川崎市簡易宿泊所の火災から考えさせられること

2015年5月27日
テーマ 

川崎市川崎区の簡易宿泊所が全焼した火災では、亡くなった方の多くは身元が判明しない状態にありますが、火災現場での捜索は、終了したとのことです。

火災が原因であることや、宿帳も焼失したこともありますが、身元が判明しないこと、宿泊していたと見られながら、まだ連絡が取れない方がいらっしゃることに、被害の深刻さを知らされるものであります。

ある新聞社は、川崎市が、簡易宿泊所を建築基準法でホテルなどに義務つけられていた定期的な検査報告の対象から除していたことが明らかになったとし、違法建築の疑いを把握し、改善指導できたところを見逃したと批判的です。

報道されたところでは、確かに2階の吹き抜け部分に3階を増築したようで、下からの火の勢いが煙突となって、またたくまに燃え広がったことが推測されるようです。

政令市では、「川崎市のみ」と指摘されました。 確かに人の命を預かる業種としては、安全性に限りはないと言うべきで、市の改善指導の機会がなかったことが、被害を拡大させた面があることは否定出来ないとも思われます。

しかし、被災した簡易宿泊所は、ほとんどが高齢者で、8割が生活保護受給者であったことは、本質的問題を考えさせられます。1日2000円で宿泊できるこの場所を、生活の本拠とされていた事実から、目をそらしてはならないと思います。

 

生活保護を受給できても、保証人の存在、高齢で身寄りがない単身者は、なかなか住居を借りられません。

 

ここは行く場所がない単身者の拠り所となっていたのではないでしょうか。

焼け出された住人は、「ここに居れば仲間がいる」と述べました。身寄りが居ない仲間たちの意味だと思います。

かつて行く場所がないホームレスとなった方々が、川崎大師前に寝泊まりしていたところ、環境問題を理由に追い立てられ、その受け皿として、川崎市内には、簡易宿泊所が存在した歴史があるとのことです。

 

行政の立ち遅れをカバーしていたとも言えるでしょう。

そんな方々が利用される宿泊所は、料金を上げて改築工事など行うことは、厳しい現実があるでしょう。

 

身寄りがない単身者を社会が受け入れふシステムつくりが肝要かと思いました。

最近聞かされる悲劇は、共生共存の社会を目指さなければ、全てを救いきれないと考えされられるものばかりです。