2015年アビスパ福岡奇跡の物語最終章へ
2015年12月14日
日本のプロサッカー界で、その年度でいちばん長い間試合をしているのはどんな立場、状況にあるチームでしょうか?
それは、サッカーJリーグディビジョン1で、今年から始まったチャンピオンシップに出場し、その決勝戦に進出した2チーム、そして3年前から続いているJリーグディビジョン2に所属し、公式戦年間順位が3位から6位までには入って、翌年J1に所属するライセンスを保持するチーム間で行うトーナメント方式のいわゆるプレーオフで決勝戦に進出した2チームです。今年について言えば、J1は3月7日から12月5日まで、J2は3月6日から12月6日まで闘いが続いたものです。
先に行われたJ1のチャンピオンシップでは、年間総勝ち点が1位のサンフレッチェ広島が勝ち抜いて年間王者となりました。今年復活した2シーズン制に加えてこのチャンピオンシップを行うことは、過密日程もさることながら、これでは年間勝ち点を積み重ねたことが意味がないなどの批判が多いことは、あるいはこの『ひとりごと』でも述べたかもしれません。
私は、アビスパ福岡以外のチームの勝ち負けには利害関係はありませんが、やはり年間1位がチャンピオンになって良かったと思います。もっとも、ガンバ大阪の奮闘には、心打たれました。
さて、J2で最も長く試合をすることになったのは、年間3位のアビスパ福岡と年間4位のセレッソ大阪でした。J2では、年間勝ち点1位と2位のチームが翌年J1へ自動的に昇格し、残りの1枠を巡って昇格プレーオフが行われます。
2010年に年間3位でJ1へ昇格したアビスパ福岡が、翌年J1で、当時記録的と言われた○連敗したことから、簡単に3チーム昇格させるべきではないとの議論になったわけですが、私は、Jリーグの興行的側面が強いと思っています。プレーオフのお金はJリーグに入ります。これは、弱小チームアビスパサポーターの僻みでしょうね。
そんなアビスパ福岡は、これまでこの『ひとりごと』で何回もお話したとおり、今年井原正巳監督を迎え、開幕三連敗の最下位スタートをしたものの、その後順位を上げ、9月以降負けはなく、8連勝で公式戦を終え、2位のジュビロ磐田と同じ勝ち点82を確保、プレーオフの出場記録を塗り替えました。
4位のセレッソ大阪との勝ち点差15を付けてプレーオフとなったことには、いろいろ外野の意見は聞かれましたが、井原監督や選手は、まだ試合ができることを素直に喜び、いつもとおりの姿勢、プレースタイルを変えません。
きさらぎ法律事務所は、アビスパ福岡の法人後援会に登録されているわけですが、アビスパからは、雲の上の試合?のようなJ1チャンピオンシップについて、否定的な意見を表明する私は、やはり今年アビスパ福岡が残した結果から、まだ気持ちの整理が着いていなかったのでしょう。しつこいとは思いますが、今年に関しては、プレーオフが設けられた趣旨と合うのだろうかの思いはありました。
でも、プレーオフ制度は、2015年の公式戦が始まるときには決定されていたので、文句言う方がおかしいとはわかっています。しかも、アビスパ福岡は、この制度があったからこそ、年間2位になったジュビロ磐田と高いところで競い合い、ともに良い結果を残したのですから。
ただ、このプレーオフ決勝戦の会場については、ほとんどの人から、Jリーグの決定はおかしいと疑義が出されていました。私もそう思います。『中立地』で行うとされているところ、年間4位のセレッソ大阪のホームグランド『ヤンマースタジアム長居』で行われたからです。
しかも、このことは3月時点で決まっていたと後になって言ったこと、すなわち、これを発表したのはアビスパ福岡が3位、セレッソ大阪が4位につけた9月だったこともおかしいです。
ヤンマースタジアム長居で行うことが実際に決まった段階で、Jリーグは、その経緯や理由を明らかにしました。3点ほどあるのですが、ここでは省略します。ただ、結果論だとしても、ヤンマースタジアム長居は、『中立地』ではないですね。プレーオフ制度を良しとする立場の人は、年間上位チームのホームグランドで開催すべきと言います。
これは、日本のプロ野球の『クライマックスシリーズ』でもとられています。サッカー通の方々からは、サッカーの場合、圧倒的にホームチームが有利であり、実際欧州リーグ等歴史ある強豪チームが犇めくリーグでは、そのとおりの結果となっています。それが今回は、年間上位チームのホームではないどころか、年間下位チームのホームグランドで行われことには、なんの合理性もないと言うものであります。
このこと自体は、Jリーグが決めたことで、セレッソ大阪にはいかんともし難いことです。ですから、多くのサッカーファンが、年間2位チームと同じ勝ち点を確保したアビスパ福岡が、プレーオフに回ってヤンマースタジアム長居で試合することになって、アビスパを応援する気持ちを持っていただいたことは本当に嬉しいのですが、セレッソ大阪には、ホームの利はあっても、サッカーファンからの『逆風』を受けて、お気の毒思いがいたします。
アビスパ福岡井原正巳監督は、『常に謙虚であらねばならない』ことを仰っております。この井原監督が、プレーオフ決勝戦を前に、『サポーターの力が必要。みなさん長居に来てください。』と言われました。行かねばなりません。
いっぽう数週間前に就任したセレッソ大阪の監督さんは、このJリーグの決定には、素直にラッキーと言ったと伝えられます。もちろんアビスパは優勝したわけでも、J1へ昇格したわけでもなく、単に15ポイント多い勝ち点を得たに過ぎませんから、敬意を表せとは言いません。
ですが、日曜日夕刻の大阪での試合になり、福岡の子供たちは見に来れないし、福岡から駆けつけるサポーターだって、電車賃数百円ってわけありません。
この開催地問題では、せめて福岡や井原監督に対する思いやりの言葉を言えないのかと思いました。試合前には、自らを鼓舞するためでょうが、セレッソの一部選手から、公式戦最終戦から3試合続けてホームグランドでできて、移動が不要だったから、充分調整できたかの発言がありました。
コレってアビスパ福岡の選手が聞いたらどう思うのか考えなかったのでしょうか。
こんな思いの中、アビスパ福岡に関係する全てに感謝の気持ちを持って、私は、2015年12月6日、決戦の地大阪ヤンマースタジアム長居に向かいました。『2015年アビスパ福岡の奇跡の物語』にお付き合いください。
五郎丸フィーバーの福岡から
2015年10月25日
先週福岡に行きました。福本悟からいたしますと、福岡と言えば、鮮魚をメインとする食べ物、焼酎をメインとする酒のイメージが、どうしても強いです。
昨年は、ソフトバンクホークス日本一の日にあたりましたし、今回も、ソフトバンクホークスが、日本シリーズ出場を決めた日にあたり、『西鉄ライオンズ』黄金期以来、福岡は、スポーツと言えば野球のイメージがあります。福岡市内の夜も、この日号外が出るなど賑やかで、アビスパ福岡を応援する私は、ちょっと肩身が狭い感じがするのです。
その福岡市で、今ちょっとフィーバーになっている現象があります。
先日終了したラグビーワールドカップ日本代表の五郎丸歩氏の出身地として、脚光?を浴びているのです。
五郎丸歩さんは、福岡市出身で、小学生時代は、サッカーチームの市内選抜にも選ばれた実力者ですが、その後ラグビーに転じ、佐賀工業高校時代には、3年連続花園の舞台を踏み、進学した早稲田大学1年のときからレギュラーを掴み、各代表を経験し、今回のワールドカップで3勝を挙げた日本代表の中心選手であることは、もうみなさんご存知のとおりです。
五郎丸と言う苗字は、全国に1.000人くらいあり、『五郎丸』と言う地名から来たとされます。五郎丸発祥の地は、元筑紫の国那珂川郡で、現在は、福岡市のとなり那珂川町とされています。『丸』とは、開拓を意味するとされ、五郎丸とは、石のゴロゴロから来たとか、五郎さんが土地を開拓したからだとか、諸説あるようです。いずれにしても、五郎丸は、北部九州に多い名称です。
実は福岡市内には、『丸』がつく地名は多いのです。私が32年前住んでいた市内早良区には、『次郎丸』『三郎丸』があります。そのころは、周りは田畑に囲まれていました。北部九州には、幾つか地名に特徴があって、『原』を『ばる』と呼ぶことや、『牟田』が多く、中牟田、大牟田などあります。五郎丸さんがお生まれになったお近くにも、五郎丸世帯があるそうです。
その五郎丸歩さん、日本リーグでは、ヤマハ発動機ジュビロに所属していますから、福岡市を離れ、静岡県磐田市にお住まいなのだと思います。 さて、先日西鉄福岡天神駅におりましたら、観光客らしき方が、係員に、こんなことを尋ねておりました。「五郎丸駅に行くのはどうしたら良いですか?」。そうです。西鉄電車の駅に、『五郎丸駅』があるのです。
ただし、この五郎丸駅、五郎丸歩さんのご実家近くとは関係ありません。また、福岡天神から大牟田を結ぶ西鉄天神大牟田線(本線)ではなく、途中西鉄久留米駅手前の宮の陣駅から、支線である甘木方面に向かう小さな無人駅なのです。場所は、福岡県久留米市となります。 五郎丸駅、1日の乗降客は約550人で、ほとんどが久留米市に向かう通勤通学客だそうで、朝の数時間だけしか駅員はおりません。
福岡天神からは直行はなく、全車両西鉄久留米方面からの2両編成のワンマンカーなのです。地元の方ならご存知でしょうが、この『五郎丸駅』見つけた方は、このところの『五郎丸フィーバー』で、五郎丸、福岡と調べて発見したのでは?と思われます。西日本鉄道関係者は、時ならぬ観光スポットとなり、「五郎丸選手のことて、この小さな駅を知ってもらえて嬉しい」と喜びを語っています。
五郎丸歩さんに感謝ですね。以前この『ひとりごと』でも触れたように、今年のアビスパ福岡の監督は、サッカー日本代表が、始めてワールドカップに出場したときの主将井原正巳氏です。この井原正巳氏、ジュビロ磐田の選手として現役引退しました。アビスパ福岡、今年は井原監督のもと 、過去3年が嘘だったような成績で、この時期でも、まだJ1昇格の期待が持てる位置に付けています。
J1自動昇格順位である2位にはジュビロ磐田、アビスパ福岡は、勝ち点差2の3位でこれに付けているのです。 元ジュビロ磐田の井原正巳氏が福岡にいらして、アビスパ福岡は、元気になりました。福岡市出身の五郎丸歩氏は、磐田に行きました。そしてこのご活躍で、福岡を全国区にしていただきました。井原正巳氏と五郎丸歩氏、アビスパ福岡とジュビロ磐田、不思議な縁を感じながら、アビスパ福岡の昇格に期待する自分がおります。
福本悟から見る岡山県、福岡県、そして東京都の不思議な縁
2015年10月23日
今日は、日本弁護士連合会の関係行事に出てみようと思って、開催地岡山市に来ました。その後、依頼者との打ち合わせを兼ねて、私の故郷、大好きな福岡に移動しました。岡山市には、このところ岡山地方裁判所出頭等の出張が続いたのですが、ある特徴に気づきました。それは、いつ行っても晴れていることです。
鉄道少年だった昔、SL蒸気機関車を追って、各地に行きました。東京生まれ東京育ちで、情けないことに?25歳まで実家暮らしだった私が、最初で最後?のひとり暮らしをした福岡市に赴任したのはなぜだ!と言う疑問について、司法研修所の検察教官が、結婚式で、苦し紛れにこんなことを言いました。
それは、あいつ(と言いました)がまだ純情な少年時代、新幹線の博多開業と勝負して、小学校4年時に、東京から博多までの国鉄の駅を全部覚えたなんて、全然法曹には関係ない趣味を持っていたからだとの珍説を披露してくださったのです。
そうです。東海道新幹線は、昭和47年3月に新大阪駅から岡山駅まで伸長しました。そして、昭和50年3月に、岡山駅から終点博多駅まで全線開通したのですが、鉄道少年だった当時、新幹線の終点が博多駅になることを知り、新幹線が無視する?全部の駅を開業までに覚えてしまおう!と純粋な(バカな)動機を持ち、小学校4年までに、全部覚えたのでした。
新幹線の終点が岡山駅までの間は、私が小学校高学年、中学生の時代でした。つまり、フットワークが軽かった——そのころは、今ほど太っておりません——ので、終点岡山駅に降り立つことは、結構ありました。
特に、岡山から倉敷を経て、山陰本線の米子駅まで通じる芸備線は、途中の新見駅近くの布原信号所で、D51型蒸気機関車の3重連が見れる絶好のスポットだったので何回か行きました。そしてSLが無くなったころ、昭和51年3月、ようやく受験時代を終え、大学進学を果たしたので、開業1年経過した岡山駅からの山陽新幹線で、広島駅まで行きました。なぜか終点博多駅まで乗らなかったのが運命だったのですね。
さて、話を最初に戻します。そんな少年時代の思い出がある岡山ですが、雨男の私をしても、いつも好天なのは驚きです。
気になって調べてみましたら、岡山市は、日本の県庁所在地の中で、降水量1mmの日が全国最多だと知りました。それで、1989年から、『晴れの国岡山』を標榜しているのだそうです。雨男の私は、自分の結婚式が雨で、主賓をさせていただいた結婚式全部が雨、そして今月出席が叶った結婚式でも雨、実に迷惑な奴ですが、さすが岡山には勝てませんでした。しかも、岡山と福岡は、福本悟からみると、不思議な関係があるのです。
商人の町博多と武士の町福岡の関係、成り立ちは、このホームページができる前の旧版『よかとこ九州』から、何回かお話しています。福岡ができたのは、関ヶ原で東軍将として武功を挙げた黒田官兵衛の子黒田長政が入国してからです。
黒田長政は黒田家の発祥の地備前福岡から、その地名を取ったのでした。黒田長政の福岡入りの前には、関ヶ原の戦いのキーマンになった小早川秀秋が、現在の福岡市東区の名島に福崎城を構えておりました。そのとき備前、備中等周辺大国を収めていたのが、元は毛利氏の一族宇喜多秀家でした。この宇喜多秀家こそ、関ヶ原での最大の悲劇とのちの世に語られることになりますが、小早川秀秋は、なんと宇喜多秀家が太閤秀吉から5大老宇喜多秀家が賜っていた備前他を、徳川家康から拝領することになるのです。
そしてご承知のとおり、小早川秀秋は、宇喜多秀家の亡霊に取り憑かれてわずか21歳で亡くなったと言われます。
宇喜多秀家は、前田利家の娘を正室にしていた関係と、総崩れになった西軍にあって、最初から最後まで怯むことなく戦い続けたことから、死一等を免じられ、八丈島に流罪となったのでした。
八丈島は、当時絶海の孤島であり、内地の人間として最初に流人とは言えやって来たのは、この宇喜多秀家たといわれていますね。小早川秀秋とは異なり、宇喜多秀家は、八丈島で80年余生きていたとされます。宇喜多秀家が生きた、生きられたことで、以後八丈島は、流罪の地とされ、やがて東京都に組み入れられたのです。
宇喜多秀家は、生まれも今の岡山県です。晴れの多い豊かな土地から、まだ内地の人間が誰も暮らしたことがない八丈島にながされた運命に、どんな思いで生涯を閉じたのでしょう。
また、小早川秀秋から受け継いで新しい都市福岡を築いた黒田長政の感慨もどうだったでしょう。そんな歴史に思い巡らしていたら、山陽新幹線は、小倉駅を出ました。さて、数分で福岡です。
阿蘇山噴火の報道に寄せて
2015年9月15日
福岡管区気象台は、9月14日午前に、阿蘇山で噴火が発生したと発表しました。噴煙は、火口縁上2.000mまで上がり、大きな噴石の飛来も、確認されたそうです。噴火警戒レベルを、入山禁止となるレベル3まで引き上げたとのことであります。これを聞いた当初の感想は、今月阿蘇山近くの熊本阿蘇空港を利用する予定でしたので、ダメかな?と思ったのがまず正直なところでした。
火の国と言えば熊本、熊本と言えば阿蘇山と言われるくらい、くまモンと並んで阿蘇山は、熊本県のシンボルです。福岡市で司法修習生をしていたときを含めて数回、阿蘇山の火口を見に行ったことがあります。地球は活動している、マグマの力の恐ろしさを感じました。よく、阿蘇山ロープウェイは、運行中止にもなります。
九州には、阿蘇、霧島、雲仙等等幾つもの活火山があります。その中でも、桜島は特に有名ですね。
鹿児島のシンボル桜島は、市内各場所から眺められ、錦江湾を渡るフェリーで、数分のところにありますが、正確には陸地と繋がって、島ではなくなりました。この桜島の噴火が警戒されたのは、少し前のことでした。いつも煙が出ている桜島と異なり、今回の阿蘇山の噴火は、昭和54年以来の規模で、噴火物は10万m3にも達するであろうとの専門家の話です。
日本を訪れる外国人観光客は、日本の温泉を楽しみにしているそうです。豊富な温泉が楽しめるのは、火山が多いことも関わっているでしょう。火山が多いと言うことは、地下マグマの影響を無視できず、それは、地震国であることも意味します。地震国でありながら、なんで原発を再稼働するのでしょうか?鹿児島県の川内原発が、『新基準』をクリアーしたとされ、先日再稼働しました。
以前取り上げましたが、原発先進国?と言われたドイツが、原発ゼロに舵を切ったのは、日本で起きた東日本大震災による福島第一原発の事故でした。どんなに安全を言っても事故は起こる、事故が起きたら被害は甚大であり、かつ、その被害が顕在化するのは、原発事故を引き起こした世代が居なくなってからであると言われます。
ドイツのメルケル首相は、当事国日本が、原発をゼロにしないことには、驚きを禁じ得ないと述べられた由です。仮に永遠に事故が起きなかったとしてとも、放射性廃棄物はどうするのでしょうか。これも以前お話したフィンランドの『オンカロ』は、100年後閉鎖し、10万年これを続けると言われています。本当に、日本の政治家は、危機意識がないと思います。
過日自民党の若手勉強会に招かれたギャグ先生は、辺野古沖移転に反対する沖縄県民には、沖縄県のどこかが、中国に侵略されると目が目覚めるなんて自説を述べておりました。
でも、川内原発や、これから次々に再稼働が予定される国内の原発に、万一事故が起きたら、誰が被害を受けるのでしょうか。そして誰が責任を取るのでしょうか。私は、それでも原発推進派は、『目が覚めない』と思います。
それは、責任を問われないからです。
イケイケどんどんをやった人たちは、かつての戦争を含めて、責任を取っておりません。戦勝国から追及されて、戦犯とされた人たちについても、あの裁判は、勝者が敗者をさばいたもので見直す必要があるなんて風潮が、
蔓延っております。
桜島、箱根、そして阿蘇山と続く日本の活火山の噴火は、地球を作った自然界からの怒りのような気がいたします。特に九州には、再稼働したばかりの川内原発があります。遠く東京から、『よかとこ九州』を思う私には、心配が絶えません。
再びアビスパ福岡の試合から
2015年8月28日
日本サッカー協会が推し進める『リスペクトの精神』に関しては、この『ひとりごと』でも、何回かお話したことがあります。サッカーができることに感謝すること、対戦相手や審判、用具、競技場、そしてサポーターやチームメイト、親、指導者等仲間たちに対して敬意を持ち、そしてありがとうを伝えることが大切です。
私は、福岡市をホームタウンとする『アビスパ福岡』を応援していて、きさらぎ法律事務所は、アビスパ福岡の法人後援会に登録されております。そのアビスパ福岡の試合で、「これはリスペクトに欠けるな」と思えたシーンがありました。いずれも、強豪『ジュビロ磐田戦』での一コマでした。ジュビロ磐田がJ2に降格したのは昨年ですから、最近の経験です。
一つめは、昨年ヤマハスタジアムで起きました。アビスパ福岡の選手が、ペナルティーエリア内で反則をして、ジュビロにペナルティーキックが与えられたシーンです。勝負事の世界、どのチームも、PKは誰が蹴るか決めているのです。ところがジュビロの日本代表を経験した二人の選手が、そこでいきなり『ジャンケン』を始め、ジャンケンで勝った選手が、PKを蹴ることになったのです。彼ら、ニヤニヤしてたのは言うまでもありません。
これは、万年J2にいる弱小チームを応援する者の僻みなのかもしれません。初めてJ2に降格したジュビロ磐田にしてみれば、アビスパ福岡なんか目じゃない、練習感覚なのでしょう。でも、精一杯やってこの程度の弱いチームからすれば、屈辱ですね。また、どちらを応援するしないに関わりなく、サッカーファンからみれば、どう映るでしょうか。サッカーそのものに、真摯に取り組んでいるとは、私には思えなかったです。
二つめは、最近アビスパ福岡のホームタウンであるレベルファイブスタジアムで目にしたシーンです。ジュビロ磐田の選手が、そのプレーに関して、イエローカードが出されました。選手本人にしてみれば、たとえ反則とされても、イエローカードは納得できなかったのでしょう。イエローカードをかざした審判に、『文句』を言ったようです。と言うよりも、審判の判定に対して侮辱的態度をとったのか知れません。審判は、もつ一つイエローカードを示し、その瞬間にこの選手は、1試合にイエローカード2枚もらったことになり、レッドカードすなわち、退場となりました。
そのときです。アビスパ福岡のサポーターの一部から、この選手に向けて、「帰れ帰れ!」コールが起きたのです。実はこの退場となった選手、かつてアビスパ福岡が1年間J1に居たとき、ジュビロ磐田から『期限付き移籍』して来たのでした。すなわち、かつて共に同じチームで闘った仲なのです。私は、単純に、『酷い!』と思いました。でも、いろいろな意見があるのですね。
帰れ帰れコールを肯定する意見としては、真剣勝負の場であって、潔くあるべき、酷い反則を受けて倒れたアビスパの選手が負傷でもして良いのか、これは愛の鞭とでも言うべきもので、この選手も、かつてこんなことがあったとこれをバネにして成長するはず等等です。反対の意見は、やはりかつてこの場で共に闘った仲間だろう、アビスパ福岡は、彼に助けてもらった、サポーターは歓喜したこともあっただろう、恩を感じろとまでは言わないが、あれは情も品も無さ過ぎると言うものです。
双方の意見を聞いた現時点で、私は、やはり『帰れ帰れコール』には同意できません。ただ、かつての仲間云々で酷いとの意見は、反対にプロであること、選手は何をなすべきで、サッカーとはなんだとの観点から、単純に賛成はできないと思い直しました。私が思うのは、結局のところ、やはり『リスペクト』なのです。レッドカードとなったこの選手は、もう、この日ピッチに立つことはできません。試合場から離れるのです。すなわち、闘いの場から降りる、リングから降ろされるのです。そんな状況で、『これでもか!』とさらなるパンチを見舞わせてよいのでしょうか。
ピッチ内で、まだ真剣勝負の場では、かつての仲間であっても、批判することは良いと考えます。まさにプロなのです。ひとたび勝負の世界に入ったら、情は無用です。しかし、それは勝負が続いている間に限られるのであり、勝負の場から離れたら、あるいは勝負の場から降ろされたら、『追い打ち』はやめるべきだと考えます。
ラグビーで言われるノーサイドです。私は、例えば厳しい証人尋問、特に反対尋問の後には、依頼者の反対の立場の側に対しても、労いを申します。また、常日頃、依頼者の相手方を、徹底して追い詰めることはしないと申しております。まして、リングから降りた者に対して、もはや勝負は終わったところで、『これでもか!』は、絶対に行ってはならないと思っています。
さて、ジャンケンでPKに決めたお二人、その後日本代表に復帰しておりません。また、ジュビロ磐田は、今年もまたJ2に所属して、リーグ戦を闘っております。私は、レッドカードで『帰れ帰れコール』を受けたかつてのアビスパ戦士の今後の活躍を期待しますし、我がアビスパ福岡には、いつの日にか、実力で、ジュビロ磐田を超えて欲しいと願っています。『リスペクト』って、難しく大切ですね。
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