北海道札幌みやげは、今でこそたくさんありますが、昔から出張族の定番だったのが、石屋製菓株式会社が販売する『白い恋人』だったと思います。
淡い白い雪と、恋の街札幌のイメージは、これを貰った人もまた、北への思いを馳せたのではないでしょうか。
ところで数年前、『面白い恋人』なる商品が、大阪伊丹空港や新大阪駅で販売されて、議論を巻き起こしたことがありました。これは、『白い恋人』をパクった吉本興業の子会社が販売したみたらし味のゴーフレットであります。
最初のころ、白い恋人だと思って購入した客から、「違う!」との苦情が石屋製菓に入ったようで、やがてお笑いの吉本興業が、模倣品を販売して利益をあげていると指摘されたものです。
石屋製菓は、商標権侵害、不正取引防止法違反を理由に、販売禁止や損害賠償を求めて民事訴訟を提起しました。そして最終的に、吉本興業側は、パッケージの図柄を改め、販売地域を関西地区のみにすることで、両社間に和解が成立して終了したと言うことでした。
私も、大阪伊丹空港の売店で、『面白い恋人』が並べられているのを目にしました。恋人とおぼしきふたりが、大阪城等の大阪周辺の場所を訪ねるパッケージであり、札幌によく行く私からすると、明らかに『白い恋人』をパクって面白おかしく、そして利益をあげようとしているのだとわかるものです。はっきり言って、気分が悪かったです。なんでもお笑いで済むのかと言う疑問です。和解になってよかったです。
ところで、福岡から上京した学生や、東京に転勤してきたサラリーマンたちも、東京での生活が始まった当初、『なんで!』とある光景を見て、ショックを受ける例があります。それは、『銘菓ひよ子』が、東京みやげとして、東京駅等に並べられていることです。
ひよ子は、福岡の吉野堂グループの銘菓だからです。
吉野堂グループのひよ子は、明治も末のころ、当時炭鉱の街とされた福岡県飯塚市に、炭鉱で働く人たちのエネルギーとなる甘い物を作ろうと言うことで初代が考案し、福岡県はまた、当時より美味しい鳥と卵を生み出す都市として定評があって、ここに大正元年、『ひよ子』の販売に至るのです。吉野堂の名称は、飯塚から福岡市内に行く途中の難所八木山峠に咲く染井吉野から名を取ったのだそうです。
あの可愛いらしいひよ子が、なんで索漠とした東京みやげなの?。それなりにショックだったと思います。
実は、吉野堂グループを統括する株式会社ひよ子は、飯塚から福岡天神に、そして東京にも出店したところ、折から東京オリンピックで沸く東京では、ひよ子のかたちをした可愛いらしい、そして焼きあがって数日しても、皮と餡が絶妙に馴染んだこの味に魅せられた人々から口コミで広がって、ひよ子は、関東でも工場を建設して直売することもなったのです。
こうしてひよ子は、福岡と東京に別会社を設け、それぞれ協力しあい、また、競いあって、『福岡』『東京』それぞれのひよ子として、今日まで愛されていると言うわけであります。決してどちらかがパクった訳ではないのです。
それで福岡から東京に来て、生活することになった人たちは、東京のひよ子を見て、ふるさとを懐かしみ、愛着を持つようになっていくのだそうです。福岡に帰省するときには、東京のひよ子をおみやげにするとも聞きます。
今では、東京ご出身なんですよと言われたら、福岡市民には、『あれっ』て思われるであろう王貞治ソフトバンクホークス名誉会長が、初めて東京から福岡に赴任したとき、ひよ子があるのを見て、全く同じことを思ったそうです。
福岡と東京は、なんか近しい、仲良くなれる素地があるようです。きな臭い?話が続く昨今、ひとりごとには、こんなひよ子今昔物語も良いのではと思いました。
『札幌転勤者は3度泣く』をご存知ですか?サラリーマンの悲喜交々も言い当てた言葉です。
1番め、最初は、突然上旬から、札幌市への転勤を命じられたとき、「あぁ、あの寒い北海道に飛ばされるのか」と泣き、
2番めは、札幌で、最初の冬を迎えるとき、
そして3番め、最後は、札幌転勤を終え、いよいよ札幌市を離れるときに泣くのです。
札幌市にはよく行く私も、なんとなくわかる気がします。サラリーマンが購読する雑誌で、『転勤したいところ』の上位に、必ず札幌市は入ります。神戸、仙台、広島市などは常連のようです。
さて、実際転勤を終え、東京などに帰ってきたサラリーマン、特に単身者が、『転勤して良かったところ』のほぼ1位は、様々なアンケートによっても、福岡博多となっています。
さあ、また福本悟の福岡自慢が始まりました。
先ほど、『なんとなくわかる気がします』と申し上げたのは、初めて福岡、九州に踏み入れた25歳の4月、ブルートレイン『あさかぜ1号』博多行きに乗車して、下関駅を出たときの思いが、フラッシュバックするからです。
このときまで私は、実家暮らしでした、 あさかぜ1号の車掌さんが、『これから関門トンネルを通過します。トンネルを出たら、次は、九州の門司です。』とアナウンスしました。直後、トンネルに入り、なんとなく感情が高ぶったことを覚えています。門司駅に到着すると、機関車を交換するため停車時間があって、車外に出て、思いっきり最初の九州の空気を吸いました。
そして、この先、まさか福岡にこれほどハマるなんて、全く予想できないことでありました。
福岡市から帰ってきた27歳の11月、前夜は、福岡市で知り合った友人宅に泊めていただき、新幹線博多駅で『ひかり号』が発車したそのとき、『ありがとう』と不覚にも涙が出てきました。その後、毎年福岡市に行き、我が家に居る20代後半にもなる息子たちも、縁あって、福岡ファンとなっているのです。
今や福岡市は、我が家にとって、心の中の帰省先でもあるのです。
福岡市の人口は150万人を超え、政令指定都市中、福岡市の人口増加率は1位です。人口が増え続けているのは、それなりの理由があるわけです。地元紙西日本新聞が、纏めたところでは、3つほど理由があるようです。
これら理由から『暮らし易さ』が魅力となるのだと結論づけられています。衣食住ですが、今日は省略します。 いつも思うのですが、東京って、魅力ありますか?食べ物はマズイ、物価は高い、通勤が大変、老人ホーム(特養)や保育園には入れない、自然がないし、危険ばかり等等。そのくせして、なんでも東京東京の風潮は、愉快ではありません。
最近では、新国立競技場建設問題が起きています。 東京オリンピックのメイン会場になる新国立競技場は、2500億円の建設費用がかかるようです。新国立競技場の建設は、東京オリンピックの招致が決定する前に、1300億円くらいの費用を見込んでいたらしいですが、流線形の綺麗な姿にするために、費用が増大し、また、工期が間に合うのかも指摘されていて、この増額分を、東京都が負担するのか等、迷走状態です。
北京、ロンドンのオリンピック会場が、400億とか650億円とか言われていて、なんでこんなにお金をかけなければならないのでしょうか。
なんか首都東京を凄い!と見せなければならないような感覚なのでしょうか。東京にだって、普通に暮らしている人、暮らしたいと願っている人が多数のはずです。
暮らし易さこそ、その土地への愛着になるのではと思います。東京都民として、あのハコモノは、要らないなと思います。
外国からのお客様は、アレが目当てでいらっしゃるのではないでしょう。
東京以外の地域の皆様は、この新国立競技場建設を巡る騒ぎを、どんなふうに感じられるでしょうか?
『新国立競技場に3度泣く』は嫌ですね。最初は、東京オリンピック開催が決まったとき、2度めは、オリンピックが現実にここで開催されたとき、そして最後になって、オリンピックが終わり、まさかの負の遺産となってしまったときなんてならないことを、東京都民として願っているのです。
世の中には、珍味と言われるモノがあります。世界三大珍味と言われるのは、フォアグラ、トリフ、キャビアですね。宍道湖の七珍は、私は全部言えませんが、美味しそうです。どこそこに行けば、その場所での珍味と言われるものはありますね。福本悟なりの珍味もあるのです。
北部九州では、この時期しか食べられないモノがあります。この時期外せないのは、剣先いか(ヤリイカ)と唐津のうにですが、それに勝るとも劣らない三大珍味は、コレです。だいたい6月から7月の博多祇園山笠のころまで、福岡市内の柳橋連合市場や天神岩田屋さんでは見られます。
『あぶってかも』『まじゃく』『あげまき』です。
あぶってかもは、私が福岡で暮らした30年前には、博多湾でたくさん獲れました。スズメダイのことで、漁師さんが獲れすぎて困るので、船上で炙って食べたところ、小さな魚なのに骨が多く、頭は硬いので、バリバリ噛むしかなかったことから、『あぶってかも』の名が付いたとされます。手のひらサイズで、確かに骨が多くて食べられるところは少ないですが、これが脂が乗って美味しいのです。現在は、ほとんど獲れなくなり、柳橋連合市場の常連料亭では、高級食材として仕入れていると聞きました。主として熊本県、福岡県で食されています。
まじゃくは、有明海の泥の中に生息するエビでもないカニでもない、外形はシャコに似た甲殻類です。有明海は、長崎県、佐賀県、福岡県、熊本県に跨がる九州最大の湾であり、現れる干潟の面積は、日本最大とされる海であります。この干潟には、むつごろうをはじめ希少生物が多く生息し、珍しいここにしか居ない生物たちを目にする(食する)ことができます。
まじゃくは、泥の中にいるので、名人が筆(割り箸でも可能かも?)を泥地に突っ込むと、これにまじゃくがくっ付いていて、そのまま引き上げて捕獲する漁法であります。
有明海の中でも、福岡県大牟田市から南、熊本県で良く捕獲されると聞きます。唐揚げで食べるのですが、食いつく場所によって違った味がするので面白いです。一見ザリガニかと勘違いする、山笠のころにしか目にしない珍味かつ美味です。
あげまきは、『揚巻貝』のことです。古くは瀬戸内海、九州、韓国と中国東側で獲れたところ、日本国内では、長く有明海にしかいないと言われた時期があったのです。二枚貝で、マテ貝と勘違いされます。あげまきの名は、古くは日本の子どもたちが、髪を左右に分けて角状に巻き上げた髪型をしていたことから付けられたとされます。基本的には、焼いて食べますが、ちょっと茹でて冷やせば、寿司ネタとしても使われます。
あげまきは、司法修習生だった30年前に初めて食べて以来、毎年初夏の福岡では食べられたものです。しかし、例の有明海水門閉めにより、有明海からは死滅したのです。有明海の生態系を完全に変えてしまった水門閉の映像の中で、海底に沈んだあげまきの死骸を見たときは、唖然といたしました。同じく私が大好きだったタイラギ(平貝)も、有明海からほとんど姿を消してしまいました。
あげまきは、現在全てが韓国産となっています。しかも、年によって違いはありますが、こちらもかなり値が張ります。ただし、福岡市内には、当然生きたまま入ってきますから、新鮮そのものです。考えてみれば、博多湾その後ろの玄界灘で獲れた魚介が、築地に運ばれると考えれば、釜山から博多は近いものです。
今年のあげまきは、良いようです。岩田屋さんで848円で買ったあげまきは、翌日でも生きていて、玄界の匂いを醸し出しながら、美味しく焼けて食べられました。
これらが、福本悟の初夏の福岡三大珍味です。これが冬になるとどうなるか……。
日本の四季を感じ、また、四方が海に囲まれ(福岡県は、玄界灘、周防灘、有明海と三方が海に囲まれ)た地形が齎し出したしあわせを感じるときであります。珍味と言われますが、こうして毎年同じ楽しみをくれるのは、日常生活そのものに入り込んでいるとも言えましょうか?珍味もまた妙味です。皆さんにも、きっと生活に溶け込んだ珍味があると思います。
芋焼酎の本場鹿児島県では、『黒千代香』と言う器があります。これは、『くろじょか』と読み、昔から伝わる焼酎の燗付けの器具です。『ちょこ』を意味する『ちょか』が方言だったとか、琉球王朝から入ってきたとか諸説あるようですが、この黒の鉄の容器に焼酎と天然水を混ぜて一晩寝かせ、囲炉裏などで暖めて翌日飲むやり方が美味しいとされ、ここから焼酎のお湯割りが生まれたとも言われます。確かに鹿児島県の焼酎の名店で芋焼酎を嗜むとき、黒千代香の容器に入れて、出されることがあります。
もともと焼酎と水を混ぜていたので、これを暖めたのが焼酎のお湯割りだとすると、どの程度割っておくとよいのかの疑問が出されるかもしれません。黒千代香による飲み方が始まったころは、何気なしに半々だと言われます。ところが、焼酎好きには、半分水では物足りないとなって、7•3とか6•4等いろいろ広まっていきました。
やがて、ウイスキーの水割りの真似かもしれませんが、焼酎の水割りが誕生しました。私のように、酒飲み焼酎党は、焼酎を味わうではなく、ぐいぐいやりたく、家でも冬季以外では水割りで、そして福岡の屋台では、決まって水割りでやっています。
先ほど7•3とか6•4とか割り方を申しました。これも地域やお店、また飲む人等によっていろいろだなと思います。私の行きつけの屋台『しんきろう』では、さすが20年も通い続けて歳になりましたから、最近は、5•5としています。因みに、大将(店主のこと)は、『芋水』と言います。芋水用のグラスには、ちゃんとメモリがついております。
さて、しんきろうでは、まず焼酎を5のラインまで注ぎます。もっとも、そうは言っても、常連客に対するサービスなのか、5と6(の間くらいまで、焼酎を入れてくれますが。ついで氷をドバッと入れます。この段階で、氷はもう、グラスをほぼ覆いつくします。グラスを越える塊も出てきます。それで、最後にグラスのいちばん上まで、水を入れます。しかし、水は、かたちだけ、合わすだけで、ほとんど入らないのです。これが福岡博多の屋台での飲み方です。知人を同行すると、口々に「濃い!」とびっくりされました。
焼酎を飲ませる店舗とすれば、焼酎は、薄くしたほうが採算が取れるでしょう。でも、より大切なもの、守りたいものがあるのだと思います。屋台は、『袖振り合うのも多生の縁』の世界、たまたま隣に座った人が有名人だったりします。店主もお客さんもすぐ近くにいます。今日の出来事と縁、それは焼酎の濃さとともに、その人それぞれに、濃く残るのように思うのです。いつもの『指定席』で、今日もビールを飲みながら、考えてしまいました。