隠されたコアラの間引きから学ぶこと

2015年3月10日
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オーストラリアビクトリア州で、2013年から2014年にかけて、コアラ686頭を間引きしたことが明らかにされました。

今後も間引きは続けられるそうです。 コアラは、自然領域としてはオーストラリアのみ生育している動物ですが、20世紀までに入植者が毛皮などにするため捕獲を続けたことから激減し、現在は10万頭を切ると言われ、絶滅危惧種とされております。

 

だだし、今回政府の説明としては言われたのは、コアラは一部の州では増えていて、コアラが食べられるユーカリの樹木が枯渇しており、コアラの餓死や衰弱が起こっているのだそうです。コアラの『安楽死』は、これからも続けられる見通しなのだそうです。

これに対してオーストラリア国民からは、

①ユーカリを増やせば良い

②コアラが不足している州に移動させれば良い

③そもそもなぜ国民に秘密にしていたのだと言った意見が寄せられているようです。

 

①については、時間、場所、費用やこれによる生態系への影響を考えなければなりませんし、②については、とても衰弱したコアラを移動させるに忍びないと関係者はコメントしたそうです。

③については コメントは聞かれません。所変わって日本では、熊におそわれた、猪と衝突したなど被害が報告されます。

つい先日も、北海道新千歳空港の立入制限区域内にシカ7頭が侵入し、これを追い払うのに7時間かかって、この間新千歳空港の滑走路は閉鎖される『事件』が報じられたばかりです。

北海道では、このところシカによる農作物への被害が深刻なのだそうです。現在捕獲したシカを食肉処理して北海道のグルメとして活用する動きがあるとのことでした。

私は千歳空港を利用する際、いつも出入りする土産物店に出張してくる『おじさん』から、我が家で暮らすわんこのため、『エゾしかジャーキー』を買って帰ります。

これは、天然のエゾしかをペットフードに改良して販売したものです。

わんこの様子から、とても美味しいようです。

 

増え過ぎて衰弱したコアラは安楽死させるしかなかったのかもしれません。同じ哺乳類でも牛豚馬などは明治以降普通に食卓に並びます。

北海道産の鹿が高級食材となる日が来るかもしれません。淘汰を余儀なくされる自然界では、結局人間が生きていく手段として、牛馬も鹿も処理されるのです。

ですが、人間社会は対等、国政府が批判されることを回避するため情報を発表しないで隠す!ことは認められるものではありません。

 

所詮オーストラリアのコアラの話ではありますが、この報道で私がいちばん感心をもった関心したのは、オーストラリアの世論③でした。

 

シカやタヌキとの共存

2015年3月9日
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3月1日夜は、航空会社にとっては散々な日となったようです。
もっとも、本当に迷惑を受けたのは、この日起きたトラブルに巻き込まれた人たちでしょう。

この日は日曜日でした。いつかお話したと思いますが、日曜日の上り便は混雑します。
特に午後から夜にかけては、週末を旅した観光客、しばし自宅に戻っていた単身赴任族が、羽田空港はもちろん、大阪、福岡、札幌等に戻ってくるからです。

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実は私もこの日、新千歳空港から、マッサン帰りをしておりました。機内も混雑して落ち着かないので、あまり日曜日には航空機は利用したくないわけですが、今回は、マッサンに会いに行くと言う全くの遊びでしたから、文句は言えるものではありません。

さて、この日最初の『事件』は福岡空港で起きました。午後6時前、福岡空港から羽田空港に向かう全日空機が、滑走路に向う誘導路を走行途中、ブレーキ故障を起こし動けなくなったことから約1時間半滑走路が閉鎖され、航空機の離発着ができなくなったことです。

離発着間隔世界一の福岡空港は、滑走路は1本しかなく、これまた世界一市街地に位置する空港であるため、夜間の使用が制限されており、欠航や目的地変更などが起きたと言うことです。
ちなみに、トラブルを起こしたのはボーイング787型機ですが、これは良く問題になっているやつですね。
私も2回、機体に問題ありと言うことで、整備のために、出発遅延と機内に閉じ込められた経験がありました。

ついで午後8時ころ、羽田空港周辺で、局地的な強風が発生したため、羽田空港への着陸が見合わされた時間帯が生じた『事件』が起きました。
こちらは、羽田空港に向かっていた航空機をいったん関西、中部国際空港に着陸させて燃料を補給した後、風が収まった羽田空港に向け、出発させる措置をとったことから、羽田空港に到着した時間には、もう公共交通機関は全て終了していて、多くの乗客が、空港内で一夜を過ごしたのだそうです。

航空機は早くて便利ではありますが、ひとたびトラブルが発生すると、多くの影響が出てしまいます。
永久に空中に浮いていることはできませんから、出発できない航空機、また飛行中の航空機は、何処か別の空港に到着させなければならない事態が生じます。

でも諦めもつきやすいです。

空中に浮いていることが出来ない以上、出発できず欠航となるか、何処か別の空港に『連れて行かれる』からです。これが、駅と駅の間に立ち往生した新幹線なら悲劇でしょう。
以前お話したように、私は、航空機を利用するとき、『弾は当たらない』と思っているので、遅延欠航などに『当たる』こともあまりございません。

先日の暴風雪の女満別空港もしかりです。

そしてその2日後、今度は新千歳空港が、シカの侵入により閉鎖されたと報じられました。
天候と同様これも『自然』が相手ですから、ある意味仕方ありません。
ちなみに十年以上前になるでしょうか、私が長崎空港を利用した翌日、大村湾に人工島として開設された長崎空港に、

なぜかタヌキの群れが現れて、滑走路が閉鎖されたと報道されたことがありました。

空港は、市街地から離れた場所に開設されますから、常に『自然』と隣り合わせと言うことなのでしょう。
むしろ人間の進出が、これら生態系に異変を起こさせたと言えるのかもしれません。

私の家の近くでも、まだ早朝道路脇にタヌキの死骸が 横たわっていることがあります。可哀想に、夜間車に跳ねられたのです。

風やシカがあんなにデカイ航空機を止めると言うのも、自然界の生業なのでしょう。


ネズミの嫁入りではありませんが、強さと脆さは背中合わせ、あまり気づかないところに、危うさは潜んでいるのかもしれません。

ここにも黒田官兵衛が

2015年3月6日
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年が明けると『箱根駅伝』があります。

東京大手町と箱根町芦ノ湖の間の10区間を各大学が襷を繋いで往復する陸上競技です。この10区間のうち最長距離であって、高低差800mを一気に駆け上がる5区通称山登りがハイライトで、『山を制する者は箱根を制する』と言われ続けております。

今年もそうでしたね。この5区のスタート地点が小田原市です。今日は、小田原に行って来ました。

写真 2 H27.03.04

小田原市のシンボルともなっているのは小田原城です。最初の築城は知りませんが、戦国時代北条氏の居城だったことで知られます。
天下統一最後の仕上げとして豊臣秀吉が大群を率いて小田原城を取り囲んだ様子は、昨日のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』でも放映されましたね。

この小田原戦のとき、城に篭って動こうとしない北条側を驚かせたのが、黒田官兵衛の策と言われる『石垣山一夜城』でした。
小田原城から3km程離れた石垣山に密かに出城を作り、これが完成した途端に周囲の樹木を取り払ったことから、小田原城の北条側は、一夜にして城が現れたと驚き、戦意を喪失してやがて和議となったと言われます。

この石垣山一夜城と合わせてこのとき故事ともなったのが『小田原評定』でした。
武田信玄、上杉謙信でも落とせなかった小田原城が難攻不落と信じていた北条氏側では、「城から出て野戦に持ち込むべし」「いや、難攻不落のこの城で戦うべし」と重臣たちによる評定が繰り返されたが、結局何も決まらなかったと言われます。
ここから、いつになっても結論が出ない会議や相談のことを指して、『小田原評定』と揶揄されるようになったのでした。

このように言うと、北条早雲以来この地を収めていた北条氏は無能だったかに聞こえるかもしれません。
ですが、結果としてほぼ無血開城となりました。ここには、黒田官兵衛の知略と温情があったことは否定できませんが、戦乱の世で、長くこの地に戦火を齎さなかった北条氏の最後の決断は讃えてあげて良いと思います。

島津氏や伊達氏に対する豊臣秀吉の処置と比較されると氏政切腹、氏直追放により没落した北条氏は哀れを誘わずにはいられませんが、豊臣秀吉の中には、脅威となって来ている徳川家康を意識した策だとされています。

その後徳川幕府となり、小田原城は大久保氏や稲葉氏といった徳川家にとって重要な家臣が収めたこともあって、現在も、当時を彷彿させる絢爛優雅な姿を見せているのです。

何も決められないと揶揄された北条氏でしたが、今も多くの遺構が残されて、天守閣には多くの観光客が溢れ、この街から箱根駅伝を見守る小田原城を残してくれた功績は大きいのです。

そんなことを考えながら、新宿に戻りました。

 

すすきのおじさんとビールの煙突

2015年3月5日
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この街の顔、◯◯市と言えば誰を思い浮かべますかと問われた場合、余市ならマッサン 小樽なら石原裕次郎 他にもライバルはいると思いますが、まあ、妥当なところと落ち着くのではと思います。

北都札幌はどうでしょう?

クラーク博士?、島義勇、岩村通俊などの創世記の札幌を思い浮かべる方、中島みゆきさんや横路孝弘元北海道知事(元衆議院議長で、現在も衆議院議員です)など、現在もご活躍の方々でしょうか?

 

新宿歌舞伎町、福岡中州とともに日本3大歓楽街とされるすすきのをイメージされる方は、岩村通俊氏を挙げるかもしれません。

 

明治2年に蝦夷地から北海道と名称変更して、島義勇により札幌本府が設けられた後、明治4年に赴任した岩村通俊によって、開拓事業が進んだ歴史があります。

そして、この岩村通俊時代に薄野遊郭ができました。岩村開拓判官の命を受けた薄井龍之の名をとって、『ススキノ』が誕生したとの説があるからです。

 

もっとも、このあたり、昔薄野原だったからとの説もありますが。 このすすきの交差点に燦然と街を照らしているのは、あのニッカウヰスキーのヒゲのおじさんです。

 

このおじさん、ウイスキーブレンドの名人『キングオブブレンダーズ』と呼ばれた英国貴族ローリー氏をモデルにしたとされるニッカウヰスキー株式会社のマスコットです。マッサンに魅せられる前から、このおじさんこそすすきののシンボルと感じておりました。

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札幌と言えばすすきの、すすきのと言えばあのおじさんと思ってしまう人間からすると、札幌と言えばすすきの交差点のニッカウヰスキーの看板のおじさんと答えてしまいそうです。

 

すすきの好き、アルコール好き人間からすると、もうひとつ札幌のシンボルと言えるモノがあるでしょう。

 

札幌と言えばビール、ビールと言えばサッポロビールとたたみこめば、サッポロビール園のあの煙突?かもしれません。

ビールも新聞も◯◯◯の私ですが、札幌では『サッポロクラッシック』を飲んでいます。サッポロビール園の雰囲気も好きです。

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結局福本悟にとって『この街のシンボル』は、全部アルコール関係ではないかと言われそうです。

いや、これは札幌に限らない?何処に行っても飲み食いの話しかない!確かにそうですね。まあ、アルコールもその街の文化歴史を形成するので、出先で経験するのは悪くはないでしょう。

 

何?出張先でなくてもやってる?これまた確かにそうでした。それはそれとした、北の都札幌も、まあ良いところです。

 

マッサンが見た風景

2015年3月3日
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行って来ました。余市蒸留所。
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余市蒸留所とは、正式名は、ニッカウヰスキー株式会社北海道工場と言い、1934年(昭和9年)マッサンこと竹鶴政孝氏により開設された蒸留所です。
当初は、余市で採れるりんごを使い、りんごジュースやワインを製造しておりましたが、1940年(昭和15年)にニッカウヰスキーに社名を変更し、ウイスキーの出荷を開始、折からの太平洋戦争時にはウイスキーが統制品となったため海軍の管理下に入って製造を続け、その後大阪の株主より、朝日麦酒に株式が譲渡され紆余曲折あったものの本物のウイスキーを造ると言う竹鶴政孝氏の一貫した姿勢は変わることなく、今でもシングルモルトウイスキー『余市』がここで造られているのです。そしてこの蒸留所自体が北海道遺産に認定され、平成17年には、敷地内建物のうち9棟が、国の登録有形文化財に登録されております。
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「来てよかった!」の一言です。

文化財ともなった建物、『マッサン』で出てくる見慣れた風景も良かったですが、まず余市蒸留所の姿勢が素晴らしい。

入館料は無料、敷地内は希望すればガイドが案内、写真撮影は自由、そしてウヰスキー等の試飲が可能でありした。
前日暴風雪の網走では、1080円の入館料を支払った施設での滞在に、あまり良い印象を持てなかったので、マッサンそして受け継いだ関係者にとても良い気持ちにさせていただきました。

余市蒸留所の案内、見て来たことに関しては、機会を改めますが、試飲会場から見えた風景が、何と無くNHKテレビ『マッサン』で、マッサンが初めて余市に来たとき眺めた風景と似ている感じがして、魅入られてしまいした。
雪と凍りに覆られた余市川その背後に連なる山々、そしてすぐ右に行けば日本海です。前日道東で暴風雪に見舞われた私は、好天の余市でほんわかのどかな気分にさせられました。

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余市には、それまで何回か来たことがありましたが、焼酎党の私は、鹿児島では焼酎工場に行くことはあっても、余市ではウイスキー工場に立ち寄ったことはありませんした。
そしてマッサンこと竹鶴政孝氏とニッカウヰスキーの成り立ちそしてその伝えたいものを知ることがなかったのです。

テレビでもそうですが、マッサンの周りには人か集まり、とても良い気分にさせてくれますね。
余市蒸留所は、本当に気分を良してくれました。あの風景とこの人がマッチした素晴らしいコントラストだと思い、余市蒸留所を堪能しました。

注   試飲ができたから言っているのではありません。どれくらい飲んだか?ですって。『一応』①余市10年もの②竹鶴17年もの③ワイン22度それぞれ1杯づつと案内されております…。