昨年の衆議院議員総選挙後に政界を引退した大物政治家は、「シナ」「アメちゃん」などの発言で知られ、女性を「ババア」と言ったとして、女性たちから民事訴訟を提起されたこともありました。
また、大阪都構想の応援演説で、与党の有力議員が、「バカでもチョンでも」と述べたことを、直ちに撤回して謝罪しました。
これは、差別用語と受け取られるかおそれがあるからです。 今、汚職問題で揺れてはおりますが、FFA国際サッカー連盟は、サッカーでの人種差別を厳しく対処します。選手のみならず、サポーターであっても、差別的言動をした者、グループに対しては、出場入場禁止等の措置が執られるのです。
この国際的流れを受けて、最近では日本でも、『JapaneseOnly』の横断幕を張ったJリーグサポーターらが、処分されたことがあります。
さて、6月6日、私は、福岡市をホームタウンとするサッカーJリーグ第2ディビジョンに属する『アビスパ福岡』の試合を、本拠地レベルファイブスタジアムで観戦しました。
この試合、いつものことながらアビスパ福岡は押され気味でしたが、後半セットプレーのワンチャンスをものにして1対0で勝利しました。
高い位置から観戦していたので、ロスタイム4分が早く過ぎろと思い、審判が時計をチェックしていたシーンが、良くわかりました。 この試合、アディショナルタイムの最後のところで、アビスパ福岡のFWの選手の前にボールが転がり、相手GKと1対1となり、まさにシュート!と思った瞬間試合終了の笛が吹かれ、アビスパファンは苦笑したものでした。
アディショナルタイムが終了する直前に、コーナーキックとか1対1のシーンになったときは、そのプレーが終わるまでは笛を吹かないと言う暗黙のルールがあるのだそうです。
しかし、当日私は気づかなかったのですが、アビスパ福岡によれば、この試合の最中、この日主審を務めた審判は、決して苦笑では済まされない差別的言動をしたと言うのです。
選手らから報告を受けたアビスパ福岡は、試合終了後マッチコミッショナーに抗議したものの、当の審判本人がこれを否定したことから、近日中に、Jリーグに意見書を提出することになったと報じられております。
アビスパ福岡によると、問題のシーンは後半35分、接触プレーで倒れたアビスパ福岡の選手に対して、主審が、「Are You OK?」と英語で質問したところ、この選手が、「大丈夫です」と日本語で答えたので、「なんだ、お前、日本語話せるんだ」と嘲笑しながら応じたと言うもので、やりとりを見ていたチームメイトが、「審判、それはないでしょ」と言ったところ、「後で謝る」と答えたものの、謝罪はなく、マッチコミッショナーからの聴取では、当の審判は、このような事実そのものを否認したと言うものであります。
英語で?話しかけられたアビスパ福岡の選手は、ドイツ人の父と日本人の母を持ち、日本で暮らし、J1を含む日本でのプロサッカー選手歴は短くなく、この審判のように、長くJリーグで審判を務め、まして海外での審判歴があるトップチームの試合を担当する審判が、この選手が日本国籍であり、当然日本語を話せることを、知らぬわけがありません。
私としてはあまり言いたくないところですが、この選手の兄は、日本代表として海外でプレーしているのです。確かに外形、髪の色等は、生粋の日本人とは見えないのかもしれませんが……。
だからと言って。 私は、2つのことを申し上げたいと思います。
もちろん私は、その場面を見た(正確に言えば『気づいた』』わけではありませんが、事実の信憑は、合理性の有無でかなり説明が可能と思っております。
アビスパ福岡側が、『こんなこと』で嘘をつき、『こんなとき』に問題提起なんてする合理性があるのでしょうか?
複数の関係者が、勝った試合の主審を務めた審判を、陥れることをするだろうかと言う疑問です。
この部分、よく『浮気の証拠はありますか?』の質問でお答えするところです。そうだとすると、これもいつも申しますとおり、『事実は変えられない』と言うことを、この審判に対しては、申し上げたいのです。
ふたつめは、リスペクトの精神なくして世の中の平穏は成り立たないと言うことです。
かつてサッカー4級審判の資格をいただいた時期もある私は、講習などで、リスペクトの考えを強く教えられました。
今自分がサッカーができるのは、家族指導者、相手チーム、審判、ボールやベットボトル等多くに支えられているからであり、これらに対して感謝しなければならないと言うことであります。審判が居なければ試合は成り立ちません。
ですから私は、審判に対する抗議、まして暴言は認めることができません。決して審判を尊敬しろとまでは申しませんが、ある意味試合での主役、存在なくして試合は始まらないないのです。それなのに、審判が、最もリスペクトに欠ける言動をするとは。
このことは、今の日本の政治、特に外交問題にも言えることだと感じます。
かつての日本は、『植民地支配と侵略戦争により、アジアの諸国民に、多大の苦痛と損害を与えた』事実を認め、これらを痛切に反省して平和憲法のもと、世界各国から尊敬とまではいかないとしても、国際社会において、それなりのポジションを得られたことは否定できないと思います。
ところが、このかつての『お詫び』が間違いであるかの風潮が現れております。
それどころか、先の大戦は、アジアの植民地化を阻止するためのものだった、日本が統治した国には、戦後日本流の教育、文化等が残され、それぞれの国の発展に寄与した、その後日本を習って独立した国もある等等です。
そのような見方があることは、わからないではありません。また、各国に、日本の名前を使用した建物や、日本人の偉業を讃えた記念碑等があることもまた事実です。かの国々の方々が、このように思っていただけることは、誠に有難いことです。
ですが、日本のほうから、「良いこともした」「これからは未来志向で行こう!」と言うのはどうなんでしょうか?まず、かつての行為を謝り、許しを得たことから全ては始まると考えます。
これに感謝するがゆえに、相手国も、日本を認め、良いところを学び、尊敬もされるのではないでしょうか?
東日本大震災のとき、世界各国が、特にアジア諸国が挙ってその復興を支援されたのは、このような『戦後の歴史』があったからではないでしょうか?リスペクトすなわち感謝は、思いやりに通じます。
そんなふうに考えろとき、先のアビスパ福岡戦の主審を務めた審判と、何処かの国の宰相とが、オーバーラップして見えてしまいました。