魔法の水は時代錯誤

2014年11月27日
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秋も深まりいよいよ冬の到来でしょうか?

 

ストーブリーグと言われるごとく、野球やサッカーなど、秋に大詰めを迎え、冬季は開催されないスポーツはあります。これからの時期、マラソン駅伝や、ラグビーなどが、楽しみです。

 

ラグビーは、紳士のスポーツと言われますね。からだとからだがぶつかり合う、見ていて怪我しないのか心配になるのですが、試合が終れば『ノーサイド』です。

 

互いの健闘を称え合い、ともに風呂に入る、どっちの側もないと言う意味だそうです。

 

ラグビーの試合中、よく倒れてしばらく動けなくなった選手に、ベンチから、やかんを持った人間が出てきて、頭から選手に水をかけるシーンが見られました。脳震盪となった選手が、起き上がるので、『魔法の水』と言われたものでした。

 

これによく似たシーンは、正月恒例、多くの視聴者に感動を与えると言われて久しい『箱根駅伝』でも見ららますね。体調不良、脱水症状その他フラフラとなって今にも倒れそうな選手が、監督から声を掛けられ、ペットボトルを渡されると、また走り出すことがあります。

 

でも、魔法に水と言って感嘆し、また、感動秘話で終わりにして良いのか、このごろ疑問を持つようになりました。

 

日本スポーツ臨床医学会の学術集会が、今月都内で開かれておりますが、ここでもスポーツによって脳震盪が疑われるときは、たとえ医師の管理下にある場合であつても、最低24時間は安静にしておくとの原則が確認されたようです。

 

魔法の水でもてはやされたラグビー界は、いち早く脳震盪による選手生命の危険性に着目し、このような指針を決めたと言うことです。交通事故は、一回限りかもしれないが、スポーツのよる脳震盪は、繰り返されて、ダメージが蓄積されるからだと言われます。

 

選手が無理をして、競技を続行したいのは、これまでの頑張り、これに賭ける思いから当然と思います。もちろん、勝至上主義もあるかもしれません。

 

でも、最近つとに感じるのは、私たち、真にスポーツの厳しさを知らない人間が、お涙頂戴主義に走って、選手に無理強いをされていると言うことです。これは、感動の勘違いだと思います。

 

実際、無理が祟って、豊かな能力を持ちながらも、人知れず舞台から去ってしまった選手はいるでしょう。

 

 

そんな思いでおりましたら、例の羽生結弦選手事故であります。

 

羽生選手や関係者を、一介の素人が批判などできるものではありません。いちばん辛かったのは、羽生選手です。いろいろな事情もあったはずです。

 

でも、羽生選手が、あの状態でリンクに上がったとき、感動した自分がいた!本当は、羽生選手の演技を見たかった自分がいた!これこそが恐ろしい。

 

スポーツを愛し、スポーツ選手の活躍を心から応援したい私たちは、何を学べば良いのでしょう。

 

早くでなくてよい、じっくりと静養し、準備してリセットした羽生結弦選手を、みたいです。

 

魔法の水てわはなく、単に、水をぶっかけるような話をしてしまいした。