生年月日で性格判断ができるそうです。

2015年5月29日
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きさらぎ法律事務所のホームページやこの『ひとりごと』でも、何回か申しましたが、法律相談にいらっしゃる方は、まずご自分がそのとき一番知りたいことをお尋ねになります。相手方から、これこれを要求する通知が届いたが、どうすれば良いか等です。

これに対しては、相手方の主張要求にどう対応するかではなく、あなたは何をしたいのか、抱えた問題をどうしたいのかの観点から、お話いします。

また、ネットや電話相談では、これこれと書いてあった、このように言われたとして、相談に見えられる方がおられます。しかし、これもあちらこちらで繰り返し申しましたとおり、ご相談者にとって、解決になり得ないことがほとんどです。

なぜなら、ご相談者は、ご自分が期待する答えが欲しくて、検索用語なりを選び、似たような事例等を取り出して、自分のケースに無理に当てはめようとされるからです。

これは人間の心理として無理からぬものがあります。占いもそうではないでしょうか?

自分と彼女の相性を知りたいと言うのは、その前提として、『相性が良い』と言う結果が欲しいがあるのです。
私は、占いは、万一期待する答えが出なかったら、それを受け入れる覚悟がない場合には、やるべきではないと思っております。

ですから、この手の報道やテレビは、ほとんど見たことはないのです。

そんな私ですか、ある日、見るともなく点けていた朝の生放送番組で、生年月日で性格が判断されると言うシーンに接しました。なんでも、自分の生年月日を西暦にして並べ、1桁になるまで足し算していくのだそうです。例えば、1990年6月1日の人は、1990+6+1=1997    1+9+9+7=26   2+6=8    となるそうです。

こうして0から9までの数字で、性格判断できると言うものです。最初に、この性格判断は当たっていると説明がありました。

早速この番組のメインキャスターがやったところ、出た数字が表す性格診断を見た他のゲストは、揃って「当たっている!」と声が出ました。なんで占い嫌い?の私が取り上げたかですって?それは、この番組のメインキャスターと、私は同じ数字だったからです。この人と同じなんだ………。論評は控えます。あちらだって嫌でしょうから。

でも、気になるものは気になるのです。本当に当たっているのか、密かに調べて見ました。

誰を例にしますか。今国会で論戦されている安全保障法案を巡る代表的立場の公人が良いでしょう。かたやこれを『戦争法案』と言ったある政党の顔となっている女性議員、かたや押しも押されぬ安倍晋三内閣総理大臣にしましょうか。

結果は、件の女性議員は『2』、安倍晋三氏は『4』でした。

その数字が表す性格判断は、『2』は、『平和主義者』で、自分より他人優先、寂しがり屋でシャイな一面もと出ました。

『4』は、『保守的』で、非常に勤勉で頑固な一面もと出ました。みなさんどう思いますか?さて、かく言う福本悟の数字はいくつでしょう。ヒントは、あの番組の嫌われ者?男性キャスターと同じだと言うことです。

 

自分の顔を覚えてもらえなくても

2015年5月28日
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東京六大学野球に所属する東京大学が、連敗を94で止めました。

 

六大学野球は、東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、立教大学、明治大学、法政大学が、春夏にそれぞれリーグ戦を行い、勝ち点を競い合う仕組みです。

各チームとは最低2試合行うので、連敗記録更新中と言うことは、1期10敗、1年間で20敗の計算となるので、5年くらい勝ったことがないことを意味します。

何故東大が勝てないのか、また、今回の勝利について、東大や野球とは無縁の私はコメントいたしません。東大の久々の勝利は、海外でもニュースになっていたのですが、「あれ?」と思わず呟いてしまった次第です。

アメリカ合衆国のあるマスコミでも、この歴史的出来事?を写真入りで報じておりました。東京大学野球部は、昨年まで、もとプロ野球読売巨人軍に所属し、アメリカ大リーグも経験したことがある桑田真澄氏を特別コーチとして招聘し、桑田氏が指導したことがありました。

そんな関係で、元コーチの桑田真澄氏の喜びの声とともに、桑田真澄氏とされる写真が掲載されました。

ところが、桑田真澄氏とされた被写体は、鳩山由紀夫元内総理大臣でありました。 実は、鳩山由紀夫氏が首相を務めたとき、自ら桑田真澄氏がかつて大リーグで所属したチームのレプリカユニフォームを着用して、桑田真澄氏と特別対談した折の写真が、利用されたと言うことです。

要するに、ユニフォームを着ていた人物を、桑田真澄氏と思い込んで取り違えたのです。

これを知ったとき、話題の主である桑田真澄氏に失礼だなと思いました。ここでは、『東京大学元コーチたる桑田真澄氏』だからです。

しかし、テレビの司会者は、違ったことを述べました。「鳩山由紀夫さんって、アメリカで研究者として生活して、内閣総理大臣を務めた人だけど、アメリカのマスコミでは、知られていないんだ」 さて、現在の日本の内閣総理大臣が誰か、アメリカ合衆国では、取り違えすることはあるのでしょうか?

 

日本国民に対して説明し、国会で審議する前に、わざわざ渡米して集団的自衛権の行使が実現される法案を早急に成立させるとオバマ大統領に約束し、また、アメリカ国民の前で、英語でスピーチした現在の日本国内閣総理大臣は、これだけアメリカと仲良しだと力説しても、万一にも、「あれ誰?」とアメリカ国民に認識していただけなかったら、さぞかしがっかりされるでしょう。

 

でも大丈夫でしょう。

あれだけ親密性を鼓舞し、テロと戦うと言うアメリカを褒め、一緒にやりましょうとわざわざサポートを申し出たのですから。

そんな有難い申し出をされる国の代表者の顔がわからないなんて、アメリカ合衆国国民は、恩知らずではないでしょう。

桑田真澄氏にしろ、政界を引退された鳩山由紀夫氏にしろ、アメリカ合衆国では、自身の顔を覚えられていないからと言って、落胆はしないのではと思います。所詮用が済んだらこんなもんだよ……と言ったところでしょうか。

川崎市簡易宿泊所の火災から考えさせられること

2015年5月27日
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川崎市川崎区の簡易宿泊所が全焼した火災では、亡くなった方の多くは身元が判明しない状態にありますが、火災現場での捜索は、終了したとのことです。

火災が原因であることや、宿帳も焼失したこともありますが、身元が判明しないこと、宿泊していたと見られながら、まだ連絡が取れない方がいらっしゃることに、被害の深刻さを知らされるものであります。

ある新聞社は、川崎市が、簡易宿泊所を建築基準法でホテルなどに義務つけられていた定期的な検査報告の対象から除していたことが明らかになったとし、違法建築の疑いを把握し、改善指導できたところを見逃したと批判的です。

報道されたところでは、確かに2階の吹き抜け部分に3階を増築したようで、下からの火の勢いが煙突となって、またたくまに燃え広がったことが推測されるようです。

政令市では、「川崎市のみ」と指摘されました。 確かに人の命を預かる業種としては、安全性に限りはないと言うべきで、市の改善指導の機会がなかったことが、被害を拡大させた面があることは否定出来ないとも思われます。

しかし、被災した簡易宿泊所は、ほとんどが高齢者で、8割が生活保護受給者であったことは、本質的問題を考えさせられます。1日2000円で宿泊できるこの場所を、生活の本拠とされていた事実から、目をそらしてはならないと思います。

 

生活保護を受給できても、保証人の存在、高齢で身寄りがない単身者は、なかなか住居を借りられません。

 

ここは行く場所がない単身者の拠り所となっていたのではないでしょうか。

焼け出された住人は、「ここに居れば仲間がいる」と述べました。身寄りが居ない仲間たちの意味だと思います。

かつて行く場所がないホームレスとなった方々が、川崎大師前に寝泊まりしていたところ、環境問題を理由に追い立てられ、その受け皿として、川崎市内には、簡易宿泊所が存在した歴史があるとのことです。

 

行政の立ち遅れをカバーしていたとも言えるでしょう。

そんな方々が利用される宿泊所は、料金を上げて改築工事など行うことは、厳しい現実があるでしょう。

 

身寄りがない単身者を社会が受け入れふシステムつくりが肝要かと思いました。

最近聞かされる悲劇は、共生共存の社会を目指さなければ、全てを救いきれないと考えされられるものばかりです。

きさらぎ法律事務所のある新宿1丁目にも、年1回お神輿が出ます。

2015年5月26日

 

子どものころ、縁日がありました。縁日とは、神仏との有縁の日ことで、神仏の降誕、示現、請願などのゆかりのある日を選んで、祭祀や供養を行うので、この日に参拝すると、普段以上にご利益があると言われます。

これが日本古来の意味ですが、いつのころからか、神社仏閣で、お祭りが行われて露店が出る日を、『縁日』と言うようになりました。まさしく私の記憶する縁日とは、ヨーヨー、ベーゴマ、あんずすもも、おでん、かき氷などの店が出るお祭りでありました。子どものころ住んでいた大田区のある神社では、毎月8の日が縁日で、これが楽しみで、何をするでもなく、よく遊びに行きました。
私の場合、東京に居ながら、縁日があったので、神社仏閣のお祭りには、疎かったと思います。だんだん都市化して、伝統文化を残すことが難しくなったのだと思いますが、やがて縁日はなくなり、都会では、お祭りそのものが少なくなった感があります。お神輿担いで町内を回るなんて、常日頃できなくなったと思われます。

きさらぎ法律事務所のある新宿1丁目は、旧花園町と言い、新宿の花園神社が氏神様です。毎年5月下旬の土日に、日頃花園神社に納められている新宿1丁目の祭神となるお神輿を受け取って担ぎ、町内を回るお祭りがあります。この辺り、会社が多くあり、昼間この地で働く人たちも、お祭りのときは、参加されているのです。ご本体の花園神社では、縁日さながら露店がたくさん出ております。写真

もっとも、事務所ができた当時は、土日月がお祭りの日で、金曜日ともなると、町内には、法被を着込んだ男女が現れ、祭り気分で盛り上がっていたものです。月曜日夕刻に、お神輿を花園神社に納めてフィナーレを迎えたと思います。

歳と体型の問題から、神輿を担ぐことはない悪いですが、新宿1丁目町内を回り、そして事務所前を神輿が通過するとき、ありったけのパワーをいただいております。来年もまた、平穏に、この地で神輿の姿を見たいと願います。

この新宿花園神社のお祭りころから、急に暑くなっていきます。

そして、花園神社のお祭りが終わりますと、私にとってふるさとである福岡博多の『博多祇園山笠』に思いを馳せるのです。

山笠期間中の7月1日から15日の間には、必ず福岡博多に参ります。単に空気を吸うだけなのですが。

新宿花園神社のお祭り、そして博多祇園山笠に逆上せる素地は、あるいは子どものころ、なんとも思わず関わっていた地元神社の縁日が、体に染み付いたのかもしれません。今の子どもたちにも、こんな時間を差し上げたいと思いました。

今日も、童心に帰った気分です。

福岡県人会に参加して。

2015年5月25日

年末年始やお盆休みになると、よく『……をふるさとで過ごした人のUターン、帰省ラッシュが始まりました』なんて報道されますね。

 

東京等を生活圏とする方たちが、自分が生まれ育った場所に、家族を連れしばし戻って親戚や友人と、時間をともにするのです。

東京で生まれ、東京の学校を出て、東京で仕事をし、家族と暮らす私には、東京がふるさととの実感がありません。

 

『ふるさと』がある人はいいなと思います。

 

そんな私が、唯一東京を離れて暮らしたのは、25歳から27歳までの福岡市でした。

 

初めての一人暮らし自体で舞い上がったところもあったのでしょうが、以来すっかり福岡のファンになり、完全に取り憑かれてしまいした。

 

あちらこちらで福岡を宣伝したからだと思いますが、今から十数年前に、『東京福岡県人会』に入会が許されました。

いただいた会員証には、『福岡県人会は、あなたが福岡県を愛し、その発展を心から願うものと認め、会員証を発行する』と記載されております。

厚かましくも、私は、福岡がふるさとだと思っております。

 

そんな私ですが、少しは節度があるつもりです。

福岡を出て、こちらで暮らす方のふるさとを思う気持ちと同じだなんて、とても申せません。

ですから、会員規約にある『あらゆる機会に福岡県をPRし、自分との絆を深めるよう努める』ことは自覚しつつも、県人会には、年1回の総会懇親会に参加させていただくに留めているのです。

写真 1

そして例年とおり5月下旬の木曜日に、総会がありました。

来賓としてお越しいただいた知事から、最近のふるさとの情勢が説明され、多くのご来賓、協賛された方々の紹介の後、郷里から駆けつけた親善大使やゲストによる数々の発表があり、席について2時間経過したころ、いよいよ喉の渇きを潤し、ふるさとを語り合う時間がもたらされました。

短い時間?したが、とても良いですね。本当のふるさとがあることはとても良いことで、羨ましくなりました。

 

毎回この場では、肩身の狭い思いがいたします。

 

そして、お楽しみは、ふるさと福岡がぎっしり詰まったお土産です。『FUKUOKA』と描かれたお土産袋を持って電車に乗ってるときだけは、なんか優越感を持つ自分があります。

 

この気持ち、バカですが、ふるさとをお持ちの方々には、馴染めないのではないでしょうか?童心に帰ったとは、こんな感じ?と思ってしまいます。

 

今年は、きさらぎ法律事務所が法人後援会に登録されている『アビスパ福岡』が、現在のところまあまあの感じであることも、気分良く帰路につけた理由でもあります。

写真 2

 

 

アビのマスコットも、福岡から来てくれました。

 

 

川森社長様には、いつも遠い関東のアウェイの試合にも、私どもと一体になって応援していただいており、前社長ともども有難いことです。

 

ふるさと?に感謝のひと時でありました。たまには、肩の力が抜けた話題もどんなもんでしょう。

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