元ナチスの親衛隊員の公判が、第二次世界大戦で、ドイツが連合国に降伏して70年となる今年も、ドイツ北部で行われました。
被告人となった今年93歳になった男性は、アウシュビッツ強制収容所で、1944年5月から2ヶ月間で30万人のユダヤ人の殺害に関与した殺人幇助の罪で起訴され、起訴事実を全面的に認め、遺族らに対して「どうか許してください」と述べたと伝えられています。
ご承知のとおり、ドイツは、未だナチスの戦犯の捜査を続けており、先に来日したメルケル首相が言われたとおり、ドイツが近隣諸国から許してもらえ、国際社会に復帰できたのは、ドイツは過去を忘れず、謝罪を続けたからだとされるのです。
いっぽうで、ときを同じくしてインドネシアのジャカルタで開催されたアジアアフリカ会議(バンドン会議)60周年記念式典に参加した日本の安倍晋三内閣総理大臣は、10年前の50周年記念式典に出席した当時の小泉純一首相が述べた植民地支配と侵略が、アジア諸国の人々に、多大な損害と苦痛を与えたとする「痛切なる反省と心からのお詫び」には、言及しなかったようです。
謝罪とは、他から言われて行うものではありません。
また、いちど謝った者に対して、何度も謝る必要があるのか?とも考えられます。
ただ、アジア諸国の記念の日を前にして、『日本は、先の大戦の深い反省と共に、いかなるときでも、他国の領土保全や政治的独立を侵さないと言う60年前、バンドンで確認された原則を守り抜く国であることを誓う』と言ったところで、何か当事者意識が感じられないと思うのはなぜでしょう。
これは当たり前のこと、現在誰もが異論ないことを、被害に遭われた当事国に向かって述べるのは、どんなふうに受け取られるでしょうか?
先日あるテレビ番組に出演されたときの発言からしても、どうにも安倍首相は、謝るのが何か反対に悪いことかに思われているのでは?とさえ思ってしまいます。
これが中国韓国と、互い意地の張り合いをしているように見え、大人気ないなと思うのは私だけなのでしょうか?