歴史のたられば 九州編 1

2010年5月2日
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25歳の4月、初めて東京を離れ、ブルートレイン『あさかぜ1号』で、九州入りして降り立った駅は、『博多駅』でした。

27歳になった11月、東京に戻る際、利用したのは『福岡空港』でした。

『博多』と『福岡』はどう違うの?

話し出したら、よそもんでは収拾がつかなくなりますので、この説明は、福博の方にお願いすることといたします。

さて、「・・・だったら」「・・・であれば」との関係で興味を持ったのは、那珂川を隔てて存在する『町人の町 博多』と、『武家の町 福岡』を、明治22年4月1日公布された『市制及び町村制』により、市として一体化する際に、『市名をどちらにするか』の議論の決着の仕方です。

明治23年2月、議会では、博多派が、福岡派を上廻っておりました(15対12とも、17対13とも言われております)。

ところが、運命の投票では、なぜか同数となり、議長の1票で、『福岡市』に決定されたということです。

この採決の日、博多派の議員が、議場に入らず(入れず?)、同数になってしまったというのです。

議長は、壇上を降り、一議員として、投票しました。議長は、『福岡』でした。

議長が福岡派でなければ・・・、博多派の議員が、あと一人だけ議場に入っていれば・・・。

以来、『福岡市』は、『博多市』に改変されることはありません。

ただ、福岡市が政令指定都市になった後、『博多区』ができました。

そして、JRの駅も、空港も、博多区内に存在することは、なお『博多』を印象付ける感があります。

私の周りの人間も、『福岡』ではなく、『博多』と呼ぶ者が、少なくありません。

でも、人情が厚い福博の方々には、もし、『博多市』になっていれば、JRの駅を、『福岡駅』にしたのでは?と、思ったりもします。

その場合、西鉄『福岡天神』駅は、どうなったでしょうか。これも、『たられば』の世界です。

そして、『福岡祇園山笠』。

これは、ないですかね。

山笠があるけん、博多たい。

一票の重みは、今も昔も忘れてはならないということでしょう。