博多祇園山笠のご案内です。
2010年7月9日
きさらぎ法律事務所の『よかとこ九州』をご愛読くださり、今月は、弁護士福本悟の『博多祇園山笠』に、お付き合いいただき、誠に有難うございます。
山笠期間も、やがて終盤戦です。今年も、福岡博多は、熱く、のぼせていることでしょう。
前回は、主に、『追い山のコース』に沿って、舁き山の見学場所や、交通・宿泊についてお話ししました。
今回は、『飾り山』を中心に、1つの見学ルートを、『福岡を心から愛する一人の東京人』から、ご案内いたします。
山笠は、7月1日から、7月15日午前4時59分にスタートする『追い山』まで、博多の総鎮守櫛田神社を中心に、開催される伝統行事でした。
従って、その名のとおり、那珂川を境にする『福岡』の側ではなく、『博多』が、祭りの中心ではあります。
ただ、『飾り山』は、福岡側にも出現しますし、天神新天町の『子ども山笠』然り、福岡市内のあちらこちらで、山笠の正装,すなわち、『法被』と『締め込み姿』の男性を、見掛けます。
25年前、『福岡』側で生活し、福岡滞在時には、天神地区のホテルを定宿としている私は、山笠の期間中も、『博多から入って福岡で宿泊』を常態としております。天神での『山笠』は、後にご案内します。
福岡空港又は、博多駅に到着しましたら、地下鉄で、『中洲川端駅』までご乗車ください。
川端口に出ると、博多リバレイン前に、飾り山が見られます。また、リバレイン裏の旧寿通には、大黒流の舁き山が、座しているはずです。
明治通りを渡って、川端通り商店街(正式名は、『上川端商店街』)に入りましょう。
ここは、古き良き『博多』があって、西新商店街と並ぶ、私が好きな福岡の街並です。
商店街は、アーケードで、両側には、山笠にちなんだ店が並び、また、お盆用の品物も多く目にします。
もう1つ、美味しい魚を食べることができる店が、いくつかあることも嬉しいですね。
通りの中には、『川端中央街』と『上川端通』の2つの飾り山があります。
『上川端通』は、追い山の日、唯一、『走る飾り山』として、櫛田入りします。
提供:福岡市
このあたりは、土居流の詰め所もあって、法被姿の山のぼせの姿を、多く見掛けることでしょう。
商店街の終点を出て、すぐ左側から、櫛田神社に入ることができます。入ってすぐ、飾り山が見られます。
櫛田神社にお参りを済ませましたら、山笠グッズの購入もよいですが、『叶うお守り』があれば、ラッキーです。形,デザインもきれいで、毎年買っています。
櫛田神社を出ましたら、昼間の時間帯なら、ぜひ、正門前にある、『博多町家ふるさと館』に入りましょう。
古き良き博多の歴史,博多っ子の『意気込み』を、感じることができると思います。
冷泉町の町並みを通って、ここから地下鉄祇園駅まで5,6分といったところですが、天神地区に宿泊する方は、国体道路に出て、バス移動をお勧めします。
国体道路から、福岡市の中心方面(つまり、JR博多駅とは反対方向)に向うバスは、全て天神を通り、100円で頻発しています。
夜であれば、途中、那珂川を通行する際、左側には、中州の屋台街が見えます。
山笠期間中は、国体道路を挟んで、那珂川に沿った右側(北側)には、露店が出て、お祭りムードを高めてくれます。
提供:福岡市
地下鉄は、『福岡空港』→ (東比恵) →『博多』→『祇園』→『中州川端』→『天神』と結び、空港から天神まで、12分で到着します。
もし、天神地区に宿泊されるのでしたら、チェックアウト後の楽しみとして、飾り山笠めぐりをお勧めします。
先にご案内のとおり、『ソラリア』『新天町』『天神1丁目』の3つの飾り山笠が出現します。
いずれも、地下鉄天神駅から、天神地下街がつながり、雨の日でも、傘なしで廻ることができます。
飾り山の前には、椅子が並んでおり、座って大きな飾り山を眺める趣向もよいでしょう。
『ソラリア』は、ソラリアプラザ1階に出ており、まさしく天神,すなわち、福岡のど真ん中ですから、プラザ内には、趣向をこらしたゲームや販売物があり、家族で楽しめると思います。
『新天町』は、『子ども山笠』も出る、福岡中心部で古くからある商店街で、歴史と元気を感じさせます。露店も出て、縁日のようです。
『天神1丁目』は、山笠参加は新しく、『大丸』のパサージュ広場という若い人向きのにぎやかな場所に姿を現し、新鮮華麗を感じさせます。周囲の店でのテイクアウトも、楽しいと思います。
ちなみに、祇園町バス停から、天神方面行きのバスに乗車して、天神1丁目バス停で下車した右側に、『天神1丁目』の飾り山が見られます。
結局、「あんたはどこで追い山を見るんだ」については、いよいよ次回に発表いたします。
博多祇園山笠に行きましょう。
2010年7月7日
いつもきさらぎ法律事務所をご愛顧くださり、また、『よかとこ九州』をご愛読いただき、誠に有難うございます。
今回も、引続き、弁護士福本悟の山笠談議にお付き合いください。
前回、『追い山』のコースについて、ご案内しました。
7月15日、午前4時59分,太鼓の音とともに、1番山(平成22年は、中州流)が、櫛田神社の清道に入ります。
スタート直後の迫力と、『祝いめでた』を体験するには、櫛田神社の『桟敷席』でしょう。
このチケットは、毎年6月26日ころ販売されますが、徹夜する人もあり、即完売になります。どうしても、『桟敷席』という人には、『桟敷席』ではないけれども、それに近い・・・は、『可能』です。後に申します。
山は、国体道路から、『発祥の地 承天寺』を目指します。途中、これも、『発祥の地 東長寺』に挨拶するため、大博通りに入って、Uターンします。
大博通りは、博多駅から、博多埠頭に向かって、真っ直ぐ伸びる大きな道路です。
山は、旧東町筋(東流,恵比須流地域)から、今度は、大博通りを南下します。
大博通りは、道幅も広く、博多駅,祇園駅,呉服町駅から近く、あまり山笠に慣れていない方には安全で、便利な見物場所でしょう。
ただ、東長寺近くの大博通りは、「同じ場所で、同じ山を二度見れる」ことと、博多駅から、一番近い位置にあるため、たいへん混雑が予想されます。
旧東町筋は、道が狭く、スタートしたばかりで、山にも勢いがあるので、相当な迫力を感じます。勢い水が掛けられますので、水浸しに注意しましょう。
通の間で、一番人気と言われるのは、大博通り奥の堂バス停から、旧西町筋に向かう狭い道のところ、特に、再び北に向きを変える冷泉町の四ッ角付近です。ここは、礼節を重んじる西流の本拠地です。
民家が密集する地域で、しかも、狭い道の両脇に、ぎっしり人が並びますので、このあたりの舁き方が、タイムに影響が出ると言われます。
この後、山は、追い山ならしの終点となる奈良屋町まで、旧西町筋を、北へ直進します。
昭和通りとぶつかるあたりの場所では、後方まで視界が広がり、5分刻みで出発した各流れが、場合によって、かなり接近した様子を知ることがあります。
追い山ならしの廻り止めを過ぎると、西流,土居流,大黒流と、それぞれの『地元』の声援にも押され、山は、いよいよゴールまで1km,最後の力を振り絞って、もう燃え尽きるかのようです。
このあたりも、道幅が狭く、人も多いので、『喧嘩』に巻き込まれないように、注意しましょう。
また、見物する人も、舁き手も、ゴール地点へ向かいますので、西へ西へと、大きな人の移動が見られます。
そして、終点,すなわち、追い山の廻り止めは、須崎問屋街の入口です。『山笠決勝点』の幕を見るために、多くの人が集まります。
昭和通りを挟んだ反対側に、『ホテルオークラ』があります。
ゴールした山が、『博多手一本』で締め、各流れに戻る姿は、なにか達成感,ほっとした気持ちがいたします。
以上が、追い山のコースに沿った私なりの解説です。
ところで、「そう言うあんたはどこで見るんだ」「どんな行程,行動を執るのか」のご質問が出そうですね。
このあたりで、『福岡を心から愛する一人の東京人』として、『福本悟ならばこうする!』という山笠のツアーをご案内します。
『どうしても、櫛田神社の桟敷席で追い山を見たい!』
各県人会に相談しましょう。東京福岡県人会では、先年、限定ツアーが組まれました。
航空会社のパック商品として、桟敷席ではないけれども、櫛田神社の入口に、『特設観覧席』を設けた、特別ツアーが発売されています。ちなみに、今年は、7月に入っても、まだ、空席がありました。
追い山は、早朝に行なわれるため、交通機関や宿泊場所が、気になると思われます。
福岡の方はご存知ですが、7月15日は、西鉄バス,西鉄電車,市営地下鉄,JRと、追い山開始に間に合うよう、特別ダイヤが組まれます。
さすがに、札幌雪祭りと違い、福岡市内のホテルが満室になることはないと思いますが、多少中心部から離れたところに宿泊しても、山笠特別ダイヤがありますから、心配はいりません。
たとえば、貝塚(地下鉄),姪浜(地下鉄),大橋(西鉄)や、久留米・北九州方面からでも大丈夫です。
『追い山見物のため、宿泊するホテルはどこか?』
私は、それらホテルとは、なんらの利害関係はございません。
このことを、最初に述べさせていただきます。
全て、『山笠』の観点から、一つの見方であります(料金,ランク等は、一切無視してのお話しです)。
巷問言われるのは、追い山決勝点の向かい側にある『ホテルオークラ』は、7月14日夜は、予約でいっぱいということです。『窓から山笠のゴールが見れるから』、という理由もあるそうです。
『部屋から見る舁き山』は、想像できません。
確かに、山笠期間中は、雨の日が多いですし、見物人にも構わず、勢い水をかけられますから、『安全』ではあるでしょう。
櫛田神社近くに、昨年オープンした『ドーミーイン博多祇園』は、全室禁煙で新しく、温泉大浴場(夜間も入れる)があり、サラリーマンから、人気の高いホテルです。セキュリティーも万全で、『博多』を意識した朝食もあり、女性でも安心かと思います。
こちらは、櫛田神社を出てすぐ、国体道路に面しておりますが、部屋からの眺望は『?』で、なにしろ周囲は人だかりですから、たどり着くまで、難儀するかもしれません。
同じく、櫛田神社近くの『アールイン』は、1階が、生簀割烹になっていて、鮮魚も楽しめます。また、『キャナルシティ博多』への玄関口に位置します。
屋台が出る冷泉公園の前には、老舗の『冷泉閣ホテル川端』があります。ここから、追い山に合わせて、舁き山が集合する土居通りまで、目と鼻の先です。
いずれも、『寝るだけ』なら、格別問題はないと思います。ただし、このあたりは、追い山前日から、相当の人だかりとなって、動きが取れなくなりますので、『初心者』『よそもん』には、お勧めできません。
むしろ、『追い山』を、『安全』『確実』に見物するには、櫛田神社の周辺から離れた場所が良いのではと思います。
これまで福本悟は、福岡市に遊びに来た方(初心者)に申し上げるのは、博多駅周辺ではなく、天神地区(あるいは、中州周辺)のホテルに宿泊すべきということでした。
市内を走る西鉄バスには、そのほとんどに、『天神』なる表示があることに、気付かれると思います。福岡市の『中心』が、『天神』であることは、事実です。
それはそれとして、博多駅周辺には、屋台がないが、天神には多いことは、決定的な理由でした。
また、地下鉄天神駅から、天神地下街を経由して、『岩田屋』『三越』『大丸』の三大デパートが繋がっておりますので、旅行者には便利です。
ただし、山笠,特に、『追い山』に限っては、博多駅周辺に宿泊することでよいのではと思われます。
それは、山笠自体が、博多地区の行事であり、山は、博多の町を駆け抜けるからでもありますが、先に申しました『安全』『確実』が大きいのです。
博多駅から、真っ直ぐ伸びる大博通りは、福岡一広い道路で、『山』も通ります。つまり、広いがゆえに、人も、山も、通りやすい,動きやすいということです。
そして、前々号で指摘しましたが、山は、縦長で動きます。従って、大博通りを起点にすれば、見物人は、左右,すなわち、横に素早く移動することで、色々な山を見ることが、可能となります。
博多駅から、祇園駅まで、地下鉄1駅100円です。博多駅から歩いて10分も進めば、東長寺前の国体道路で、追い山ルートに、もうぶつかるのです。
人混みが多い櫛田神社周辺(祇園・川端),中洲辺りのホテルに宿泊するより、実は、移動に手間取らないのではとも思われます。
ところで、追い山当日は、『レイトチェックアウト』など、福岡市内のほとんどのホテルが、『山笠パック』を組んでおります。相談されると良いでしょう。
さて、追い山をメインに、舁き山の話ばかりとなりましたが、山笠には、『飾り山』があります。
この豪華絢爛の『飾り山』を見るには、どうしましょうか。
『飾り山』は、市内14ヶ所にあり、それぞれ独自の姿を表し、全部見たいのは山々です。
しかし、『初めて福岡に来た』あるいは、『時間がない』場合はどうするか、私見を申します。
天神地区にある飾り山笠3つ(渡辺通1丁目,サンセルコ前も含めれば4つ)を、ぜひご覧ください。特に、天神地区に宿泊の方に、お勧めします。
『ソラリア』は、ソラリアプラザ内(『ソラリア西鉄ホテル』のある建物)にあって、プラザ内では、ゲーム等、色々な趣向が凝らされて、家族で楽しめます。
『新天町』は、天神地区の新天町商店街の真ん中にあって、露店もあり、さながら縁日のようです。
また、新天町は、福岡地区で唯一,『子ども山笠』が動く町(流れ?)でもあります。
『天神1丁目』は、最近参加された大丸博多店前にある山笠で、これまた周辺の店を散策しながら、祭の雰囲気が楽しめます。
『渡辺通1丁目』は、ホテルニューオータニ隣のサンセルコの前に出ているもので、ここに来たならば、ぜひ、すぐ近くの柳橋連合市場を訪ねてください。
白身はなんでもありますが、今の時期、ぜひ、地物の『うに』,特に、唐津の『赤うに』を食べてください。
今の時期しかないものとして、『あげまき』『まじゃく』『あぶってかも』等々、市場の大将にお聞きください。
よかとこ九州『あら,大目にあぶってかも』『九州の魚貝の衣替え?』『これも鯛?あれも鯛?皆よかたい』『山笠まで、我慢できずに…』も、参考までに、ご覧ください。
さて、それでは、この時期、福岡入りする福本悟はどうするか、これは、次号以下で、『告白』します。
やはり博多祇園山笠です。
2010年7月5日
きさらぎ法律事務所 弁護士福本悟の山笠談議にお付き合いくださって、誠に有難うございます。
7月に入りました。気持ちは、福岡に飛んでいます。
前回のご案内で、『山笠は、のぼせんもんが多い、博多の男の祭』ということと、『階級制度』について、少し言及しました。
確かに、『舁き手』と言われる山を担いで走る男性の締め込み姿(『ふんどし』ではありません!)をみると、男の祭であると納得できます。
また、小さな子どもが、重さ1トンもする舁き山を担ぐことは難しいでしょう。
『博多もんは、山笠で育つ』という言葉を耳にします。
流れに属する博多の家に、男子が生まれると、赤ん坊用の法被を着せ、流れの先達から、お祝いを受けるそうです。
これは、以前ご紹介した女児の誕生を祝う,柳川の『さげもん』と似ているように思います(『社員旅行in長崎・福岡』,『3月,九州のおまつりは、色鮮やかです』)。
博多の子どもは、山笠期間中は、学校給食にもきゅうりが出ないように、徹底して『山のぼせ』になるように学んでいくのです。
山が動くとき、『先走り』と言って、板を持った子どもたちが、山笠の先陣を駆け抜けてきます。
少し大きくなると、山の後押しをし、やがて、『白手拭(しろてのごい)』と言われる手拭の交付を受けて、山を担ぐようになるのです。
山笠をやり遂げるには、流れの中で、役割と分担が必要で、これを表すものが、『手拭(てのごい)』と呼ばれる仕組みです。
手拭とは、『てぬぐい』が、博多流で『てのごい』と発言されるようになったものです。
山笠に参加できる年齢になると、渡されるものが、『白手拭』です。
『参加資格』と言ってよいかもしれません。
『赤手拭(あかてのごい)』に進級すると、一人前と認められたことになるそうです。
手拭は、流れのトップ『総務』に行きつくまで、いくつかの階級があり、また、前年の山笠が終わった後の1年間に他界した流れの先達に対し、報恩感謝の念を持って、当家を訪問するなど、年齢階梯制が、徹底されています。
山笠に上がる人は、『台上がり』と呼ばれ、山笠実働部隊の実質的リーダーです。
山が動くとき、台上がりの手拭の色・模様を見てください。
山を舁くとき、締め込みに加えて、明治31年(1898年)以降、法被と呼ばれる白地に流れをデザインした絣を装着します。
また、平時は、長法被姿の男たちが、博多の町を散見されるでしょう。
前回お話ししたように、仕事場にも、結婚式にも、この姿で出向くことが認められています。
こうして、博多の男性は、山笠とともに成長し、認められていくのです。
東流,西流,千代流,中洲流,恵比須流,大黒流,土居流れの7流です。
これに『動く飾り山笠』として、上川端通という飾り山が、追い山の日、特別に、櫛田神社入りをします。
流れそれぞれに、独特の文化・伝統といったものがあると思います。
もっとも、追い山を見た者の印象から語られることもあります。
たとえば、『恵比須流れは、少人数で、よくまとまっている』,『大黒流は、早くて勇ましい』,『千代流れは、大人数で盛大』などの印象を、私は抱いています。
この流れによる舁き山が、7月15日午前4時59分に、櫛田神社を出発し、『廻り止め』、すなわち、終点に到着するまでのルートは、博多祇園山笠公式ホームページで、ご覧いただければと思います。
福岡市は、北側が海で、『福岡』と『博多』を隔てる那珂川は、南から北へ流れて、博多湾に注ぎます。従って、櫛田神社から北へ向かうのは、『下り』を意味します。
櫛田神社の近い方が、上川端,海に近い方が下川端で、東流,恵比須流地域も、南から北へ向かって、『上呉服町』,『中呉服町』,『下呉服町』の順です。
さて、このコース、縦長で、南北へ行ったり来たりしているように見えます。
古い博多の町並を、余すことなく山が通過するという理由でしょうか。
これは、実際『追い山』を見物して、舁き手がどこから、どうやって現れるか気付けば、本質的な事情がわかるはずです。
次号で、福本悟流のみどころ,感想などを記載いたします。
博多祇園山笠のお話です。
2010年7月4日
きさらぎ法律事務所の『よかとこ九州』をご覧くださり、有難うございます。
7月になりました。 もう気持ちは、福岡です。山笠です。
前回に引続き、『福岡を心から愛する一人の東京人』から、山笠について、しゃべらせていただきます。
7月1日、『飾り山』が公開されます。
山笠は、博多の行事ですが、飾り山は、天神地区に3つ,ホテルニューオータニ前や、ヤフードーム前にも出現します(『福岡』と『博多』の話は、『歴史のたられば 九州編1』をご覧下さい)。
それと、7月1日夕方、流れの当番町による『お汐井取り』が行なわれます。
これは、箱崎浜まででかけ、この神水(砂)で、流れの山を清め、山笠がスターとします。
山が動くのは、7月10日以降です。もっとも、この間も、子供山笠の流舁,すなわち、各流れに属する将来の山の担い手たちが、伝統行事を引継ぐ意味も込めて、各町内を廻ることがあります。子供山笠には、少女も参加できるそうです。
7月10日から12日までは、町内を回る流舁,あるいは他流舁,すなわち、他の町内への表敬訪問の行事が行なわれ、気持ちを高めていきます。
7月12日は、『追い山馴し』です。
これは、『追い山』のリハーサルで、午後3時59分に、櫛田神社を、1番山が出発し、追い山より約1km短縮したコースを走ります。
7月13日は、『集団山みせ』です。
『山』が、博多から、唯一『福岡』に入る行事で、福岡市役所まで、市内中心の明治通り(昔の貫線)を走り抜けます。
この日だけは、舁き山に、福岡の名士が、台上がりできることになっています。
ちなみに、今年は、天神に入った山は、Uターンして、川端の博多リバレインまで戻る計画が発表されています。従って、『往復』の楽しみがあるわけです。
7月15日午前4時59分、櫛田神社に鳴り響く太鼓ととともに、今年も1番山が櫛田入りし、いよいよクライマックス『追い山』が行なわれます。
博多祇園山笠のクライマックスは、『追い山』です。
東京に戻ってからも、何回も、見物に行きました。この話を聞いた東京の人間が、「全く理解できない」と言いました。
つまり、バカだというのです。
その理由は、
- なんで 朝4時59分から始まるのか
- なんで あんな重いもの(1トンはある)を担ぐのか
- なんで あんなものを担いで走るのか(5kはある)
- なんで そうまでして見物したいのか
『59分』に、7つの流れの中の1番山がスタートするのは、櫛田神社の清道旗を廻ったところで山を止め、『祝いめでた』を唄うことが許されているからです。
そして、『追い越し禁止』のルールから、各流れは、以後5分ごとに出発します。全コースを30分少々で走り抜けます。
なぜ、『午前5時』なのか、もともと山笠は、旧暦では、満月の夜明けに最高潮を迎えるものとして運用されていたところ、これが新暦になって、太陽が、東の空を明るくする時間が、この刻なのだということのようです。
山笠が『重い』こと,『走る』ことは、山笠の起源・変遷で、お話しました。
山笠には、『しきたり』というか、『こだわり』があります。
『山笠期間中は、きゅうりを食べない』
これは、きゅうりの切り口が、櫛田神社の祇園宮の神紋と似ているからと言われます。博多小学校の給食にも、出されない徹底ぶりです。
『山笠期間中は、夫婦は居室を共にしない』
これは、山笠は、女人禁制の男の行事だからというものですが、実態(?)は、調べようがないですね。
ちなみに、『直会(なおらい)』,すなわち、各流れの詰め所には、女性は入れないしきたりになっていて、かつては『不浄の者立入るべからず』と書かれた札が立てられておりました。私も、これは現認しました。
『不浄の者』とは、女性を指すとして、これは各方向から反対を受け、数年前より、撤廃されたと聞いておりますが。
『山笠の正装である『法被』『てのごい』は、譲渡禁止で、質入れも、オークションにかけることもできない』
反対に、法被は、背広と同等の正装ですから、山笠期間中は、法被を羽織って出勤する姿は、よく見掛けますし、結婚式にも、着用することが許されるそうです。
これは、歴史と伝統,そして、山笠が、階級社会であることを示すものです。
この話は、次号にいたします。
『山を担ぐ』,『山を舁く』とき、『ワッショイ』ではなく、『オイサ』と声を出す』
これは、先にご説明した『お汐井取り』に出掛けるとき、『オッシォイ、オッショイ』と、皆で元気よく声を掛け合い、この『オッショイ』が、重い山を担いで走るとき、苦しくなって、次第に、『オイッサ,ホイッサ』に変わって、今では『オイサ』と短くなったということのようです。
福岡をホームタウンとするJリーグチーム『アビスパ福岡』のサポーターも、『オイサ』と声掛けして、選手に勢いをつけています。
それから、福岡で司法修習時代、警察署で聞いた話があります。
それは、『山笠期間中は、犯罪が減り、暴力団も、抗争は、ご法度』だというのです。
真偽は不明ですし、常にそうありたいものです。ただ、山笠で、『それどころではない』,皆博多の人は、山のぼせなのだということなのでしょう。
どうですか?少しは、気持ちが高まってまいりましたでしょうか。のぼせてきましたか。
次号では、『追い山』の見どころや、『山』のルールなどについて、お話ししたいと思います。
7月,博多祇園山笠です。
2010年7月3日
『札幌転勤者は3度泣く』と言われます。
初めて北海道に転勤が決まったとき、最初の冬を迎えるとき、そして、遂に札幌を離れるときだそうです。
福岡に転勤した者はどうでしょう。
魚を筆頭に、美味しい食べ物,熱か人情,交通の利便等々、常に、『実際に単身赴任して良かった都市№1』の地位を、揺るぎないものとしています。
それでは逆に、福岡から、他の都市に出た者が、「『ふるさと』を感じるときは何か?」と問われるとき、しばしば語られるのは、「山笠あるけん 博多たい」「のぼせもんが多か博多でん、いっちゃん熱かなるんは、ヤマが動くときたい」なのだそうです。
もう『7月』と聞くと、心は福岡に飛び、落ち着かないとお聞きします。
たった1年少々、福岡で暮らした私でさえ、そうなのですから。
福岡・博多に縁ある者は、やはり、山笠を外すことはできません。
今回は、『福岡を心から愛する一人の東京人』から、山笠について、お話しさせていただきます。
『博多祇園山笠』は、7月1日から7月15日朝まで、博多の総鎮守櫛田神社を中心に開催される770年続く伝統行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されるお祭りと言えます。
ただし、福岡市や、櫛田神社が主催しているのではなく、博多っ子が、『勝手にやっている』と表現しても良いと思います。
今回は、山笠の起源,歴史,変遷についてご説明し、次回以降に、内容,見どころなどについて、語らせていただきます。
仁治2年(1241年)、博多で、疾病が流行った際、承天寺(大博通りを挟んで、櫛田神社の反対側に位置する)の聖一国師が、民に担がれた木製の施餓鬼棚(せがきだな)に乗って、疾病封じの祈祷水を撒いて、清めたのが起源とされ、災厄除去の祈祷信仰と結び付いて、櫛田神社に対して、奉納される神事として、めんめんと続いて来たというのが定説です。
博多の町は、大陸の交易で栄えた商人の町でしたが、群雄割拠の戦国時代、焼け野原となったところ、豊臣秀吉により、町の復興がなり、この『太閤町割り』によって、現在の『流れ』の礎ができたと言われています。
その後、江戸時代には、京都の祇園祭さながらに、各町ごとに、いわゆる流れごとに、きれいに飾った『山』と言われる人形や、絵巻を載せた木製物を引いて、博多の町を歩くならわしが続きました。
そして、貞享4年(1687年)に、東長寺(日本最大の木造坐像である『福岡大仏』で有名です)で 休憩中の土居流れを揶揄した恵比須流れを、土居流れが追い掛け、両流れが、抜きつ抜かれつのデッドヒートを続けたことから、山を担いで走る,いわゆる『追い山』が始まったとされています。
ちなみに、土居流れと恵比須流れの『かけっこ』には、伏線があるのです。
それは、事件の先年、土居流れの女子が、恵比須流れの男子に嫁いだところ、他の流れに『取れらた』と地団駄踏んだ土居流れの若者が、これの花婿を連れて、花嫁が里帰りした折、恵比須流れの花婿をからかったこと、これに怒った恵比須流れの若者が、土居流れ若者を追い掛 て、一触即発になったというのです。
血の気の早い博多っ子のエピソードですね。
『山』は、山車や、神輿のように、御霊が宿る神聖な場所であり、誰もが担ぎ、登ることなど、許されておりません。この話は、後ほどいたします。
現在の『飾り山笠』として見られる高さ10メートル以上もの『山』になったのは、これも江戸時代で、多くの幟を立て、人形を飾ったものから、武士の動きを表す立体的な人形が登場し、絢爛豪華を競うものでもありました。
ところが、明治31年(1898年)、山笠は、中止の危機を迎えます。
それは、当時市内に路面電車が開通し、その架線を、山笠が切断する事故を起こしたことが契機でした。
しかし、山笠を無くすことなど、博多っ子が容認するわけがないのです。
ここで、『飾り山』と『舁き山』の分化が起こります。
豪華絢爛に飾る山と、『舁き手』と言われる男性が担いで走る山が、これです。
7月1日から、7月15日午前0時まで、福岡市内の十数ヶ所に、『飾り山』が登場します。
そして、『舁き山』,つまり、山が動くのは、期間中後半の7月10日以降で、クライマックスは、7月15日早朝の『追い山』で、フィナーレを迎えるのです。
提供:福岡市
山笠の魅力は何でしょう。何でこうも、熱くなるのでしょう。
「よそもんが、何を言うか」と思われるでしょうが、「私もこうして山笠にはまりました」という事実がわかるよう、次号に話を続けます。