助け合う猿の仲間たち

2014年12月27日
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インドで、線路上の架線に感電して気絶した猿を、猿仲間が必死に助け出す姿が、カメラに収められてテレビに放映されました。気絶して意識を失っている猿を、何処かから来た猿が叩いたり、引っ張たりし、それでも反応しないので、今度は別の猿がやって来て、かなり手荒らな刺激を与え、遂には近くを流れる下水?に、気絶して倒れたままの猿を漬け込み、やがて気絶した猿は意識を回復して、その場をみんなで立ち去ったというものであります。

 

この間20分くらいだったようです。ずっとカメラを回しているのも忍耐?がいるでしょうが、場所は鉄道の駅構内であり、ホームには人がたくさん居て、猿の救命を見守って?おりました。

 

人間社会では、駅構内に転落した人を助け出すなど、とても危険で勇気のいること、決して奨励されないでしょう。猿は命を顧みないのでしょうか?危険だとわからないのでしょうか?猿を助けるために、命を危険に晒すことは、人間には出来ないと言うことでしょう。それはわかっているつもりですが、なんか単純に「凄いな!」と、猿に感動してしまいました。

 

「猿真似」という言葉があります、猿が人の動作を真似るように、考えなく、なんでも他人の真似をすることを意味するとされます。でも、猿は、人間の真似をするのでしょうか?この言葉、なんか猿をバカにしているような感じがいたします。

 

サルと言えば、豊臣秀吉が有名ですね。織田信長は、木下藤吉郎を召し抱えるにあたり、『サル』と呼んだと言われます。希代の革命児信長は、藤吉郎を蔑視する意味で、『サル』と呼んだのではないのでは?これは結果論に過ぎないのかもしれませんが、信長は、後の秀吉の才を見抜き、何か他とは違う自分にとって特別な存在と思い、このような呼び方をしたのではないでしょうか?

 

旧石器時代、ネアンデルタール人、クロマニヨン人、何か猿の面影がありませんか。科学的には知りませんが、猿が進化したのが人類だとすると、天才信長は、秀吉の進化を予見していたのもしれません。これは珍説ですね。説ともなり得ませんが。

 

でも、人間社会では、なんでも他人の真似をするのはいかがなものでしょう。猿は進化し続けて今日に至ったとして、人間は、果たして今後どのような進化を遂げるのでしょう。

 

後の世代に確実に『良い物』を残せる場合だけ、人間は、先人の真似をすべきでしょう。進化せず、後戻りするような真似は止めてもらいたいものです。

 

昨今、『後戻りしてはならない』と言う言葉が流行りました。私も同感です。平和憲法がなかったあの戦時下には後戻りしたくありませんから。賢い方々は、間違った真似、変な懐古主義には至らないと信じます。