先日、出張のため、東京駅から新幹線に乗車しました。東京駅では、報道されたような100年記念のSuica販売の混乱の跡は、感じませんでした。駅には休みはないということでしょう。
新幹線は、昔『夢の超特急』と呼ばれました。夢と思うようなスピードを出すことから言われたのだと思っています。でも、庶民の間には、新幹線は、夢を運んでくれる思いもあったのだと思っています。
東京と新大阪を結んだ東海道新幹線が最初でした。今では、東海道山陽新幹線はJR東海が、東北秋田山形新幹線、上越長新幹線は、JR東日本が運行しています。東京駅には駅長がそれぞれいる理屈です。今ではあまり意識されなくなりましたが、以前は『国鉄』、すなわち日本国有鉄道だったところ、万年赤字を解消する目的で、——それだけではありませんが、——分割民営化された歴史があります。不採算路線の廃止やリストラは、これが最初だったかもしれません。
東京で暮らしていると、旅行や出張のとき利用するのが新幹線のイメージがありますが、新幹線に乗って東京駅に降り立った方々は、どのような夢を抱かれていたのでしょう。
私の場合は、むしろ東京駅が出発点でありました。昔国鉄時代、『ディスカバジャパン』『一枚の切符から』、そして『いい日旅たち』のキャッチフレーズで、鉄道旅行を推奨する流れがありました。子どものころ、何処かに行ってみたいと思っておりました。特に東京駅を発車する夜行列車、ブルートレインは、大好きでした。あさかぜ、さくら、富士、はやぶさ、みずほ、懐かしいです。これらは全部乗りました。東京と大阪を結んだ急行銀河は、何回乗車したことでしょう。時代の流れか社会の進化か、ブルートレインは無くなり、新幹線は、津軽海峡を越えるまでになり、すべからく日本中に繋がることでしょう。
都会にいると、なんとなくブルートレインなどの長距離列車を見ると、郷愁を感じます。新幹線が地方の方々の夢を運ぶのだとしたら、都会で暮らしている私たちは、夢の源を探しに旅たつのかもしれません。『いい日旅たち』は、日本の何処かに待っている人がいる、昔子どものころ、母の背中で聞いた歌と一緒に探しに行こうというくだりがありました。
夢の源は母、誰にでもふるさとはあるということなのでしょう。