平均寿命は24歳?

2015年3月17日
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3月10日と言えば何を思い浮かべますか?と問われたら。

「えっ。3月11日じゃないの?」。この 日を前にして、あるニュース配信社が行ったアンケートでは、知っている、知らないが拮抗したと出ていました。

昭和20年3月10日は、『東京大空襲』があった日です。

今年で70年となり、都内の慰霊堂で行われた法要には、安倍晋三内閣総理大臣も、歴代首相では初めて出席したそうです。

太平洋戦争も末期の昭和20年3月10日未明、米軍の爆撃機B29が大群をなして東京下町に焼夷弾を投下、約10万人が一夜にして亡くなった空襲がこれです。
10万人と言う数字は、私が住む自治体の総人口より多いです。日本の現在のスポーツ施設スタジアムで、一挙に10万人を収容できる場所はあったでしょうか?

今日は、数字について考えたいと思います。数字から何が見えるかということです。

先の大戦では、230万人の軍人軍属が亡くなり、民間人の犠牲者数は約80万人と言われます。
軍人軍属の戦死者の半数以上3分の2程が、赤紙で招集されたにわか兵となった方々でした。
戦死者の6割以上は戦病死、特に餓死だったとされます。菅原文太さんの遺言ではありませんが、国民を戦争に巻き込み、飢えさせることが行われていたのです。

終戦を挟んだ昭和20年1月から12月までの当時の人口は7千万人くらいですが、男女別平均寿命を調べると❗️ショックです。

1955年に刊行された『人口問題研究第60号』によれば、男子23.9年、女子37.5年となっています。あの当時、無念を強いられた方々からすると、なんと日本人の寿命は伸びたことだろうと思われるでしょう。

一夜にして、あっと言う間もなく、忽然と10万人がいなくなる事実。
高齢化社会ではなく、ーー少子ではあるでしょうが、ーー長くは生きられない社会が続いたのです。
現在の名古屋市の人口が230万人くらいですから、この半数が餓死する状況は、想像できるでしょうか?

今私たちがあるのは、日本国憲法のおかげであり、これを不断の努力で護ってきた国民の英知あってこその平和です。
それは、あの暗黒の時代に根こそぎ動員され、また、何も知らされず、普通の暮らしをしていたのに、突然前途を絶たれた幾数もの尊い犠牲があったからです。

東京で生まれ育ち、子どもを育て、やがてシニアになる私は、3月10日に改めて平和の尊さ、有り難さを実感せざるを得ませんでした。
過半数どころか絶対的安定多数を、国民は政府与党に与え、平和を託しました。


3月10日を知らない人が過半数と言う現実とのギャップを危惧するのは私だけでしょうか?

 

「ドイツは、過去と向き合った」

2015年3月16日
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ドイツのアンゲラメルケル首相が来日しました。

物理学者でもある旧東ドイツ出身のメルケル首相は、洞爺湖サミット以来の来日で、わずか2日間の公式実務訪問でありましたが、私たちに重要なメッセージを残しました。

かつての大戦では、ドイツは日独伊三国同盟の枢軸国と言われる関係の敗戦国でありながら、国際社会に受け入れられたのは、

『ドイツは過去ときちんと向かい合った』からだと言われました。

確かにナチスの戦犯に対する時効を廃止して、地球上あらゆる場所まで追いかけていることはよく知られています。
そう言えば、今年94歳で死去したヴァイツゼッカードイツ連邦共和国大統領は、今から30年くらい前に、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在も盲目になる」と述べられました。
メルケル氏によれば、かつての敵国との和解は、「近隣諸国の温情なしには不可能だった。

ただドイツ側も過去ときちんと向かい合った」と言うことでありました。

弁護士として仕事をしていると、よく謝れとか謝罪しなければとの声や場面に遭遇することがあります。
以前もお話したかもしれませんが、他人に損害を与えた、精神的に苦しめたような場合、お金を支払うことで謝ったかたちにする、それしかないのが、この業界の良いところ悪いところで悩ましいものです。

でも、お金を支払うイコール謝罪となるのであれば、以後「謝れ!」と言われることはありませんし、ましてこうしてなされた謝罪が撤回されることもありません。

お金なんて要らない、こんなもの返すから謝れ!なんて司法の世界に身を置く者として、経験したことはありません。


戦後70年の今年、安倍晋三内閣総理大臣は、『安倍談話』を出すようです。
巷では、かつての侵略戦争と植民地支配に対する痛切な反省を込めて出された『河野談話』『村山談話』そして靖国神社に参拝した首相が出された『小泉談話』を修正するかもしれないと囁かれています。

今、談話の内容について論じるのではありません。
確かに、近隣諸国から、なんでもかんでも謝れ!謝れと言われたら、気分が良いものではないでしょう。だってもう謝ったのですから。

司法の世界では、謝った者に対して繰り返し『謝れ!』はないと申しました。
でも、ひとたび謝った者が、それを撤回することもありません。

謝る必要があるかどうかは議論されるべきですが、かつて謝ったことが間違い、謝罪を撤回するなんてあり得るのでしょうか?謝ったことにより収まった紛争は、蒸し返されるのでしょうか?

メルケル氏が言われる過去ときちんと向かい合ったと言う意味は、先人が辛い、また、恥ずかしながら現在そして将来のため、向かい合ったことそのものを否定することは、なお認められないと聞こえました。

メルケル首相、良いときに来日してくださいました。

 

危機管理ってなんですかね

2015年3月13日
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韓国駐在のアメリカ合衆国リパート大使が、ソウル市内のイベントホールで食事中、刃物を持った男に切りつけられる事件が起きました。

 

リパート大使は、オバマ大統領の側近で、この後ホールで、朝鮮半島の統一等をテーマにした講演を行う予定だったとされます。

男は、かつて韓国駐在の日本大使に対しても、竹島問題に腹を立て、コンクリートの塊を投げつけて有罪判決を受けた前科があり、この男が、いとも容易く会場に刃物を持って入れたことに、驚きを禁じ得ないと論評されております。

自己の主義主張と異なる意見考えを持つ者に対して、暴力を持って対抗することは、民主主義社会で最も忌むべき行為であります。これは『テロとの闘い』なんて大仰なことを言うまでもなく当然です。

負傷した大使の回復を願い、再発防止策を真摯に確立していただきたいものであります。

 

しばしば『危機管理』が論じられます。

 

韓国のあの事件は、危機管理以前の問題だと批判されているようです。

そしてこの事件が起きたのとときを同じくして、日本でも『発覚した』危機管理問題があるようです。

先週末国会では、発売された週刊誌に、妻子ある年下男性衆議院議員と、仲睦まじく歩いて路上でキスをした場面をショットされた衆議院議員である女性政務官が、野党議員から、衆議院予算委員会に出席を求められたところ、体調不良のため入院したと報じられました。

 

なんでもキスをした場面を撮影された当夜は、この政務官の直属の上司となる大臣が、辞任を発表した日であり、『危機管理』がなってないと野党は批判しているのだそうです。

大臣が辞任した日、すなわちキスをしたとされる日と、この危機管理問題が発覚した日まで、かなり時間が経過しているので、この政務官は、体調が急変したのでしょう。

 

それはそれとして、これは『危機管理問題』と言えますか?

 

あえて言うとすれば、バレテしまうような不倫をするなんて、この政務官の危機管理能力は?と言う論点なのではと思ってしまうのは、男女問題をしばしば扱う福本悟の捻くれた見方なのでしょうか?

 

大臣が辞任した日に不倫したあなたは、危機管理問題がなってない!なんて質問するのでしょうか?

国会でこんなこと?を取り上げる意味ありますかと問いたいです。ある野党幹部は、数にモノを言わせた政府与党の奢りだと批評しましたが、『こんなこと』、奢りも何も道徳的にも、あるいはこの相手となった年下男性の奥さんを傷つけたとすると、法律的にも許されないことは明らかであります。

逃げる方も追いかける方もどうかと思います。

これこそ危機管理以前の問題だと考えます。 以前、国会や議院委員会でのヤジが品位を欠くとの議論がありました。

 

質問と回答も品位を欠く内容をテーマにして欲しくはないと思う私は、国権の最高機関である国会に対して、過度な期待をしていることになるのでしょうか?

 

犯罪を生まない、被害者を作らない

2015年3月12日
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 川崎市内で13歳の中学生が殺害された痛ましい事件は、加害少年とされる被疑者が供述したとされる内容が報道されるに従い、執拗性残忍性がアップされ、怒り驚き悲しみが増幅されるようであります。

今回のような凶悪な少年犯罪が報道されるたびに、少年法改正――2000年以降複数回改正されました――が叫ばれ、今回の事件でも、例によって一部報道週刊誌が、主犯格とされる少年の実名を報道してもおります。

与党の幹部からは、少年事件が非常に凶悪化しており、犯罪を予防する観点から、少年法の在り方を議論されなければならないと述べられました。

しかし、センセーショナルなマスコミ報道は別として、少年犯罪は、1990年台をピークに、一貫して減少傾向にあります。
人口10万人あたりの検挙人員数を算出した人口比でも同様で、減ったのは『少子高齢化社会』が原因ではありません。
『凶悪犯』とは殺人、強盗、放火、強姦を指すのですが、検挙された少年のうち1%です。特に殺人は、ここ15年減少の一途を辿っているものです。

これは、司法や警察関係に携わる者の間では常識です。

もちろん、『だからよい』わけではありません。


ただ、政府与党には、弁護士出身者が多くおりますから、『わかった上での発言』だと言いたいのです。
私は、決して今回の被疑者とされる少年たちを、政府やマスコミに反駁したいがため擁護するものではありません。
被害者はどんなに辛かっただろう、痛かっただろう、怖かっただろうと思うと皆さんと同じく胸が張り裂ける思いです。

私がかねてより気になっていたのは、被害者少年のSOSに、周りの大人が気づいていない、あるいは気になっていたのかもしれないが、手を差し伸べることができていなかったことです。

これも誤解されると嫌ですから先に言っておきますが、私は、民主党の応援者でもありません。
この事件が報じられてやれ厳罰にせよとか、与党からは少年法改正が言い出された折、

いち早く『態勢面を含め、SOSへの気づきとその対応を再考しなければならない。少年法改正は、直結しない』
と言い切ったのは、地元川崎市選出の民主党元文部科学省副大臣でした。

事件発覚後しばらくして出された被害者少年の母親のコメントが反響を読んでいると報じたのは、日頃政府与党から目の敵にされてい新聞社でした。

ここ数日、これに続く報道がみられるようになりました。

被害者の家庭は、父母が離婚し、母親が5人の子を育てるため朝から夜遅くまで働いており、親子で向き合う時間が取れなかったことを母親は悔やんでいるのでした。『今思えば、私や家族に心配や迷惑を、かけまいと、必死に平静を装っていたのだと思います』

家庭、学校、地域が一体となって子どもを守り育てる必要性はつとに言われるところです。

しかし、もはや母親の愛情だけでは子どもを守ることは出来ないと言わざるを得ません。周りの大人たちも、自分たちの生活でいっぱいいっぱいとなっています。

厚生労働省の調査でさえ、経済的に普通の暮らしが出来ない人の割合は約16%で、そのうちひとり親の家庭は過半数が、『相対的貧困』なのだそうです。もっと子どもの側にいてあげられたらと思う親は、多いはずです。

私は、犯罪を生まないことと、被害者を作らないことは表裏一体の関係だと考えます。


裁判員裁判になって、死刑判決が増えたことが、あるいは刑法犯が減少したと言う一般予防の効果があったと主張する方がおられるのならば、ひとり親、あるいは『貧困』(あえてこの言葉を使わせていただきます)の家庭に対して経済的援助を含む少なくない支援をされる制度が構築されるべきであります。

いつか述べたかもしれませんが、安倍内閣は、トリクルダウン政策は取らないと宣言されましたから、是非とも『所得の再分配』を行っていただきたい。

すべての国民が安心安全な社会で、人として尊重されて生き抜くには、犯罪を起こさせない、被害を発生させない政府の役割があると思うのであります。

理想郷とは?

2015年3月11日
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ニッカウヰスキー余市蒸留所のパンフレットには、『ここが、竹鶴が夢見た理想郷。余市蒸留所へようこそ。』と冒頭案内されています。

本物のウイスキーづくりを夢見たマッサンこと竹鶴政孝氏には、豊かな水、澄んだ空気、冷涼で湿潤な気候がもたらすこの地こそ、約束された場所であり、ここから夢と情熱を後世まで残すことができると感じたとされています。
写真 2
正式名『ニッカウヰスキー株式会社北海道工場』となるこの蒸留所では、ウイスキーの製造工程とウイスキーの歴史知るガイド付ツアーがあるのです。

乾燥棟、粉砕糖化棟、発酵棟、蒸留棟、混和棟、そして貯蔵庫まで全製造工程がわかるよう配置されていて、NHK朝ドラ『マッサン』で、しばしば出てくる熟成、すなわち香り高い琥珀色の液体になって行く仕組みがわかるのです。


いっぽうで、ウイスキーの歴史を知るガイドは、世界のウイスキーの歴史と特徴を案内し、ニッカウヰスキーの各年代もの、商品化されたものの説明があります。



こうしてウイスキーの説明に酔いしれた後、メイン?のウイスキーの試飲がなされます。また、有料で、様々なウイスキーを嗜むことができることは言うまでもありません。

敷地内に並ぶ建物は、北海道遺産や文化財に指定される歴史を感じさせる物が多いです。

それだけに倒壊の危険等が認められ、例えば『リタハウス』は館内には入れません。マッサンとリタさん一家が住んでいたとされる横長の建物は、一部だけ入れました。
写真 3
余市蒸留所は、マッサンの夢、熟成したウイスキーの息遣いを感じることができる理想郷です。

とても気持ちが良かったです。人間には、各自理想郷とするところがあるはずです。

ただ、マッサンこと竹鶴政孝氏のように、みずから目指し、自覚していたケースばかりではないのだと思います。 
 もともとの理想郷、すなわち『ユートピア』の意味は、トマスモアの著作に出てくるように、現実には存しない社会で、想像の上に描かれた理想の社会だとされます。でも、竹鶴政孝は、この理想の社会を現実のものにしました。今風に言えば、「夢は叶う」と言うことかもしれません。そしてこの夢は、余市蒸留所において、連綿と受け継がれております。 

 理想と現実が一致するとき、人は最大の喜びを得るのだと思います。

そして竹鶴氏のように、理想郷が本物になった後も、今度はそれを残し、承継するための努力を惜しまない姿勢は素晴らしいですし、なかなかできるものではありません。
写真 1

私はここで何を学んだだろう、マッサンはどんなメッセージを伝えたかったのかと考えつつ、シングルモルトウヰスキー『余市』をグラスに注いで席に着きました。