きさらぎ法律事務所の初回無料相談を、『セカンドオピニオン』としても利用したいとお考えの方へ。
2016年11月10日
以前この『ひとりごと』でも書きましたが、きさらき法律事務所には、このところ既に他の弁護士に具体的事件の対応処理を依頼している状態で、福本悟に対して相談申し込みをされるケースが増えてきていると感じます。
統計を取っているわけではありませんが、きさらき法律事務所のホームページが現在の体裁になる3年くらい前から、ボチボチあるなと感じました。そして年々と言うか、日を追うごとに増えている、このところ毎週その種の相談申し込みが存在している現実があります。
今日はまた、このことに関する『ひとりごと』と、私のお願いです。
きさらぎ法律事務所は、事務所内での初回の相談は無料で、相談時間の制限は設けておりません。
この仕組みに関するご説明は、ありとあらゆるところで申しておりますので、ここでは省略します。このシステムをご利用になって、何をすべきか、自分にとって何が解決なのか掴んで欲しい、そしてそのためのお手伝いをさせていただきたいと願っています。
つまり、福本悟に対して、具体的事件を依頼される方は、もう到達点、落とし処を理解していて、そこに向けてブレることなく、そこまでのプロセスを一緒に進めていると言うことです。ですから、たとえ途中で依頼者の方が不安や疑問を感じたのだとすると、それはどうすればよいかの悩みではなく、『本当に、このまま福本に依頼していて、目指している到達点、落とし処に行けるのか、自分が福本と一緒に求めた解決が得られるのだろうか?』と言うものであるはずです。
勇気を持ってきさらぎ法律事務所をお尋ねになり、弁護士福本悟にご依頼された方にとって、解決しない問題はない!と日頃から強く申し上げています。来てみれば、『こんな法律事務所』ですが、やはり相談申し込みをして、ここをお訪ねになる第一歩が大きな階段だと皆さん言われます。そうだと思います。ここを突破して、そして初回無料相談をじっくり落ち着いて受けられて解決策が定まり、ご依頼をされた方には、この時点では、迷いはないはずです。 依頼している弁護士がおられるのに、相談申し込みされる方がよく言われるのは、『セカンドオピニオン』と言う言葉です。
深い意味はないのでしょうが、弁護士には、セカンドオピニオンはごさいません。
つまり、検査や治療を受けている最中、『セカンドオピニオン』をして、医師医院を変えることはあるでしょう。それは、治療行為と言う委任契約の内容によるからです。例えば費用についても毎回毎度であったり、この手術ならば、他の病院へ紹介状を書くなんてことも普通だと思います。ところがたいていの場合、法律事務の処理を依頼した折に締結する委任契約書にも明記されているとおり、委任内容と範囲は、例えば損害賠償請求訴訟の終了までであったり、離婚調停の終了まで等とされています。つまり、正当な理由がない限り、途中解約はできません。
これは形式的には、着手金・報酬の費用立てで依頼を受けた案件を、ほとんど終結できそうな段階に至って、梯子を外されたらたまらないと言う弁護士側の事情があるのですが、法律事務は、今日明日にすぐに解決するものではなく、強固な信頼関係を構築して進めなければならない実質的理由があるのです。病院を変えれば良いとは、質的に違うと思います。もちろん弁護士が行方不明になったり、違法行為をしたなど、契約継続は不合理とされる場合は別ですが。 弁護士倫理上、他人の事件をとってはならないがあります。もし、他の弁護士が受任中の事件の進行等について相談を受け、こうしたほうがよいなんて言うと、相談者は、依頼した弁護士への信頼感を失うでしょう。
まして、このやり方は正しくないから、相談を受けている自分にやらしてくれなんて言ったものなら、完全に依頼者と受任弁護士の信頼関係は喪失されます。 ですから、現に他の弁護士が受任中の案件については、一般的なお話しかできません。それは福本悟が心掛けている解決までの法律相談ではないのです。 セカンドオピニオンだとしていらっしゃる方は、依頼した弁護士に不満があるとか、既に進行に関して不安を抱いていると言う例は少ないです。多くは、『よくわからない』『これでよいのか確認したい』であります。ですが、そんなことであれば、依頼した弁護士とゆっくりじっくり話し合えばよいのです。なぜそれをしない、でいないのか?それは、何をもって解決とし、この件の終結はどんなかたちか決めずに依頼したことに大きな原因があります。例えば、相手方からこれこれ言われた、なんとかしなければならない、自分は、これこれを請求したい、それが実現できるかで決めてしまったケースが少なからずあると思っています。
それは目に見えた、ご自身が感じ取ったままのところをこれが結論で、これをしたい!の思いで、ネット等の情報を頼るからです。その場合、仮に依頼のきっかけとなった事項に関して、一応希望とおりになったとして、それでは自分は何をしたいのが定まっていなければ、『その次』に進めません。
依頼した弁護士さんは話をしてくれないとか、どうなるのか説明してくれない等のご相談を受けることがあります。それは、ご相談者が何をしたいか、何をもって解決としたいのかが判然としないままスタートしたからです。30分無料相談あたりでは、聞かれたことだけに答えざるを得ません。聞く方も、期待する答えが欲しくてそんな弁護士を探します。それで当面進んだ、なんとか繋げたとしても、本当の問題点は、解決していないのです。本当に解決しておくべきこと、この案件での終着点は何かを考えない依頼では、実は担当弁護士としてもやりようがない、次に依頼者が何をしたいか言ってくれないと動けないのだと思うのです。
セカンドオピニオン云々で、私に対して質問したり、見解を求める方に申し上げるのは『それは依頼されている先生に言ってください』であります。希望・疑問を言ってくれないと、本当にわからないのだと思います。私の場合、どうしますか?はほとんどありません。初めから決めているからです。そこに到達するために依頼を受けるからです。途中でセカンドオピニオンを言われる方、それは、依頼の仕方を間違えたと言うよりも、自分は何をしたいのか、何が解決なのかをしっかり考え、そのために弁護士に依頼すると言う視点が欠けていたのだと言うことです。まして、何々に強い!のキャッチフレーズにつられたと言うか、そのような条件、検索用語で弁護士に当たったことが間違いだと言うことです。じっくりしっかり最初から話を聞いてくれ、そして今現れていることだけへの対処ではなく、自分にとつてはの解決は何なのか、そのためのプロセスはどうなのかを示し、一緒に考えサポートする弁護士に当たれば、迷いはありません。
セカンドオピニオンを言われる方、まずその疑問を依頼した弁護士さんにお話してください。その対応で、その後を決めればよいのです。改めて自分がしたいこと、求めるところをお話しすれば、そこからのスタートです。話を聞いてくれない、話が合わない、そんなときは、委任契約をどうするか考えなければならないかもしれません。ただし、正当な理由がない委任契約の解除、つまり解任は、ペナルティー条項が設けられている可能性があります。
セカンドオピニオンは、あなたにとってのリスタート、弁護士との委任契約が解消されたら、改めてきさらぎ法律事務所にいらしてください。ここにようやくあなたにとって何が解決なのかを認識していただいて、そのに到達するための受任をいたします。委任契約が存続する間は、あなたの弁護士は、依頼しているその先生ただひとりなのです。
話をしたくない、しても無駄、そもそも何を話してよいかわからない……は、実質的に委任契約ている意味はありません。そんなことにならぬよう、じっくり話を聞いてくれる弁護士をお探しください。いつも思うのです。なんで最初にきさらぎ法律事務所に来られなかったのか。勿体無い!
『自分は悪くない、被害者だ、なんで弁護士費用を負担しなければならないんだ』と思われる方へ。
2016年10月6日
きさらぎ法律事務所は、事務所内での初回の相談は無料で、相談時間の制限を設けておりません。
ホームページをご覧になるなどして、毎週初回相談の方が見えられます。私が相談を受ける前、その申し込みの電話を受けたときにいくつか感じることについては、この『ひとりごと』でお話しました。ここでは繰り返しませんが、とにかく事務所に来ていただきたい、全てはそこからであり、いらっしゃってお話をされることは、絶対に無駄にはなりません。
そして、相談前に描いていた方向結論や、期待していた答えが得られることはほとんどないことが実感されます。それでもご相談者にとって、問題が解決することに気づかれるはずです。『急いでいる』『費用を教えて欲しい』『得意で強いのか』の質問に、その場で期待する答えがなかったことを理由に、きさらぎ法律事務所での初回無料相談をパスされるのは、私が言うのはおかしいですが、『本当にもったいない』です。
さて、今日は、きさらぎ法律事務所にいらっしゃって、相当時間ご相談され、目指すところ、着地点が認識でき、そのまでの諸手続きとプロセスがわかって費用(着手金)もご説明したのに、ご依頼をされないケースに関して、私が思うところを書きます。
以前申しましたとおり、きさらぎ法律事務所での初回相談を受けられた方には、その場で委任契約は締結いたしません。いわゆる即ご依頼を受けることはしないのです。それは、あたかも相談をしたら、必ず頼まなければならないかの雰囲気があっては、半ば強制であり、そんな関係で、この先信頼関係が築かれるか疑問だと言う当たり前のことはあります。
それよりも大切なのは、ほとんどの方が、期待した答えが得られなかった、しかし解決のためにこうしよう!と案内されて、『そうかなぁ』と感じたはずであり、今一度本当にそれで良いのか、落ち着いて考えて欲しいからです。
ここにいらっしゃる方は、これまたほとんどの方が、初めての法律相談ではないようです。
あちらこちら訪ねて弁護士から『回答』をもらった上での相談です。つまり、以前得た回答では、『解決』にはなっていないと言うことです。 『解決』ってなんでしょう。法律問題に遭遇する方は、すでにその段階で、なんらかの権利侵害を受けていたり、失ったものがある、少なくとも何か放っておけない事態が発生しているわけです。
ゆえに、何もしなかったら、何も解決しないのは当然のこととして、仮に行動を起こす、弁護士に依頼して法的な対応をするとしても、元々の状況にプラスはもたらされません。例えば、時価1.000.000円もする貴重な骨董品を預けていたとこら、その家に泥棒が入って盗まれた、預けた人に対して損害賠償請求をしたところ、裁判等によって、1.000.000円の賠償金を確保することができたとします。
その場合、件の品物は返ってこないことは理解されるとして、このような手続きを取る羽目になったことに関して、賠償して欲しいと思う方はおられると思います。相談の場で、かかった弁護士費用は、相手に請求できますか?と質問を受けることがあります。
もしこれが支払われないとなると、弁護士に金を支払った分だけマイナスとなったと感じられるからです。 今、民事訴訟法の改正論議の中で、弁護士費用の敗訴者負担が検討されています。
私は、これには強く反対します。国や行政を相手に声を上げる人が無くなって、強いものの横暴が続く世の中になると言うのは、あらゆる場面で私が申し上げているところですが、それよりも現実的な問題があります。
以前ここに取り上げた『強いですか』『勝ちますか』の論議が横行し、これに応えるべく弁護士の側も、ほぼ例外なく『強いです』『勝ちます』と言うでしょうーー私は言いませんが。
そうでもしなければ、権利侵害を受けた人、権利を主張したい人は、何を頼り、どうすればよいのですか?反面、『勝ちます屋』が増えるでしょうね。何の根拠も理念もなく、単に困っている人を食い物にする輩が出る危惧もあります。金を使って、弁護士を使えるごく一部の『強い者』は別として。
何を言いたいかと思われます。おそらくご批判を受けるであろうことを承知で申します。それは、弁護士費用を支払うのはもったいない、損だ、意味がない、そんなもの、相手が支払うべきだのお考えが招く危険性であります。
当たり前ですが、いったん失われたモノは、元どおりになりません。さきほどの骨董品の例でもお分かりのように、壊れたモノは元には戻りません。でも、その価額に相当する価値は、弁護士に依頼することで確保回収できました。何もしなければそれで終わりです。
このとき、弁護士に金を支払って損をしたと考えるかどうかです。そして、この判断が、依頼するかどうかの段階で、影響していると思うのです。 日本弁護士連合会は、平成16年に、報酬会期を撤廃しました。
費用は、依頼者と弁護士との間で、自由に取り決めしてよいことになりました。これで、きさらぎ法律事務所の初回相談が無料であることの理屈がつきます。それまでは、業務の有償性から、無料相談は、基本的に弁護士会そのもののが主催するような公的なものに限られていたからです。
ただし、会規が無くなったからと言って、以前あった会規に沿って費用を決めても構いません。私は、異本的に元存在した会期に準拠して依頼を受けます。例えば、ある事件で、着手金300.00円としましょう。
『30万円』と聞けば大金です。一般の人は、即座に右から左となる金額ではないと思います。この着手金は、何が含まれるかと言えば、依頼事件が終結するまでの弁護士の仕事料です。何年かかろうと、その間何回時間打ち合わせその他に要するとしても、また、何回裁判所に行こうとも、そのとき何時間拘束されようとも、全て含まれています。
もちろんこの間弁護士は、弁護士であるだけで、事務所経費は負担しております。 『着手金と報酬で、〇〇円取られるんですか?』と言われる方がおります。やはり弁護士に金を支払うのは無駄だと思われるのでしょう。それは、もう『説得』できるものではないです。
それと、弁護士費用ではないにしても、『金を支払って解決する』との考え方に馴染まれない方も多いと感じます。現在相手方から、あーだこーだと権利主張されている、すなわち金を支払えと言われているケースで、とことん拒絶しているがゆえに、解決していないケースです。
確かに事案の内容としては、この相談者に分があるとします。それでももう一切相手をしない、何も言われないために何をするかの観点で考えていただきたいものです。このようなケースでは、たいていご相談者には、既に幾ばくかの『利益』が入っていて、これを吐き出したくない、つまり、心情的に相手方は、ずるい、ケチだと思っていて、諦めきれないことがあるように思います。
もとより全く理不尽な要求には、断固として対決してケジメをつけるべきです。今、ここで決断することで、もう悩まなくても良いのに……と思うことはあるのです。 『金は天下の回りもの』とも言われます。弁護士にお金を使うこと、弁護士と打ち合わせし、その方針に沿って出したお金は、無駄金ではありません。
何にお金を使うか、生かしたと願うものです。
今、あなたが『急いで』法律相談をしなければならない事情、経緯はなんでしょう。弁護士福本悟にはわかるのです。
2016年9月1日
きさらぎ法律事務所のホームページをご覧になって、電話やメールで相談申し込みをされる方からのご質問について、何回かお話しました。
第1回めは、きさらぎ法律事務所のシステム、弁護士福本悟の考え方をご理解されているのに、なお電話だけで済まそうとされる方のこと、それに続いて、相談内容もわからず、現に相談にいらしてないのに、費用はいくらか聞く方のこと、そして『強い』『得意』かお尋ねになる方のことでした。
今日は、お尋ねと言うか、日程を調整する段階でしばしば言れることについて申します。よく、「今から」「今日」の希望が出されます。そしてその理由は、「急いでいる」と言われます。今回は、最も多く耳にする『急いでいる』発言に関して福本悟の見解、そして、その折の取りあえずの助言を申します。
ほぼ毎日初回無料相談の申し込みの電話、メールを受けている現実があります。きさらぎ法律事務所は個人事務所で、私以外に弁護士はおりません。ホームページをご覧になって相談を申し込みされる方は、当然それをご存知です。つまり、福本悟を選ばれたと理解しております。他に代用は効かないのです。
誠に有り難いことですが、諸々の用件があり、申し込み当日に、相談をお受けできることはほぼ可能性はない現実です。きさらぎ法律事務所では、相談時間の制限を設けていないので、相当時間空いていなければ、対応は不可能です。
この現実がありますから、『今から』『今日』を求めれて、私から、それは不可能と申し上げたところで、「それでは結構です」で電話を終えた場合は、それでおしまいです。もしかしたら、本当に、たまたま自由時間が取れたから、どこかに娯楽に行くではなく、後学のために法律知識でも身につけておこう!と思い立たれたのかもしれません。それならそれで良いです。
きさらぎ法律事務所は、解決までの法律相談を行うからです。ところで、今日の相談は無理と知ったとき、あるいはもともと申し込みの段階で、「急いでいる」と仰って、なんとか早期に弁護士福本悟と会って、相談したいとお考えの方は相当数おられます。
確かに決めたら早いほうがよいはそれ自体は間違いではありません。問題は、弁護士に相談しなければならないと決断する『早さ』を齎した原因、経緯は何かであります。
「急いでいる」ので、どうしても早期に、できれば今日明日にもお会いしたいと言われたときに、私から、『急ぐ理由』をお尋ねすることがあります。と言うよりも、私には経験上、相談者が『急いでいる理由』がわかっているので、ストレートにこちらから『回答』を言ってしまうこともあります。
相談者が急いでいる理由、それは相手となった側から、特に代理人となった弁護士から文書が届いた、その中にいついつまでに回答しなさい、しなければ云々……と書いてあると言うものであります。
相手となった側の主張要求が全く訳がわからない、心当たりがない場合、例えば知らない人、人違いとか、主張要求とおりのことを昨日やったのに、その『結果』に相手方が気づいていないようなケースは別でしょう。そんなケースでは、急いで弁護士を探す必要はないです。しかし、認める認めないは別として、また、こちらの言い分はあるにしても、やはり相談者には、相手方からそのような主張要求がなされることには、心当たりがあったわけです。だから慌てて『急いでいる』に繋がったと思います。
そのこと自体は、まず『反省』していていただく必要はあります。つまり、問題の先送りをしていた、『解決』していなかったのですから。もっとも、こうして弁護士福本悟の相談を受ける機会を得た点で、つまり解決するきっかけが与えられた点で、相手方からこのような主張要求を受けたことは「良かった」のです。さあ、これからゆっくりじっくりやりましょう。
さて、そんな基本的な考えではありますが、電話等で「急いでいる」と言われたときには、上に挙げたようなことは申しません。これは事務所にいらしてお話を伺い、どこを収め処として、何をやるかが決まったときに申すことです。「急いでいる」と言われる方に対して私が電話で言うのは、「いついつまでに回答をって言われましたか?
そうであれば、そんな『期限』守らなくても、どーってことないですよ。」であります。まずは冷静に考えましょう。相談の申し込みをされた方が、もし、その主張要求に沿う回答をし、また、相手方の言うとおり対応するなら、慌てて法律相談をする必要はないですね。つまり、相談者は、相手方の要求を現段階で受け入れられない立場です。そんなとき、『期限』までに、相手方に、『No』の回答をして、相手は喜びますか?この問題は解決しますか?
何が心配なのかと言えば、『期限』を守らなければ法的措置を執ると書かれてあることを言われることが多いですね。ところで『法的措置』って何ですか?回答しないことで、何らかの法的措置?を執られたことで、即座に、相談者に深刻な事態が発生するのでしょうか?例えば、警察に捕まる、刑務所に行く、行動の自由が奪われる、そこまでいかなくても会社に行けなくなる、預金を下ろせなくなる、裁判所?の人が家に来て、何が貼り付ける云々…何もないですよ。これもいつも申すことですが、本当に、最初から訴訟提起するしかないと決めている側は、わざわざ訴訟しますなんていきなり予告してきません。こけ脅しですね。
私はやりませんが。だってまさしくここでご案内するとおり、こけ脅しが効かず無視されたら、返って『なーんだ。どーってことないじゃん』となるから。つまり、反対にバカにされかねないからです。でも、実際ここまでこのこけ脅しが効いて、相談者はアタフアしていますよね。しかし、それは弁護士福本悟に会うまでの僅かな期間です。
『急いでいる』と言われる方は、先にこけ脅しが効いたと申しましたが、要するに、相手方の土俵に乗っているのです。相手方とは、確かに解決しなければならない問題はあるのでしょう。しかし、相手にこう言われた、これこれしろと言われたからどうすれば良いかではありません。
相談者ご自身が、自分の立場で、自分のため、どうすれば良いかを考えるべきです。その意味においても、相手方から、いついつまでに回答をと求めれたら、無視しておく、少なくとも内容について回答しない、私はよく『水をぶっかけておく』と言いますが、相手の土俵に乗ってはならないのです。そんな『期限』、相手方が勝手に決めたのであって、なんの効力もありません。
これもしばしば言うことですが、相手方の代理人になった弁護士が、期待することは何だと思いますか?それは、その文書なりに書いてあることが即座に実行されることでしょう。でも、そんなことはないですね。私は、依頼者の相手方に文書なりで主張要求するときは、やるべきことを決めていて、その過程で一応連絡しておくくらいの感覚です。文書を送ったくらいで、金が返ってくることはないでしょう。それは、相手方に、弁護士に依頼する機会を与えたいからでもあります。
そうです。相手方代理人弁護士が希望するのは、依頼者の反対側の立場の側にも、弁護士が付いてくれることなのです。弁護士が入ると言うことは、少なくとも依頼者の相手となった側も無視はされない、何らかの形で解決しようとしているのだなとわかるからです。それは、自分の依頼者に対する取りあえずの言い訳にもなるからでもあります。
それでもどーしても気になる人に対しては、相手方の弁護士に対して、電話かファックスで、文書を受け取ったこと、こちらも弁護士に相談しているので、後日依頼した弁護士から連絡を差し上げますとだけ通知しておくことをお勧めします。相手方代理人は、ホッとしますよ。私からいたしますと、今日明日中相談を!と言われるような『急いでいる』ケースはないと断言できます。本当に急いでいるなら、つまり先に例示した刑務所に入れられるとか、全財産が明日消滅するようなケースなら、それまで何もしない、何も気づかない、どこにも相談しないなんてあり得ないと思います。むしろ相談申し込みされた方を落ち着かせる、とても良い機会をもらったから、あなたのためにじっくりしっかり考えていきましょうと申し上げるのです。
こうしてきさらぎ法律事務所にお越しになって、福本悟の依頼者となられた方は、
『急いでいる』⇨『相手方の土俵に乗っている』⇨『解決しない』⇨『自分にとって何が良いか』⇨『弁護士福本悟に依頼する』⇨『解決した』と言われます。
ただし、『急いでいる』がゆえに急いで回答?を出してはいけないのであって、相手方の主張要求はそれとして、相手方との間の問題は、必ず解決しておかなければなりません。
『〇〇に強い弁護士』かどうかは誰が決め、どうしてわかるのでしょうか?
2016年8月31日
きさらぎ法律事務所に相談の申し込みをされる際に受けるご質問と、私からのお尋ねに関して、前回この『ひとりごと』に書きました。第1回目となる前回は、電話やメールで回答を得ようとする方がいらっしゃることと、相談前に費用を仰る方がおられることを申しました。
今日は、もう一つ電話で申し込みを受けた際に少なからず受けるご質問と、これに対して私からお答えすることを申し上げます。
申し込みの段階で受けるご質問であるのは、『〇〇は得意ですか?』『〇〇に強い弁護士を探しているのですが…』であります。
相談者からすると、ご自身の問題を解決してくれる弁護士に巡り会いたいのは当然であり、強い、得意を求めるのでしょう。でも、『強いですか?』『得意ですか?』と問われて、『強くありません』って答える弁護士がいるでしょうか?最近のネット社会では、探す側に情報は発信されているので、少なくとも全く経験がない、信用できない弁護士のところには、アプローチなされないと思います。
つまり、相談申し込みされるときに、ある程度『強い』『得意』なんだろうなの前提があるはずです。きさらぎ法律事務所の、ホームページをご覧になって相談申し込みされた方から受けた相談内容で、過去私が全く経験したことがない、担当したことがないジャンルがあったことはございません。例えば、外国との渉外取引等、英語を話せるかどうか、相談をする段階で分かっているので、私が経験しないようなジャンルの相談申し込みはあり得ないです。
さて、ここで注意を要するのは、『強い』『得意』は、当の弁護士が、そのように自分をアピールしていると言うことです。実際得意かどうかなんて、弁護士会に試験があるわけではありませんし、他と比べようがありません。
消費者被害で誇大広告、虚偽広告や、重要事項の不告知等が指摘されますが、事業者である弁護士には、適用されないんですかね。ーーされますよ㊙︎……。お客さんをゲットするのはたいへんですからね。
きさらぎ法律事務所のホームページをご覧になった方は、
お気づきになったでしょう。私弁護士福本悟は、得意とか強いなんて書いてないです。取扱い業務や経歴、あるいは『ご相談者の声』で、いくらか、なんとなく「この弁護士は、こんな事案をよくやっているんだな」と感じ取られるのだと思われます。経歴の一つとして、司法委員、民事調停委員の経験談をご案内し、旧ホームページにあった『離婚、男女問題』を構成の都合上引っ張ってまいりました。
ちなみに、弁護士会の数年前の
アンケート調査によると、弁護士に相談を希望される案件のトップは、離婚事案と発表されていました。とするなら、弁護士を数年やっていれば、離婚事案を経験しない人はおられないのではないでしょうか。でも、ひとつでもやれば、得意かどうかはわからないですね。
私は、電話等で『得意ですか』『強いですか』と聞かれたら、得意とか強いなんて考えたことありませんが、「この種案件は、30数年の弁護士歴で、経験させていただいております。」とお答えします。私にとりまして、経験こそ他の多くの弁護士が持っていない『強み』、すなわち依頼者にとっての武器たり得るのではと思っています。
もっとも電話でのお答えとしては、得意かどうかの問い合わせについては、経験はあります以上のことは申し上げません。でも実際、『強い』とか『得意』を標榜している法律事務所の弁護士より、依頼者にとって、『解決』を齎す経験に裏付けられた実務能力はあると思っています。ただ、初回無料相談を受けられるために面談するまでは、これを言わないだけです。
それと、これまた経験から言えることがあります。概して『強い』『得意』を予め仰って相談にお越しになった方は、意外と受任率が低い、すなわち委任を受けることが少ないのです。なぜか、それは『得意』とか『強い』を執拗に求め、拘る方は、自分の意のまま、すなわち、どうしてもその希望とおりの100%を追い続けるがゆえに、事案の収め処を見据えた私が示した解決を、目指そうとなさらないと思われるからです。
つまり、納得されていないのです。より端的に言えば、自分の言うがまま、言いなりになる弁護士を探しているのです。これは、『強い』『得意』とは違いますね。
以前この『ひとりごと』に書きましたが、きさらぎ法律事務所にいらっしゃる方で、既に弁護士に対して具体的事件を依頼なさっているケースが少なくありません。かつて申しましたが、セカンドオピニオンはございません。
依頼されている先生との間に不信感が生まれるような相談対応はできません。基本的に受任弁護士を褒める話になるわけですが、その弁護士に依頼した動機は、『強い』『得意』と書いてあったから任せたと言われることが実に多いですね。
これは、強いとか言っている弁護士に投げておけば、自分の思い通りになる、あるいは、どうして良いか分からないが、得意と言っている弁護士に投げておけば、自分にとって良い解決をしてくれるはずだとの思いから、やってしまうことだと感じます。それで思うに任せず、あるいはどうなっているのかわからない、今となって「どうしますか?」と言われて困ったと言われるケースとなるのです。これは、依頼する弁護士と時間をかけてよく話をし、どうしたいかではなく、どうすべきか、何を目指すのか、それが自分にとって次善の策、全体に終止符を打つ収め処として受け入れることができるのか、弁護士と一緒に考え、信頼関係を持ってやり通す、絶対にブレないか自問自答した上で、委任されるべきだと言うことであります。
これは得意かどうかではなく、あなたを解決まで導く、一緒にやり遂げる弁護士は、じっくりしっかり見極めなければならないこと、それは電話で強いかどうか『確認』できるものではないし、そもそもあなたの思っている、抱いている『強い』が間違いの元、解決のために最初に払拭すべき事柄なのかもしれません。
電話メールでの相談は、お受けいたしません。私は、これが得意だとは申しません。経験があるとは申します。全てはお会いしてからスタートです。だから初回の相談料は頂戴しておりません。
初回相談で、落とし所を目指す処を押さえ、解決までの道筋をご案内できます。あとはご依頼されるかどうかです。『強い』かどうか、『得意』かどうかは、電話やメールでは分かりかねると思います。きさらぎ法律事務所にお越しになって、お話を聞かせてください。
依存症問題は、その人を非難するだけでは、社会は安寧とはならないと思います。
2016年7月25日
近代刑法は、ある事実が、法律で定めれられた構成要件に該当し、その行為に違法性があり、行為当時、行為者に責任能力がある場合に、犯罪として成立するとしています。
例えば、人を捕まえて押さえつける行為は、暴行もしくは逮捕罪ですが、警察官が、逮捕状に基づいて行う行為は、正当業務行為として違法性がありません。また、他人の自動車に落書きするとか、他人の土地に穴を掘る行為は、器物毀棄罪ですが、乳幼児がやった場合は、責任能力がないとされるでしょう。
世上賑わすのは、責任能力だと思います。 酒を飲んでいてわからないとか、被疑者は、意味不明な言葉を吐いているなどの例でしょう。 刑罰の目的を応報とみても教育とみても、自分の行為が悪いことだとわからない者を非難しても、ある意味暖簾に腕押し、話は噛み合わないでしょう。先の乳幼児の悪戯?について、これを窘めても、当の子どもには、理解してもらえないでしょう。
では、酒を飲んで行為当時本当に自分のやっている行為を理解できていない場合はどうなんでしょう。
例えば、飲酒運転をして重大な事故を起こした人は、その時点では、まさに飲酒の影響で、本当にわかっていない可能性があります。 ところで、危険運転致傷罪が存在するように、責任能力に欠けるから犯罪とならないとは言われませんね。それは、これまた近代刑法の前提、自由意志論と人格責任論があるからです。人間は自由である。自分の意思で決められる。自分の意思で行ったことは、自分で責任を取りなさいと言うことです。先の飲酒運転の例、確かに事故時は自分のやっていることは理解していないかもしれません。
でも、酒を飲んだこと、そして自動車を運転したのは、自分の意思によることです。これが法学部で学んだ刑法総論の『原因において自由な行為』です。飲酒が原因の行為です。それは自分の判断でできたことなのです。 とは言え、本当に非難できるの?と思われる事案があることは否定できません。法律実務家である私は、感情に流されて論評することは許されません。これは、私がどう思うではなく、当時の社会の反応として、注目を浴びたケースがありました。
例えば、ある県で、母親に振り回されて極貧の生活を送っていた少年が、殺して金を取ってこなければお前を殺すと言われて、母親に命じられるまま祖父母を殺害した例、不倫していた妻から、その相手となる上司に強姦されたと打ち明けられてそれを信じ、妻の上司に回復不能の傷害を負わせて復讐?した例などは、被告人に同情が集まりました。でも、これらは、刑法上の責任能力が問題になるケースではありません。単に、それぞれの事情が、量刑にいかに影響するかであります。
先の極貧の家庭で生活した少年は、彼が好んでそのような環境に身を置いたものではありません。また、人間には、持って生まれてた素質、例えば医学の世界では、遺伝的素因もないとは言えないかもしれません。犯罪や非行に手を染めざるを得ないかったと同情されることもあるでしょう。そんな人を非難できるのですか? それでも人格責任輪は言います。確かに人間は、持って生まれた自分ではどうしようもないことはあるのかもしれない。しかし全ての人間が、それで諦める、まして犯罪者になるわけではない。
制約された中であっても、なお人間は、主体的に自らの意思で選択し、考えて生きていくことができるのではないか。それは行った行為そのものへの非難ではなくて、素質環境に左右されながらも、自分でそんな選択をした自由が残されていた。そのときその行為はやはりやってはならないと理解し得たはずだ。そのように人格形成して来たのだと言う内容です。 最近あるタレントが、薬物事犯で現行犯逮捕されたとき、『来てくれてありがとうございます』と述べたことが、議論を呼んでいるようです。
要するに、自分では、薬物に手を染めるのは悪いことだ、止めたいが止められない、捜査機関に摘発されるなどして、外からの強制手段によらなければ、自分ではどうにもならなかったと言うことのようです。 私も若いころ、刑事事件を担当したとき、薬物事件の累犯、すなわち繰り返す人を見てきました。我々は、理屈は言います。この被疑者被告人も、分かっているのです。それでも止められないのはなぜか。病気と言えばそれまでかもしれない。しかし、仮に病気だとしても、責任はないのか。そんなふうになったのは、自分の意思の部分は否定できないだろう。人格形成にどこか問題はなかっただろうかと振り返るのです。 このタレントの発言について、あるコメンテーターが、『来てもらってありがとうなんて軽い言葉。本当に更生したいなら、こんな言葉はでない。
ありがとうなんてふざけるなと感じる』とコメントしたことが、依存症問題に取り組む市民団体から、抗議を受けたと報じられています。抗議の是非はともかく、このコメンテーターの発言こそ軽いと思いました。
依存症の人は、確かにそうなったことは、自分の責任です。しかし、そこから逃れたいと思っているのもまた事実です。でも、自分から言い出せない。相談や治療を受ける環境が見出せない。それを反省していないかに片付けられては、依存症の人は怖いし恥ずかしい、理解してもらうのは無理だと抜け出すことはさらに難しくなっていくのです。 薬物事犯は、本人の人間性を破壊するのみならず、周囲、社会にも害悪となりうるこがよく言われています。
社会に害悪なら、社会が守られるべきなら、社会が対策を考え、責任を取った、取ろうとした人を受け入れなければならないと考えます。 やったことの責任から逃れられないことと、責任を取った、取ろうとした人にどのように向かうのかは、切っても切れない関係と考えます。
単に発生した結果がだけを捉えて非難し、また、同情するだけではその人も、また、社会も一件落着ではないと、大学で初めて刑法総論に接したときから思っていました。『犯罪』に関する報道、特にタレント上がりのコメンテーターと言われる方々の発言には、ストレスを感じます。久しぶりに法学部の学生に戻って、法律実務家を目覚ましたころを思い出した未だ梅雨明けしない夜のひとりごとでした。