鹿児島の心に残るお話。

2010年10月5日
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このところ、『よかとこ九州』では、福岡の話ばかりをお伝えしておりますので、今回は、『鹿児島』にちなんだ福本悟の『心に残るお話』をお届けしたいと思います。

前回の『よかとこ九州』では、九州と東京を結ぶ『ブルートレイン』が、2011年(平成23年)3月、九州新幹線となって、再デビューする情報をお届けしました。

『ブルートレイン』と並行して、これに競い合うように登場したのは、言うまでもなく、『航空機』です。

1969年(昭和44年)から20年間、昭和を空から見守り続けた航空機といえば、全日本空輸(ANA)の『モヒカンジェット』こと、ボーイング767号機でしょう。

日本が、高度経済成長期に向かう過程で、当時の国内新婚旅行のメッカは、南国九州,特に、宮崎・鹿児島で、機内には、連日、若いカップルの姿が見掛けられました。

この『モヒカンジェット』も、東京・九州間をつなぐ大切な絆で、ビジネスマン,新婚カップル等、多くの人の夢や希望を運びました。

さて、この『モヒカンジェット』、最近、不定期に、羽田空港を拠点に、就航していることをご存知ですか。

全日空では、『懐かしのANAモヒカンジェットで旅に出よう』の案内をしているようです。

そして、先日の出張の際、羽田空港から鹿児島空港まで、はからずも、『モヒカンジェット』に搭乗しました。


《モヒカンジェット》


《モヒカンジェット側面》

昭和の名機、『モヒカンジェット』で到着した鹿児島空港では、例によって、芋焼酎タイムで、鹿児島の名残りを惜しみました。

今回の芋焼酎は、知覧醸造の『ほたる』です。

この『ほたる』という名前には、知覧在住の鳥濱トメさんという女性と、太平洋戦争時の特攻隊員との間の話が由来と言われます。

その一部をご紹介しますと、

『太平洋戦争末期、特別攻撃隊の出撃地であった鹿児島知覧で、『富屋食堂』を営む鳥濱トメさんは、『特攻の母』と、隊員から慕われておりました。

特攻隊員の一人が、出撃前夜、

「明日の夜、ほたるになって、またおばちゃんのところに帰って来るから、(食堂の)中に入れてね」

という言葉を残し、翌朝、知覧飛行場を旅立ちました。

するとその夜、ほたるが一匹、富屋食堂の外から舞い込み…』

というお話です。

この経験を、鳥濱トメさんは、後に語られました。

平和の礎となった先人の魂は、短い一生に光を放つほたるとなって、今も、私たちの心に、平和の尊さを伝えているのです。

私事ですが、太平洋戦争に従軍し、アッツ島,硫黄島などを転戦した父は、晩年、「知覧に行きたい」、「友と会えば、涙が止まらないだろう」と申しておりました。

晩年は、それまでほとんど語らなかった戦争体験を話し出し、知覧に赴く機会がないまま、3年前に、天寿を全ういたしました。

さて、焼酎となった『ほたる』の黒ラベルに金色のデザインは、ほたるの光を想像させるものですが、一方で、緑豊かな武家屋敷が連なる知覧の街の厳粛感を、醸し出しているように思います。

そんな知覧の武家屋敷の中でも、ひときわ目立つ『旧高城家』にご縁を持つ、素敵な友人をご紹介します。

スマイルコンシェルジュ たきれいこさんです。

たきれいこさんは、明石屋さんの『かるかん』に、深い思い出がおありと伺っております。

鹿児島で、明石屋さんの『かるかん』と並んで、忘れてはならない逸品といえば、徳永屋さんの『さつま揚げ』でしょう。

今回の鹿児島でも、空港内の山形屋さんから、徳永屋さんのさつま揚げ、――特に、島津揚げが好物です――を買い込み、芋焼酎を楽しんだことは、言うまでもありません。

さつま揚げは、本当に、芋焼酎に良く合います。

『桜島』,『西郷どん』,『焼酎』の『3S(スリーエス)』は、鹿児島のシンボルと言われますが、『知覧』,『高城家』,『徳永屋』の『3T(スリーティー)』もまた、福本悟にとって、心に残る鹿児島の響きとなっております。