マッサンのふるさと

2014年11月21日
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 NHKの朝ドラ『マッサン』こと竹鶴政孝氏は、広島県竹原市出身です。

 

竹原出身として誰を思い出しますか?池田勇人氏、頼山陽‥‥‥。

 

竹原と言えば、歴史好きな人間ならば、なんと言っても小早川隆景です。

 

毛利元就の三男で、竹原の小早川家に養子に入った小早川隆景は、広島県人の間ては、『三原のお殿様』と呼ばれるようですが、幼少期竹原で過ごしました。毛利元就には長男隆元、二男で吉川家に養子に入った元春、そして三男の隆景がおり、決して天下を狙うべからす、毛利家の安泰を遺言した毛利元就は、『三本の矢』で、三兄弟に結束を求めたと言い伝えられます。

 

毛利本家の隆元亡き後は、吉川元春、小早川隆景で隆元の子輝元を支え、『毛利の両川』と称されました。後に豊臣秀吉の五大老となり、黒田官兵衛をして、「これで日本には賢人がいなくなった」と、その死を悼魔れた人物でした。

 

小早川隆景の言葉感銘深いのは、黒田兵衛の子で、奇しくも小早川氏に代わって筑前福岡の藩主となった黒田長政に対して語ったとされる言葉です。

 

『分別とは何か』の問いに対し、

 

「長く思案して遅く決断する。分別の肝要は仁愛で、仁愛を本として分別すれば、万一思慮が外れても、そう大きくは間違わない」

 

と答えました。

 

仁愛とは、情け深い心で人を思いやり、慈しむことです。イケイケドンドン、早い安いの競争社会が出現して久しい感がありますが、ゆっくり丁寧に決めること、人や世の生きとし生けるものに対して慈愛を持って接すれば、必ず人は見ていて、大きな災いに至ることはないと言うのが、渡しなりの解釈です。

 

毛利元就と言えば、『三本の矢』の教えで有名です。1本では矢は折れるが、3本束ねたら容易に折れないと、隆元、元春、隆景に対して結束。求めたと言われます。小早川隆景の思慮深い博愛の精神は、人を大切にする父毛利元就譲りなのかもしれません。

 

ところで、この『三本の矢』の訓話は、後世の創作であり、毛利元就が言ったのではないと言うのが通説となっているようです。でも、毛利元就が、子どもたちの結束協力を説いたことは事実でしょう。

 

毛利元就は、三本の矢を束ねることを望みました。賢人小早川隆景も、そうでしょう。

 

でも、昨今『三本の矢』と称するモノを解き放った話題が賑わいます。

 

こちらの『三本の矢』は、後世の創作なんて言われないような成果が出るのでしょうか?

 

小早川隆景が生きていたら、仁愛の気持ちを持って、決して急ぐべからずとでも仰るのではないかと思うのは、

私ひとりだけでしょうか?