2016年アビスパ福岡新体制発表の報道を受けて。

2016年1月18日
全国高校サッカー選手権大会は、福岡県代表の東福岡高校が、17年ぶりに優勝しました。


部員数200名を超え、高校サッカーでは、最強リーグと言われるプレミアリーグに所属し、かの日本代表長友佑都選手をして『3軍』だったこのチームをしても、全国で優勝するのは至難の技と言うことです。最近は、少年時代より有望とされる選手は、Jリーグの下部組織等のいわゆるクラブチームに入る例ですから、高体連でプレミアリーグとは、相当な実力です。

いっぽうで、スポーツ選手の多くは、大学に進学する流れがあります。野球やサッカー等トップリーグがプロ化し、そのアカデミーが構築されているスポーツであっても、大卒の新人が増える感じはします。


陸上競技やラグビーなどは、高校→大学→実業団が一つのルートになっている感じがいたします。


私は、なんでも大学の風潮を、好むものではありませんが、スポーツ選手は、永遠にスポーツだけしていれば、仕事収入を得られるものではありませんから、いろいろな組織場所に身をおいて、学び経験することは、人生で無駄ではないと考えます。


日本のプロスポーツの指導者も、高校時代から注目されていて、すぐにプロの世界に飛び込むかと言われながら進学した方は、結構おられます。プロ野球で、『伝統あるチーム』と言われている読売巨人軍、阪神タイガースの監督さんもそうですし、友人であり、ライバルとされるサッカーJリーグで、今年揃ってJ1で戦うことになった名波浩氏と井原正巳氏もそうです。

特にサッカー元日本代表の主将で、その卓越したディフェンス力をして、かつて『アジアの壁』と賞賛された現アビスパ福岡井原正巳監督は、同期には、中山雅史氏もいた大学生のときに、フォワードからディフェンダーになって、一挙に才能が開花したとお聞きします。


いろいろな団体に所属して、多くの人と会うことで、人間は影響を受け、開花することがあるのだと思います。

聞くところによると、先の東福岡高校、選手権大会であれだけ躍動しましたが、そのままプロ入りする選手はおられないようです。


そう言えば長友佑都選手も、大学で力を存分に見せつけてからのJリーグ入団でした。今年アビスパ福岡には、東福岡高校から大学に進学してから新規加入した選手がおります。活躍を期待したいです。

そのアビスパ福岡、2016年の新体制が発表されました。新しい選手が8人加わり、そのうち6人が、井原正巳監督とともに会見に臨んだとのことです。


ゴールキーパー2名、ディフェンダー4名の構成は、『アジアの壁』井原正巳氏に相応しいですね。井原監督は、先ずはJ1残留が目標ではなく、最低ラインがそこだと述べられました。福岡には、福岡大学と言うこれまたサッカーに力を入れている大学があります。


ところが日本でいちばんサッカー熱に乏しい都市は福岡市だとの統計が、いろいろなところから発表されています。福岡は野球が盛ん、若い女性人口が多い、転勤族が多く定着しない、他に楽しいことがありすぎる等等言われています。実際サッカー日本代表の試合のテレビ視聴率が、相対的にいつも低いことは知られております。


これを書いている日も、サッカーオリンピック代表アジア最終予選が、夜テレビ中継されますが、さて視聴率はどうでしょうか。

サッカー強豪校と言われる高校、そして大学が市内にありながら、彼らは進学や他所に出て行ってしまい、元々サッカー熱がさほど強くない都市福岡に、昨年井原正巳氏が単身赴任したことから、何か新しい地殻変動が起きるのではないかの期待感があります。


高校、大学それぞれで、さまざまな経験をした若者が、また故郷に帰って来ることを期待します。それは、ふるさとを持たない私が、羨ましくもいつも思うことであります。

アビスパ福岡前代表取締役社長野見山氏の退社報道に寄せて。

2015年12月24日

プロ野球は、日本シリーズが終わり、サッカーJリーグは、チャンピオンシップとJ1昇格プレーオフ、J2J3入れ替え戦が終わるとストーブリーグです。ただ、毎年のことですが、契約更改をしない選手、すなわち、そのチームを去らなければならない選手が出る辛い季節でもあります。

 

でも、選手だけではありません。監督コーチの契約終了は、プロである以上、現場の責任者として避けられないことでありましょう。 今日は、悲しいと言うか、ありがとうとしか言えない報道に接しました。

 

アビスパ福岡取締役で、平成26年1月代表取締役に就任し、今年3月アパマングループのシステムソフトさんが出資されて、その経営を委ねた後も、取締役としてアビスパのため努力され続けた野見山篤氏が、アビスパ福岡株式会社の取締役を、12月15日付けで退任されたのです。アビスパ福岡サポーターからは、『号泣!』『感謝しかない』『涙が止まらない』等、整理がつかない惜別の弁が続出しております。 野見山篤氏は、福岡県飯塚市出身の59歳、飯塚高校から早稲田大学に進み、サッカー部に所属、卒業後は住友金属株式会社に入社、後の鹿島アントラーズの礎を築かれました。

 

Jリーグ創成期の立役者で、ジーコ氏を日本に連れてきたのも野見山氏と言われます。その後日本サッカー協会でも強化委員や技術部副委員長等を歴任し、また、鹿島アントラーズの育成部長に戻るなどした後、2013年末に、選手に対する給与遅配が起こり、経営難が表面化したアビスパ福岡の再建のために、郷里の福岡県に戻られる英断をされ、見事にこれを再建、そして、アパマングループの資本参加を得て、川森社長にバトンタッチされたのです。

 

この方がおられなかったら、アビスパ福岡は倒産したか、少なくとも連続した債務超過により、ライセンス剥奪は避けられなかったのでした。 でも、私を含めたアビスパ福岡のサポーターは皆知っています。野見山さんは、単に経営手腕に優れているだけではないのです。いつも、どんな天候でも、アビスパが勝っても負けても、スタジアム前に立たれ、ひとりひとりに頭を下げて、観戦のお礼を述べられます。

 

また、アウェイゲームにもいらっしゃって、一緒に観戦してくださっていました。特に私は、東京福岡県人会の総会の会場で、外に小さな机を置いて、会員ひとりひとりにアビスパ福岡を知っていただくべく、入り口でお辞儀をする姿が忘れられません。今となっては、野見山さんとお話しできたこと、名刺交換できたことが、私の財産となっています。

 

『火中の栗を拾う』と言う言葉は、この方のためにあるように思いました。でも、拾った栗は、素晴らしい輝きを見せました。アパマングループを招聘したことも、井原正巳監督を招いたことも、中村北斗選手を呼び戻すことができたのも、野見山氏あればこそでした。

 

どんなに感謝しても感謝しきれない恩人です。そして、J1昇格を果たしたこのとき、静かに退社されるなんて、カッコ良すぎですね。ご自分がなすべきことは全てやり遂げた思いなのでしょう。

野見山篤前代表取締役社長、本当にありがとうございました。

そしてお疲れ様でした。

 

野見山氏の残した財産、私たちは決して忘れません。

 

そしてこのような方こそ、会社の代表に相応しい。代表者たるもの、自ら率先して事に当たる、会社とは、これに関係する全ての人に、「ありがとう!」の気持ちで臨まなければならないことを教えていただきました。

 

 

サッカー、また、スポーツ界だけでなく、野見山篤氏を必要とする組織は必ず存在します。アビスパ福岡を助けていただけたように、苦難に陥った組織や人々を、どうか助けてあげてください。アビスパ福岡のサポーターとしてのお願いです。繰り返します。野見山篤氏に対しては、感謝しかありません。

 

明太子が福岡博多の最高傑作と言われるのはなぜでしょう?

2015年12月22日

 
ピリッと辛くてコクのある、暖かいご飯にピッタリの『明太子』、福岡博多土産の定番から、今や全国区の味となりました。

 

昔は、『からしめんたい』と呼ばれていた記憶があり、かなり唐辛子がきつかった印象でした。明太子は、日本の新しい『食』となった感がありますが、なぜ福岡博多が明太子の発祥の地となったのかご存知ですか?

 

福岡は、本当に魚が美味しい街です。玄界灘、有明海、周防灘と三方が海であり、中央区天神から徒歩圏内に博多湾があります。長浜市場は、九州そして全国また、世界中からの魚が水揚げされます。そんな福岡市にわずか1年住んだだけで完全にはまってしまい、福岡をあちらこちらで宣伝している私は、最近まで、福岡博多と言えば『明太子』がほぼ真っ先に出てくることには、違和感があったのです。

なぜなら、明太子の原料となるスケトウダラは、福岡県近海では獲れず、北海道近海の物が最高とされ、ロシアやアラスカあたりの物も入ってきているからです。つまり、福岡は、あんなに魚が豊富で美味いのに、なんでわざわざ遠くまで獲りに行き、地元ではない魚を使った食品を作るのかであります。 これは、福岡市博多区中州が創業の地で、ここに本店を構える株式会社ふくやさんの歴史、すなわち、『ふくやと博多と明太子』を知ると、その感動とともに、「やはり福岡博多のものだ」と納得できるのです。

以前少しこの『ひとりごと』でも触れたことがあったかもしれませんが、『アビスパ福岡J1昇格』が決まったこの機会にお話しさせてください。 福岡博多に明太子が登場したのは昭和24年1月10日です。現在は、1月10日が『明太子の日』とされています。昭和24年1月10日、ふくやの創業者川原俊夫氏が、中州の小さな店舗に、明太子を並べたのでした。川原氏は、戦前朝鮮半島釜山に住んでいて、戦後この地に引き上げてきました。このころの中州は、博多出身者以外を受け容れるおおらかさがあったのだそうです。川原氏は、この地で生活のためいろいろな食品を販売したそうですが、なかなかうまくいきません。

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それで川原氏、釜山に居たころに食べていた韓国風に味付けされたたらこの味が忘れられず、あの美味しいたらこを博多の人に食べてもらおう!と考え、原料を手配して昭和24年1月10日、店舗に『明太子』を並べたのです。 『明太子』とは、『明太』すなわち、朝鮮語では『ミョンテ』と言われるスケトウダラの子を意味するそうです。キムチで知られるとおり朝鮮半島韓国では、唐辛子を使う料理が有名ですね。川原氏、釜山ではスケトウダラに唐辛子等を混ぜたこの食品を食べていて、これは博多の人にもぜひ味わって欲しいとの願いから、販売開始から味の追求を続け、何度も作り直し、納得のいく味にたどり着くまで10年、博多の街に『明太子』が広まったのでした。 つまり明太子は、朝鮮半島韓国釜山を源流とし、川原氏が博多の人に、そして日本の食卓に馴染んでもらいたくて製造したまさに『博多の味』なのです。

 

明太子が広まるに従い、川原氏のもとに明太子の作り方を教えて欲しいとの申し出が多くあり、川原氏は丁寧に教えてあげたのです。また、周囲からは、製法特許を取ることを勧められたときも、川原氏は、「特許なんていらん。いろいろな明太子があったほうがお客さんに喜ばれる」と言って、明太子の普及に務めたと言われます。川原氏の根底には、自分を受け入れてくれた福岡博多に恩返ししたい、博多の人に明太子で喜んでもらいたいの思いがあったのです。

 

ふくやは、『元祖』を名乗らないことで有名ですね。ふくやの明太子が『味の明太子』と称するのは、ふくやを育んでくれた博多に、ずっと選んでもらえる『いつもの味』であるため、『味の明太子』と言われるのだそうです。博多なくしてふくやなしの思いなのでしょう。 そんな川原俊夫氏の思いが面々と受け継がれた明太子を通して博多に貢献すること、ふくやさんは、様々な活動をされています。そのふくやさんの思いが繋がったのが、2015年アビスパ福岡J1昇格でしょう。

 

数年前、アビスパ福岡が債務超過でJリーグのライセンサ剥奪の危機に至ったとき、ふくやさんは、アビスパ福岡を救うため、博多の街からプロサッカーの灯りを絶やさぬため、販売した明太子の代金を、全額アビスパ福岡に寄付されました。

 

これには全国のサッカーファンが感動し、アビスパ福岡は生き返ることができました。

 

そして2015年12月6日、『大阪冬の長居の歓喜』の後、ふくやさんは、『祝アビスパ福岡J1昇格、おめでとかんかん』となる明太子ツナを特別に販売されています。 こうしてみると、『明太子』は、福岡博多の歴史、発展とともに人々に溶け込み、この地に息づいた食品であり、文化だと思います。

 

なにも博多湾そして玄界灘の鮮魚だけが福岡の魚ではないと言うことです。アビスパ福岡のJ1昇格を受けて、ふくやさんからのメッセージがありました。「ふくやがあるのも博多のおかげ。

 

博多のために尽くしたい。」「これからも歩み続けます。博多の味、博多の人とともに」。

 

これぞ福岡博多の味です。泣けますね。なお、ふくやさんは、福岡空港には出店されていません。ANAFESTの土産物店にて、全日空商事のパッケージに入った『ふくや』マークの小型明太子はありますが。ふくやは、福岡県内には30店舗以上あります。都内にも2店舗あります。元祖を名乗らない福岡博多の味の明太子、どうぞお召しあがりください。

 

「隣の人のために、そして周りの人のために…。」アビスパ福岡城後寿選手の言葉から。

2015年12月16日

2015年12月6日、大阪長居の夜の歓喜は、忘れることはないでしょう。

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アビスパ福岡井原正巳監督は、かつてサッカー日本代表のDFとして、国際Aマッチ出場回数は歴代2位、W杯アメリカ大会へのアジア最終予選での『ドーハーの悲劇』、4年後日本代表主将として臨んだW杯フランス代表へのアジア最後の切符をかけた『ジョホールバルの歓喜』を経験した方です。

 

その井原正巳監督が、『長居の歓喜』が訪れたその瞬間、微かに涙を見せました。

 

寡黙で真面目な井原正巳監督、これまでの思いが込み上げて来たのでしょう。 サッカーJリーグJ1昇格プレーオフには様々な意見がありました。特にアビスパ福岡が初出場となった今年は、勝ち点差や会場の件では、Jリーグへの批判的意見が多く、その分アビスパ福岡を応援する方々がいらしたことは事実だと思います。

 

上位チームのアドバンテージと言われる同点の場合は、年間上位チームを進出と認めると言う規定も、上位チームには戦い方を難しくして、これまで過去3回、決勝戦では全て下位チームが勝利する結果となっておりました。

 

ところが、アビスパ福岡は、このジンクス?も打破しました。アビスパ福岡対セレッソ大阪の対戦は、1対1の同点でした。アビスパは、試合に勝ったわけではありません。 いつもとおりやれば良い、謙虚に戦うことを信念とする井原正巳監督のもと、城後寿主将は、ホーム最終戦の後こう言いました。「自分を信じ、仲間を信じ、これまでやってきた、関わった全てを信じ奇跡を起こす」と……。奇跡は起きたのです。彼らは起こしたのです。

 

結果的に、Jリーグがプレーオフを行うにあたり決めたルールにより、同点で昇格できました。これは2015年の公式戦を謙虚に戦ったご褒美のような気がします。勝ち点差15は伊達じゃなかったと言うことです。井原正巳監督以下アビスパ福岡の関係者は、決勝戦は『中立地』で行うとのJリーグの規定を云々することなく、規定とおり、自分たちのいつもとおりに試合をしたわけです。アドバンテージまで味方にした素晴らしい1年の締めくくりでした。

 

井原正巳氏とは、ワールドカップフランス大会をともにしたジュビロ磐田の名波浩監督は、プレーオフ決勝戦の後、こんな秘話を明かしました。ジュビロ磐田とアビスパ福岡は、リーグ戦最後まで競い合ったライバルでありました。

 

最終戦でともに勝利し、同じ勝ち点ながら、得失点差によりジュビロ磐田がJ2の年間2位となって自動昇格を決めて、磐田に帰ったころ、誰よりも早く井原正巳氏から「おめでとう」の電話が入ったのだそうです。名波浩監督は、「あの状態で電話される器の大きさに感動した」と言いました。その井原正巳監督、アビスパ福岡が昇格を決めた長居での後半42分に起きた同点ゴールについて、「チームの力、サポーターの力が乗り移った」と評しました。

 

中村北斗選手の同点ゴール、私の目の前に飛び込んできました。試合後評論家?からは、10回に1回(あるいは100回に1回と言ったか?)あるかないかのゴールだと論評していました。 試合後嬉しかったのは、アビスパ福岡のサポーター席から、「セレッソ大阪!」コールがなされたことです。相手チームが居たからこそ、このような歓喜の瞬間に身を置くことができました。もちろん、この結果は、相手チームサポーターは、直ぐに受け入れることはできないと思います。

 

ただ、項垂れて挨拶に来た選手たちに向けて、心無い横断幕が示されたことは、『チームアビスパ』とは対照的でした。あんなもの、試合前から準備していたことに驚きました。途中交代したもと日本代表で、ワールドカップでも得点したセレッソの選手が、仲間たちがいるベンチに戻らず、コーナーブラック近くに座って、スパイクをいじっている姿も??でした。 少し落ち着いたころ、城後寿主将は、インタビューでこんなことを言っていました。

 

「隣の人のために、そして周りの人のために、それがチームのために繋がった」。

 

ひとりひとりがみんなのために、自分ができることを謙虚に行うことの大切さだと思いました。人がついてくるには、まず自分に謙虚で自分を信じること、そして仲間たちと一体となって事を成す、これは2015年井原アビスパから学んだ大きな本当に大きな感動と財産でした。 この年になって、涙が止まらない経験をするとは思いもよらないことでした。

 

城後主将は、続けて、「福岡の街をもっと知ってもらいたい」と述べたそうです。彼は、福岡県でサッカーをすることに意味があるといつも言っていました。福岡県出身アビスパ福岡一筋『ミスターアビスパ』城後寿選手の言葉を受けて、私もあちらこちらで、さらに福岡の話をしていくことになるでしょう。

 

そんな思いで帰京しましたら、知り合いから早速お祝い?のメッセージが入りました。曰く、「テレビに映っていましたよ!笑」

 

アビスパ福岡奇跡の物語は完成しました!

2015年12月15日

2015年12月6日、私は、きさらぎ法律事務所が法人後援会に登録されいるサッカーJリーグディビジョン2に属するアビスパ福岡のJ1昇格をかけた一戦を応援するため、大阪市にあるヤンマースタジアム長居に向かいました。

 

先にご説明したとおり、J1昇格プレーオフと言うルールがあるので、今年J2では2位と同じ勝ち点を納めながら3位となったアビスパ福岡は、昇格プレーオフに出場することになりました。

 

4位との勝ち点差15で、プレーオフ決勝戦の会場が、公式戦年間4位でプレーオフ決勝戦に出場することになったセレッソ大阪のホームグランドヤンマースタジアム長居で行われることから、サッカーファンからは『同情票?』をもらい、また、最後までJ2の公式戦を闘い、先にJ1への自動昇格を決めた大宮アルディージャ、ジュビロ磐田や、ともにプレーオフを闘った愛媛と長崎からは、特にエールを受けての最終節に向かったものでした。

 

まず、決戦の地大阪には、福岡県に本社を置くスターフライヤーの航空機で、関西空港に入りました。機内のビデオでみるNHKニュースでは、バックに福岡市はもとより、筑後、筑豊、宗像等の県内の天気予報がアップされていて、福岡に思いを馳せました。私と同じように、アビスパ福岡のチームカラーであるブルーを身に纏ったサポーターが、羽田から関空に向う機内に何人もおりました。
大阪市内に入ってからは、『九州勝つ!』の縁起を担いで串カツとビールで気持ちを高め、開門時刻のとなる試合開始時刻の2時間半前に、ヤンマースタジアム長居に着けました。福岡からだけではなく、全国各地からのアビスパ福岡サポーターが集まっております。

 

怪我でもされたのか、足を引き摺って行列に並ぶ人、大きな旅行鞄を持つ人、スーツ姿の人、他チームのレプリカを着用して、その上にあえてブルーの服を引っ掛けている人等等、チームサポーター、そしてアビスパ福岡を応援する全ての人がひとつに纏まって、もう試合開始前から感動しっぱなしでした。

ヤンマースタジアム長居では、アビスパ福岡サポーターは、アウェイとなります。早くからコアサポさんがいろいろ準備し、また、選手に気持ちを届ける応援の一体化等を説明し、ときは流れました。そして、アビスパ福岡川森社長がいらして、大阪まで来たサポーターに対してお礼を言われ、ともに闘うメッセージを発せられました。

 

なお、この人が来るとアビスパは負けない!と言うジンクスがある芸人さんには、地下鉄長居駅で会い、『お願い』してきました。マスコットアビーくんも、福岡から?来て、ハイタッチしてくれました。チャントと言われる応援の歌を繰り返し歌い続けました。後で聞いたところ、この日のヤンマースタジアム長居の観客は約2万9000人で、そのうち3分の1が福岡の応援だったようです。
さて、午後3時35分にキックオフとなった試合のほうは、前半は0対0でハーフタイムに入りました。今年のアビスパ福岡対セレッソ大阪の公式戦は、ホームアウェイとも、アビスパが1対0で勝利しています。しかし、この日のセレッソは強かった。元日本代表、現日本代表等のタレントが大量にいるセレッソは、個の力でアビスパを圧倒してきました。

 

でも、全員で守り攻めるアビスパは、この日も普段とおりの試合をしたと思います。圧倒的多数派のサポーターの前で負けられないのはせレッソ大阪も同じ、まして年間順位が下でありながら、Jリーグの決定によりホームグランドで試合できる『アドバンテージ』がありながら昇格を逃せば、何を言われるかわからないとの危機感もあったでしょう。

 

 

そんなそれぞれの思いがピッチで錯綜する中、後半15分に、いわば個人技で、セレッソ大阪が先制したのです。
アビスパは、今年先制した試合では負けたことはありません。1対0のスコアで勝ったことも多いです。しかし大切な最後の試合で先制点を奪われました。焦らないわけがありません。

 

でも、井原正巳監督は冷静でした。この展開を予想して練習してきたのだそうです。勝負はこれから、順次選手交代をして、全員守備から全員攻撃の視点を失わず、後半42分にアビスパ福岡は、同点に追いつくことができたものです。

 
これまで何回かアビスパ福岡の試合は観戦しました。ホームグランドレベルファイブスタジアムをほぼ満員にした2015年ホーム最終戦、そして過去2回J1への昇格を決めた11月23日に行われた本年度リーグ戦最終試合となった長良川競技場での試合、それぞれ熱の籠った観客席でした。でも、このときは、まだサッカーを見ている観はありました。

 

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この日、ヤンマースタジアム長居でのこの試合、サッカーを見ているのではなく、このグランド、観客席と一体となり、ただ、ここに居る仲間たちとひとつのことに夢中になる、そして同じ気持ちを持って成し遂げる、ただそれだけだったように思いました。来て良かったと思った瞬間でした。ただ涙が止まりませんでした。
アビスパ福岡のサポーターの一部、コアサポと言われるグルーブは、過去何回か『事件』を起こしたことがあります。かなりの批判を受け、アビスパを応援する人たちからも、未だ批判的意見は多いです。

 

そんな彼らも学んだのだと思います。フロント経営陣が、監督が、そして選手が今年変わりました。井原正巳監督になり、選手たち皆が言う謙虚さが大切と知りました。先日対戦したVファーレン長崎サポーターからいただいたエール、こうしてアビスパとは関係ない方たちもスタジアムに来て応援してくれる、井原アビスパになってこれまでサッカーに関心がなかった人も観戦してくれる、まさに『チームアビスパ』となった感があります。

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隣にいる人を大切にする姿勢を感じ取れました。スポーツっていいなを実感した日でありました。

 

関西空港に向かう時間を気にしながらも、いつまでもこの仲間たちと感動の余韻に浸っていたかった師走の大阪長居の夜でした。

 

アビスパ福岡ありがとう!