東京地方裁判所立川支部に出頭したときにふと思いました。
以前、ひとりごとでも申しましたが、都内23区島嶼部以外の地域を管轄するのが、立川の裁判所です。
立川は、八王子と並ぶ東京西部,三多摩地区の拠点・中心です。
立川と言えば何を思い出しますか?
地域に住む方々は、「交通渋滞に悩まされる」,「中野駅からは、立川駅まで直線で繋がるJR中央線がしばしば止まってしまう」などの生活に直結した思いが出てくるのではないでしょうか。
裁判所や市役所は、多摩都市モノレール線立川駅のひとつ先の「高松駅」近くにあるのですが、立川駅から進むとき、左手奥に広がるのが「国営立川昭和記念公園」です。
この時期、昭和記念公園と言えば「コスモス」と、「箱根駅伝予選会」を想像される方が、多いのではないでしょうか。
今年も、初出場校あり、連続出場が途絶えた学校あり、ドラマがありましたね。
11月3日までは、コスモスまつりが行なわれます。
総面積2万m2、550万本のコスモス10種類が、咲き乱れます。「首都圏のコスモスと言えば昭和記念公園」と言われるほど、定着しているのです。
さて、「昭和記念公園」の成り立ちについて、若い世代には、あまり知られていないのではないでしょうか?
昭和天皇在位五十年記念事業の一環として、現在及び将来を担う国民が、自然的環境の中で健全な心身を育み、英知を養う場とするための記念公園として、昭和58年10月26日、開園したのです。
この場所は、かつて何があり、どんな使い方がされていたか、その歴史をご存知でしょうか?
この場所は、旧立川飛行場の跡地です。
立川飛行場は、大正時代に開設され、一時期は、民間航空路としても利用されていたところ、満州事変以降の戦時下にあっては、陸軍航空部隊の重要な拠点とされ、これがために、幾度となく、大掛かりの空襲を受けた歴史があります。
敗戦後の占領下では、アメリカ合衆国に接収され、立川市と昭島市にまたがる「立川航空基地」が、現れたのです。
そしてこの後、「砂川闘争」が起きました。
私たち、戦後十数年に生を受けた者にとって、「砂川事件」は、その後大学で学ぶ「憲法」と「司法」に関して大きな影響と、私自身の進路に、ひとつの動機づけとなっているものです。
昭和58年11月30日、「立川飛行場」は、アメリカ合衆国から、全面返還されました。
そんな歴史と、ひとびとの思いを経て、次代を担う国民の健全のため、若者が走り、家族が集い、花か咲き乱れるのどかな風景が、国営立川昭和記念公園には見られます。
ここは、昭和という時代を全て見ていたのです。
昭和をここで生きた方々の様々な思いと願いが、実りの秋に絢爛と咲き誇るコスモスの一輪一輪となって、平成世代に何かを語りかけているような気がいたします。