ゴールデンウイークは、全国的に好天で、行楽地は、どこも人人人で混雑した様子です。
このGW期間中は、プロスポーツは連戦に次ぐ連戦で、競技場は、どこも満員御礼だったと聞きおよびます。
選手、関係者の皆様には、お疲れ様でした。
このGW期間中、プロ野球セリーグ公式戦で、『珍事』が起きました。
それは、広島マツダスタジアムで行われた読売巨人軍対広島カーブの三連戦の初戦で起きました。
読売ジャイアンツは、昨年もセリーグを制覇したように、毎年優勝候補に挙げられおります。
また、広島カーブは、今年大リーグを退団したベテラン投手が復帰し、優勝候補の一角に挙げられ、好ゲームが予想されておりました。
試合はまさに下馬評とおりの熱戦で、2対2の同点のまま9回裏に入り、ホームチームのカーブが、一死満塁のサヨナラ勝ちのチャンスを迎えた場面でそれは起きたのです。
カーブのバッターは、投手、捕手、三塁手、一塁手の真ん中あたりにフライを打ち上げました。
三塁塁審は、すかさずインフィールドフライの宣告をしました。これにより、バッターがアウトになります。
『インフィールドフライ』のルールとは、無死または一死一、二塁または満塁で、バッターが内野にフライを打ち上げた場面、インフィールドフライが宣告されるとバッターがアウトとなることを意味します。
つまり、塁上にランナーが溜まっているときに、バッターがゴロを打つと、野手は、ランナーにタッチすることなくベースタッチして併殺を狙えるので、上記場面で、内野に打ち上がったフライをわざと野手が捕球せず、地面に落下して拾ってランナーにタッチすることなく併殺を取るのはフェアではないからだとの理屈です。
もっとも、インフィールドフライなんか落球する選手はいない前提があるのかもしれません。
ところが問題の巨人広島戦では、打ち上がったフライは、投手•捕手•三塁手•一塁手の間にポトリと落ちました。
主審は、『インフェア』の判定をし、慌てて拾った一塁手は、目の前のホームベースを踏んだ後、一塁のベースカバーに入った二塁手目掛けてボールを投げたところ、この間に、三塁ランナーだったカーブの選手がホームベースを走り抜け、得点が認められてカーブのサヨナラ勝ちとなったわけであります。
当初巨人軍は、ホームゲッツーが成立したと勘違いして、喜んで自軍ベンチに向かおうとしたようです。
これに異を唱えたのは、広島カーブの石井琢朗三塁コーチでした。実は石井コーチは、これと全く同じ場面を、まだ自身は、一軍でプレーする前の横浜ベイスターズの選手時代に経験したと言うのです。
それは、石井選手が入団間もない若かりしころの横浜スタジアムで起きた横浜対広島戦の9回裏一死満塁の場面でした。このとき、インフィールドフライの宣告がなされた後、強風に煽られて打球がファールゾーンからフェアゾーンに流され、取り損ねた捕手が、ホームを踏んで一塁に投げたものの、既にバッターはアウトとなっていて、すなわち、この段階でニ死満塁ですから、ランナーがホームベースに突入して来れば、ランナーにタッチしなければならないからです。
一般のインフィールドフライの場面では、各ランナーは、インフィールドフライの宣告があったら、直ぐに帰塁するでしょう。
もしかすると、件の広島カーブの三塁ランナーは、何か勘違いしてホームに突入したのかもしれませんし、ジャイアンツの一塁手は、その勢いに飲まれて勘違いしたか、あるいは、三塁塁審のインフィールドフライの宣告を、聞き落としたのかもしれません。
実際サヨナラ負けが決まった巨人軍原辰徳監督は、一応の抗議をしたようですから、あの場面、冷静だったのは石井琢朗広島カーブコーチくらいだったのかもしれません。
この『珍事』によってサヨナラ負けとなった巨人軍は、広島カーブに三連敗しました。奇しくもジャイアンツが首位転落した日、入れ替わってセリーグ首位にたったのは、石井琢朗氏が最初に入団した横浜ベイスターズであります。
私は、横浜ベイスターズが、前身の大洋ホエールズ以来2度目のリーグ優勝を果たして臨んだ西武ライオンズとの日本シリーズ第1戦を思い出しました。
横浜スタジアムで行われたシリーズの初戦、先頭バッターとして、バッターボックスに入った石井琢朗選手は、なんと投手前にセーフティバントをしたのです。
意表を突かれた当時の西武の大エース西口文也投手は、これをさばくことができず、結果、本来の投球をすることなく試合は終わり、この年の日本シリーズは、横浜ベイスターズが、西武ライオンズを4勝2敗で破り、シリーズ出場2回にして、またしても日本一の座についたのでした。
ここで学ぶべきは、そのときは、今の自分に関係ないことだと思えても、自分の周りに起きた出来事は、その意味を理解しておく必要性です。
おそらく件の横浜広島戦の結末を知った当時の石井琢朗選手の本音は、一軍が勝った結果よりも、自身が早く一軍に上がりたい思いであったでしょう。
でも、一軍でプレーし、ブロとして生きていくためには、今の自分には直接関係ないと思えたことであっても、周りで起きたことは全て吸収し、学ばなければならないと考えられたのでしょう。
石井琢朗選手は、小細工のきく、野球センスに富んだ選手、燻し銀との印象がありましたが、コーチとなって指導する立場になっても、若い人たちに大切なことを教えられた気がいたします。
『珍事』もまた違った側面から見ると、なかなか意味深いものがあると思いました。