発表されたのでした。
創生会議では、介護医療の需要供給の見直しを東京圏全体で共有するとともに、高齢者の介護医療制度が崩壊しかねないゆえに、高齢者の地方移住を促すための費用援助等を提言するようであります。
いっぽうで創生会議は、介護医療のサービスで、他地域からの高齢者の移住を受け入れられる余力がある41都市を発表しました。
東京圏どころか、『東京周辺』には、そんな地域はありませんでした。 このうち大都市は、その周辺地域を含む福岡県北九州市ただひとつで、北海道は函館、旭川、釧路等、東北地方は秋田市、山形市等、山陰の松江市、米子市等、四国では高松市、高知市等、九州では別府市等の地方都市型32地域が、これに入っております。
地方の中堅都市こそ、これから先、比較的安心して生活できると言うことのようです。
そのような地域を故郷とされる方々は、ずっと東京圏で暮らす私からすると、やはり羨ましいのです。
冒頭に揚げた小泉進次郎氏は、自由民主党の青年局長を務めて全国を回ることから学び、現在は、内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官をされています。是非とも全国を回り、「どこから来たの」を続け、少子高齢化社会の制度作りと整備をされるよう願うものです。
えっ、なんですって?小泉進次郎氏は、自由民主党の選挙の顔、本人の意向と関わりなく全国を飛び回っているよとの声が聞こえてきました。
もっとも、現在審議中のいわゆる安全保障法案に関して、小泉進次郎氏は、全国の声を集めて、政府与党にこれを伝えていただくことを、私はまず希望しているのです。
痛快と墓穴の狭間で
2015年6月15日
衆議院憲法審査会が、参考人として招いた憲法学者3名全員が、政府提出のいわゆる安全保障法案は、憲法に違反すると意見を述べました。
従前の政府見解の基本的枠内では説明がつかない、
憲法9条2項では、軍隊の保持と国の交戦権は認められていない、
仲間の国を助けるために国外に戦争に行くことになる、
従来の政府答弁はガラス細工でギリギリ保ってきたが、
集団的自衛権は違憲等等、
明快に意見が述べられました。
これに対しては、自由民主党推薦?の憲法学者さえ、憲法違反を言うので、一部野党議員からは「痛快!」、また、一部大新聞では、「自民党の人選ミス」なんて声が上がっています。
早速内閣官房長官は、憲法前文(平和的生存権?)、13条(幸福追求権?)を挙げて、いわゆる安全保障法案が違憲であるとの意見は、「全く当たらない」と記者会しました。
全く違憲ではないと言う著名な憲法学者は「たくさんいる」のだそうです。
民主主義が多様な意見を広く集め、また、決して少数意見を無視するものではないことからすると、官房長官の仰ることはそのとおりでしょう。
こらから弱小野党の意見主張と、しっかり聞いていただけるでしょう。
あるいは、本当は、国民は、政府与党と同じ考えの方が大多数なのかわかりませんね。自由民主党に絶対安定多数の議席を与えた国民の中にも、実は反対!が「たくさんいる」かもれません。
それはそれとして、『野党痛快!」とか、「与党墓穴」なんて見出しで論じることなのでしょうか?
新聞社の使命ってなんでしょうかね。
本当に、野党は笑い転げ、政府与党は、しまった!としか感 じていないならば、こんな国会で、安全保障法案なるものを審議してもらうことってなんなんでしょうと考えざるを得ません。
因みに、政府の重鎮が、憲法前文と13条を読んでいたことは安心しました。
ポツダム宣言を詳らかに読んでいないなんて答弁が以前あって、ちょっと 心配でしたから。しかし、その文言を読んでも、私のように解釈する人が、「たくさんいる」ことも、理解していただきたいものです。
地方の中核都市がジャックされた日その2
2015年6月12日
以前の『ひとりごと』で、『地方の中核都市がジャックされた日』をお話しました。
昨年福岡国際マラソンが行われた12月第1日曜日に、福岡に宿泊することが困難を極めた経験から、かつてアイドルグループ『嵐』のコンサートと当たってしまって、札幌市内がジャックされた日を思い出したのでした。そのとき、地方都市を活性化させ、お金を落とす方法として、アイドルグループの活用を提案?したものです。
さて、困った事態になりました。
きさらぎ法律事務所は、Jリーグ第2ディビジョンに所属する『アビスパ福岡』の法人後援会に指定されており、その特典として、ホームタウンのレベルファイブスタジアムの招待券をいただいております。
今年は春先、まあまあの成績でしたから、シーズンが深まり、あるいはJ1への昇格なんて夢が訪れたとき、福岡に行って観戦すれば良いと思っておりました。
豈図らんや、いや、いつものとおりと言うべきか(失礼!)、北部九州が梅雨入りする前より、アビスパ福岡は連敗が続いており、もう、見るなら「今しかない!」と判断いたしました。
それで、急遽6月の土曜日の試合にご招待にあずかり、そのまま夜の福岡に行こう!と気合いを入れたのですが……。
この日、福岡市内のホテルは満室だとYahooニュースのトップに出ています。なんで……。この日、ヤフードームで、AKBの総選挙が行われるのです。この日福岡市内は、アイドルとそのファンにジャックされました。
ちょっと怖くなりましたし、私は、アビスパの試合が終わったら、レベルファイブスタジアムから歩ける範囲の距離にある福岡空港から、そのまま帰京することといたしました。
昨年末の衆議院議員総選挙しかり、このところ選挙の投票率は下がるいっぽうです。
特に若者は、棄権する傾向と言われます。私には、AKBの総選挙の選挙権は、ーーたぶんーーないのだと思いますが、こちらは、選挙権?ある人の投票率は高いのだと思われます。
かつて私は、開票速報に見入った過去がありましたが、しょせんテレビの前であります。全国から、『開票速報』が行われるヤフードーム、福岡市に選良が集まるとは凄いことです。
アビスパ福岡のファン掲示板にも、AKB総選挙の話題が出ています。
もしかすると、開票前のアイドルたちが、レベルファイブスタジアムに来るのではないかとの噂もあるようです。
ふだんレベルファイブスタジアムになかなか行くことがない私なんか、さしずめAKB見たさにこの日を選んで福岡に来たのだろうとあらぬ疑い?を持たれるかもしれませんね。
がんばれアビスパ福岡!
たまが当たって、流れが変わることがあります。
2015年6月11日
プロ野球は、セパ交流戦の真っ只中、日頃見られない対戦があり、また、この交流戦を契機に上昇するチーム、反対に降下線を辿るチームなどあり、選手ファンは楽しみな時期だと思います。
さて、野球にはあまり詳しくない私ですが、また、まさかの『珍事』が起きたようです。
横浜スタジアムで行われたDeNAとソフトバンクとの試合で、それは起こりました。ソフトバンクホークスの工藤公康監督は、審判団の判定が出された後、ベンチからルールブックを持参して再度『確認』に行きました。
この日、7回表までスコアーは2対3でホークスが1点ビハインド、2死満塁のチャンスを迎えました。ホークスのバッターが打った打球は、強烈なゴロとなって内野を抜けてセンター前に達し、3塁ランナーに続いて2塁ランナーもホームイン、ホークス逆転‼︎かと思いきや、球審が両手を広げてプレーを止めたのです。実は、バッターが打った打球は、内野手の前に居た2塁塁審に当たったので、その瞬間にボールデッドとなり、プレーは止まるのです。
ホークスの得点は1点止まり、3対3の同点で、ゲームは再開されました。 すなわち、打った打者は、『内野安打』となって1塁に達するので、ボールデッドの結果、満塁の走者は、『ひとつづつ』進塁する理屈となって、3塁ランナーのホームインのみ認められられると言うわけです。
公認野球規則には、『打球がピッチャーを通過してから内野内に位置していた審判員に触れた場合はボールデッドになる』と書かれておりました。
この『珍事』の日、結局ソフトバンクホークスは、横浜DeNAに負けてしまいました。
ソフトバンクにも、DeNAの前身横浜ベイスターズにも在籍していた工藤公康氏が、審判団に抗議ではなく『確認』しに行ったことには伏線があります。
オールドファンなら、「あぁアレだ!」とすぐに思い出しシーンがありますね。それは、工藤公康氏が、西武ライオンズに新人投手として入団した1982年10月28日、西武球場で行われた西武対中日の日本シリーズ第5戦で起きました。 この年の日本シリーズは、先に西武が2勝、その後敵地西武球場で中日が巻き返して2勝を挙げ、この日第5戦もここまで0対0で、両者がっぷり組み合って関係者ファンは、固唾を飲んでいたときのことです。3回表2死2塁で一打先制のチャンスを迎えた中日ドラゴンズは、バッターが打った強烈な打球が、西武一塁手の脇を抜け、外野もしくはファールグラウンドに転々と思いきや、フィールド内に居た西武二塁手の前に転がって来て、さばいた2塁手が、3塁を回った走者に気づいて3塁に投げ、慌てて3塁に帰塁しようとした中日の選手がタッチアウトになって、スリーアウトチェンジとなったあのシーンです。
結局この回の得点が認めれなかった中日は負け、続く第6戦でも負けて、日本一を逃しました。
そしてこの日本シリーズ第6戦、西武ライオンズがこの年の日本一を決めた試合の勝ち投手は、新人の工藤公康選手だったのです。 シリーズの流れを変えたあのシーン、実は一塁手の横を抜けた打球が、ファールグラウンドに立っていた一塁塁審に当たってコースが変わり、折良く西武2塁手の目の前に、打球が転がってきたのでした。
先のソフトバンク監督として、今年工藤公康氏が経験したのと異なり、この日本シリーズのシーンは、打球は野手を越えており、その場合、ボールが審判に当たった場合は『インプレイ』、すなわち、球場に石ころが転がっていたのと同じ扱いになるのです。
これは、『1982年日本シリーズ西武対中日石ころ事件』として、後世に語り継がられている事件でもあります。
ルート上は、単に石ころに打球が当たったに過ぎないのでしょうが 、当時の中日ドラゴンズ近藤貞雄監督が「日本の球場にも、あんな大きな鈍い石ころがあるのか!」と怒ったように、日本シリーズの流れを変えてしまった『珍事』であったと言えるでしょう。
もし、今年ソフトバンクホークスが、良い成績を残せなかった場合、この後失速してしまった場合には、工藤公康監督には、なんとも恨めしい『珍事』となりましょうか?
確かに人生、ひょんなことから流れが変わることはあると思います。
流れが変わったときどうするか、これが大切なのではないでしょうか。工藤公康氏は、そんなこと百も承知、この先の指揮官としての有様に、断然注目いたします。