2015年のアビスパ福岡に寄せて

2015年5月13日
ゴールデンウイークも終わりとなった5月9日、久しぶりにサッカー観戦をしました。

きさらぎ法律事務所が、法人後援会に登録されているサッカーJリーグディビジョン2に所属する福岡市をホームタウンとする『アビスパ福岡』の試合が、この日宇都宮市でありました。

栃木SCとの試合のほうは、0対0の引き分けで、両チームとも、ご苦労さまでした。

アビスパ福岡は、もともとJ1におりましたが、最初のころは、「落ちそうで落ちない」と言われ、ついでJ1とJ2を行き来し、それから何年周期で再びJ1に昇格するが、1年で直ぐに降格し、このところは、すっかりJ2に定着した感があります。

あまりファン、すなわちサポーターが増えない悩みをここ数年抱えておりましたが、前前社長、前社長、そして前監督を含めたスタッフサポーターの努力で、今年は地元の企業、そして資金力ある企業の応援を得られ、元日本代表主将井原正巳氏を監督に招聘でき、ここまでは、まあまあの成績を維持しているものであります。

新しく応援してくださる皆様には、誠にありがたいことであります。

ただ、資金難で2年間債務超過、ゆえにライセンス返上となって、Jリーグ退会、廃部の危機にも陥ったチームを、どん底から救ったのは、その当時の関係者、そして地元企業、さらには同じJリーグ所属クラブのサポーターたちでした。

特に博多明太子の売上金を全額寄付した企業と、この姿勢に全国のサッカーファンが共鳴協力してくださったことは、決して忘れてはならないと出来事でありました。明太子がチームを救ったとも言えます。

また、チーム存続の危機が報道されたとき、他チームからのオファーを断って、先頭に立って各方面に支援をお願いした選手あってこその今日だと、宇都宮での試合を観戦して、しみじみ思いました。

我々の社会では、苦しい局面に陥った人や団体を救えるかどうか、とても大事なことだと思います。
でも悲しいかな、苦しい、ドン底に陥った者をあえて、わざわざ手を差し伸べようとする姿勢は、なかなか見られないと感じます。
よく勝ち馬に乗るなんて言われますが、人間自分にブラスとなる選択をするのでしょう。どーせやっても無駄だよは、選択しづらいものがあるのでしょう。

さて、アビスパ福岡は、支援されるだけの魅力があったのだと思われます。
応援してくださった方々は、落ち目の団体だとか、無駄なことだとなんて考えもしなかったのです。
私なんぞが論評するのもおこがましいですが、ただひとつだけ言えることは、スポーツが結んだ縁、勝ち負けの世界であっても、それだからこそ、相手が苦しいときには応援しようとの思いがあったのではないかと言うことです。

いつかサッカーJリーグが推奨する『リスペクトの精神』を申し上げました。
感謝する気持ち、それは自分にとって目には見えない実感が伴わないものかもしれませんが、何と無く『仲間』を放っておけない行動に駆り立てるのかもしれません。

私は、事件の相手方をこれでもかと叩くことは絶対にいたしません。

自分の依頼者が苦しかった、紛争を抱えていたと言うことは、相手方だって苦しかったはずです。

苦しい状況の人を助けられるか、それはとても難しいことです。

ただ、アビスパ福岡に関係する方々は皆、助けてもらった恩は忘れないでしょう。

こうして見ると、競争し、強い社会を作ることよりも、多くの人は、優しい互いに共存する社会を望んでいるのだと考えさせられるのです。

 

インフィールドフライの落球から

2015年5月12日
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ゴールデンウイークは、全国的に好天で、行楽地は、どこも人人人で混雑した様子です。

このGW期間中は、プロスポーツは連戦に次ぐ連戦で、競技場は、どこも満員御礼だったと聞きおよびます。

選手、関係者の皆様には、お疲れ様でした。


このGW期間中、プロ野球セリーグ公式戦で、『珍事』が起きました。
それは、広島マツダスタジアムで行われた読売巨人軍対広島カーブの三連戦の初戦で起きました。


読売ジャイアンツは、昨年もセリーグを制覇したように、毎年優勝候補に挙げられおります。

また、広島カーブは、今年大リーグを退団したベテラン投手が復帰し、優勝候補の一角に挙げられ、好ゲームが予想されておりました。

試合はまさに下馬評とおりの熱戦で、2対2の同点のまま9回裏に入り、ホームチームのカーブが、一死満塁のサヨナラ勝ちのチャンスを迎えた場面でそれは起きたのです。

カーブのバッターは、投手、捕手、三塁手、一塁手の真ん中あたりにフライを打ち上げました。
三塁塁審は、すかさずインフィールドフライの宣告をしました。これにより、バッターがアウトになります。

『インフィールドフライ』のルールとは、無死または一死一、二塁または満塁で、バッターが内野にフライを打ち上げた場面、インフィールドフライが宣告されるとバッターがアウトとなることを意味します。

つまり、塁上にランナーが溜まっているときに、バッターがゴロを打つと、野手は、ランナーにタッチすることなくベースタッチして併殺を狙えるので、上記場面で、内野に打ち上がったフライをわざと野手が捕球せず、地面に落下して拾ってランナーにタッチすることなく併殺を取るのはフェアではないからだとの理屈です。

もっとも、インフィールドフライなんか落球する選手はいない前提があるのかもしれません。

ところが問題の巨人広島戦では、打ち上がったフライは、投手•捕手•三塁手•一塁手の間にポトリと落ちました。

主審は、『インフェア』の判定をし、慌てて拾った一塁手は、目の前のホームベースを踏んだ後、一塁のベースカバーに入った二塁手目掛けてボールを投げたところ、この間に、三塁ランナーだったカーブの選手がホームベースを走り抜け、得点が認められてカーブのサヨナラ勝ちとなったわけであります。

当初巨人軍は、ホームゲッツーが成立したと勘違いして、喜んで自軍ベンチに向かおうとしたようです。

これに異を唱えたのは、広島カーブの石井琢朗三塁コーチでした。実は石井コーチは、これと全く同じ場面を、まだ自身は、一軍でプレーする前の横浜ベイスターズの選手時代に経験したと言うのです。

それは、石井選手が入団間もない若かりしころの横浜スタジアムで起きた横浜対広島戦の9回裏一死満塁の場面でした。このとき、インフィールドフライの宣告がなされた後、強風に煽られて打球がファールゾーンからフェアゾーンに流され、取り損ねた捕手が、ホームを踏んで一塁に投げたものの、既にバッターはアウトとなっていて、すなわち、この段階でニ死満塁ですから、ランナーがホームベースに突入して来れば、ランナーにタッチしなければならないからです。


一般のインフィールドフライの場面では、各ランナーは、インフィールドフライの宣告があったら、直ぐに帰塁するでしょう。

もしかすると、件の広島カーブの三塁ランナーは、何か勘違いしてホームに突入したのかもしれませんし、ジャイアンツの一塁手は、その勢いに飲まれて勘違いしたか、あるいは、三塁塁審のインフィールドフライの宣告を、聞き落としたのかもしれません。

実際サヨナラ負けが決まった巨人軍原辰徳監督は、一応の抗議をしたようですから、あの場面、冷静だったのは石井琢朗広島カーブコーチくらいだったのかもしれません。

この『珍事』によってサヨナラ負けとなった巨人軍は、広島カーブに三連敗しました。奇しくもジャイアンツが首位転落した日、入れ替わってセリーグ首位にたったのは、石井琢朗氏が最初に入団した横浜ベイスターズであります。

私は、横浜ベイスターズが、前身の大洋ホエールズ以来2度目のリーグ優勝を果たして臨んだ西武ライオンズとの日本シリーズ第1戦を思い出しました。

横浜スタジアムで行われたシリーズの初戦、先頭バッターとして、バッターボックスに入った石井琢朗選手は、なんと投手前にセーフティバントをしたのです。


意表を突かれた当時の西武の大エース西口文也投手は、これをさばくことができず、結果、本来の投球をすることなく試合は終わり、この年の日本シリーズは、横浜ベイスターズが、西武ライオンズを4勝2敗で破り、シリーズ出場2回にして、またしても日本一の座についたのでした。

ここで学ぶべきは、そのときは、今の自分に関係ないことだと思えても、自分の周りに起きた出来事は、その意味を理解しておく必要性です。

おそらく件の横浜広島戦の結末を知った当時の石井琢朗選手の本音は、一軍が勝った結果よりも、自身が早く一軍に上がりたい思いであったでしょう。

でも、一軍でプレーし、ブロとして生きていくためには、今の自分には直接関係ないと思えたことであっても、周りで起きたことは全て吸収し、学ばなければならないと考えられたのでしょう。

石井琢朗選手は、小細工のきく、野球センスに富んだ選手、燻し銀との印象がありましたが、コーチとなって指導する立場になっても、若い人たちに大切なことを教えられた気がいたします。


『珍事』もまた違った側面から見ると、なかなか意味深いものがあると思いました。

 

サルに自分のこどもの名を付けられる。

2015年5月11日
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5月4日に生まれた英王室ウィリアム王子とキャサリン王妃の第二子となる王は、『シャーロット•エリザベス•ダイアナ』と命名されたことが伝えられました。

今後シャーロット王女と呼ばれるそうです。『シャーロット』とは、王女の祖父で、皇位継承順位1位の祖父チャールズ皇太子の『チャールズ』の女性名に当たるのだそうです。

エリザベスとは、在位63年を超え、英国皇室史上最長年齢を更新される曽祖母エリザベス2世に、そしてダイアナは、ウィリアム王子の母、亡きダイアナ元王妃に敬意を払ってとった命名と報じられました。

私の世代以降の方々は、ダイアナ妃を忘れないでしょう。

パパラッチに追いかけられないように……。とシャーロット王女誕生のお祝いを述べた英国国民の姿が報じられましたが、死してなお、元王妃の人気と人々の愛惜の念に思い至ったものでした。ちなみに、私自身、皇太子徳仁殿下と雅子妃との婚姻パレードに馳せ参じたおバカさんであります。

ところで、野生のニホンザルの餌付けで知られる大分市にある高崎山自然動物園で、6日に生まれたばかりの雌の赤ちゃん猿の名を、『シャーロット』と名付けたと発表したところ、抗議が殺到して取り消しを検討する事態となった由であります。

なんでも、この動物園は、猿の名は公募するところ、例えば、ソチオリンピック時に誕生した赤ちゃんには、『ソチ』と命名したように、市民の意思を反映してきたと言います。事実シャーロット王女誕生後、サルの名をシャーロットとするとの投票数は、増えたというのです。

しかし、王女の名をサルに付けるなど英国に失礼、もし、日本の王室のお子様の名を、英国動物園て、飼育されるニホンザルに付けられたらどんな気がするのだと、怒り心頭の声声声だそうです。

私も、これを聞いた直感として、それはないだろうとは思いました。

ただし、高崎山のこれまでの歴史から見ても、また、公募の在り方からみても、投票した市民の方々には、悪ふざけなんてなかったことは明らかだと思います。

むしろ、大分市民?は、シャーロット王女の誕生を祝い、自分たちが愛する高崎山のサルを忘れないように、英国王室のシャーロット王女を、いつまでも忘れることなく、敬意を評する意思と受け取りたいものです。

これは難しいですね。

バンドン会議後、インドから贈られたゾウは、花子と名付けられました。

この花子は、友好のシンボルでもあり、また、長寿だったこともあり、世の中の『花子さん』は、たいそう喜ばれたと聞きます。

ゾウは良いがサルはダメという基準はないでしょう。

明治維新後の急速な近代国家化を恐れた?西洋列強は、日本人を『サル』に例えてバカにしたと聞きます。

人間は、猿から進化したとも言われます。猿と人間の関係は、歴史を超えて難しい問題があるようです。

 

放っておいて欲しい人はいます。

2015年5月9日
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GoogleMAPに、誰かが事実と異なる書き込みをしたとして、話題になっています。

そんな場所には、そんな施設など存在しないにも関わらず、サティアン、⚪️⚪️教、⚪️実験場等の表記をして、悪ふざけが過ぎるのではないかと批判されています。

地理には明るい私は、地図を頼りに場所を探すことはほとんどありません。
しかし、携帯やスマホの機能に頼って行き当てる方は、そんなおかしな表記が出ていたら、迷うことはあるでしょう。

私はGoogleMAPは、誰でも書き込みできるとは知りませんでした。

サービスはサービスなのでしょうが、誤りがあったとしても、誰が責任を取ると言うものではなさそうです。

GoogleやYahooでは、『サジェスト機能』が問題にされることがあります。
これは、検索サイトに文字を入力すると、その文字に続く候補が自動的に表示されることを意味します。
サジェストとは示唆する、想像させる意味だそうで、余計な手間を省くサービスとされています。

でも、これは余計なお世話、あらぬ被害?を引き起こす可能性を指摘されます。
例えば、ある企業を入力すると『⚪️⚪️ブラック』となったり、ある人物に入力すると、『⚪️⚪️痴漢』の類す。

実際被害を受けた方が削除を求めて訴訟を提しても、サイト側は、なんら作為を入れることなく自動的に表示される、その文字に続けてそのような用語が表記されるのだとすると、社会世間の関心に沿うものであり、民主主義を支える表現の自由の観点から、削除は正しくないと主張されるのです。

確かに、削除するかどうかは、サイト側の自主性に期待すべきだとは思います。

しかし、いかに自動的、運営側の恣意はないと言っても、巻き込まれた側は、たまったものではありません。
私もある依頼者が、第三者から点数を付けられて評判を競われるあるサイトに勝手に掲載されていたことで、法的対処をしたことがあります。

このところ問題にされるグルメサイトなどとは異なり、掲載自知らなかったわけで、もちろん費用を支払ったわけではありません。

ある意味、タダで掲載されて知れ渡るのだから良いのでは?の意見もあるのかもしれませんが、放っておいて欲しい人はいるのです。

これは運営側、サイト側 は、掲載された側ではない側から、広告費宣伝費を受け取られなければ、業務は成り立ちません。私からすると?
 ?どこかはともかく、お金を受け取って事業が成り立っているのであれば、『自動的』云々で全く責任は負わないは、何か違うのではと言わざるを得ないところです。

もっとも、あまり煩く噛み付くと、やがて『福本悟クレーマー』とか、『きさらぎ法律事務所0点』なんてサジェストされるかもしれませんね。


だからと言って、ここで発言?を抑えたら、表現の自由が萎縮してしまいます。皆さんは、どのようにお考えでしょうか?

 

戦犯を追いかける国あり、謝ったから良いのではの国あり。

2015年5月8日
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元ナチスの親衛隊員の公判が、第二次世界大戦で、ドイツが連合国に降伏して70年となる今年も、ドイツ北部で行われました。

被告人となった今年93歳になった男性は、アウシュビッツ強制収容所で、1944年5月から2ヶ月間で30万人のユダヤ人の殺害に関与した殺人幇助の罪で起訴され、起訴事実を全面的に認め、遺族らに対して「どうか許してください」と述べたと伝えられています。

ご承知のとおり、ドイツは、未だナチスの戦犯の捜査を続けており、先に来日したメルケル首相が言われたとおり、ドイツが近隣諸国から許してもらえ、国際社会に復帰できたのは、ドイツは過去を忘れず、謝罪を続けたからだとされるのです。

いっぽうで、ときを同じくしてインドネシアのジャカルタで開催されたアジアアフリカ会議(バンドン会議)60周年記念式典に参加した日本の安倍晋三内閣総理大臣は、10年前の50周年記念式典に出席した当時の小泉純一首相が述べた植民地支配と侵略が、アジア諸国の人々に、多大な損害と苦痛を与えたとする「痛切なる反省と心からのお詫び」には、言及しなかったようです。

謝罪とは、他から言われて行うものではありません。

また、いちど謝った者に対して、何度も謝る必要があるのか?とも考えられます。
ただ、アジア諸国の記念の日を前にして、『日本は、先の大戦の深い反省と共に、いかなるときでも、他国の領土保全や政治的独立を侵さないと言う60年前、バンドンで確認された原則を守り抜く国であることを誓う』と言ったところで、何か当事者意識が感じられないと思うのはなぜでしょう。

これは当たり前のこと、現在誰もが異論ないことを、被害に遭われた当事国に向かって述べるのは、どんなふうに受け取られるでしょうか?

先日あるテレビ番組に出演されたときの発言からしても、どうにも安倍首相は、謝るのが何か反対に悪いことかに思われているのでは?とさえ思ってしまいます。

これが中国韓国と、互い意地の張り合いをしているように見え、大人気ないなと思うのは私だけなのでしょうか?